第7話 阜章流【颱濤】


 にらみあった順三と格之進。手に取った武器ステッキと無手。


 先に動いたのは、格之進だった。


 突きつけられたステッキの向こうで、低く声をあげる。


「先に襲い来たのは貴様だ。正当防衛によって──」


 格之進は身を逸らして順三のステッキの先端を避けながら、腰の杖を抜いた。


 抜いてのちの動作は鋭く素早く、常人の域を超えている。動くたび「ぞっ」と風を引き連れる音がする。


 身に風を帯びて体の動きを後押しする加速の魔法、【纏捷てんしょう】の無詠唱発動だ。


 回避からなめらかに杖先を突きつける動きに変わり、格之進の殺意が膨れ上がる。


「──ここで死ね!」


 無詠唱の【断風】が順三を襲う。


 剣術ならば短刀の間合いで、的確に首を狙った一撃だった。


 飛び退ってかわし、的にならないよう姿勢を低くする。同時に剣先を下げて引き、刃を返して下段に構え直した。


 踏み込み、間合いを詰めながら切り上げる狙い。


 怪人を仕留めた【冴斬り】の構えだった。


 ところが。


「すでに間合いだぞ、間抜けが」


「!」


 格之進は自ら距離を詰めてきた。


 一足一刀の間合いで杖を袈裟懸けに振り下ろしながらの【断風】。放たれる拍子がつかみづらい一閃。


 体を横に逃がせば、追うように杖で横薙ぎ。軌道上に置かれる【断風】。


 風、風、風──順三が避けても後退しても、杖先から次々と死せる風が追りくる。


【纏捷】による加速を受けて縦横無尽に振るわれる杖が、連なり刻む風の刃として順三を狙いつづけていた。


(『遠距離攻撃ができる』という利点を捨てた、接近しての魔法攻撃……)


 自身の動作を加速し、先手を取れるがゆえに可能な近接戦法。


 杖先の動きという『線』で牽制し、風の刃による『点』の連打で狙う。


 刀のような重い得物を振るうのではなくあくまで杖先を移動させるだけの『振り』であるため、動きは軽く体軸も姿勢も乱れにくい。


 才の無さにより順三には授けられなかったが、おそらくはこれこそが代々伝わる須川流の魔法戦術だ。


 岩肌に吹き続けいつかこれを平らに均す風雨が如く、粘り強く相手に張り付き体力と精神を削る。


 瞬きの間に過ぎ抜ける疾風の如き技だった怪人とは、また異なる風の技。こういった戦いもあるのか。


「どうした! 避けるばかりか、うつけが!」


 がなり立てて放ちつづける。それでも体勢は崩れない。格之進の技は攻め続けることに特化して、体軸を揺らさぬよう練磨されている。


 手数の多さと、近いがための着弾の速さ。それが攻撃の密度を高め、うかつに踏み込むことを妨げている。これでは駆け込んで切る技たる【冴斬り】は使えない。


 こちらから攻勢に出るのなら、どうにかして一度は【断風】を防ぐことが必要になるだろう。


 しかし、『須川流の風は鉄をも裂く』のだ。


(粘り強い鋼でできた刀ならともかく、木製のステッキじゃ両断される)


 怪人との戦いのときのように、斬撃を当てて防ぐことはかなわない。


 ならばどうするか?


 戦い方を変える。


 順三が教わった阜章流は、魔法との戦いも企図して創られた剣術だ。


 そこには魔法士の長所も短所も、特性を知り尽くしたがための戦法がいくつも含まれている。


 加えて、敵の攻め気を察知できる順三の技が合わされば──


『──矛を止めると書いて武。阜章流は、敵の障りとなり攻め手を止めることを極意とする──』


 ──かつての師の言葉通り、相手の攻めを止める障りとなることが可能だ。


 下段に構えたままだったステッキを正眼に構え直す。


 後退していた足のかかとを床に強く打ち込み反動を得る。


 格之進は杖持つ右腕を外に振りかぶっており、左から横薙ぎにしてくる途中だ。


 その、軌道に。


阜章流ふしょうりゅう──【颱濤かざなみ】」


 手にしていたステッキを、両手の掌底によって押し放つ。床から得た反動を身の内に通したことで素早く飛び出し、正眼に構えているときのまま先端を天に・握りを地に向けたステッキは中空を移動する。


 ステッキは、横薙ぎの途中だった杖の軌道上に割り込み、十字に絡んで衝突。杖の動きをにぶらせた。


「くっ──」


 うめく格之進。【断風】が順三から逸れた位置に放たれる。


 あくまでも杖先より魔法は発現するため、杖の中ほどにぶつかればステッキを切られることもない。


 この一瞬に間合いへ飛び込み、弾かれたステッキを握り手元へ引き寄せながらの小手打ち。格之進の右手首の骨を砕いた感触があった。


 だが、格之進は杖を取り落としたのを追って左手を伸ばし、杖腕を入れ替える。


「な、め、る、なァッッ!」


 そこから左手で切り上げるように、【断風】。


 だが遅い。


 落ちる杖を目で追ってつかみ・視線を上げ・狙いを定める……という三つの手順をこなしてからの攻撃は、小手からの残心を怠っていなかった順三の前ではあまりにも大きな隙だった。


 だんっ、と右足で左手首へ踏み込み、床に縫い付ける。骨を砕く。


 これに引っ張られて、姿勢が前のめりに崩れたところへ。


「御免」


 ステッキによる唐竹割りが、まっすぐに天から落とされる。


 格之進の頭は地に臥した。


 一刀の距離を保ちながら、反撃が来ないことを確認する。


 気絶し、完全に沈黙していることを確認してから、順三は腰にステッキを差して構えを解いた。


「……さすがの腕前でいらっしゃいますね、順三様。まさか刀ですらなく、ステッキで圧倒してしまうとは」


 横でこれを見ていたモニカが、感嘆の声を上げる。


 気恥ずかしくて、いえ、と順三は首を横に振る。


「俺は魔法戦術こそ知りませんでしたが、【断風】【纏捷】といった須川の使える魔法の種類は知っていました。対して、この人は俺の使う剣術を一手たりとも知らなかった」


「その差が明暗を分けたと仰る次第ですか?」


「そうですね。とくに、俺の阜章流はもとより魔法を相手にすることを考えられている流派らしいので」


「じつに、お見事です。先日の怪人を仕留めておられた技……【冴斬り】と仰いましたか。今日の【颱濤】も同じ流派の技なのですね。刀を投擲し、動きを止めることを主眼に置いているのでしょうか?」


「その通りです。阜章流には五つの技がありますが、【颱濤】はかぜなみのごとく変幻自在に。得物にこだわることなく、攻め手のひとつとして時に手放し相手の動きを縛るに用いるというものです」


 今回は得物がステッキだったため『杖の軌道を妨げる』ことに用いたが。これがもし刀であれば首など急所へ触れるだけで致命傷になることもあるため、相手は『弾かざるを得ず』やはり動きが限定される。


 次の動きがわかっている相手は、動かない置物に等しい。どうとでも斬ることができる。


 そうした相手を仕留めるのが、阜章流【颱濤】だった。


「それにステッキや刀は握りや鍔などで手元に重心があるため、空中で剣先を弾かれても柄部分の移動位置は予測しやすいので、追撃の際につかみやすいんです。もし刀がつかめないほど遠くにいっていれば、それは相手も『強く振り抜いて弾いている』ということなので姿勢の崩れや硬直があると判断できます。その場合は徒手空拳でもつけこむ隙がある」


「なるほど」


「技はあくまでも次手を活かすためのもので、留まらない風や波のごとく常に次があることを意識し、また相手にも意識させるのがこの【颱濤】の本懐だと師匠は言ってて……あっ、すみません。長々としゃべってしまって」


 たったひとつの得意分野であるため、つい話し込んでしまった。切迫した状況の直後に、なんなら危険に巻き込んでしまっていた護衛の対象へ向かって語るような内容でもない。順三は頭を掻いた。


 けれどモニカはくすりと笑って、順三に言う。


「構いません。技に存在する『ことわり』をうかがうのは興味深いことですし、順三様が打ち込んでいたことやどのように考えていらっしゃるかを知ることができるのは、とても楽しいのです」


「……そう言ってもらえると助かります」


「またあとで、詳しくそのことはおうかがいしたく存じます。……ですが、まずはこの場を収拾せねばなりませんね」


「須川、格之進の処遇についてですか」


「というよりは、須川家そのものへの処遇となるのでしょうね」


 もうひとつ、くすりと笑む。


 けれどそこには順三へ向けてくれた笑みのような暖かな色はなく。ひたすらに冷徹で透き通った、政敵への酷薄さが見受けられるものだった。


「妾に対し暗殺をほのめかしたのですもの。ご自身の評判が地に落ちるということは、覚悟していただかなくてはなりません」


 ぞくりとする笑みのまま、モニカは格之進を、侍従に呼ばせた人力車で送り返した。



        #



 車の揺れと、両手首と頭頂部の激痛で目を覚ます。


 なんだ?


 なにがどうなった?


 記憶をたどり始めてすぐに、格之進は最後の景色を思い出した。床に臥せった己。頭の上から脳髄に向けて起きた白い閃光と鋭い痛み。


 そうだ。己は、あの愚息に……


「あの、糞餓鬼が……!」


 魔法も使えない、剣術などという前時代の遺物に入れ込んでいた道楽者の屑。なぜかあの異人に好かれたようだが、だからといって奴が己らより遥かに劣った人間であることには相違ない。


 そのはずだったのに。


 奴への謝罪を命じられ、それを拒み、闇討ちをほのめかして。脅しに泣いて許しを請うだろうと思ったのに、あろうことか刃向かってきて……そして。


「ぐ、ぅがあああぁ!!」


 砕かれた手首の痛みと怒りで格之進は叫んだ。


 許しがたい。奴はあの棒振り芸で己を翻弄し、しかも生みの親を足蹴にしたのだ。


 あの場でモニカに謝罪要請を撤回させてことを収めることはできなかったが、まだ手管はある。なんとしてもあの異人と愚息を、地の底這いつくばり泥を舐めるような屈辱に沈めなくてはならない。


「今度こそ、後悔しろ……!」


 歯噛みしながら言っていると、車が停まる。家についたらしい。


 だが途端に、周囲をわっと囲まれた。


 記者、および格之進と商いの取引があった人間たちだ。


「な、なんだ貴様ら……」


「須川様ですね? 先ほどオルマミュータ邸にて交渉の決裂から杖を向けたというのは事実ですか?」

「そのお相手が実の息子さんだとも」「勘当したというのは本当ですか?」

「その両手首は反撃にあってのことだそうですが、三男の順三様は魔法が使えないとか」「魔法が使えない者に敗れたのですか?」「事実ですか?」

「各方面に圧力をかけていたそうですが」「外務省高官との癒着について」「オルマミュータ殿下の婿がその三男というのは?」「お答えください!」「須川様!」


「だ、黙れ。私は答えんぞ……私をだれだと思っている? このような扱いが許されると思っているのか?」


「お答えいただけないんですか」「横暴だ」「権力の暴走」「後ろ暗いんですよね?」「でなければお答えください」「ゆっくりで構いませんから」「どういった繋がりなのかお聞かせください」


 冗談じゃない。そんなことを答えれば身の破滅だ。


 格之進は慌てて車を降りると、記者たちを振り払い──砕けた手首が灼熱の痛みを放つ──邸内へ逃げ込んだ。


 まずい。


 まずいにもほどがある。


 いかに他国の姫で丁重にもてなされるであろうとはいえ、対応が早すぎる。順三の勘当が世間に知れ渡っていない以上、まだあの場であれば「正当防衛」「言うことを聞かぬ愚息への折檻」という体で済むと思っていたのが、判断の誤りであったか。


 というよりも、自身の命を守ったからとはいえたかだか三男坊、政治的にもなんら益の無いあの男をなぜそこまで庇い立てする? まさか『惚れたから』などという、度し難い雌の愚かさの成せる業か?


「女など、政治に絡めるからこうなるのだ……! 魔法以外はまったくの未開の、蒙昧な国家の愚物が……!」


 もはや怒りで声音も震える。


 そんな格之進を、玄関口で待っていたのは。


 外務省長官の秘書であった。


 折り目正しく、彼は襟を整え格之進に頭を下げる。


「ご無沙汰しております須川様」


「⁉ なぜあなたが、ここに」


「お判りになりませんか」


 冷ややかな物言い。


 それだけで、察するに余りある。なぜならその声音は、格之進自身が幾多の相手に最後通告として投げかけてきたものとそっくりだったからだ。


「馬鹿な……私を、切る・・というのか?」


「やり過ぎましたね、須川格之進」


「だっ、だがっ! 私にはまだ利用価値があるはずだ! 表の稼業の縛りもいずれ解ける、この醜聞も息子との単なるいさかいであったと誘導できる素地はある! まだ私を切らずともっ、」


「利用価値があるのは『前提』です、須川様。その上でさらなる働きを見せ他を活かす相乗効果シナジイがあるからこその立ち位置ポストなのですよ」


 外ツ國の言葉を交えながら、秘書は冷ややかに言った。


 この言葉に、格之進は自身が考えていた言葉を思い返す。


 ────必要であれば省の適当な者を『あの式典の監督者だった』とするよう報告書を捏造し、降格なり首切りなり処罰させるもよい。


 そうして浮いた空席には己の息のかかった手の者を送り込み、また癒着を強めるのだ────


 自分は。


 いま、このときに考えていた、『空席』の立場に堕している。


「では須川様、追って沙汰をお待ちください。……あ! 汚名を雪ごうと腹を切るなどという、前時代的なことはなさらないでくださいまし。そのようなことをされても始末に困ります故、あなたの血族はますます苦境に立たされる……やもしれません」


 最後に、身内を守る方策さえ阻まれて。


 膝から崩れ落ちた格之進の横を、秘書がつかつかと過ぎ抜けていった。


 外では、いまだ記者連中が醜聞について騒ぎ立てている。


 格之進は、今度こそ己の完全な敗北を理解して、とうとう気を失った。

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