灰の降る戦場にて

七戸寧子 / 栗饅頭

本編

 くすんだ銀世界。

 白が舞う中を、琥珀色の巨躯が駆る。ヒトの姿を外れた四脚の機体。機体重量の二割を占めるレールガンが、また鉄塊を射出する。瞬きもままならない寸秒の間に空では命が弾け、灰が降り、地面の白に取り込まれる。

 爆発音と駆動音の他には何もない戦場。空では超速の金属が高機動機を貫き、地上では二本の超高熱ブレードが重装甲機を切り捨てる。


 たった一機。機体名はスィトルイユ。


 その怪物は決して孤立無援ではなかったが、破壊と死と灰の降る中心にいたのは、常にその琥珀色だった。



◇◇◇



「いっただきます!」

 手を合わせた彼女の前に並ぶのは、質素なパンに数枚のハム、小汚い器いっぱいの豆のスープ。荒々しくそれを手に取り、口に押し込めて咀嚼する。ぎゅっぎゅっと顎を鳴らす横から、タンクトップの筋肉質な男が彼女を小突いた。

「エラ姐さん、昨日はまた大戦果だったらしいじゃねえか!」

 エラと呼ばれた彼女は口の中のものをゴクンと飲み下して、横目ではにかむ。

「アタシにかかりゃアレくらいがアベレージよ!」

「もっといいモン食えばいいじゃねえか、それくらいの活躍してんだろ?」

「いーやダメだね、この状況だろ?」

 エラが親指で後ろを指す。薄暗い食堂。今にもフィラメントが切れそうな電球が照らす中にいるのは、活気のある兵士たち。しかし彼らが口にしているのは、ジャムも塗れないパンや、一口で終わってしまうような鶏肉のソテー。

「ただでさえアタシは電気を食いまくってるんだ、飯も食いまくるなんてゴメンだよ。贅沢は王国が白旗挙げてからって決めてんだ」

「……つっても、姐さんにゃ精をつけてもらわんと。俺らレジスタンスの星だぜ」

「へっ、そもそもアンタは認識が間違ってるのさ。レンズ豆のスープ以上に“いいモン”なんてアタシは知らないね」

 いつの間にか空になった器を置いて、エラは親指で口を拭い、席から立ち上がる。

「にしても、姐さんに敵うパイロットなんていないんじゃねえか?」

 冗談めいた口調。それを背中で受け止めたエラは「どうだろうねえ」と軽く笑い、振り返る。

「……いるさ」

 男は息を呑む。エラのその目に射止められる。少しも上がっていない口角が、男の言葉を殺す。思わず目線を下げると、エラの下半身が視界に入る。そこには、左脚しかない。見慣れたはずの欠けた右脚が、男の膝を震わせる。次の瞬間、うつむいた頭に押さえつけるような圧力がかかった。

「んじゃ、ごちそーさまってことで!」

 明るい声色。エラの手のひらは、わしわしと男の頭をなでまわした。それを離して、松葉杖を手に取る。

「片付け頼んだよ!」

 そう言い残して彼女は立ち去る。その後ろ姿に、残された男はほっと息を漏らした。



◇◇◇



 戦争において火花が散るのは戦場だけではない。むしろ、火花という点ではこちらのほうが戦場よりも多い。

 機体格納庫。兼、整備室。今日もバーナーが火を吹くこの空間には、戦闘用の機体がずらりと並ぶ。鮮烈なペイントや、明らかにちぐはぐなキメラ機、本来なら博物館にいるべき骨董品まで同居するのは、法に基づいた軍隊ではないこの組織ならではだ。

 その中でもひときわ目立つ巨体。琥珀のペイント。その近くで工具をガチャガチャやる老婆がひとり。少し離れたところで見物するのはエラ。

「ばーさん、アタシの相棒たちはどうよ」

「スィトルイユかい? どうもこうもないさね、豆鉄砲の痕以外は出撃前と対して変わらんよ」

 スィトルイユ。四脚による場所を選ばない安定した歩行能力と、各脚のクローラーとスラスターにより平地での機動性を確保した規格外の大型機体。その巨体故、装甲も厚ければ武装の規模も選ばない。このメカニックの老婆が鉄くずをかき集めて魔改造を施した結果生まれた、エラ専用の怪物だ。初出撃からも改造は続き、今ではレールガンも搭載される始末。本来の運用想定では不要であるはずの近接武装を両手分搭載しているのも、怪物めいた様相の醸成に一役買っている。

「……ま、出て帰る度に灰だらけにされるのも困ったもんだけどねぃ」

「逆に灰掃除だけで終わるんだから楽なもんでしょ」

「楽なもんかい、ちっとはこっちの苦労も知りな小娘」

「でもボコボコにされるよりは楽だろ?」

「スィトルイユはね。手間がかかるのはあっちさ」

 老婆が指をさした先には、スィトルイユとは全く趣の異なる機体。否、スィトルイユだけならず、この格納庫のどの機体とも似ない異彩を放っている。


 Codeless規範知らず

 

 誰かがそう呼びはじめて、今日までそう呼ばれ続けている機体。エラが相棒と表現した理由である、スィトルイユと肩を並べるエラのもうひとつの愛機。

 透き通るような白に、装甲に彫り込まれた絢爛な植物の意匠。体躯は小柄で、スィトルイユと比較してはもちろん、戦闘用機体の中では最小レベルのモデルである。唯一凡庸に見えるのは、その右脚。破損の痕があり、それをカバーする形で無骨なパーツが取り付けられている。機体の出処は不明。エラがたまたま見つけてきた、それだけの機体。

 この機体が規範知らずコードレスと呼ばれる理由は、その操縦方法にある。通常は操縦桿やハンドルなどを複数組み合わせた複雑な操縦席にパイロットが乗り込む形を取るが、この機体の操縦席に手で操るためのものはひとつもない。代わりに備え付けのヘッドギアを装着することで、脳波を通じ機体を肉体同然に操ることができる。搭載されたセンサーや武装も思いのまま。これに乗り込んだパイロットは、人間の身体能力を遥かに超えた存在になれる。

「コードレスはねぇ、一世紀近く生きたババアにもさっぱりさ」

「でもなんだかんだでしっかり整備してくれてるじゃねえか、助かるよ」

「対症療法さね、根本的なメカニズムはわからん」

 規範知らずの所以はそれに留まらない。何故か組織内で確認したうちでは唯一エラのみがコクピットに適合し、操縦できること。いつ開発されたのか、誰が開発したのか、どうアプローチしても少しも解明が進まないこと。なによりも特殊なのは、脳波を通じている故か、機体へのダメージがパイロットに直結していること。

 コードレスの無骨な右脚は、エラが右脚を失った時の名残だ。

「ま、なんでもいいさ! どっちも乗れればアタシは満足」

「ケケケ、ババアとしてもこんな死の間際に面白いもの触れて大満足さ。おかげであの傑作も運用できる」

 その目線の先にあるのはスィトルイユ。この巨大な機体も、ある意味では規範知らずである。大きさも、武装も、開発経緯も、スィトルイユを規範知らずたらしめる理由ではない。真の理由は、その操縦方法にある。

「人間がメカに入って、その上でまたメカに乗るなんてイカれたババア以外考えないし実現もさせないだろねぃ」

 格納庫に響く引き笑い。今にもこの勢いで倒れて死ぬんじゃないかと思わせるような年老いの狂喜の笑いに、流石のエラも怪訝な顔をする。しかし、この中で最も活躍している機体は間違いなくスィトルイユであり、それを設計し、コードレスを利用した規範知らずな操縦方法で運用を可能にしたのはこの老婆なのだ。

「スィトルイユほどの機体となると、人間なんてちっぽけな生き物じゃ情報処理が追いつかなくてダメだねェ。コードレスにより人知を超えた力をもってしてはじめて制御できるのさ!」

 そこまで吐ききってがふがふと咳き込む老婆の背中をさすり、エラは相棒たちを見上げる。幾千もの戦場を共にした相棒たち。脚を失う前から一緒で、脚を失う瞬間すら一緒だった愛機。武装も日々アップデートを重ねているし、エラ自身の操縦技術にも磨きがかかっている。


 今なら、勝てる。


 そう、心が吠えた刹那。


『敵対勢力接近! 敵対勢力接近!』


 基地内部を、レッドアラートが駆け巡った。

「ついにここがバレたか」

 舌打ちをする老婆。その間にも、エラはコードレスのコクピットに飛び込む。

『センサー反応は三! 出撃できる機体は直ちに出撃せよ!』

 基地の中で「たったの三?」「バレたつっーよりただの偵察じゃねえのか」「全員出るにはコスパが悪いぜ」「エラ姐さんが出るなら十分だろ」という声が上がる。実際、今までの戦闘の規模と比べたらかなり小さいどころか、「戦闘」と呼べるかすら怪しい規模だ。エラたちのレジスタンスの兵士は少ないが、敵対する王国軍の兵は掃いて捨てるほどいる。数で押すが基本の王国らしくはない、たった三機での強襲。

「エラ、出るよ!」

 コードレスに乗り込み、さらにスィトルイユへ乗り込んだエラが出撃コールを発する。ハッチが開き、クローラーを回転させながら大地に歩を踏み出す。ハッチが閉まったのを確認して、スラスターを機動し高速で前進する。

 その間にも、レールガンで標的を捕捉する。基地から見て四時の方向、空中。確かに三機。ステルスやデコイではない。スコープの倍率を上げ、確実に仕留めようと照準を合わせる。

「ここで全部撃ち落とせばアタシの仕事は終わ……る?」

 横並びになった三つの機体。王国のエンブレム。そこまではいい。左右の見慣れた敵機。今さら、エラやスィトルイユを苦戦させる相手ではない。問題は中央。

 量産機とは明らかに異なる、スタイリッシュなシルエット。武装もすべて最新かつ相当な技術によって作られたもの。何より特徴的なのは、頭部センサーに搭載された王冠のようなアンテナ。

 息を、呑んだ。エラの瞳孔はみるみる縮まる。恐怖がそうさせた。

 次の瞬間、スィトルイユが国際規格の通信電波を受信する。発信者名はアズール。レジスタンスの敵対する王国の第一王子の名である。エラは震える手で通信許可のボタンを押す。

『やぁエラ、久しいね』

 フランクな挨拶。エラは口を開かず、カメラを睨みつける。

『そんな顔しなくてもいいじゃないか、次期国王でチャーミングな僕が直々に通信してやってるんだぜ』

 エラはやはり返事をしない。続いて、基地の方からも交戦の許可と、無理はするなという旨の命令を受ける。しかし、それにもエラは言葉を返さない。

『ふーむ、まあいいさ。ウチの軍でも君は大評判だよ、そのオレンジのジャガイモみたいな機体は恐怖のシンボルだ。なんでも、そのレールガンで空中の高機動機を全部撃ち落とすそうじゃないか』

 その言葉が言い終わるか否かのところで、アズールの左の機体が爆ぜた。スィトルイユのレールガンが射出した鉄塊がそうさせた。

『百発百中と聞いていたんだが……狙うべきは僕だろう? それとも、やっとコチラ側につくことを考えはじめてくれたのかい?』

「ジャガイモとカボチャの区別もつかねえアホが王様になる国の味方なんて誰もしたくないね」

『カボチャ?』

Citrouilleカボチャって名前は知れてないのかい? そうだよなァ、アタシと戦ったテメエのところの雑魚はみんな帰してねェもんなァ」

『これは失礼、喋ってくれた君に敬意を表して、今度からはカボチャと認識させてもらうよ。ところで……』

 アズールが不敵に笑う。その瞬間、右脇の機体も内部から爆発するが、意にも解せず言葉を続ける。

『つまり、君と戦って例の機体の右脚を奪って帰還した僕は雑魚じゃないと褒めてくれたんだね?』

 刹那、スラスターの出力を高めて巨躯が駆る。スィトルイユのレールガンが三度目の砲弾を射出するが、アズールの機体はそれを僅かに腕を動かすだけでかわした。

『ダメだよエラ……そのカボチャじゃ僕のシュヴァルブランに着いてこれないのは、君がよく知ってるだろう?』

 スィトルイユ内での通信回線は、基地からの通信で溢れていた。早まるな、とか。相手は一人だ援軍を待て、とか。しかし、エラの立つ戦場には爆発音と駆動音の他に音は存在しない。その血走った目は、眼の前の敵機と憎き男しか捉えない。

「じゃあお望み通りこっちで戦ってやるよ!!」

 スィトルイユのコクピットが開く。その隙間から何かが煌めく。それを認識する頃には、白く美しい機体がアズールのシュヴァルブランの前で超高熱ブレードを振りかぶっていた。スィトルイユから剥いできた、機体に見合わぬ大型のブレード。アズールも咄嗟に回避の姿勢を取るが、それも間に合わず脚の一部が切り落とされる。

『そうそう、そうこなくてはね。でも戦うとは野蛮だなあ、僕は君と踊りに来たんだよ』

「言ってろ」

『釣れないな。その機体を乗りこなせるのは君だけだ。君が我が軍に加われば世界のどの軍隊も敵わないだろう』

 コードレスがもう一度ブレードを振り下ろす。しかしシュヴァルブランには当たらなず、回避の勢いを殺さず蹴りを放った。コードレスの横腹めがけた攻撃は腕でカバーするも、そのダメージはエラに直接伝導する。

『もちろん見返りは出すさ。国内でも最高のVIP待遇にするし、必要な兵器はなんでも開発させよう。それに、その機体……』

「コードレスだッ!」

 その言葉と同時に、弾丸の雨。コードレスに搭載されたマシンガンが火を吹く。

『おお、これはご丁寧に。うーん、いい名前じゃないかあ、コードレス……。まさに可憐な君のドレスとしてピッタリだ』

 その弾丸はすべて、シュヴァルブランの熱波シールドに空中で溶解させられる。

『でもやっぱり足りないんだよなあ、その機体は右脚もあってこその機体なのに、全く惜しいね』

「どの口が……ッ」

シュヴァルブランがシールドを押し付けるように腕を突き出し、コードレスは回り込むように高速で移動する。攻撃し、防がれる、かわされる。攻撃され、防ぎ、かわす。

『だから、返してやるというんだ。その機体は君にしか乗りこなせないし、君にこそ相応しいのだから』

「そんなものに興味はない!」

『残念だねえ』

 攻撃の応酬を止め、シュヴァルブランが距離を取った。コードレスも警戒し、そのまま距離を保つ。

『ならば、こちらも強硬手段だ』

「やってみな、今度こそこのエラがアンタの王冠ごとブッ潰してやるよ」

『おお怖い、流石にレジスタンス最凶と恐れられる女だ』

 ブレードを構える。

『そうそう、カボチャのついでに教えてあげよう、君がウチの軍でどう呼ばれているかを』


 スラスター、出力最大。


 コードレスがシュヴァルブランの眼前で刃を繰る。


『さあ、踊ろうじゃないか』






『シンデレラ!!』

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灰の降る戦場にて 七戸寧子 / 栗饅頭 @kurimanzyuu

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