第3話
③
駐車場へと2人連れ立って参道をゆっくりと歩きながら戻っていく。
2人して吐く息は白く染まっては消えていくのを繰り返し、互いに無言のままで石畳を歩きながら、ふと、気がついた。
「参道に雪がないね」
「あ、本当…」
参道は雪かきがされたと言うより、なんと言い表せばよいのだろうか、まるで最初から降雪などなかったと言わんばかりに雪が積もっていない。あたりを見渡しても周りに白い面影を見つけることはできなかった。境内の外には除雪された雪が残っていると言うのに、神域の中にそれらしきものを見つけることはできない。
まるで、この神域だけ降るのを遠慮したかのように思えた。
「不思議、周りには雪があるのに」
彼女がそう言って同じように見渡して私に笑顔を向けてくれる。先程までの泣き顔からは想像できないほど、この冷たさを覚ますほどに温かい陽気な笑みだ。幼い頃の彼女の面影が重なって私も頬が緩んだ。
「そういえば、誰かと旅行とかじゃ・・・」
焦り声の彼女の問いに私は頭を振った。
「いや。そんなことないから、大丈夫、男一人旅だよ」
格好をつけて言ってみるが、言い終えてから言葉の意味を反芻すると、心に何かが突き刺さった。
「じゃぁ、偶然に来たってこと?」
「う・・・うん」
テレビを見終わって気がついたら車を運転していました。なんて、いい年齢の男が言えるはずもない。
「りっちゃんは・・・、その、どうしてここに?」
そう言いながら駐車場へと入るとあの係員のおじさんが不思議な表情を浮かべてこちらに一瞥し、再度、何かを確認するかのように私の車を見たのち、驚いたような表情をして駆け寄ってくる。
「参拝は終わったかい?」
「ええ」
そう言って話しかけてきたおじさんは、妙に微笑みながら私たちを見てきた。
1人で向かった者が連れ立って戻ってきたことに驚いているのかと思ったが、そうではないような口ぶりだった。
「不思議なもんだねえ、おにいさん、行く前に話してたテレビを見てきた人、そのお姉さんなんだよ」
彼女と私の視線が交差して互いに何とも言えない気持ちになるのが分かる。
「知り合いだったの?」
「ええ・・まぁ、なんと言いますか、小学校の時の同級生で、久々に再開したんです」
私ではなく恥ずかしそうに、でも、嬉しそうな表情をして彼女がそう返事をすると、目をまんまるにしてさらに驚いたおじさんはやがて深く深く頷いた。
「縁だねぇ」
「縁、ですか?」
私が復唱するかのように漏らすとおじさんは深く頷いた。
「縁だよ、なかなか、いや、まず出会うことはないからね。この広い日本で今日という日に出会い再会する。運命と言うよりは縁だよ、ご縁だね」
「詩人ですね」
そう返事をするとおじさんは頭の後ろを掻きながら恥ずかしいそうに照れた。
「一応、俳人なんだよ、普段はここて働いているけどね。さあ、積もり積もった話もあるだろうから、行った行った。冬の短い日だからね、あっという間に暮れちゃうよ」
おじさんは私たちの車の止まっている方向を指差してそう言って微笑むと、新しく入ってきた車の方へと歩いていく。
「駐車場代を…」
「そこまでうちの神様は野暮じゃないさ。円は素敵なご縁の話でいただいたからね。さあ、行った、行った」
こちらに振り無ことなく、そう言って手を振りながらゆったりとした足取りで、背中で私たちを見送ってくれたのだった。
互いのアドレスを交換して彼女の行きつけという喫茶店の住所などを送って貰い、私たちは2台揃って駐車場を後にした。先行は彼女の赤いスポーツカーで速度を出すかもと身構えたが、運転は堅実なもので、後ろを走る私にも気を遣ってくれている。
彼女らしい性格は変わっていないと感じた。
浅間大社から10分ほど走り、住宅街と古く閉鎖されたアパートの脇を通り抜けると、道路沿いに一軒の古民家が見えてきた。珈琲と控えめな色ののぼりがなければ、一般家屋と勘違いしてしまいそうなほどの店構えに多少驚いてしまった。
店の前の砂利敷きの駐車場へと隣り合わせに車を停めて降りると、2人連れ立って格子のついたガラス引き戸でできた玄関を開けて中へと入った。
「いらっしゃ・・・。理恵ちゃん、来れたんだね、大丈夫かい?」
深い皺に短めの髪、そして、和服を着たオールドダンディが彼女を見るなり心配そうな表情をしてそう言った。
「タケおじさん、うん、なんとか…、いつも座ってた奥の部屋、空いてますか?」
「え?あ、ああ、空いてるよ、あ、いらっしゃいませ」
ようやく私の姿を認識したらしく、素敵な笑みを見せると店の奥を手で示したのち、キッチンの方へと慌てて駆け込んでいった。
奥の部屋という駐車場に面した広い窓のある部屋はとても古民家とは思えぬほどに素敵だった。
立派な一枚板でできた磨き抜かれて光沢を放っている机と、それに合うように誂えられたチェアが向かい合って置かれている。大きな白熱電球が天井から小さな皿を頭に乗せてぶら下がっていて、その光の温かみが心地よい、部屋の隅に据え付けられている暖炉からは薪の燃える微かな匂いと、時より爆ぜる音、そして、温かい色合いの火が部屋に温もりを与えている。
「素敵な喫茶店だね」
コートを脱ぎながらそう言うと、彼女が嬉しそうに微笑んだ。窓から見える駐車場には、赤いスポーツカーと私の車が連れ立って止まっているのが見え、その先に輝く富士山が聳え立っている。
「理恵ちゃん、コーヒーでいいかい?」
人懐っこい笑みを浮かべたオールドダンディなマスターは、メニュー表を持ってきながら、彼女にそう言うと、私を一瞥してからこちらへとそれを差し出した。
「メニュー表です。ブレンドがお勧めですよ」
「あ.ありがとうございます」
お礼を言って受け取った私はメニュー表に目を走らせた。2週目の途中で迷走し始めた視線に彼女が気がついたのか、声をかけてくる。
「いっくん、私と一緒にしませんか?」
「うん、そうする」
「メニュー選び、まだ苦手なんだね」
「覚えててくれたんだ」
私は飲食店でのメニュー選びが苦手だ。
いかんせん、迷いに迷い挙句に人任せにする癖は幼い頃から変わらず、大人になった今でも苦労している有様だ。
「もちろん、覚えてる。タケおじさん、珈琲2つとシュークリームを2つ、お願いします」
「畏まりました。少々、お待ちくださいね」
マスターは和かに彼女へ微笑んで、私にも一礼するとその場を離れて店の奥へと戻って行った。
「昔、富士山の話をしたの覚えてる?」
「覚えてるよ。この辺りに住んでたことがあるって言ってたよね」
私の答えに彼女が深く頷いた。
「ここには月に1回くらい母と来たりしていたの」
「なるほど、だから知ってたんだね」
店内の鴨居には古いレコードや写真がかけられていて、流れているミュージックも蓄音機にかけられたレコードからの音のようだ。
「今は何処に住んでるの?」
「浜松市だよ。大学からずっと住んでるかな」
そう言うと彼女は少し驚いたような表情を見せた。
「私も住んでたことがあるよ。3か月くらいだったけど…。私は清水区のアパートで暮らしてた」
「清水区だとここまで割と近いね」
その言葉を聞いたりっちゃんの笑顔に少し影が宿る。それは印影のようにではなく、水の濃さのようにとろりとしたように思えた。
「少し、お手洗いにいってくるね」
そう言って立ち上がったりっちゃんの目尻に涙の閃光を垣間見た。
「う、うん」
席を立っていった彼女を見送って何気なく視線を窓際へと写した。
レコードの曲が途切れて針が踏む音がブツリブツリと響いてくる。
ぼんやりとしながら並ぶ2台の車を見た。赤いスポーツカーの色はとても素敵で美しい。そう言えば、赤はりっちゃんの大好きな色だったことに気づく、
引っ込み思案の彼女だったけれど、赤い色で絵を描くのが小学生ながら、見事な腕前だった。思い出すのは、ぼろぼろの落書き帳に夕焼けを描いた絵だ。いや、作品と言っても良いかもしれない、見事な様で多彩な赤を使い、その濃淡で描き切った夕焼けは空を切り取り、貼り付けたように強烈な印象だった。
「お客さんは、理恵ちゃんの恋人かい?」
「え!?」
背後から呼びかけられ、驚いて振り向くとオールドダンディが、至極真面目な顔をしてこちらを見ていた。
「いえ、そうではないです。今日、たまたま再会したんです」
「再会?」
「ええ、朝方のテレビを見て浅間大社に参拝に寄ったんですが、そこでです。」
「なるほど」
そう納得するような仕草を見せたオールドダンディがポケットから、ピースを取り出すとこちらに箱を揺らして見せる。
「どうぞ」
私もポケットからシルバーのシガレットケースを取り出して見せる。
「室内は禁煙だから、玄関でどうかな?」
「喜んでお付き合いしますよ」
腰を上げて立ち上がり、私達は連れ立って外へと向かった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます