4話 悪女、処刑(前編)

「紅蘭華、出ろ」


 昨日とは異なる男の声で目が覚めた。

 いつの間にか眠っていたらしい。

 どうやら朝のようだが、窓のない地下牢は変わらず暗いままだ。


「おや……雨黒うこく様ではありませんか」

「相変わらず、呑気なやつだ。どんな神経をしていたらこんな場所で熟睡できるのだ」


 雨黒と呼ばれた男は呆れ顔で蘭華を見下ろした。

 彼は皇太子の側近の一人。近衛よりも近い距離で皇太子を守護したり、後宮の荒事をおさめたり、良いように使われたり――まあ、いわば腕っ節の強い便利屋という感じだ。

 名前通りの黒髪を頭の高い位置で一つ結びにし、その顔は端麗。後宮の女たちの間で密かな人気を誇っている。

 だが、この通り性格はキツイので誰も気安く接することはできない――ただし蘭華を除いて。


「こんな地下牢になんのご用ですか?」

「お前を処刑場まで案内する役を仰せつかったのだ。腰抜けの衛兵たちはここが怖くて近寄りたくないようだからな」

「ふぅん、朝からご苦労様ですね……あら? 龍煌様は?」


 ふあぁ、とあくびをしながら蘭華は龍煌の姿を探す。だが、向いの牢に彼の姿はなかった。


「なにを寝ぼけている。早く表に出ろ、皇太子殿下がお待ちかねだ」

「もしや私は龍煌様の亡霊とお話ししていたのかしら……」


 手枷をつけられそこから伸びた鎖を無理矢理引っ張られながらも、蘭華は全く別のことを考えていた。


「ねえ、雨黒様。あの十層には本当に龍煌殿下がお住まいになられてるのですか?」


 牢を出された蘭華は、地上に続くそれは長い螺旋階段をぐるぐるとのぼりながら問いかけた。


「ねえ、ねえ。雨黒様」


 先程から執拗に雨黒に声をかけているが、彼はなにも答えない。

 それどころか、蘭華が言葉を発する度にその眉間の皺は深くなっていくばかり。


「おーい、もしもーし。聞こえておいでですか?」

「ええい、黙れ! 罪人と不要の会話をすることは律で禁じられている!」

「あら。先程はお話しくださったじゃないですか」


 そういうと雨黒はうっ、と口を詰まらせた。


「ふふ、皇太子殿下の側近とあろうお人が律を破るとは……」


 蘭華がにやりとほくそ笑めば、雨黒は渋い顔をする。


「なんて冗談ですよ。私が密告したところで誰も信じてくれないでしょう。そうですね……今のは雨黒様の独り言。私はそれに勝手に返しているだけです」


 ですからお好きにお話しください、と促せば雨黒は呆れたようにため息をついた。


「……お前はこの結末でいいのか?」

「私は後宮で生まれ、後宮で死ぬ。それだけは定められた運命でしょう」


 雨黒は鴎明の息子。二人は謂わば兄妹のような間柄だ。

 立場こそ違えど、共に後宮で生まれ、後宮で育ってきた。

 後宮の中で、籠の鳥として生き、死んでいく定めである。


「どうして皇太子殿下に噛みついた」

「噛みつくつもりなど御座いません。ただ……私は、退屈でならないのですよ」


 任務で度々後宮の外に出られる雨黒とは異なり、蘭華は後宮の外の世界を知らない。

 だからこそ蘭華は刺激に飢えていた。

 退屈で退屈で溜まらない。死ぬまでこの怠惰な日々が続くと思うだけで絶望しそうになるのだ。

 

 そうして長い階段を上り終えると、地上が見えてきた。

 地下牢の出口から丁度見事な朝焼けが上っていた。


「あら……綺麗な朝日だこと」


 ずっと暗闇の中にいたからこそ、余計に朝焼けが美しく見える。


「間もなく死ぬというのに呑気に朝日を眺めるなんて余裕だな」

「これから死ぬかもしれないから生を実感できる。だからこそ世界が美しく見えるのでしょう」

「……おかしな女だ」


 美しそうに朝焼けを眺める蘭華を横目で見て、雨黒はふっと頬を綻ばせた。


「独り言を呟きながらほくそ笑むなんて気味が悪いですよ」

「うるさい。お前は最後まで口が減らないヤツだ、父上もなんでお前なんかを拾ったのやら……」

「そうですね。唯一の心残りは鴎明様にお会いできなかったことでしょうか」

「……お前の処刑が父が遠征中の間でよかったよ。まあ、一応お前の死に様は伝えておこう」

「ふふ、是非ともよろしくお伝え下さいませ」


 雨黒は柔らかに微笑む蘭華を見つめたあと、ふっと目を閉じ息をついた。

 そして再び目を開けたとき、その表情は一変していた。


「――罪人、紅蘭華。お前は闘技刑に処す」

「闘技刑……?」


 あら凄い切り替えの早さ、なんて呟きながら蘭華は首を傾げた。

 すると雨黒は地下牢の近くにある倉庫に案内する。そこにはずらりと様々な武器が並んでいた。


「この中から好きな武器を選べ。これからお前は処刑人と戦う」

「殺されるのにですか?」

「そこで処刑人に勝てばお前は無罪。負ければ死、だ」

「つまりは……見せ物になれ、ということですね」

「……そういうことだ」


 互いに顔を顰めた。

 この後宮では楽しみが限られている。そのため、処刑も一つの見世物として後宮で棲まう人間の娯楽の一つとなっているのだ。


「しかし、戦うとなれば処刑人の方が危険なのでは?」

「あの方を倒せる者は誰一人としていない」

「お知り合いなのですか?」


 雨黒の眉がぴくりと動いた。

 どこか辛そうに拳をぎゅっと握り締めたのがわかる。


「お前はあの処刑を見たことがないのか」

「ええ。他人の命のやり取りで興奮できるほど、私は悪趣味ではないので」

「……悪女がいう台詞か」

「悪女とて趣味嗜好はありますよ」


 そう突っ込まれれば、蘭華はくすりと笑った。


「時間がない。早く武器を選べ」

「そうですね……では、これを」


 蘭華が手にした武器を見て、雨黒は目を見開く。


「お前、本当にそれでいいのか……?」

「ええ。悪女らしく、意地汚く足掻いて皆様を楽しませて見せましょう」


 そう笑う彼女は、これから処刑される者とは思えない程楽しそうに微笑んでいた。

 

 ――そうして闘技場の門が開かれる。

 雨黒と共に蘭華が入場すれば、わっと大歓声が上がる。


「悪妃だ!」「悪妃!」「殺せ殺せ!」「血を見せろ!」

「あらあら、確かに大盛り上がりですこと」


 なんてぐるりと一瞥していると、丁度真反対の門が開かれた。


「あらあらあら、まあ……!!」


 そこから現れた人物を見た瞬間、これでもかと蘭華の目が輝き出す。

 乱雑に伸びた黒髪。獣のような鋭い瞳。

 ――そこに立っていたのは、昨晩話した廃太子・龍煌だった。


「――……罪人、紅蘭華。処刑を執行する」

「これぞ運命の出会いですねっ!!!!!!」

 

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