夜明けの行き先

七雪 凛音

1 - 到着

 列車が終点に近づいた時、車内には私と優子ゆうこしか残っていなかった。二両編成の古びたディーゼルカー、硬くて色褪せたボックスシート。話し声すら聞こえなくなる、けたたましいエンジン音。それでも、私たちには話すことなんてもうほとんど残っていないから、大きな問題は無い。窓の外は闇夜以外に何も見えず、ぼうっと外を見つめる優子の顔が反射して映っている。

 やがて電車は終点の駅に滑り込む。窓の外、暗闇の中から不意に橙色の電灯が現れた。


「終点やなあ」


 優子はそう言いながら私を見て、小さなあくびをこぼした。つられて私もあくびをすると、優子が笑って私の膝をたたく。

 バスみたいな折りたたみ式のドアから、二人で手をつないでホームに降り立った。

 見るからに古い駅だった。細いプラットホームのコンクリートは朽ちてぼろぼろになり、あちこちにヒビが入っている。木製の小さな駅舎には自動改札など当然無く、駅員がいる様子も無い。駅舎の向こうには街灯がぽつぽつと光っている以外、暗闇しか見えない。

 私たちを降ろして今日の仕事を終えたディーゼルカーは、駅の静けさに似合わない轟音とともに、夜の闇へと向かっていく。やがてその騒がしい音も消えて、ホームを煌々と照らす蛍光灯の下に私たちだけが取り残された。二月の終わり、晴天に恵まれていた昼間は暖かく感じた空気が、今は肌寒い。


「なあ、紗弥さやぁ」


 優子が私を呼ぶ。見ると、優子は駅舎の壁に貼ってある時刻表をじっと眺めている。


「さっきの終電やわ」

「えっ」


 慌てて私も時刻表を見て、並ぶ数字と自分の腕時計を交互に見比べる。この後にこの駅に来る電車は、無い。来た方面へ戻る電車も、この先へ行く電車もない。

 血の気が引いて、微かに震えを感じた。


「嘘でしょ」


 思わずつぶやいてしまう。今日の旅をここで終えなければいけない。こんな何も無い場所で?

 私の焦りなんかお構いなしに、優子は大きく背伸びをした。


「どうしよかぁ」

「近くにホテルとか……」

「絶対無いやろ~」


 望みは薄いが、スマートフォンの地図アプリでホテルを探す。見つかった最寄りのホテルは、ここから徒歩……一時間二十分。示されたルートは山中をくねくねと通っている。明らかに人が歩いて、しかもこんな夜に通過できる道じゃない。

 駅前にはタクシーなんていないし、こんな時間に呼んでも配車が来そうな雰囲気ではない。そもそも、この駅の外の闇夜に人の営みがあるのかどうかすら怪しい。

 まさか、野宿するしかない?

 そんな恐怖が脳裏をよぎった瞬間、優子が私の手をぎゅっと掴んだ。


「ええやん、ここで朝まで待てば」


 なぜか楽しそうに言った優子は私の手を引いて、駅舎の中へと足を踏み入れる。

 申し訳程度に設置された小さな改札、シャッターが下りた窓口。出入口の向こうには自動販売機の明かりが見える。静かで、冷たくて、寂しげな空気があたりに漂っている。優子の手のぬくもりが無ければ、心も体も冷え切ってしまいそうだ。


「あそこ、待合室ちゃう?」


 優子が言う。彼女が指さす先、窓口の向かい側には、古びた木製の引き戸があった。引き戸には窓ガラスがあるが、その向こうは暗くてよく見えない。

 優子は何の物怖じもすることなく、両手で引き戸を引いた。田舎のおじいちゃん家みたいな、悲鳴にも近い音をあげながら引き戸が動く。私は優子の背後越しに中を覗き込んだ。

 優子の言う通り、そこは小さな待合室になっていた。三人ほど座れそうな長いベンチが備えつけてあり、壁にはすっかり色あせて薄水色になったポスターがいくつか貼ってある。全体的に古めかしいが、昼間は普通に使われているのか、綺麗に掃除されているように見える。


「せいかーい。ここで朝まで過ごせそうやなあ」


 優子はご機嫌そうに言いながら、背負っていたリュックを下ろした。私も中に入ってバッグを下ろす。

 幸い、引き戸を閉めておけば待合室の中は暖かい。外にある自動販売機のおかげで水分の心配はないし、お腹もそんなに空いていない。不審者がいきなりやってきて襲われる、なんてこともこんな辺鄙な場所ならそうそう無いだろう。最悪、スマホの充電さえ切らさなければ警察に助けを求めることはできるし……。

 そんなことを考えていると、優子に頬を指でつつかれた。


「紗弥、心配が顔に出てるで」


 私を覗き込んだ優子は、にっと歯を見せて笑った。


「六時には電車来るんやから、喋ってたらすぐやって。これも良い卒業旅行の思い出やん」


 そう言われてようやく、心の中で渦巻いていた不安が徐々に静まり始める。良い思い出。優子がそう言うなら、不思議とそうなるように思えてくる。

 優子は不意に、私の頬を両手で優しく包み込んだ。ぐっと顔を近づけてきて、いたずらっぽく笑いながらささやく。


「それとも、二人きりでしかできひんこと、する?」


 そう言われて急に顔が熱くなり、思わず優子の手を振り払った。


「しない」


 慌ててベンチに座る。胸がとくとくと早く脈打つ。落ち着くために、何度か大きく深呼吸する。

 一瞬だけだったのに、至近距離の優子の顔が脳裏に焼きつく。もう何年も、何度も見ているはずなのに、優子の綺麗な顔には全然慣れる気がしない。きっと大学を卒業する時になっても慣れないだろう。この先もずっと。優子のことが好きな限り、永遠に。

 私に拒否された優子は「つまんない」と唇を尖らせて、私の右隣に座った。

 そうやって、私たちの長い夜が始まった。

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