第36話 次の世代

「おかえりなさい!」

「こら、光! 廊下は走らない! お父さん! 先に手を洗って!」


 しばらくして、麻衣美の夫である智司が書斎に入ってきた。光と手をつないで嬉しそうだ。

 続いて入ってきた朱莉あかりは背中までの長さの黒髪を低い位置で2本の三つ編みにして、着ている赤いギンガムチェックの膝丈チュニックと色合いが似たリボンを結んでいる。落ち着いた口調で歩たちに話しかけた。

「冷蔵庫、修理できましたか?」


 ――光も年齢の割に大人びた子だが、10歳の朱莉はそれ以上に大人びている。


「あなたのお母様の技術で無事に直りましたよ」

「ふーん。で、光がまた、修理を見てたのね。そんなの、どこが面白いの?」

「いろいろ面白いよ、ほら」


 光が端末から修理中の麻衣美の動画を投影した。

「わー、お母さんまた口を尖らせてるー、タコ顔」

「ちょっと、朱莉!」

「お母さん可愛い顔をしてるのにー、口を尖らすと台無しー」


 ――やっぱ、まだ子どもだわ。


 おしゃまで愛情こもった娘の毒舌に、まんざらでもない顔をした母。娘はけらけら笑う。くりっとした目は父親そっくりだ。嬉しそうに、買ってきたおやつの説明を弟にしはじめた朱莉を見ながら、歩は少し安心した。


 しばらくして、そのおやつを6人分盛り付けた皿をトレイに載せて持った数樹が、書斎を覗き込む。

「すいかも切ったから、居間で食べよう」

 子どもたちは歓声をあげて、数樹のあとをついて書斎を出ていった。


「麻衣美と鈴木さんはどうする? ふたりでお喋りもしたいんじゃない?」

 畑崎(旧姓神崎)智司が穏やかな笑みを浮かべて提案する。鮎田(旧姓鈴木)歩はふだん無表情な親友が夫の言葉にとろんと微笑むのを目撃した。


「そうですね。神崎くん、ありがとうございます。私たちも居間でシュークリームとチョコケーキをいただきますけど、そのあと、ちょっと書斎に」

「了解。バーベキューの支度の時間に声かけるね」

「はあい。隣の建物の庭だから、すぐ行けるし、食材の準備はできてます」

「大きなマシュマロも買って来たから、串に刺して炙ろう」


 智司の笑顔には、大学時代から変わらぬ、安心感を与える優しさがあった。最近ぐっと背の伸びた10歳の娘に、小柄な背丈は、近いうちに追い越されるのだろう。妻と肩を並べ、居間に向かう智司を見て、歩は気づいた。


 ――あれ? 大学時代から太めな体型、少し引き締まった?


 ***


 居間でおやつを食べた後、男子たち3人と朱莉は、居間でボードゲームを始めた。

 歩と麻衣美は、書斎に戻り、まずは麻衣美の近況の話に花を咲かせた。

「就職、改めておめでとう」

「ありがとう。新たに覚えることは多かったけど、子育て一段落で、体調は整っていた。光が興味津々なのは、最初は困った。邪魔されないよう牽制しつつ、共有出来てるのも、良かった」


 1年前、麻衣美は電気製品の修理に関するリスキリング講座受講を再開し、認定試験を受けたあと請負仕事を始めた。前時代工藝専攻で電気製品の修理について学んだ大学を卒業して10年経っていたが、講座のおかげで認定試験は良い成績で合格した。


「朱莉が生まれてすぐリスキリングを始めた時は、気負いまくっていて、みんなに心配かけたよね」

 

 ***

 

 歩は2077年6月、日本地方の畑崎家自宅に見舞ったときのことを思い出していた。


 みどり養護院という施設の担当者のお節介についての愚痴を聞かされて、歩は、「そっかあ」と答えた。相づちをうちながら寄り添った。みどり養護院の育成部(孤児たちが中学校まで暮らすグループホーム)出身の鈴木だが、乳児一時保育や親にアドバイスする部門には知り合いもいないし、知識もないので、ただ相づちを打って聞いた。


 しかし、結果的に畑崎夫妻はそのお節介なアドバイスに従っていた。体調を崩す原因となったリスキリングの講座は受講をいったん中止し、麻衣美自身の健康の完全な回復に努めていた。


 智司と数樹を交えて話した時、智司が吶々と言った。

「妻はもちろん、自分も無理をしすぎないようにしたい。職場の理解してくれる上司と同僚に感謝しつつ、どうしたら効率よく、その理解に応えられるか考えている」

 そのあたりの難しさは、先輩・同期・後輩が、産休や育児休暇や介護休暇を取るのを、ずっと理解するよう努めてきた歩にもわかるような気がした。連邦は整った制度をつくりあげた。しかし、使う生身の人間たちの感じること、できることはそれぞれ違う。

「無理をし過ぎちゃいけないって、理屈ではわかるけど……」

 麻衣美の表情は暗かった。


 ***


 麻衣美は少し恥ずかしそうに、でも朗らかに言った。

「今から考えると、気負って、疲れて、何も見えていなかった。智司にも余計な負担をかけた。そこから出るきっかけをくれた養護院の担当者さん、担当者さんが教えてくれた連邦の制度には感謝してる」

「そっかあ……私も、何もしてあげられなかったのに、ちょうどあのころ、せんべい送ってもらって。あれ、とっても美味しかった」

「塩せんべいは偉大な日本の文化だよね」

 ふたりはケラケラ笑った。

「間違いない!」

「さてと、鮎田さんちは、最近どうなの?」


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2023-10-22 他の部分と重複している内容を削りました。

次、第37話 文字は燃える §7最終話

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