第四章 ⑥

 佐々木アパートが見えたとき、美代の胸はようやく軽くなった。

 朱實に肩を貸したままアパートの階段を上がり、一番奥のドアの前にたどり着くと、美代はスマートフォンのライトを切りつつ「玄関の鍵は?」と尋ねた。

「この中に」

 言って朱實は、美代が袈裟懸けにしているショルダーバッグから一本の鍵を取り出し、ドアを解錠した。

 リビングに入ると、美代は朱實を座卓の前に座らせ、その横にショルダーバッグを置き、スリープにしたスマートフォンを座卓に置いた。

 美代は朱實のはす向かいに座った。

「ナイフは、朱實さんのものなの?」

 最初の質問がそれかよ――と美代は自分に突っ込みを入れたくなった。

「ナイフ?」

 呆けた様子で、朱實は問い返した。

「あなたのバッグの中に入っているわ」

 美代が言うと、朱實はショルダーバッグのふたを開けてその中を覗き、目を凝らした。

「これは……」朱實は果物ナイフをバッグの中からつまみ上げた。「わたしの果物ナイフです。でも、出勤するときは持っていませんでした」

 顔をしかめつつ、朱實は果物ナイフを座卓の上に置いた。

「出勤って、いつ出勤したの?」

 記憶がないのを確かめるつもりで、そう訊いた。

「いつ……」朱實は不安そうに美代を見た。「火曜日……ですけど、きょうって?」

「日曜日……というより、日付が変わったから、月曜日ね」

「え、どういうことなんです?」

「こっちが訊きたいわよ。ようするに、あなたは一週間近くも記憶を失っていたわけ」

「そんな……」

 不安そうな色はさらに濃くなった。

「陣内さんの家を出るときに、何か気づかなかった?」

「そういえば、ごみが……」

「そう、ごみは強制撤去されたの。二日前……土曜日にね」

「行政代執行ですか?」

「そうよ。そしてそのときに、陣内さんは興奮して倒れて、救急車で運ばれた」

「そんなことが……あったんですか」

 美代の言葉は理解できているようだが、まだ得心はいっていないらしい。

「あなたは火曜日に出勤して、定時で退社した。それはあなたの職場に電話して、職場の人から聞いたわ」

「職場に電話したんですか?」

「あなたと連絡が取れなくなっちゃったんだもの……それにここにはいなかったし、どこへ行ったのかわからなくて……職場に電話して当然よ。佐々木さんまでが心配したんだからね」

「は、はあ……」

 わけがわからないまま無理にでも納得しよう――そんな様子だった。

「そして、前の晩と、さっきね……あなたからわたしのスマホに電話があったの。どちらも、あなたはうちの門の前で電話をかけていた。前の晩はうちの主人がいたせいか、あなたは姿をくらましてしまったけど、きょうはわたしのほうで待ち構えていたわ。また電話があるんじゃないか、ってね。そうしたら期待どおりにかかってきて、わたしはあなたに連れられて陣内さんの家に入った」

「まさか」

 美代に向けられたのは、訝しむ表情だった。

「信じられないのは当然だろうけど、とにかく、陣内さんがまだ入院中でよかったわ」

「どうしてわたしが」

 今にも泣きそうな顔で、朱實は首を横に振った。

「火曜日に会社へ行った、という記憶はあるのね?」

「行きました。そして、定時で職場をあとにしたような……」

 言いさして、朱實は何かを思い出したように顔をこわばらせた。

「どうしたの?」

「会社へ行くとき……えっと、火曜日の朝に、視線というか、気配を感じたんです」

「陣内さんの家のほうから?」

「はい」朱實は頷いた。「その直後からあとの記憶は曖昧……というか、退社したあとの記憶は、まったくありません」

「そうなのね。じゃあ、その果物ナイフは、記憶がない間にここに寄って持っていった、ということになるか。もしかして、その際に……木曜日の朝に都道沿いの児童公園に寄ったんじゃ……」

 これは自分が確認するための言葉だった。記憶がないのでは、尋ねたところで答えは得られないはずだ。

「公園に?」

「うちの主人が見かけたの。たぶん、あれは朱實さんだったんだわ」

「公園……」朱實の声は弱かった。「わたしが木曜日の朝に児童公園に……それを瑛人さんが見かけた……」

 今の朱實に手を借りるのは無理である。まして美代は、今後は一人でやる、と決めたのだ。この異様な事件から早々に朱實を解放してやるのが、得策だろう。

「はっ」と朱實が声を上げた。

「朱實さん?」

 声をかけると、朱實はまたしても不安そうな色を浮かべた。

「陣内さんの家で、わたし、美代さんに失礼なことを言いませんでしたか?」

 それは、瑛人への思いを言葉にしたこと、と思われた。「瑛人」というキーワードを自分で口にして、部分的にでも思い出したのかもしれない。

 美代は「言っていないわよ」としらを切った。

「失礼なこと、言ったと思います。とんでもないことを」

 不安の色が徐々に悲哀の色となり、ついには、大粒の涙がこぼれ落ちた。

「心の底にあるものを……黙っていれば誰も傷つけることはないのに、それを、わたしは言ってしまった」

 そんな朱實に美代は膝立ちでにじり寄った。

「朱實さん、あなたは誰のことも傷つけていないわ」

 確かに、朱實のあの言葉は美代にとって衝撃的だった。しかし、美代が傷ついていないのは事実である。傷ついたとすれば、その言葉を口にした朱實自身だろう。

 美代は朱實を抱き締めた。

「わたしは……わたしは……あああ……」

 朱實の嗚咽が美代に伝わった。

「大丈夫、何も心配はいらない」

 言いながら、美代は片手で朱實の髪を優しくなでた。

 朱實が瑛人と会ったのは、佐々木宅での初めての寄り合いか、児童公園でのほんのつかの間――それくらいだ。ならば、佐々木宅で顔を合わせた時点で朱實は瑛人に惹かれていた、あるいは、佐々木宅で会ったのがきっかけで惹かれてしまった、と考えるのが順当だろう。もしかすると、佐々木宅での初めての寄り合いにて朱實が美代から目を逸らしたのは、瑛人に対する気持ちも関係していた可能性がある。

 自分の夫に恋心を抱く女など、妻の立場としては突き放して当然だ。しかし、朱實は自分自身を恥じているのだ。そんな朱實を見放すなど、美代にはとてもできなかった。

 嗚咽が小さくなったところで、美代は朱實から体を離した。

「さあ、休んだほうがいいわ。わたし、行くね」

 そして美代は、おもむろに立ち上がった。

「もう行くんですか?」

 濡れた瞳で見上げつつ、朱實は心細そうに尋ねた。

「ええ。朱實さんのそばにいてあげたいけど、黙って家を出てきちゃったから、留守がばれたら大変だし」

「わかりました。一人になるのは怖いけど、我慢します。……というか、本当に自宅に帰るんですよね? 陣内さんの家に行くんじゃないですよね?」

「当たり前でしょう。自分のうちに帰るのよ」

「は、はい……」朱實は片手で涙を拭くと、ふと、目を見開いた。「美代さん、ちょっと待ってください。わたし、もう一つ、大事なことを思い出しました。とても大事なこと」

「何を?」と美代は問い返した。

「あの夜に……この部屋の窓に近づいた気配は、女性だったんです」

「女の人……じゃあ、陣内さんではないの?」

 問い返しつつ、カーテンが閉ざされたままの窓に目を向けてしまう。

「女の人です」朱實は頷いた。「自分の大切な人を……男の人を利用して、使いものにならなくなったら捨ててしまう。そんな生き物がいますよね……交尾した相手の雄を食べてしまう雌とか。その女性は自分がそういう存在であることを、強調していました。自分はどんな男よりも優れている、という高慢な精神を感じたんです。その女性はわたしの知らない人だと思いますが、彼女は、美代さんを知っているようでした。大家さんの家に美代さんが初めて来たとき……わたしはそれをちゃんと覚えていたんです。でもその女性は、それを美代さんに知られたくないようでした。だからその記憶を……」

 カマキリ――それから連想できる人物の名を、美代はあえて口にしなかった。口にしたとしても、朱實は知らないはずだ。

「鍵はかけていくから」と言った美代は、「見送ります」と申し出た朱實を制し、一人で玄関を出た。オートロックの鍵がかかったことを確認して、夜陰に目を走らせる。そして、小さなため息を落とした。

 瑛人への思いを朱實が言葉にしたことも、陣内宅にあの女がいたことも、結局、美代は真相を口にしなかった。記憶を失った状態での朱實の行動は説明がつかないが、今の彼女の心境を思い、それを掘り下げることもしなかった。無論、自宅に帰る、ということが偽りであることも――。

 気配があった。陣内宅の方向だ。

 気持ちを引き締めて、美代はその場をあとにした。


 美代は陣内宅の西へと至る路地を進み、草地の横で足を止めた。そして、街灯の明かりを頼りに陣内宅を見つめるや否や、あの気配を感じてしまう。二階の西側の窓は闇に塗りつぶされており、その内側にあの女がいたとしても、こちらから確認するのは無理だろう。

 気配に意識を集中しようとして、美代は気づいた。

 何かがおかしい。

 気配の発生源とおぼしき方向が、陣内宅からわずかにずれているのだ。気配を感じるその先には、希望台の家並みが広がっている。

 ――まさか。

 美代は訝りつつも、陣内宅の裏――草地に足を踏み入れた。

 陣内宅の勝手口に向かって、斜めに草地を突っ切った。静かに歩を進めたいのだが、草を踏み締める音がやけにはっきりと感じられた。

 陣内宅の背面へと至り、美代は勝手口の前に立った。

 朱實を伴ってここを出るとき、美代はドアを閉じただけだ。そもそもこのドアはオートロック式ではないのだから、鍵なしでは外からの施錠は不可能である。しかし、あの女が内側から施錠した可能性は否めない。

 ノブに手をかけてひねると、ドアはすんなりと開いた。

 異臭を感じつつも中に入り、静かにドアを閉じる。

 狭い三和土に立ったままスマートフォンを取りだし、ライトを点けた。朱實がしたように、光量を少なめにしてその光を下に向けた。左手に持つ自分のこのスマートフォンだけが、美代の装備だ。今は、これ以外に頼りになるものはない。

 さすがに土足で上がるのは気が引け、とりあえず、今回も靴を脱いだ。

 ライトを窓に当てないようにして物色するが、この台所にあの女の姿はなかった。

 廊下に繫がるドアは開いていた。この家を出る際に美代は廊下側のドアを閉じなかったが、その状態のままということになる。

 ライトで床を照らしつつ、美代は廊下に出た。ドアは開けたままだ。

 右の突き当たりのドアが気になり、そちらへと足を向けた。

 息を凝らし、右手でドアを開けた。ドアは手前に開いた。

 トイレだった。洋式であり、ふたは開けたままだ。先ほどから鼻腔を侵している異臭とは異なる糞尿のにおいが、わずかにあった。もっとも、特に変わったことはない。

 意味のない安堵を感じつつ、静かにそのドアを閉じた。

 トイレに背中を向け、向かって右のドアを静かに開けた。

 脱衣所だった。洗面台や脱衣かごがある。向かって左のガラス引き戸が開いており、その奥に湯船が見えた。湯船は空であり、洗面器と風呂椅子が並んでいた。

 美代は脱衣所のドアを閉じた。

 スマートフォンのライトを頼りに、廊下を進む。

 台所のドアの前を過ぎ、廊下に沿って右に曲がり、そしてすぐに左に曲がった。

 長い廊下――その左に並ぶ襖に、美代の目が向いた。

 一番手前の襖の前で立ち止まり、襖をゆっくりと開けた。

 廊下からライトでその空間を探れば、九畳の和室だった。何枚かの座布団が部屋の隅に重ねられており、大きな座卓がその横に置いてある。テレビもあった。どうやら居間のようだ。向かって左には、台所に繫がるとおぼしきガラス引き戸があった。正面の奥には閉ざされた押し入れがあるが、その中まで確認する気にはなれなかった。押し入れの横の壁にはエアコンがあり、それを目にし美代は、室外機があったことを思い出した。

 襖を閉じた美代は、先へと進み、その隣の襖を開けた。

 ここも廊下からライトで探った。六畳の和室だ。机と椅子が一組あり、奥にはやはり閉ざされた押し入れがあった。

 襖を閉じて玄関ホールに正面を向け、玄関ホールの手前――玄関ホールと六畳の和室との間にあるあの空間を、ライトで探った。朱實に襲われた場所である。

 異常がないことを確認した美代は、息を潜めつつ、あの女の顔が浮かんでいた玄関ホールへと進んだ。

 玄関ホールで廊下は左に折れていた。その奥を見れば、向かって左上へと延びる階段があった。この広い空間も、ひっそりとしていた。

 玄関ホールの先にも襖があった。おそらくは一階の東端に位置する部屋だろう。

 美代はその襖を開けた。

 廊下からライトで探ると、九畳の和室だった。窓のカーテンは閉じてあり、奥には布団が敷いてあった。布団の向こうには、閉ざされた押し入れがある。エアコンや一脚の小さな座卓、重ねられた何枚かの座布団もあった。それら以外に目立ったものはない。

 襖を閉じた美代は、気配があるかどうか、意識を集中した。

 やはり、この玄関の外――南のほうにそれを感じる。

 あの女が希望台に移動したのかもしれない、と美代は思った。そして、自分の家族が脳裏に浮かぶ。

「まさか……」

 いても立ってもいられず、美代は廊下を戻ろうとした。

 物音がした。壁か床を叩くような音だ。足音かもしれない。その音は、二階から聞こえた。

 ――あれは、ここにいる。

 しかし、依然として気配は南のほうにあった。

 寸刻の逡巡ののち、美代は玄関ホールの奥へと向かった。気配よりも物音を重視したのだった。

 玄関ホールに面したいくつかの扉を無視して階段の下に立ち、二階を覆う闇を見上げた。

 ライトの明かりを上には向けず、足元だけを照らして、一段ずつ、ゆっくりと上がった。

 踏み板のきしむ音が闇に響いた。これではこちらの存在を知らせるようなものだ。

 鼓動が高鳴った。この鼓動も相手に聞こえてしまうのだろうか。

 階段を上がりきって、窓に光を当てないように見回した。

 小さなホールだった。東は吹き抜けである。ホールの北に中窓があり、南と西にドアがあった。

 二階の西側の窓に、あの女の顔を見たのだ。それを思い出し、美代は西のドアの前に立った。しかし、聞き耳を立てようとして集中すれば、やはり気配はこの家の外――南のほうにあった。

「ばかね」

 声がした。この部屋の中だ。

「どうして戻ってきたのかしら」

 声は続いた。美代がいることを知っているらしい。

「そうまでして知りたいんでしょう? 入りなさい」

 その誘いに美代は乗った。

 美代は右手でドアノブをつかんだ。ドアは手前に開いた。

 その位置でライトの明かりを室内の床に向ける。

 九帖ほどの洋間だった。奥のほうにベッドが一台あり、カーテンが開いた状態の窓が南と西にある。北側の壁にはクローゼットとおぼしき扉があった。

 美代は三歩、部屋の中に進んだ。

「あなたは希望台に住んでいるのね?」

 声は部屋の奥――北西の隅のほうから聞こえた。

 窓を照射しないよう、北側の壁伝いに明かりを走らせた。

 影が室内を素早く横切った。

 それに明かりを向けようとした瞬間、スマートフォンのライトが消えた。

「え……」

 室内には街灯の光が窓から差し込んでいた。なんとか見通せるが、あの女がどこにいるのか、把握できない。

 スマートフォンは電源が落ちているようだった。電源スイッチを押すが、反応はなかった。

「そんな光を真正面から浴びたら、誰だってまぶしいでしょう」

 声がした。近くにいるらしい。

 ライトは諦めたほうがよさそうだ、と判断した美代は、スマートフォンをワイドパンツの右ポケットに入れた。

「あなたは、誰なんです?」

 美代は闇に向かって尋ねた。

「いろいろと調べているんなら、もう知っているかもしれない」

「調べていることを……どうして?」

「だって、いつもこの部屋からあなたの姿を見ていたもの。あのときもね」

 あのときとは、美代が朱實と初めて会ったとき以外には考えられない。ならば、二階の西側の窓――すなわちこの部屋の窓から外を見ていたのは、この女ということになる。あのときは遠くに視線を定めているように窺えたが、やはり美代を見ていたのだ。

 ふと、闇の中に青白い顔が浮かんだ。頬はこけ、長い髪は乱れているが、年齢は若いようだ。十代後半のように見える。しかし、黒いマントでも身に着けているのか、首から下はまったく見えなかった。

 逃げ出したかったが、足が硬直していた。

「いろいろと、知りたいんでしょう?」

 女は無表情のまま尋ねた。

 そのために来たのだ。美代は震えを抑えて「はい」と答えた。

「わたしは、なかもりしずえ」

 女はそう名乗った。

「なかもり……し……ず……あっ」

 美代は思い出した。中森しず――酒出哲夫からの手紙にあった名前だ。

「静枝さんは、中森一郎さんの長女」

「そうよ。やっぱり知っていたのね」

 無表情の女――中森静枝は言った。

「でもそうだとすれば、年齢が……」

 美代が疑問を呈すると、静枝は目を細めた。

「わたしが生まれてもう五十二年」

「五十二……」

「顔はやつれた程度だけど、体は……見る影もなく変わってしまった」

 顔以外は老化が著しいのだろうか、と勘ぐったが、それを口にする勇気はなかった。

「だからこうやって、闇をまとっているの」

 言っている意味がわからず、美代は眉を寄せた。

「闇って?」

「闇は闇よ。だからこれまでずっと……わたしがここにいることを誰も知らなかった。誰も気づかなかったのよ。誰にも気づかれずに、守ってきた」

 何から何を守るのか――美代がそれを問う前に、静枝が口を開いた。

「でも、いずれは限界が来る。だからわたしは、忠志さんを頼った」

「忠志さん……って、陣内さん?」

「そうよ。あれの到来を防ぐために、忠志さんを頼ったわ」

「あれの到来って……」

 何もかもがわからないことばかりだ。美代は首を小さく横に振った。

「信じられない?」

 静枝の眉がわずかに動いた。

「いえ、そうじゃなくて」

 信じるか信じないか、それ以前に、静枝の話が理解できないのだ。

「見なさい」

 そう告げた静枝が――否、その顔と闇とが、床にへばりついたかと思いきや素早くクローゼットのほうへと走ると、そのままの速度でクローゼットの扉の表面を上り、天井を這って、美代の目の前に下り立った。そして美代に顔を向けたままやや後退し、距離を取る。

 美代は言葉を失った。何が起きたのか、目にしたことさえ理解できないでいた。

「わたしはもう人間ではない」静枝は言った。「あなたにとって不思議なことが、たくさん起きている。このわたしだって、不思議のうちなの」

「不思議なことが起こっているのは、わたしにもわかります。でも、あなたの話していることが……闇をまとうとか、守ってきたとか、限界が来るとか、あれの到来とか、忠志さんを頼るとか、あなたが人間でないとか、そういうのが、さっぱりわからないんです」

「そう? ……そうよね、ちゃんと最初から説明しないと、わからないかもしれない」

 静枝は言葉を切ると、南の窓に顔を向けた。

「でも」窓の外を見ながら静枝は言った。「早くしないと、あれの到来の前に……彼女が来てしまう」

「あれとか彼女って?」

「今から言うわ」

 静枝の顔が美代に向き直った。

 美代は生唾を吞み込み、静枝の言葉を待つ。

 南のほうにあったはずの気配が、いつの間にか消えていた。

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