第11話 親がわり

 次の日。

 もう吉野旅館に来てから、十日目になる。

 今日は、僕とれもんと菜花さんで、れもんの部屋に集まってれもんの卒業後の進路について、話し合いをする日だ。

 頭の中に、その予定を思い浮かばせながら、今日はほとんど一日中旅館の手伝いをしていた。今日は比較的忙しい日だったみたいで、僕は旅館のスタッフさんたちの指示を受けながら、せわしなく動いていた。

 そして夜、僕はれもんの部屋を訪れた。

 部屋をノックすると「は~い」というれもんの声が聞こえたので、僕は躊躇なくドアを開けた。

 もうれもんさんは先に来ていたようで、部屋の窓から外を見ていた。

「別に、ノックしなくてもいいのに」

「着替えとかしてたらどうするんだ……」

「あ、そっか……そうだよね」

 れもんはそう言いながら、僕を部屋の中に入れてくれた。

「よし、そろったな。じゃあ、話を始めようじゃないか」

 菜花さんは、振り向いて僕たちを見て言った。

 相変わらず、大きな声だ。

「話と言うのはだな。れもんの将来についてだ。薫くんから聞いたぞ。中学を卒業したら働くと言って、吉野さんたちの意見を無視しているという話を」

「ああ、その話ね」

 菜花さんが言うと、れもんは淡々と返事をした。

「もちろん、中学を卒業してからすぐさまやりたいことが、高校進学を無視してでもやるべきことなら、そうしてもらって構わない。ただ、吉野さんたち、両親にしっかりその旨を話してから、行動に移すべきだ」

 菜花さんは真剣に話をしている。

 僕も、菜花さんに続いて話を切り出した。

「僕も吉野さんから聞いたぞ。れもんは頭がいいから、大学進学までさせたいって。吉野さんたちがそう言ってるんだから、れもんも学費を出してもらうわけにはいかないからって無理してそんなすぐに働かなくてもいいんじゃないのか……」

「なに? 二人そろって説教でもしに来たの?」

 僕の話をぶった切って、れもんは強い口調で言った。

 やっぱり、こう怒っているようなれもんはちょっと怖い。中学生だと思えない。

「話し合いをしに来たと言っただろう。ともかく、今のれもんの意見を聞かせてくれよ」

「……」

 菜花さんは、そんな圧のあるれもんにも怖気づくことなく真剣に話を続けていた。

「仕方ないでしょ。もともとは赤の他人。うちの両親と知り合いだからって、私なんかを押し付けられた人。こうやって部屋まで用意してくれてるだけで十分なのに、これ以上迷惑をかけられない」

 れもんは、落ち着いた口調で言った。

 気持ちはわかる。

 僕だって引き取られる前に、今の父にとてつもなく高価な焼肉屋に連れて行ってもらったが、れもんと全く同じように「こんな赤の他人なのに、ここまでしてもらっていいのだろうか」という思いを持ったことを覚えている。

 でも、そんなお人好しな人は、この世界には意外といる。

 だからこそ、吉野さんたちが大学進学をしてほしいと言ってくれている以上、それに甘えていいと僕は思うのだ。

「れもん」

「なに?」

 僕ができる限り優しい声で、れもんを呼び掛けると、れもんはちょっと赤面しながら振り向いた。

「正直に答えてくれ。高校には……行きたいのか?」

「……」

 れもんは、黙り込んで俯いた。

 それから少し間を置いてから、れもんは話し出した。

「行きたい。大学も行きたい。ピアノか、体育の先生とかそういうのになりたい」

 れもんは恥ずかしそうに言った。

「答えてくれてありがとう。いい夢じゃないか」

「ありがとう」

 僕がれもんに感謝と讃頌を伝えると、れもんも僕に感謝を伝えてくれた。

「でも、その資格は、引き取られた私にはない。これ以上迷惑かけられないから」

 れもんは悲しそうに、そう言った後歯を食いしばった。

 悲しそうな表情の中に、怒りの表情も見えたような気がする。

 ここまで、自分の人生を歪めた元々の両親への怒りだろうか。

 菜花さんは、ずっと黙ってれもんを見つめている。

「でも、やっぱり吉野さんたちにそういう夢があって、進学したいって言うべきだと思うぞ」

 僕はれもんに言った。

「わかってる!」

 れもんは、体を揺らしながら、張り裂けそうな大きな声で言った。

「わかってるもん! そんなの! でもさ、でもさ、あんなに人のいいお父さんとお母さんなんだから、もちろんいいって言うに決まってる。そう思っちゃうからこそ、なんだかお父さんとお母さんを利用してるみたいで、なんだか悪い気分になっちゃうの! だから、私は黙って働くの!」

「……れもん」

 親からの無償の愛を受け取れていないと、やっぱりそういう思考になってしまうのだろうか。

 僕も似たようなことを考えたことがある。

 でも、親と子の関係は、単純な貸し借りじゃないような気がするんだ。

 なんとなく、普段からお世話になってる気がするから、家事を手伝ってみる。子供がかわいいから、どうにも気を使いたくなってしまう。

 そういう「なんとなく」でできている、ふわふわした関係なような気がするんだ。

 だからこそ、信用できないという気持ちもわかる。どうにもこんなにおんぶにだっこなのも、悪い気がしてくるんだ。

 そう考えていると、隣にいる菜花さんが、息を大きく吸っているのに、僕は気が付いた。

「ばかやろおおおおおおおおおおお!」

「――!」

 菜花さんは、特段でかい声でれもんに向かって叫んだ。

 隣にいる僕の耳を、つんざくような大きな声だった。

「その理由だ!」

 菜花さんは、れもんに向かって歩きながら、陳述し始めた。

 そのまま、れもんを壁に押しやるように、右手の人差し指でれもんの肩を押しながら、菜花さんは必死に叫ぶ。

「そんなわけのわからないぐらいに善い理由を持っているのなら、そんなにいい子なら、わがままの一つぐらい親にいい給え!」

 そこまで言うと、れもんは壁に追いやられ、菜花さんの両手と体と、れもんの背にある壁に挟まれ、れもんは逃げられなくなった。

「れもんは知らないかもしれないが、我が子が自分のやりたいことを話してくれた瞬間の親の表情というものは、それはもう泣いてしまいたいぐらいに嬉しい表情に決まっているんだ! 特に、君みたいな親にも気を遣うようないい子がそう言ってくれた時はな!」

 菜花さんは、息を切らせながら、れもんにそう言った。

 れもんはそんな菜花さんに、あっけに取られていた。

 そういう僕も、あっけに取られていたし、圧倒された。

 ここまで熱心に、情熱的に気持ちを伝えることなんて、今の僕にはできない。

 そして、僕は今の菜花さんを見て、よいちゃんが必死に僕の自死したいという気持ちを押さえつけようとしたときの姿を思い出していた。

 れもんを見ると、目から涙を一粒こぼしていた。

 頬に伝うそれに、れもんは気が付いたのか、袖で顔を上品に拭くと、れもんは口を開いた。

「変な大人たち。私のためにこんなに必死になって。変なの」

 れもんは苦笑しながら言った。

「ふふ」

 菜花さんはれもんから少し離れて、笑いながら僕を見た。

「そうかもね。変かも」

 僕はそう言った。

 確かに、変かもしれない。

 ちょっと共通点があるだけで、ここまでれもんのためになりたくなるなんて、一体僕は誰に感化されたのだろうか。

「でも、ありがと。うん……素直にお父さんとお母さんに私の気持ち伝えてみる。今日はまだ無理だけど……」

 れもんは微笑みながら言った。

「じゃあ約束だ。薫くんが帰ってしまう前に、れもんはご両親に自分の気持ちを伝えてくること。いいね」

「はい」

 菜花さんに言われると、れもんは丁寧に返事をした。

「薫くん」

「はい」

「あとどれくらいで帰る?」

「えっと、一応期間は二週間だと聞かされてます」

「なら……あと五日ほどか」

「はい。そうなります。多分僕の都合で、少しぐらいは伸ばせたりできますけどね」

 確かに、もうあと五日で帰らないといけないのか。

 でも、もうれもんは進学することを吉野さんたちに伝えるということを約束してくれたし、僕がやるべきことはほとんどやった気がする。

 今のところ、心残りなく残りの期間を過ごせそうだ。

「……あと五日……」

 れもんは、そうぼそっと呟きながら、僕を有痛性を含んだ目で見た。

 なんというか、れもんの目はそれだけじゃなくて、まるであと一つしかないものを目の前で買われたような、そんな目をしていたような気がする。

「じゃあれもん。あと五日で……できるか?」

「あ、うん。多分余裕……もう吹っ切れたし……でも、薫さん」

「ん? なにかな」

 れもんに呼ばれたので、僕は返事をした。

「明日、またスキーしよ。夕方から」

「ああ……いいけど……なんで夕方から?」

「なんとなく」

「な、なんとなくか」

 れもんがあまりにも真面目な顔をして言うので、僕はちょっと動揺した。

「ごめん。菜花さんをハブにしちゃって」

「別にいい。若いやつらで話したいこともあるだろう。おばさんは明日は頑張って文章を書くことにする」

 菜花さんは、余裕そうにやれやれと動きながらそう言った。

「さ、私は戻るが……薫くん一緒に戻るかい?」

「あ、はい」

 僕はそう菜花さんに言った。

「じゃあ、また明日ね。れもん」

「うん。また明日。薫さん。菜花さんも。ずかーんと響いたよ」

「そうか。それなら嬉しい」

 僕と菜花さんは、れもんと部屋を出ながらそう会話をすると、そっと僕は部屋のドアを閉めた。

 僕と菜花さんは、自室を目指し歩き始めた。

「僕、やっぱり子供です」

 僕は独り言のように言った。

「なんだ突然」

 菜花さんは、振り向くことなく言った。

「菜花さんがあんなにれもんの心を動かしているのを見て、僕はまだまだだなって思って」

 別に自分に失望しているわけじゃないから、明るく言った。

 ただ、まだまだ菜花さんみたいな人には、時間をかけないとなれないな、と思ったのだ。

「でも、れもんからしたら、きっと私も薫くんも等しく大人だ。そもそも、大人って言うのは、自分で名乗るものではなく、人に決めてもらうものなのかもな。私から見たら、薫くんもれもんも等しく子供みたいなものだし」

「確かに、そうかもしれません」

 小学生から見た中学生が、大人に見えるように、菜花さんの言う通りなのかもしれない。

「さて、子供は早く寝て、明日に備えなさい」

 菜花さんは、僕の部屋の前まで来ると、そう言った。

「はい。じゃあ、おやすみなさい」

「ああ、いい夜を」

 そう言うと、菜花さんは隣の部屋に入っていった。

 僕も自室のドアを開けて、部屋に入る。

 早く寝て、明日に備えないとな。


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