第14話 東助と薫の討議
何をしようかと考えた結果、僕は菜花さんとお話をすることにした。
軽い話ではない、とにかく話し込みたいと思った。
れもんに手を差し伸べるようになってから、菜花さんと話す頻度が減ってしまっていた。
ここに来て初めてできた友人は菜花さんだ。それに菜花さんは作家で、僕に興味があると言っていた。菜花さんには、れもんを助ける手助けをしてくれたという恩もある。だからこそ、恩返しと言うわけではないが、菜花さんがもし僕に聞きたいことがあるのであれば、話したいと思うことがあればと、それを叶えたいと思ったのだ。
思い立ったが吉日、せっかく菜花さんが隣の部屋で寝泊りをしているわけだし、声をかけに行こうと思ったので、僕は菜花さんの部屋をノックした。
「はい……って珍しいな、薫くんか」
「はい。すみません突然」
「いやいい。薫くんならいつでも大歓迎だ」
菜花さんは旅館着に身を包み、相変わらず大きな声で話している。
今は昼時だし、菜花さんも一番元気な時間帯だろう。
「なにか用かな」
「えっとですね。まあ、菜花さんへの恩返しと言いますか」
「ほう」
「その、僕はもう帰ってしまうので、何か話したいことでもあるなら、ご飯でもどうかなと」
「ほうほう」
菜花さんは、とても嬉しそうに腕を組みながら頷いた。
「本当に薫くんは、私が望むことをそのままにしてくれるな」
「あはは」
「いいだろう! 今日の夜! 私の部屋に来い! この旅館で一番の晩御飯をお願いして、君と話しながら食べようじゃないか! 君とは話したいことが山ほどあるからね」
「じゃあ、決まりですね」
「ちなみに、私のおごりだ」
「いやいや、僕も払います……」
「違う! そこは、『本当ですか! お世話になります~』みたいな感じで一発で受け入れるのが後輩だぞ!」
「ええ……そ、そうなのか……」
菜花さんは、体を大きく動かしながら話している。
そして僕は、夜になるまでは、旅館の手伝いをしながら過ごした。
「いただきます」
「いただきます」
僕と菜花さんは、豪勢な食事の数々を見ながら言った。
「……」
僕はまず、おいしそうなステーキに手を付けた。
なばなさんは数巻ある赤い身の刺身を食べていた。
ステーキは柔らかく、肉汁があふれ出し、うまみを口の中が包んだ。
「さて、話なんだが」
「はい」
「私から振っても大丈夫だろうか」
「もちろんです」
「なら、まずはれもんを救えた一番の要因を聞こうじゃないか」
「なるほど……」
僕はステーキとご飯を口に入れて、咀嚼しながら、返答を考えた。
そして、咀嚼し終わると僕は口を開いた。
「僕がもともと、れもんと似た境遇にあり、それでいて僕は救われた経験があったからだと思います」
「なるほど」
「そもそも、僕が彼女を助けようと思ったのも、僕と彼女が似ている境遇にあったからです。だから助けようと思った理由と、一番の要因は同じですね」
「ふむふむ」
菜花さんは、メモをタブレット端末で取りながら、話を聞いていた。
「……ん?」
僕はテーブルに見える食事を見回した。
ステーキや寿司……サラダ……白米……よくわからない料理もあるが……どれもある共通点があった。
「どうしたんだ、薫くん」
「いや、もしかして、話し込むことを想定して、冷めてもある程度おいしい料理を中心にお願いしてるのかなと思いまして」
「おお。よく気が付いたな。正解だ」
菜花さんは、目を大きく開いた。
「きっと薫くんと話すことに夢中になって、食べることがおろそかになりそうだなと思ってな。まあ、食べ終わってから話してもいいんだが、それだとどうしても眠くなるし、しっかりとした話ができそうにない状態になりそうでな」
「なるほどです」
確かに、おなか一杯になったら真面目な話なんてできなさそうだ。眠いもん。
「それじゃあ、次の質問だ。今のれもんを薫くんが見て、不安点や懸念点はないか?」
「うーん」
僕はサラダをもぐもぐさせながら考えた。
「一生……添い遂げてくれそうな……親以外の存在が居なさそうなこと……ですかね」
「ほう。続けてくれるかい?」
「はい。その、僕にはありがたいことに、一生添い遂げてくれると宣言してくれた大切な人がいます。僕はその人に何度も助けられてきました。助けられてきたからこそ、恩返しをするためにその人の言うことは、出来る限り聞いてきました。今回もその人に言われて、僕はここに来てれもんを助けることになりました。そんな大切な人が僕にはいます。ただ、れもんにはまだいません」
僕がれもんにとってのその人になってあげられればいいのだが、あいにく僕にはもう大切な人がいる。
だから、その人のためにも、僕がれもんの大切な人になるわけにはいかないのだ。
「それが不安と」
「はい」
「なるほどな……」
れもんさんは、一旦タブレットにメモをするのをやめて、口に寿司をおいしそうに放り込んだ。
「まあ、れもんはまだ若い。大体十四歳とかそこらだろう? 薫くんがその大切な人と出会って、一生そばにいると誓い合ったのは何歳のことなんだ?」
「えっと、高校二年生の頃なんで、十七歳ですかね」
「なら平気だろう。れもんにもきっとそういう人が現れる。高校や大学でもれもんに出会いがあるさ。それまでは吉野さんたちや、周りの大人が助けてくれるだろうよ。ただ、たま~に辛い出会いもあるだろうが、それは乗り越えないといけないけどな」
「そうですね。でもきっとあれだけの過去を乗り越えようとしてるれもんなら、大丈夫です」
「そう思いたいな。こう思うと、私たちはただ、れもんのこころの扉を開けただけなんだな」
菜花さんは、そう言いながらお茶を飲んだ。
「確かに……これから先の手助けは……あんまりできないかも」
僕も家に帰る日が来るし、いつまでもここに居られない。
菜花さんは、ここに暮らしているようなものだが、あくまで客だ。菜花さんも一生れもんと過ごすなんてことはないだろうし。
ただ、連絡先はわかっているし、もし辛かったり会いたかったらきっとれもんは相談しに来てくれるだろう。
「……れもんや薫くんのようなかわいそうな子供を……どうやったら減らせるんだろうな」
菜花さんはボソッと呟いた。
「私はこんな傷が顔に残っているが、両親に甘やかされて、幸せに過ごしてきた。だからこそ、そんな子たちの力になりたいし、かわいそうな子を減らしたいんだ」
いままでは、あくまで制作の参考にしようと僕に質問をしてきたように思えたが、今呟いた菜花さんからは、心から僕に答えを求めるような雰囲気を感じた。
「減らせませんよ」
僕は菜花さんに言った。
「減らせないからこそ、手を差し伸べるんです。終わりがないかもですけど。出来る限りのことはする。それでいいと思うんです」
「……そうか、そうだよな! なんだか珍しく暗く考え込んでしまった!」
菜花さんはいつもの明るいテンションに戻った。
「よし! 一旦話はおしまいだ! 食べるぞ!」
「あ、はい!」
菜花さんの合図とともに、僕と菜花さんは本格的に料理を楽しみ始めた。
「まったく、よく食べるな」
「そうですね。いつもは腹五分目ぐらいにしてるんですけど、今日は食べ過ぎちゃいました。おいしかったので」
「そうか、ならよかった」
食後。僕と菜花さんはお茶を飲みながら談笑をしていた。
少しお腹いっぱいすぎて、今すぐには動けそうにない。
「そうだ。逆に薫くんから私に聞きたいこととかないのか?」
「聞きたいこと……そうですね」
そういえば、聞きたいことがあったような、ないような。
「あ、そう言えば」
僕は菜花さんに聞きたかったことを思い出した。
「菜花さんが作家になりたかった理由って、なんですか?」
「作家になりたかった理由か」
「はい。れもんとスキーをしたときに、菜花さんはその……作家を志望した理由の一つに『誰にも顔を見られなくていい仕事』であるからって言ってましたよね」
「ああ」
菜花さんは、顎に手を添えている。その表情は穏やかであるが、どこか真剣だった。
「ほかにも理由あるのかなって思いまして」
「ふむ。そうだな」
菜花さんは、一口お茶を飲んだ。
「私はこの傷を異物のように見られても、気にしないと言ったが、あれは大学を出てからでね……うん……まあとにかく薫くんも私に過去のことを話してくれたんだ。私も少しばかり、過去のことを話すついでに、作家になったかの理由も話そうかな」
「えへへ。やった」
「まあ、そんな楽しい話じゃないぞ。作家になる奴とか、創作やる奴に割とありがちなやつだ」
菜花さんは、そう言った後、僕の顔を見てからまた話し出した。
「大学三年の終わりぐらいから、私は就職先を探していたんだけどね。結局卒業するまで就職先が見つからなかったんだよ。その理由はもちろん、この顔の傷が大部分を占めているはずだ。だってほとんどの会社は履歴書を送った時点で、私を落としたからね」
「菜花さんみたいな才能のある人を、書面だけで落とすなんてもったいないですね」
「そうかもしれない。でも、企業ってものは集団でできている。だからこそ、何かが欠如しているが非凡な才能を持つものよりも、無難で優秀な人物を求める。扱いやすいし、何より、そんな何かが欠けてるやつらがうじゃうじゃ集まっても、一緒に仕事できないしな」
「ぶ。た、確かに……」
「おい、待て。なんで今噴き出したんだ?」
「いや……その」
今、僕は何を思って噴き出してしまったかというと、まあとにかく、菜花さんの話を聞いた僕は「菜花さんが百人同じオフィスで仕事をしている場面」を想像した。僕は菜花さんにその話をした。
「ぶっ! あははは! それは面白い! 私が百人同じところで仕事なんてしてたら、それはもううるさくてうるさくて仕方がないだろう!」
「で、ですよね! ははは!」
そもそも、同じ人物が百人もいるという状況の時点で、かなりの愉快さがある。その人物が菜花さんみたいな、うるさくて癖のある人だとしたら、それはもうめんどくさいことこの上ない。
「あ~あ。笑った。えっと……どこまで話したかな」
「あはは。えっと、就職先が見つからなかったってところまでです」
「ああ。まあそれで、私は怒ったんだよ」
「怒った? 誰に対して?」
「世の中に対してだ。書面と顔写真だけで蹴落としてくる世の中が許せなかった。社会の輪に入れてくれない社会に、私は怒った」
「なるほど」
「まあ、顔の傷は私のせいだから、怒っても仕方がないんだけど、当時は私も若かった、ということで……」
菜花さんはそう言うとお茶を一口飲んだ。
「それでその世の中への憤怒を、エネルギーにして創作にぶつけたんだ。作家を目指し始めたんだ」
「作家を目指して、どうしたかったんですか?」
「世の中を変えようとしたかった。でも無理だとすぐにわかったよ。いくら訴えても、世の中はそう変わらない」
「じゃあ、今はどうして作家を続けてるんですか?」
「人を変えるためだよ」
菜花さんは、お茶菓子を軽く口に入れた。
「私も三十路になっていろいろ思ってな、というのも、別に世の中は間違ってないって思ってね。だって世の中がそういう人材を求めてるっていうのも、私がさっき話をした通りの理由で説明が付くしな。なら、世の中を変えるより、人を変えたほうがいいと思ったんだ。私と同じように社会の輪から弾かれて、苦しんでいる人を変えたいって思ったんだ」
「だかられもんのことも、あんな一生懸命に……」
「そうだな。まあ、作品を通してじゃなくて、あんなに直接人を変えようと頑張ったのは、初めてだけどさ」
菜花さんは、お茶をまた飲んだ。
「実は、菜花さんに渡したあの手紙、最初は捨ててしまう予定だったんです」
「そうなのか⁉」
「はい。でも、友達が『その手紙が誰かのためになるかもしれない』って言ってきて、その通りだなって思ったのでああやって残しておいたんです。だから、あの手紙も、人を変えたい……救いたいって思いで残したものなんです。似てるなって思って」
「そうだな。似ているな。私が作家をする理由と」
「はい」
僕はお茶を飲んだ。
「はあ……」
菜花さんは、後ろに手をついて少し体制を崩した。
「それに、作家をするのは気持ちがいい」
「き、気持ちがいい?」
「ああ。こうやって自分の思いくらい文にして叫んでもいいじゃないか。歌でもいい、絵でもいい。自分の思いは叫んでいいんだよ。自分の思いをおもいっきり叫ぶのは気持ちがいい。過去をああやって手紙にした薫くんなら、わかってくれると思うけど」
「そうですね。気持ちがいいかもしれません」
あれを書いているときは、そんなことを思わなかったかもしれないし、そんな余裕なんてなかったかもしれない。でも、今思い出すと、あの手紙を書いてからは少し、気持ちが楽になったような気もした。
「薫くんは、これからも人を助けたいかい?」
「はい」
菜花さんに尋ねられて、僕はすぐに返事をした。
「どんな人を助けたい?」
「う~ん。すべての人とはいかないと思うので、やっぱり子供を助けたいです。子供は弱いので。抵抗できないので。僕が導いてあげたいって思います」
僕は素直に菜花さんに言った。
「なら、君の原罪について、考えておくべきだろう」
「僕の、原罪ですか?」
「ああ」
原罪とは、人が元から持っている罪のことをである。その意味に転じる前は、アダムとイブが神に背いて禁断の果実を食べてしまったことによる罪のことを指し、その二人から始まった人類は、生まれながらに罪を持っているとされている。
「僕の原罪って何ですか?」
「悲惨な過去を持っていて尚且つ、容姿が優れすぎているという原罪だよ」
「えっと、ちょっとはわかりますけど……具体的にはどこが原罪なんですか?」
「……魅力的すぎるという話だ」
菜花さんはやれやれといった感じで、肩をすくめた。
「考えてみろ。君は彼女がいる。そして、君はとても見てくれが綺麗で、そして悲惨な過去があるという儚さまで持ち合わせている。君に惚れない女の方が少ないだろう。さて、そんな君が、もし女の子を助けたらどうだろう。その女の子は君に惚れるだろうね。そうしたらどうだ、君の彼女が傷ついてしまうかもしれない。嫉妬や不安でな。だからこそ、君は女の子に惚れられやすいという原罪を持っていて、これからも人を助けたいなら、それについて考える必要があるんだよ」
「なるほど」
確かに、僕が女の子を助けたとしたら、よいちゃんが嫉妬してしまうかもしれない。でも、よいちゃんはそういう人じゃない。確かにたまによいちゃんは、弱ってしまうこともあるけど、基本的にはよいちゃんは「出雲薫は小鳥居弥生のことが好き」ということに関して、絶対の自信があるはずなんだ。
だって、僕は彼女がいないと生きていけないし、彼女がいなければ僕は今生きていることもないはずだからだ。
「僕の彼女は、そんなことで不安になったりしないと思います。でも、確かにそうかもしれないです。僕の彼女が、そんなことで不安になったりしないとしても、気を使わないでいいって理由にはなりませんからね」
「そうだ。言い方は悪いかもしれないが、一番大切な人を大切にした方がいい。いざと言う時のためにな」
「はい」
菜花さんは笑顔だった。今、きっと、僕も笑顔だろう。
「よし! 気分転換に雪合戦をしに行くぞ!」
菜花さんはとんでもないことを言いながら、立ち上がった。
「ええ! もう日が暮れてますよ!」
「関係ない! 我々はもう大人だ! 夜に雪合戦をしたっていいじゃないか!」
「ええ……」
「ほら! 行くぞ! 薫くんに三十路の弾丸を食らわしてやろうじゃないか!」
「ああもう! わかりました!」
僕は、廊下へ駆け足で向かって行く菜花さんの背中を、一生懸命追いかけた。
まあしかし、夜の雪山……いや、深夜の雪山はそもそも危ないという理由で、旅館の受付の人に止められることになることを、この時の僕たちはまだ知らなかった。
夜に雪合戦をしてもいいと思うのも大人だが、それを正当な理由で止めるのも、大人ということだ。
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