6話 悪女、処刑(後編)

「――ぐるあああああああっ!」


 処刑中、突然解き放たれた魔獣という異質な存在。

 それは敵味方の区別なく、二人に襲いかかった。


「うがあああああああっ!」


 真っ先にその凶刃が向けられたのは蘭華だった。

 巨大な手と鋭い爪が蘭華を踏み潰し、切り裂こうとしたがその間に入ったのは龍煌だ。


「――っ、ぐ!」


 龍煌が剣で魔獣の爪を受け止めたのだ。

 魔獣の力で龍煌の足が地面に沈む。けれど龍煌が押し勝ち、魔獣の手を弾き飛ばした。


「龍煌様、お守りいただいたのですか!? ありがとうございますっ!」

「喜んでいる場合か! 自分の状況を考えろ!」


 龍煌の大きな背中を見て、蘭華は目を輝かせ歓喜の声を上げる。

 怒鳴られた蘭華はあら、と緊張感なく魔獣に視線を向けた。

 それは二人と距離置き、威嚇するように地面を足で蹴りながら身を低くして攻撃の姿勢に入ろうとしていた。


「魔獣とは……なんて哀れな。蠱毒の成れの果てでしょう……」

「……ああ」


 二人は袖で口元を覆う。

 そうでもしなければ立っていられないほどの酷い邪気と悪臭を放っていたからだ。

 魔獣の全身は大きく、そして黒い。

 長いたてがみは獅子のようにも見えが、足にはは虫類のような鱗が揃い、その尻尾は百足のような触手が蠢いている。その奇妙で禍々しい姿はまさに、合成獣キメラだ。

 魔獣は人の手で作り上げられたバケモノ。

 一つの壺に様々な虫やは虫類を入れ、生き残った呪い「蠱毒」を獅子に与える――人間しか考えつかないであろうあまりにも恐ろしい呪詛だ。


「紅蘭華。アレに喰われるのと俺に殺されるのどちらがマシだ」

「どちらも嫌です。けれどあの魔獣はとても苦しんでいる。それならば……解放してあげなければいけませんね」

「――――」


 慈しみの目で魔獣を見る蘭華に、龍煌は一瞬言葉を失った。

 魔獣に、呪われた存在にそんな目を向けた人間を彼ははじめて見たからだ。

 しかし魔獣に人の心はわからない。


「――ぐるるるるる!」


 魔獣が動き出した。

 二人を両断するように飛びかかる。

 龍煌は蘭華を突き飛ばし大声で叫んだ。


「魔獣、こちらだ! お前の相手はこの私……龍煌だ!」


 足元に転がっていた蘭華の盾を拾い、剣と打ち付けあわせながら魔獣の気を引く。

 蘭華に向けていた視線が龍煌に向いた。


「ぐるるるるるっ、がああああああっ!


 それは一目散に龍煌に向かって襲いかかる。

 魔獣の力は獣を凌駕する。並の人間であれば歯も立たない。

 だが龍煌は違う。呪われた存在は人並みならぬ力を秘めていた――。

 強く剣を握りしめればその刀身に黒い影が渦巻く。


「悪く思うなよ!!」


 剣を構えた龍煌が狙うは魔獣の口。

 口から左右真っ二つに切り裂かれた魔獣の四肢はずしんとその場に倒れる――まさしく、一刀両断。

 体から噴水のように吹き出すどす黒い血を全身に浴びながら、龍煌は哀れんだ目で魔獣を見下ろしていた。


「魔獣を倒すなんて……」

「あれに触れて生きているなんて」

「呪詛の君……ああ恐ろしや」


 先程まで沸き立っていた客席が水を差したように静まり返る。

 化け物を見るような視線が龍煌に一心に注がれる。


(――誰がこれを生み出したと思っている)


 忌々しく龍煌は拳を握った。

 呪われた魔獣の血は普通の人間ならば触れるだけで猛毒になる。

 肉が腐り、苦しみもがき、最悪死にいたる。

 だが龍煌には関係のないこと。その身が呪いに蝕まれている彼には魔獣の毒が龍煌に効くことはない。

 彼は既に人間の理から外された者なのだ――。


「……解放されたのですね」


 呟かれた声に龍煌は我に返る。

 その場に立つもう一人のことを忘れていた。

 蘭華は袖を口元から外し、あろうことか猛毒の血を踏みながら魔獣の亡骸に歩み寄った。


「おい、なにをしてる。呪われるぞ!」

「可哀想に。苦しかったでしょう。でももう、大丈夫ですよ」


 常人なら呪詛に近づいただけで気が狂う。

 だが、蘭華は平然としていた。

 それどころか当たり前のように、その魔獣の鼻先に触れ優しく撫でているではないか。


「なにを――」

「怖くないですよ。あなたの苦しみは龍煌様が解放してくださったのです。大丈夫……どうか、安らかに」

「な――」


 数度撫でると、魔獣の体は骨だけを残しじゅわりと溶けて消えた。


「魔獣は安らかに旅立ちました。もう大丈夫ですよ」

「お前は一体何者なんだ」

「私は紅蘭華。ただの捻くれた悪女ですよ」


 呪いの血の海の中で、二人は見つめ合う。

 唖然とする龍煌に対し、蘭華はいつも通り穏やかな笑みを浮かべていた。


「さて――もう一人。苦しんでいる貴方様もお救いしなければなりませんね」


 にこりと笑い、蘭華が一歩龍煌に歩み寄った。


「なっ……来るな! 俺に触れたらお前は死んで――」


 それは敵意ではない。

 龍煌は蘭華の身を案じて足を引いた。

 だが、それよりも蘭華の動きのほうが早かった。


「えいっ!」


 動揺する龍煌の隙を突いて、蘭華は背伸びをし龍煌の首筋に手刀を当てたのだ。


「な……っ」


 恐らくその場にいた全員が目を丸くして息をのんだ。

 軽くこつんと小突くだけの手刀。目をまん丸く見開き驚く龍煌に蘭華はこう告げる。


「これで私の勝ちですね」


 盾一つでも勝てましたよ、と蘭華は無邪気に微笑むのであった。

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