2 - 途中下車

 それから私たちは、いつも通りに他愛のない会話をしようと努力した。けれども、どんな話題で話し始めても、二、三言ですぐに言葉が尽きてしまう。

 無理もない。ここに来るまでに二人で過ごした、うんざりするくらい長い列車の旅路で、私たちは考えうるすべての話題を喋り尽くしていた。四年間の大学生活の思い出話。就職活動の体験談。来年から社会人になるにあたっての覚悟。あと、私たちの昔話と未来の話、とか。

今さら改まって話したいことなんて、ほとんど無い。次第に、沈黙が私たちを包む時間が増えていった。

「紗弥ー、なんかおもろいこと言って〜」

 沈黙の時間が増えるにつれて、優子の発言も段々と適当になってくる。

「また? それ、会社だとパワハラになるからやめなよ」

「紗弥以外に言わんよ、そんなん」

 優子の何度目かの台詞に、私は何も「おもろいこと」を言うことなんてできず、私たちはまた沈黙する。

 こうやって話が止まると、私の頭の中には色々な考えが思い浮かび始めた。

 その中でも際立って私にのしかかるのが、未来のこと。

 今この瞬間、明日の朝日を見るまでの未来ではなく、来月、大学を卒業した後、離れ離れになる私たちの未来のこと。

「遠距離恋愛って、どんな感じなのかな」

 ぽつりと、何の気も無く呟いてしまう。

「今とそんな変わらんと思うよ」

 優子はこちらを見ずに答えた。

「そうかな」

「だって、うちら今までも週末しか会ってなかったやん」

「まあねえ」

 私と優子は、大学で専攻している学科も違えば、バイト先も、生活習慣も全然違う。そもそも大学のキャンパスで会うことが滅多に無い。出会ったのはサークルの新歓イベントだけれども、結局、私も優子もそことは違うサークルにそれぞれ加入した。

 むしろ、週末だけ会って、遊んで、恋仲になって、ここまで三年半続けてこられたことが奇跡に思える。こんなに続くとは思わなかった、なんて、お互いに何回言い合っただろう。大学で毎日イチャイチャしているカップルが私たちのことを見たら、本気で驚くに違いない。

「就職してからも月に一度はこっちに来るし、紗弥やって会いに来てくれるんやろ? なんも変わらへんよ」

 優子が明るく優しい声色で言う。

 就職してから私たちの関係をどうするかは、就職活動を始める前、つまり一年以上前から話し合っていた。優子は大阪に戻って実家の近くで就職し、私は東京に残って自分の夢を追いかける。これはお互い譲れないことだった。

 でも、そのためにお互いの関係を清算して、新しい場所で新しい人を見つけられるほど、私たちの付き合いは浅くなかった。もう、お互いに引き返せないところまで来ていたのだ。

だから、私たちの関係は遠距離恋愛として続ける。その先どうするのかはまだ決まっていないけど、まずは遠距離恋愛を試してみる。それが、私たちが話し合いと精一杯考えた末に導き出した結論だった。

 二人で決めたことに今更どうこう言うつもりはないし、これから進路を変えることなんてできない。それでも、決められた行き先が本当に良い方向に進むのか、私たちの選択が正しかったか、その未来がはっきりと見通せるわけじゃない。

「不安が顔に出てるって」

 私の顔を見た優子が、笑いながら頬を指でつついた。まだ表情が硬いままの私を見て、優子はおもむろに座り直し、私に体を寄せる。暖かい優子の腕が、私の腕にぴたりと触れ合った。

「なあ、うちら出会った時のこと、覚えてる?」

 それももう、ここに来るまでの電車の中で話した。だけど、私は優子の話を遮らなかった。

「覚えてるよ」

 忘れるわけがない。

 大学の入学式の数日前、複数のサークルがグラウンドにブースを出して新入生を勧誘する新歓イベント。とくに自主性もやりたいことも持ち合わせておらず、ふらふらと各ブースを歩き回っていた私は、なんとなく声をかけられた英会話サークルの飲み会に参加し、その時、たまたま隣同士になったのが優子だった。

――一緒に逃げへん?

 高校まではほとんど縁が無かった、初めての「飲み会」の席。髪が長くてチャラチャラした先輩の自慢話に飽きてきたころ、優子がいたずらっぽく笑いながら私の耳元で囁いたことを、今でもよく覚えている。その時の優子は、年齢は同じはずなのに、私よりもずっと大人びていて、度胸もあって、私に無いものを持っているように見えた。

 トイレに行くと嘘をついて二人でお店を抜け出し、ゲームセンターのクレーンゲームで飲み会代以上のお金を使った。優子がヤケになってぬいぐるみを取ろうとしては、機械のアームが思い通りに動かないのを、私は横でお腹を抱えて笑っていた(あのぬいぐるみは、まだ優子の部屋にあるはずだ)。それから、まだ少し肌寒いのにコンビニでアイスを買って、そのあたりの歩道に座り込んで二人で食べながら、お互いの高校時代のこと、地元のことについて、飽きもせずに朝まで喋り続けていた。

 それが、私たち二人の最初の思い出。

 それから私は、優子に手を引かれるがまま、今まで経験したことがない世界へと何度も足を踏み入れた。一人では絶対に入らないようなレストランとか、見向きもしていなかったブランドのお店とか、一生縁が無いと思っていたテーマパークとか、いろんな場所へ行った。

 学生時代最後の思い出に、行く宛の無い電車旅をしようと言い出したのも優子だった。貯金はまだそれなりに残っていたし、国内なり海外なり卒業旅行に行ってもよかったのに、なぜか私たちはこの不思議な電車旅を選んだ。

 結果的に、この旅だって今まで見たこともない景色や行ったことのない場所に行けて、全体的に楽しかった。まさかこんなところで寝泊まりすることになるとは思っていなかったけど。

 とにかく、こうやって優子とデートするたびに、微かな不安と恐怖、あと少し面倒くさいという気持ちもあったけれども、それよりもずっと、優子と一緒に同じ世界を見られることに胸が躍っていた。

 優子と一緒に手をつないでいれば、どんなことでもできると信じていた。

「一目惚れやったんよ」

「知ってる」

 優子のその言葉も、もうここに来るまでに、今日この日までに、何回も聞いた。

 私の容姿に一目惚れしたと言う陽子。

 陽子の自由奔放な、でもどこか私よりも大人びた性格に惹かれた私。

 お互いに対照的なようで、実は似ているところもあって、優子には自分勝手に振舞っているように見えて、実は繊細な時もあったりして。それでも、そんなギャップも愛おしくて、何より一緒に居ると楽しくて、心地が良かったりして。

――うちら、いつまで続くと思う?

 付き合って半年くらい経った頃、優子にそう聞かれた。

 私は何て答えたっけ。

「これからも、うちは紗弥のこと、ずっと好きやと思う」

 私の腕に頭を埋めながら、優子は言った。

「どこに行っても、どれだけ時間が経っても、うちはずっと、紗弥のことが好き」

 思い出した。優子の質問に対する答え。

「線路が続く限り、いつまでも?」

 私が言うと、優子はふ、と鼻で笑った。

「好きやなぁ、その例え」

「いいじゃん。人生はよく電車に例えられるんだってば」

「聞いた聞いた、何度も」

 優子の声が、微かにまどろみを帯びていく。指を絡めてつないだ手が、赤子のようにあたたかい。

 行く宛ての無い旅。長く続く線路の途中、列車が途切れて足を止めた駅。

 その駅に座り込んだ私たちの行き先に待ち受けるものは、まだわからないままだ。

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