第16話 梶沢れもんの矛盾

 次の日。

 今日はついに家に帰る日だ。

 部屋で荷物を確認してから、それらを持ち、部屋の玄関に向かった。

 重い荷物を持ちながら、廊下に出ると菜花さんが壁に寄りかかりながら待っていた。

「おはよう薫くん」

「おはようございます」

 菜花さんは、珍しく旅館着ではなく、私服を着ていた。

「私服なんて珍しいですね」

「そうだな。これから君を見送るんだし、外に出るだろ? だからちゃんとした格好しないとな」

 菜花さんは、壁に寄りかかるのをやめた。

「さあ、キャリーケースかそのバッグのどちらかを持ってやろう。重いだろ」

「別に平気ですよ」

「いいや、じゃあキャリーケースを持たせてもらう」

「はいはい。わかりました」

 菜花さんは、半ば強引に僕からキャリーケースを奪った。

「さあ行こうか、吉野さんたちやれもんが薫くんを見送ろうと待ってるぞ」

「はい」

 僕が返事をしてから、僕は菜花さんと歩き出した。


 ロビーに入ると、吉野さんたちとれもんの姿が見えた。

「お! 薫くん!」

 大輔さんが僕に初めに気が付いた。

「どうもです」

「いや~ついに帰っちゃうんだね~」

「はい、少し寂しいです」

 大輔さんは特に暗くなっている様子もなく、明るく言った。

「れもんのことも、ありがとうね。薫くん」

 美智子さんは僕をしっかり見て言った。

「いいえ。僕がしたいと思ったからしたんです。こちらこそ、いい経験になりました」

 僕は丁寧に美智子さんに言った。

「れもんも、薫さんに言いたいことあるか?」

 大輔さんは、れもんにそう尋ねた。

 吉野夫妻たちとは違い、れもんは、悲しそうな表情をしていた。

「ある程度は昨日話したから……まあとにかく、ありがとう。薫さん」

「いいんだよ。また、僕がここに来ることもあるだろうし、れもんが望めばこっちに来ることもあるだろうから、その時にまた話そう」

「うん」

 れもんは、悲しさをまといながら微笑んだ。

「じゃあ、行きます。お世話になりました」

 僕は、そういうと一礼をした。

「元気でな」

「体に気を付けてね」

「さようなら、薫さん」

 吉野夫妻とれもんは、次々にそう言った。

 そのまま、僕は菜花さんと旅館を出た。

「意外と、淡泊なんだな」

 菜花さんは、キャリーケースを引きながら僕に言ってきた。

「まあ、きっとまた会えますし」

「そうだな」

 そういう会話をしながら、僕は運転手さんに荷物をバスの荷物置き場に、入れてもらった。

「じゃあ、私もこれで」

「はい。あ……貰った本、読みますね」

「ああ。暇なら目を通してくれ」

 そういえば、旅館にいるときはれもんに構っていたので、読むことができなかった。

 帰り道、読んでみてもいいかもしれない。

「それじゃあ」

「またな、薫くん」

 僕たちが挨拶を交わすと、菜花さんはさらっと振り向いて旅館に向かって行った。

 その背中をなんとなく見送ってから、僕はバスの出入り口に向かった。

 バスに乗ろうとした瞬間、誰かが走り寄ってくる足音が聞こえた。

「薫さん!」

 女性の声に振り向くと、そこにはれもんがいた。

 息を切らしている。

「ど、どうしたんだそんな急いで……」

「い、言い忘れてたこと……あった……」

 れもんはそう言った。

 胸には手を当てている。

「なにかな?」

 僕はれもんに微笑みかけながら、返答を待った。

「……私……その……」

 れもんはそこまで言うと、口を閉じた。

 するとれもんは、目を閉じて、首を横に振った。そしてため息をついた。

 そんなれもんは、自分の愚かさに呆れているように見えた。

「……薫さん、大切な彼女がいるんだよね」

「うん」

「私にもさ、いつかできるかな」

「きっとできるよ。れもんはいい子だからね」

「そっか」

 れもんは、微笑んだ。でも、やっぱりその微笑みには、悲しみが湧き出ていた。

「大切にしてあげてね、彼女さんのこと」

「ああ」

「じゃあ、またどこかでね。薫くん」

「うん、またね、れもん」

 れもんはそう言うと、僕に背を向けて、旅館に向かってゆっくりと歩き出した。

 僕は、今度こそバスに乗った。

 そして、席に着くとバスはすぐに発進した。

 バスは静かに動き出し、目的地へと向かいだした。

 さて、バス移動中は暇だから、普段なら考えないだろうことにも、考えが及ぶ。

 そんな僕は、れもんが最後に僕を「薫くん」と呼んだことを思い出した。

 れもんはそれまでは、僕のことを「薫さん」と呼んでいた。でも、どうしてあの最後のときだけ「薫くん」と呼んできたのだろうか。

 ……わからない。

 まあいいだろう。なんとなく、そう言ったなんてこともあり得る。

 そうだ、菜花さんの本でも読もう。

 席に持ってきたリュックの中を探し、菜花さんの本を取り出した。

 僕は改めて、その本のタイトルを見た。

 その本のタイトルは、こうだった。

 「カルミアには、毒がある」


 

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