第4話 まんなか
吉野旅館に来てから三日目。
朝に軽く旅館の手伝いをしてから、僕はすぐにれもんのいる部屋に向かった。
ノックをしてから、少し待つとれもんがドアを開けてくれた。しかし、すぐにドアは閉められてしまった。そして「大人と男は嫌いだって言ったでしょ」とドア越しで言われ、それから部屋の中からの返事はなかった。どうやら門前払いを食らったらしい。
そうしてどうすればいいかわからず、バイキングで昼食を食べてから部屋でのんびりとしていると、ノックの音が僕の部屋のドアからなった。
ドアを開けるとそこには菜花さんがいた。
「どうも」
「ああ、どうもです菜花さん」
「経過報告、聞きに来たぞ!」
ウキウキで菜花さんは言った。
「ああ、そういえば菜花さんには話してませんでしたね」
「薫くんの部屋で聞いてもいいだろうか」
「ええ、いいですよ。いいですけど……」
「なんだ?」
菜花さんは何も不自然な点もなく、僕の部屋を訪れたように見えたが、少し気になる点があった。
「どうして僕の部屋がわかったんですか?」
「どうしてって……そりゃあ君の部屋の隣の部屋に泊まってるのは、私だからな。いやでも気が付く」
「……そうだったんだ……」
どうやら菜花さんは隣の部屋で寝泊りをしているらしい。この際、偶然なのか、あえて部屋を移動してきたのかは聞かないでおこう。
「まあ、どうぞ」
僕はとにかく菜花さんを中に入れて、窓際の椅子に座りながら、れもんさんとのことを話した。
「なるほどな。大人と男が嫌い中学生女子と」
「はい。でもあの感じだと、大人と男ってよりは大人の男が嫌いって感じだとは思います」
実際、れもんさんは僕をお姉さんと優しく呼んでいた。つまり、大人の女の人は別に嫌いじゃないというわけだ。だから、大人の男が嫌いだと考えることができる。
確かに、中学生女子というかそれぐらいの女の子は、男の子が嫌いになる時期ではあると思うが、あそこまで態度が変わるとなると、やっぱり家族といろいろあったせいで、れもんさんはとことん大人の男が嫌いになってしまったのだろう。
「で今日の朝も尋ねてみたけど、門前払いか」
「はい」
「私からしてみれば、薫くんだって子供みたいなものだけどな。やっぱり中学生からしてみれば、薫くんも大人か」
「僕だって中学生の時はやっぱり、高校生ですら大人に見えましたからね。そんなもんですよきっと」
いまだに、小学校の頃の自分から見た母の体の大きさと言うものを鮮明に記憶しているが、やはり子供から見た大人というものは大きく、敵わないような感覚になる。だからこそ子供は大人にいいように使われることだってあるんだ。
「それで、どうするんだ? このまま門前払いを食らいっぱなしか?」
「そういうわけにもいきません。なにかどうにかしてれもんさんとまたお話しできればいいんですけど」
「なるほどな……」
菜花さんは椅子に座り、肘置きに肘を置いて何かを考え始めた。
こう考えている菜花さんを見ると、なんだか魅力的に感じる。作家というのもあり、あれやこれやと思考する姿が、なかなか様になっているように思える。
「じゃあ女装でもしたらどうだ」
「はい?」
「だから女装でもしておちゃらけてみたらどうだってことだ。そうすればれもんも、そんな一生懸命男嫌いなれもんのために、女装までしてくれたって思ってくれて、話をしてくれるかもしれないじゃないか」
「な、なるほど……」
確かにいい案だ。別に女装は嫌じゃないし、そうすれば男嫌いなれもんさんが心を開いてくれるかもしれない。しかし、問題点がある。
「でも、女装の服なんてないですよ。僕が持ってきている服も、中性的な服がほとんどで女の子っぽい服なんてもってません」
「じゃあ私が貸そう。サイズも多分問題ないはずだ」
「ええ……」
確かに菜花さんは女性にしては高めの身長だ。恐らく僕が着たとしてもサイズ的には問題ない。
「さ、さすがに三十路の服は嫌か?」
菜花さんは手元を動かしながら、僕に尋ねてきた。
「いえ、大丈夫ですけど」
「なら決定だ。夜にまた私が薫くんに合いそうな服を持って来てやろう」
「はあ、ありがとうございます」
菜花さんは、優雅に足を組み満足そうな顔で話している。
「ただ聞きたいんですけど、もしかして単純に僕に女装をさせたいだけとかじゃないですよね」
「まあ、それもある」
「はあ……」
目をつぶりながら、やはり満足そうに言う菜花さんを見て僕は少しやれやれといった気持ちになった。
「さて、私はそろそろ部屋に戻るが、なにか話したりないことでもあるか?」
「ああ、そういえばひとつ聞きたいことが」
「言ってみたまえ」
僕は菜花さんに聞きたかったことを口に出した。
「菜花さんはどうしてこの旅館にきたんですか?」
「そりゃあ執筆のアイデアを探すためだ」
「いつからここにいるんですか?」
「二か月ぐらい前からだな。年明けもここで過ごさせてもらったよ」
「ええ! 家は?」
「実家住みだからな。多少ふらついてても平気だ。まあ、三十路で何をしているんだと言われたら、敵わないけどな」
「ああ、なるほど。じゃあいつまでここに?」
「わからん。気が済むまではいるよ」
「この旅館から、この場所のどういったところから執筆のアイデアを探しているんですか?」
「ふむ」
菜花さんは、ここで少し間を置いた。
「スキー場は欲望を持った奴らが来るからな。欲望ってのは、性欲でもなんでもだ。そんな中でも、たまに薫くんみたいに無欲そうなやつがいる。そういう特異なやつに私は興味がある。だからここで長い間滞在して、そういう無欲そうなやつらを探しているんだ」
「なるほど」
確かにこういう娯楽施設には、欲望を持った人たちが来そうなものだ。時にスキー場なんてものは、ゲレンデマジックなんて言葉もあるくらい、お互いに惚れやすい環境ではある。確かにそんな中に無欲そうな人がいたら、目立つだろう。
「だからこうやって薫くんに絡みついているわけだ」
「言い方……」
「じゃあ、また夕方辺りに女装用の服を持ってくるよ。メイク道具も必要か?」
「ええと、メイク道具は一通り持ってます。なんなら今もほんのりメイクしてます」
「そうかそうか。じゃあ必要ないな。それじゃあ」
そう言うと菜花さんは席を立ち、堂々と歩いて部屋を出て行った。
「まあ、こんなもんかな」
そんな独り言を言いながら、僕は鏡に映る自分を見て、それなりに満足していた。
今は夕方。菜花さんから女装用の服を受け取り、いつもより濃いメイクを済ませた。
菜花さんから渡された服は、オフショルダーの白ニットにぴちっとしたジーンズだった。まるで男を色気で落とすための服装みたいだった。髪も下ろしてみた。普段は一つ結びにしているのだが、こうすると女性感が増す気がしたからだ。
ただ悪い気はしない。久々にここまで女性らしい服装で女装をしたが、むしろかなり気分がいい。サイズもちょうどいいし、これを渡してくれた菜花さんに感謝だ。
僕はそのまま部屋を出て、れもんさんの待つ一番北の部屋に向かった。
また同じようにゆっくりとれもんさんの待つ部屋の扉をノックし、れもんさんが出てきてくれるのを待った。
出てきてほしいと期待をこめて、
「僕だ。ちょっとでいい。顔を見せてくれないか?」
「……」
僕がそう言うと、すぐに扉は開いた。
「もう本当にしつこい……」
「ど、どうも……」
れもんさんは呆れたような表情をしていたが、僕の姿を見ると目を大きくした。
「な、なにそれ……」
「いや……大人と男が嫌いなら、せめて女装くらいはしようかなって思って……」
れもんさんは、僕の顔から体の隅々までをじろじろ見まわした。
そして、少し呆れたような表情をしてから、また口を開いた。
「そんな真面目に女装をするなんて、変なの」
「君が男が嫌いだって言うから……でも、悪く無いだろう? むしろ心地よくて、よくこうやって女装をするんだ」
「むしろそっちの方がいいんじゃない? まじかわいい」
「ははは……」
「……まあ……あなたの誠意はわかった。入ってよ」
「ああ。ありがとう」
れもんさんは、僕を部屋に入れてくれた。
僕はソファに案内されたので「失礼します」と言ってから座った。
「話したいことでもあるの?」
「まあ、とにかく仲良くなりたい」
「口説いてる?」
れもんは本当に嫌そうな顔をした。
大人の男が嫌いと言っているあたり、こういう口説かれるなんてことは、一番れもんが嫌悪していることだろう。
「それは違う。もう僕には彼女がいるから」
僕は必死に口説いてはいないことを説明した。
「ああ、そう。ならよかったかも」
れもんさんは立ちながら少しそっぽを向いた。
「そうだ。好きにピアノを弾いてくれないか?」
「まあ……いいけど」
僕がれもんさんに要求すると、れもんさんはすぐにピアノ椅子に座り、ピアノを弾きだした。
やっぱりれもんさんのピアノは上手で、聞いていると目を瞑って何も考えずにその音のみにだけ体を預けたいと思ってしまうほどだった。
「……」
ただ、あまりにもピアノがうまいせいか、ピアノにはれもんさんの自己が乗り移っているように感じた。弾いている曲は、とてもきれいなのに、少し暴力的に聞こえてしまうところがいくつかあった気がする。ただ、優しさは滲み出していた。これだけは確信を持って言える。
れもんさんは十分ぐらいピアノを弾くと、片手だけピアノから手を離し、僕の方を向いた。
「こんなもん?」
軽く片手で音を鳴らし、余韻を醸し出しながら、れもんは僕に尋ねた。
「ああ、ありがとう」
れもんさんはピアノから手を離し、ピアノ椅子の上で体を僕の方へ向けた。
「ピアノは習っていたのか?」
「いや、独学。児童館で練習してた」
「へえ、すごいじゃないか。独学でここまでできるなんて」
「ありがと。でも独学だからさ、たぶん、指の運び方とかぐちゃぐちゃなんだよね」
「でも優しい音だったぞ」
僕はれもんさんを褒めるつもりでそう言った。
「音は優しくても、私は優しくないから」
「そうか?」
「だって、私に余裕はない。だから優しくなんてできない。自分のことで精いっぱい」
「……確かにそうだな。れもんさんと似たようなことを言う人が僕の親友にいるぞ」
「そう。きっと冷たい人なんでしょ」
「たまに冷たいな。でも、優しいぞ」
「そ」
その親友は、不幸にならないように幸せを求めない人だった。
その親友は、人を助けるために自分を捨てられない自分を、情けないと思っていた。でも正しいと思っていた。
その親友は、人を助けるために自分を犠牲にした結果、自分の体が持たなくなった。
その親友は、やっとそのままの自分が元から受け入れられていることを理解して、また笑顔を取り戻した。
れもんさんが言っていたことと、似たようなことをその親友が言っていたのだ。
余裕を無理やり作っているから、優しいように見えるだけだ。実際ぼくは優しくなんてないと。彼はそう言ったのだ。
「というかさ」
「なんだ?」
「れもんさんって呼ばないで。呼び捨てでいいよ、薫さん」
「そうか?」
「だって、私まだ中学生だし。対等に話されると困る」
「そっか。じゃあれもんって呼ばせてもらうぞ」
「うん」
れもんは軽く笑った。
というか、正直拍子抜けだったなと思いながら、僕は下ろした髪を耳に少しだけかけた。
「正直、もっとこうやってまたまともに話せるようになるまで、時間がかかるものかと思ってたよ。まさか女装してくるだけで話をしてくれるようになるなんて、思わなかった」
「私こそ、まさかそんなガチの女装してくるなんて思わなかった……まあ最初に私がお姉さんって間違えたくらいだから、似合うだろうとは思ってたけどさ」
れもんは足をぶらぶらさせながら話している。
「というかそもそもそこまでする? って思ってた。たぶんお父さんとお母さん……吉野さんたちから色々聞いたでしょ?」
「まあね」
れもんはピアノ椅子の上で伸びをした。伸びをするれもんの首から胸元にかけて、あざのようなものが見えた。見える範囲だが、かなり大きなあざに見えた。
あの傷も、れもんがふさぎ込んでしまっている理由だろうか。ただ、今は聞かないほうがいい。また機嫌を損ねられると、話してもらえなくなるかもしれないからな。
「じゃあ、僕はこのへんで」
「うん。またね薫さん」
「ああ。またお話ししに来るよ」
「うん」
れもんは部屋を後にしようとする僕に、手を振ってくれた。
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