第3話 れもんは油が嫌い

 次の日。

 吉野旅館に来てから二日目。

 午前は旅館のことを手伝って、午後はスキーでもしに行こうかなと思いながら、朝の支度を済ませて、スタッフルームで旅館のスタッフの服装に着替えた。

 スタッフの服装も、和風の給仕さんのような服装と西洋の動きやすいフォーマルな服装があったが、僕はフォーマルな服装のほうを選んだ。

 吉野さんに指示されながら、旅館内にあるバイキングの配膳やら軽い調理なども手伝った。今まで自分の家でいろいろな家事を手伝ってきたのが活きたのか、どうやら僕は手際がいいらしく、吉野さんに「びっくりするくらい手際がいいのね」と褒められた。

 褒められて気分が良くなりながら、午後になり昼食を食べるために先ほどまで手伝っていたバイキングを訪れた。

 おいしそうな様々な食べ物に魅了されながら、肉や野菜など食事のバランスが良くなるようにトレーに取って、席に着いた。

 一口目にお肉を食べようとしたとき、まるで僕がここに座るのを待っていたかのようなタイミングで、女性の声が正面の席からした。

「ここ、いいかな」

「ああ。もちろんです」

 昨日であった菜花東助さんが、僕に許可を取ってから、僕の向かいの席に座った。

「お肉ばっかりですね」

 僕は菜花さんのトレーを見て、茶色い食べ物しかないことに気が付いた。

「好きなものを好きなだけ食べる。別に野菜が嫌いなわけじゃないぞ? 野菜より肉がおいしいって感じるから、優先して肉を食べるだけだ。それで胃もたれして、野菜が食べたいとなってから野菜をおいしく食べればいい」

「確かに、胃もたれして野菜が欲しいってなってから野菜を食べたほうが、おいしく感じるかもですね」

「だろう? いただきます」

 菜花さんは、丁寧な箸使いでお肉をもりもり食べ始めた。

 あまりにも箸の使い方が綺麗だったので、少し感心してしまった。

「いやあ、嬉しいぞ」

「ん? 何がですか?」

「もう私とこんなにも仲良く話をしてくれて、嬉しいという話だ。ありがとう」

「ははは。どうも。僕もここで二週間友達もできないで過ごすと思ってたので、菜花さんみたいなクセのある人と仲良くなれて、嬉しいです」

「そうかあ」

 菜花さんはニコニコ笑っていた。

 こんなにも素直に感謝の気持ちを伝えられるなんて、いいなと思う。

 大人になるにつれて、当たり障りのないコミュニケーションしか取れなくなってきているような気がしているから、こうやって素直になれることは、少しうらやましい。

 僕はその後、菜花さんとご飯を食べて、少し食休みをした後、スキーをしにゲレンデへ出た。

 スキーをするのは二回目だったが、不思議と体は覚えているもので、滑るだけならすいすいとすることができた。

 着こんでいたとしても、もっとゲレンデは寒いかなと思っていたが、日差しを遮るものが何もないからか、意外と暖かかった。ただ日差しが強く、ゴーグルを取ると目を細めないといけないくらいまぶしかった。

 気分よく一人で滑って、リフトでまたコースのスタート地点に向かい、そこで降りると、同い年くらいの男性二人に声をかけられた。

「やあお姉さん」

「よければ、俺たちと一緒に滑らない?」

 その男性は二人は、愚かにも男の僕を女性だと思い、ナンパをしてきた。

 まあ、間違えるのも無理はない。スキーウェアを着こんでいるし、僕は髪が長いからかわいい女の子に見えても仕方ないだろう。今まで何度もこういうことはあった。もともと中性的な格好をすることも多いし、がっちりした体格でもないし、顔立ちも男らしいものではない。だからスキーウェアを着ていなくとも、普段着でも女性に間違えられることもあった。

 ただ、別に悪い気はしない。女の子に見られるのも、男の子に見られるのも、どっちでも心地いいから。

「ごめん。僕、男なんだ」

 軽く苦笑しながら、ゴーグルを外し、僕は二人に言った。

「え! ごめん」

「そうなの⁉ え! すごいね! 女の子にしか見えなかった!」

 意外にも、その男二人は嫌な顔をすることなく、むしろ僕の女性に見えてしまう容姿を褒めてくれた。嫌な顔をされるかなと思ったが、そんなことはなかったようだ。

「ははは。ありがとう。じゃあ、女の子捕まえられるように頑張ってね」

 僕はそう言いながら、軽く手を振り、ゆっくりと滑り始めた。

「じゃあね~」

 その男二人は、笑顔で僕を送り出してくれた。

 

 夕方。

 僕は一番北にあるスタッフルームに向かうことにした。

 菜花さんの怪談チックな話を聞いていたので、夜ではなくて夕方に向かってみることにした。こわいから。

 少し手に汗握りながら廊下を歩き、一番北にあるスタッフルームに近づいていく。すると、徐々に優雅なピアノの音が聞こえてきた。最初は菜花さんの怪談が真実だったと思い、たじろいてしまった。しかし、あまりにもそのピアノが素人耳で聞いても上手だと感じ、早く誰がそのピアノを弾いているのだろうと、むしろ演奏者の姿を見たいと思ってしまい、足が速くなった。

 まずは、スタッフルームに繋がる廊下に入るための扉を通った。

 そして、一番北にあるスタッフルームにたどり着くと、僕はすぐにスタッフオンリーと札がかけられている扉に手をかけて、静かにドアを開けた。

 ピアノを弾いているのは、髪型がウルフカットの背の高い綺麗な女性だった。

 長い綺麗な指でスキップするように鍵盤の上を弾きながら、自分に酔いしれるように体を揺らし、まるで白鳥のように旋律を奏でていた。

 少しの間、彼女のピアノの音と、ピアノを弾く姿に見惚れていたが、彼女はついにゆっくりと演奏をやめた。

 その瞬間、そのスタッフルームの景色が見えてきた。

 そのスタッフルームは、スタッフルームには全く見えなかった。

 ベッドがあり、勉強机のようなものがあり、ソファとテレビがあって、ベッドがあって、まるでこの部屋は学生が生活をするためのもののように見えた。

 ピアノを弾いていた彼女は、どうやら僕の姿に気が付いたみたいで、じっと突っ立っている僕の姿を見つめていた。

「どうかされましたか?」

 彼女の声は、思ったより幼いように思えた。

 もっと低くて大人っぽい声を想像していたけど、思ったより子供っぽい声だった。

「いや、ここのオーナーに言われて、ここに来るように言われたんです」

 僕は何を言えばいいのか、頭の中が混乱していた。

 なぜかっていうと、とにかく今は彼女の素晴らしいピアノを、今すぐにでも褒めたたえたかったからだ。

 でも自己紹介しないといけなくない? そもそも、ここに来た目的を話すべきじゃ? まずは彼女がどんな身分かを聞かなきゃいけないんじゃ? いやいや、ピアノを褒めるべきだろう。

 いろいろ考えた結果、沈黙に口を開かされた僕は、ここになぜ来たかをまずは説明した。

「大輔さんたちが……はあ、そうですか」

 そう言いながら彼女はピアノの前で立ち上がり、少しだけ僕のほうに近寄ってきた。

「えっと、出雲薫です」

「どうも、梶沢れもんです」

 彼女は軽く笑いながら自己紹介をしてくれた。

「ピアノ、すごく上手ですね」

「どうも、これぐらいしかできないので、褒めてくれて嬉しいです」

 背が高いとは言ったが、背丈が170センチほどある僕よりは少し小さかった。女性にしては、背が高いと言えるだろう。

「それで? 何かお困りごとですか? 綺麗なお姉さん」

「えっと……」

 れもんさんは、僕をお姉さんと呼んだ。

 困ったことに、名前も中性的なので自己紹介をしたところで男性だと確信してもらえることはない。

 別に悪い気はしないけど、男だと明かすと少し嫌な顔をされることもあるので、億劫になってしまうし、少しめんどくさい。

 いっそのこと、「政宗」だの「修治」だの一目で男だとわかる名前がよかったなと思う。

 むしろ、名前のほうに容姿が寄っていっているようにも思えることもある。

 ほら、たまにあるだろう? 「この人、めっちゃ顔が山田太郎だ!」みたいなこと。

「ごめんなさい。僕、男なんです」

「は?」

 彼女は、僕自身が男だと伝えると一気に顔が不機嫌な顔になった。

 不機嫌といっても、飛び切りの不機嫌なようで、強い嫌悪と恐怖みたいなものを彼女の表情からは読み取れてしまった。

「はあ……だまされた」

「え?」

 彼女は不機嫌そうに部屋の隅にある細い掃除機を取って、その先端で僕のお腹を押した。

「近寄らないでケダモノ」

「ええ! なんで急にそんなことを」

「うるさい! 大人と男は嫌いなの! 出てけ!」

 れもんさんは、見た目よりは幼い声で叫びながら、僕を執拗に掃除機で突いて、部屋から追い出した。

 そして、バタンとそのれもんさんがいた部屋の扉が閉められた。

「え~っと……」

 僕は扉の前で腕を組んだ。

 状況をとりあえず整理しよう。

 とにかく、僕は拒否された。ちょっとショック。

 とりあえず、吉野さんたちに報告をしに行こう。

 彼女がどんな人なのかを、僕は知りたい。


 

 僕は一旦落ち着くために、食事とお風呂を済ませてから、吉野さんたちがいるであろうスタッフルームに向かった。

「お疲れ様です」

「お疲れ様薫くん」

 美智子さんがいた。

 美智子さんは、ノートパソコンを広げていて何かの作業中だったみたいだ。

「仕事中でしたか」

「ううん。動画見てただけ。なにかあった?」

「えっと」

 僕は一呼吸置いてから、美智子さんにれもんさんの話を切り出した。

「言われた通り、一番北のスタッフルームに行ってきたんですけど……」

「あ、行ってきたの? どうだった?」

「れもんさんって人がいて……」

「うんうん」

「最初は凄く優しそうに話してくれていたんですけど、僕が男だってわかった瞬間……追い出されちゃいました」

「やっぱりか~ごめんね。もしかすると大丈夫かなって思ったんだけど……」

 美智子さんは、申し訳なさそうに手を合わせて謝ってくれた。

「あの子がやっぱり、僕を必要としてそうな子なんですか」

「多分ね。やっぱり、薫くんにそれについて説明しないといけないかな」

 美智子さんはそう言うと、パソコンを閉じた。

「ここ、座って」

「はい」

 美智子さんに言われた通りに僕は座ると、美智子さんは話を始めた。

「あの子は……詳しくは本人から聞いてほしいけど、元の家族といろいろあってね。うちで引き取ることになった子なの。それであそこの部屋をあの子の望むように作ってあげて、そこで暮らしてもらってるの」

「なるほど」

「それで、その家族といろいろあったせいでね、大人の男が嫌いになってね。だから薫くんは突っぱねられたってわけになるのかな」

 僕が男だってわかった瞬間に、れもんさんが嫌悪感を示したのはそれが理由か。

「薫くんなら、男の子と女の子の真ん中みたいな見た目してるし、まだギリギリ未成年だから大人と子供の中間だし、れもんも仲良くできるかなって思ったの。それに、れもんと似たような境遇にいたんでしょ? 薫くん」

「そうですね。僕も元の家族といろいろありました」

 確かにれもんさんと僕は、境遇が似ている。元の家族といろいろあって、別の家に引き取られたという所が。

「だけど、彼女からしてみればそんなこと知らないので……」

「そうだよね~……」

 美智子さんは頭を軽く抱えた。

「中学にも行ってなくてね~。あの子、頭いいから大学まで行かせてあげたいんだけど、私たちに学費やらを出してもらうわけにはいかないから、卒業したらもう働くからって言って聞かなくて……」

「へえ~……って中学生⁉ あの身なりで?」

「あ、うん。大人っぽいよね~」

 確かに声は幼い感じがしたけど、あの身長と綺麗な身なりで中学生は無理がある。

 でも、どうやら本当に中学生らしい。

 言われてみれば、僕のことを「お姉さん」と呼んでいたし、「大人の男」が嫌いと言っている時点で、子供の立場であることは推測できたかもしれない。

「責任を持って引き取ったのは私たちなんだから、いくらでも学費とか払ってあげるのに……それに学校にも行ってほしいのよ? それで悩んでるってわけ。いろいろあったせいで、大人と男を信用してないみたいでね。閉じこもっちゃってるみたい」

「なるほど」

 でも話を聞いている限り、僕のこの中性的な立場と、大人と子供の中間の立場なら、彼女の助けになれるかもしれない。

 それにれもんさんと僕の境遇は似ている。

 僕が素晴らしい人たちに救われたように、今度は僕が彼女の救いの一手になるべきではないか?

 それも、僕より年下の、未来がまだ不透明な子供なら、なおさら助けてあげないといけないんじゃないか?

 彼女に似た境遇の僕なら、彼女の心の扉を開いてやれる気がする。

「美智子さん」

「なに?」

「僕、明日からお手伝いはほどほどにして、れもんさんとの交流を試みてもいいですか? 僕、彼女をなんとかしてあげたいんです」

「薫くん……」

 美智子さんは、目を大きくして僕のことを見た。

「わかったわ。無理はしない程度に、頑張ってみて。何かあったら、私に話して」

「はい。ありがとうございます」

 美智子さんは、優しそうな笑顔で言った。

 

 

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