第6話 須川家の没落


 須川格之進にとって、自身の家を守り盛り立てることはなによりも優先する事項だった。


 立身出世、名を轟かしどれだけ多くを積み上げることができるか。議員としての立場をどれだけ上げられるか。


 仕事により、どれだけの影響と爪痕を他者に対して残せるか。


 それだけが男としての彼の生きがいであり、他のものは一切顧みる必要のない些事だった。


「あの恥さらしがために、須川の名に泥を塗るなど許されん……」


 順三に勘当を突き付け、モニカ・オルマミュータの家に向かわせたあと。蓄財している蔵に向かった格之進は、根回しの準備を進めた。


 異世界てるなのくに関わる外務省と須川家との繋がりは、前の当主が外国官を務めたこともありいまも深く強固だ。少々手間ではあるが、金を積んで要請すれば便宜を図らせることも十分可能だ。


 順三の抜刀という蛮行についてなんとか咎めを薄くし、穏便に済ませてもらう。


 必要であれば省の適当な者を『あの式典の監督者だった』とするよう報告書を捏造し、降格なり首切りなり処罰させるもよい。


 そうして浮いた空席には己の息のかかった手の者を送り込み、また癒着を強めるのだ。


 転んでもただでは起きぬ! 格之進は計算を尽くし、自身の被害を減らして利益が最大になるように考えつづけた。


 ……須川の家が成り上がってきたのは魔法という武において『須川流の風は鉄をも裂く』との雷名を轟かせたことが発端だが、その後成り上がりつづけるため重要だったのは一族の持っていた魔法の才そのものよりも「開国していちはやく魔法に目を付け、武として取り入れた」という点に代表される計算の速さによるところが大きい。


 謀略こそ須川の神髄。


 そのように考えほくそ笑み、あとは根回しの返事を待つばかりとなった格之進は私室に戻ると煙管を一服した。紫煙を噴き上げながら、ふんと鼻を鳴らす。


「いまごろ、あの恥さらしもくたばっている頃合いだろう。亡骸の引き取りくらいは向かわせておくべきか……おい!」


 格之進が低い声を張り上げると、侍従が部屋を訪れる。


「お呼びでしょうか」


「車引きを呼びつけて、山手に向かわせろ。大八車だいはちぐるまと棺桶で亡骸を引き取り弔いたいとでも言っておけば、異人であっても多少は同情を引けるはずだ」


 格之進は、そのように言った。侍従はかしこまりました、と残して部屋を辞する。


 侍従は元は商家の出で、演技達者な奴だった。それなりに気働きをする男でもあるので、おそらくは神妙な面持ちで、いかにも死者を悼む様子で迎えにいくはずだ。


 異人にも多少は身内の情というものを理解できるはず。そこに訴えかければ、まあこれ以上悪い状況にはなるまい。


 そう考えていた格之進は、しかし一時間もしないうちに、帰ってきた侍従から報告を伝え聞いて青ざめることとなった。


「旦那様……。山手のオルマミュータ邸へ赴き亡骸を引き取りたい旨を話したところ、『我が婿の亡骸を引き取りたいとはどういうことだ。彼の心の臓を抜き取り、そちらに送れとでもいうのか』とひどくお怒りで、取り付く島もありません」


「……何?」


 婿?


 わけのわからない単語に、格之進は動揺した。


 侍従が誤った住所を訪ねたのではないかと疑うが、話を聞けばたしかにオルマミュータ邸に向かったようだった。首をかしげる。


 そして悪いことはつづく。


 外務省へ出した電報の返信が午後になって届き、そこには『ヨウセイ ニ ソウコト アタワズ』と、根回しを断る文言だけがあった。


 ……この己を、須川格之進と知っての狼藉か?


 苛立ちで沸点を越えた格之進は、屈辱的ではあったが自ら省へ赴くこととした。ふざけたことをぬかすなよと、かねてより懇意にしていた次官を呼び出したのだが、彼は震え声と共に頭を下げた。


「須川様、どうかご容赦ください」


「そんなことはできんな。いまの俺にできるのは、貴様の首を物理的にか社会的にか、斬り落としてやることだけだ!」


「ご勘弁ください……、どうにも、ならないのです。これ以上の深入りをすれば、外交問題に発展いたします」


「何……」


「件の、姫からの要請なのです。これ以上は、口にできません」


 米搗き飛蝗バッタのようにぺこぺこと頭を下げる次官は、格之進に震える以上になにかおそろしいものに脅されている、ようだった。


「須川様、須川様もお早い対応が良うございます。これ以上は申し上げることかないませんが、御家に関わる事態でございます」


 格之進にとってなによりも嫌なことを言い、次官は退がっていった。


 胸中に立ち込める暗雲に気分を害されながら邸宅に戻った格之進。


 すると、彼を待っていた侍従と来客たちから矢継ぎ早に凶報を叩き込まれる。


「旦那様。今度予定されていた会食を、大臣がなかったことにしたいと……」


「須川様、お取引についてなのですが今後は中止させていただきたく……」


「異世界側より山手異人組合への立ち入りと向こうへの接触禁止通告が……」


「新聞社から陸軍省高官との便宜取り計らいについて妥当性を危ぶむ文書が……」


 次々に波のようにやってくる問題の山で、どんどん身動きが取れなくなっていく。息ができないほどに積み重なっていく。


 わずか半日ほどで、格之進はこれまで持っていた仕事上の繋がりと今後仕事を得るための繋がりのほとんどを切り離されてしまった。


 積み上げてきたもののすべてがひび割れていく音を、聞いた。



        #



 モニカによってあてがわれた、屋敷のなかでもかなり広い部屋──天蓋付きのベッドもあるので、来客の宿泊用だろうか──にて。


 くつろごうにもくつろげないでいた順三は、侍従による部屋の来訪時もとくに居住まいを正すことはなかった。なにしろ、ずっと椅子の上で背筋を正していたので。


「順三様。来客がございまして、殿下がご同席願いたいとのことです」


「モニカ殿への来客ですか?」


 もしや婿としてそばに控え、実質護衛としての役を果たす機会が、早速めぐってきたのだろうか。


 そう思っての問いだったが、侍従はいいえと返事をする。


「順三様を訪ねていらっしゃった、とも言えます」


「俺を……?」


「来ていただければすぐにわかるとの仰せです」


 知己もほとんどいない順三には心当たりがなかった。しかし、呼ばれているなら行こう。


 徒手では心もとない気がしたが、あの時使った仕込み刀は当然取り上げられている。仕方なく、部屋の隅に置いてあった古ぼけたステッキの握りを確かめて、これを携えていくことにした。


 廊下を歩き、先ほどモニカと向かい合った客間へ進む。


 ドアを開いて一礼し、顔を上げた順三はそこで固まった。


「ち、……」


 一瞬、父上と呼びかけそうになる。


 来客側のソファに座っていたのは、誰あろう順三の父・格之進だった。


 けれど勘当された身であることを即座に思い出し、口をつぐんでうつむく。


 すると奥のソファに腰かけ、夕日の逆光を浴びているモニカが代わりのように口を開いた。


「ずいぶんとめずらしい間柄でいらっしゃるのですね。血の繋がったご家族でしょうに、父と呼ぶにも躊躇させるだなんて」


「……、」


 探りを入れるようなモニカの言葉の前で、格之進は黙してたもとに両手を突っ込み、腕を組んでいる。


 これはどうしたことかと、順三は自分がどのように動けばいいかわからなくなった。


 するとモニカが自身の横を示し、「お掛けください、順三様」と言った。


「いや、でも。俺がそちらに座るのは、」


「ここは妾の屋敷ですもの。妾の身内が傍にいて然るべきというものです」


 言っていることには理がある。屋敷の主の側に控えるのは間違いではない。


 それでも気になってちらりと見れば、格之進はおそろしい顔でこちらをにらんでいた。


 けれど父は。


 須川の家で見るいつもの様子とちがって──なんだか肩幅が小さく、見えた。


 だからおそるおそる、ではあるものの。順三はモニカのすすめのまま、ソファに腰かけることができた。


「……身内、とはな。先の私の侍従がうかがった『婿』とは、その男のことで良いのですかな。モニカ・オルマミュータ殿下」


 開幕、格之進はそのように切り出した。


 モニカはまるで動じることなく、これに切り返す。


「ええ。彼が妾の婿として迎えることとなりました、須川順三様です。どうかお見知りおきを」


「よく、存じておりますとも。そしてよく、分かり申した。貴女は……ご自身の前での抜刀を、どうやら問題視していなかったようだ。むしろその男を懐に入れるほど、気に入っているとは」


「ふふふ。そのように直截な物言いをなされると照れてしまいますね。それで? まさかそのことを確かめるためにのみここを訪れたわけでは、ないでしょう」


「……殿下。貴女ですな? 我々須川の家が立ち行かぬよう、各有力者へと『須川に関わるな』と命じているのは」


 単刀直入に、格之進は言った。


 モニカによってそのような活動がおこなわれているとは露知らずの順三は、思わず隣に腰かける美しい彼女を見た。


 その整った面差しを、またも冷たい笑みに変えて、モニカは平然とこの問いを突き返した。


「憶測で語るのは程度が知れてしまいますよ、須川様」


「左様。たしかに証拠はありませんな。だが状況から推測するに、他の可能性は考えられなかった」


「仮にそうであったとして、あなたは何をしにいらっしゃったのですか?」


「どうか、我らへの縛りを解いていただきたい。殿下」


 静かにただ、それだけを告げた。


 そして頭を下げた。


 気位が高く、人の頭を下げさせることはあっても自身が下げるなど到底、許せはしないだろう格之進が。順三が知る限りは初めて、人前で頭を垂れていた。


 それほどまでに追い込まれているのだろうことは想像に難くない。


 また、それだけのことを今日一日の内に成し終えてしまっていたモニカの手腕にも、戦慄した。


「ふむ……」


 格之進の殊勝な態度に対し目を細め、モニカは値踏みするように彼のつむじのあたりを見つづける。


 視線と無言の圧に耐えかねたか、頭を垂れたままの格之進は苦渋の決断という声音を帯び、さらに言葉を継ぐ。


「貴女が気に入ったその男を追い出した、この我らの行いにお怒りであることは承知いたしました。お詫びは如何様にも、貴女のお望みを叶える所存です。どうか、ご容赦願えますまいか」


「どうやらご自身がなぜ追い込まれているか、まだわかってお出ででないようですね」


「……なにを仰る?」


「あなたは順三様を勘当し追放したことについて、妻となった妾への詫びと支払いさえ成し遂げればすべてが済むとお考えのようですが、それだけでは償いが足りていないとご指摘差し上げます」


 淡々とした物言いだが、その実言い逃れもなにも許しはしない、との態度だった。


 なにが原因かも、なにをすればいいのかも具体的に述べない。相手自身に語らせることを強いて、もっとも過酷な道を選ばせる。


 ここからは語ることすべてが罪となる。焼けた鉄の道を舗装し、モニカは素足で歩くことを命じているかのようだった。


 格之進は脂汗を流し、怒りに満ちた瞳で顔を上げた。涼しい顔でこれを受け流すモニカは、顎をかすかに上向けて、早く語れと冷ややかに見下しているかのようだった。


「……追い出したことだけでなく。須川の家の内における順三への扱いが、問題だったと仰るおつもりでしょうか」


「ご自身のなかでお答えが出たようですね」


「この答えをお求めだったと考えたのみです。私は日ノ本の法と廃刀令の在り方に従い、その男を能力相応に遇したまでですが……わかりました、殿下がお望みであればその男にも補償を渡すといたしましょう」


「それだけでは到底足りえません」


 断じて、モニカは身を乗り出す。


「彼の前で手をつき、謝罪していただけますか? 日々虐げ、彼を否定してきたことを」


「……なんだと」


「ですから、謝罪をいただきたいと申し上げているのです。我が婿、順三様に対して」


 当然と言いたげに、わずかの迷いもなく突きつける。


 だが格之進は、ここまで追い込まれていようともさすがに、こればかりは許容しかねるようだった。


 怒りに震え、首を短く横に振る。


「それは…………いかな殿下のお頼みとはいえ、如何様にも望みを叶えると申したとはいえ、承服しかねます」


「できないと仰るのですか? 妾の命を救い助けてくださった彼は、妾にとってこの上なき恩人です。その彼を尊重して差し上げることは、かなわないと?」


「なりませんな……そればかりは」


 須川の家の名にかけて、と。直接口には出さなかったが、格之進がそう考えていることは手に取るようにわかった。


 この部屋で見てからずっと、小さく感じていた彼の気迫が普段のそれに戻っている。


 家名を背負う者として順三を認めるわけにはいかないと、全身で示していた。


 これを見て取り、モニカはため息をつく。


「……承知いたしました。そうまでかたくなであるのなら」


 こちらも直接に口には出さない。


 けれど、交渉は決裂したと、暗に示していた。


 謝罪がないのなら手打ちにはしない、敵対をつづけるとの態度だ。


 これを目にして、格之進は立ち上がる。もうここに用はないということだ。


 憎悪に燃える瞳が、モニカを必ずや自分の下に組み伏せてみせると、そう告げていた。


 口調を常の尊大なそれに戻し、彼は吐き捨てる。


「……下手に出ていればつけあがりおって。私の表の稼業を封じた程度でいい気になるなよ、異人風情が」


「ずいぶんな物言いをなさいますね」


「いかに貴様が表の政治での闘争に長じていようと、私には裏の闘法・・・・もある。努々お忘れめさるな」


 すっ、と。


 帯に手挟んでいたワンドの柄に触れながら、格之進は言った。


 この時代において武の象徴である杖に触れるとは、その行使を意味する。


 順三はざわりと、総毛だった。


「……まさか、自分の手の者をモニカ殿に差し向けるつもりですか?」


「そうは言わん。たまたま、不幸な事故・・・・・が起きるだけだ。その事故の時、貴様たちは走馬灯のなかでこの場の己の行いを悔やめ」


 せせら笑い、格之進は部屋を出ようときびすを返す。


 間違いない。


 父は、暗殺者を差し向けるつもりだ。


 いかに裏工作や献金に手を染めようと、士道に反した生き方をしていようと。


 直接に他者の命を害するようなことだけは、しないと思っていたのに。


 どくりと、自分の心の臓が拍動するのを感じる。


「父上」


 呼びかけて順三も立ち上がる。


 うっとうしそうに、格之進は振り返った。


「勘当された身で、私を父などと──」


「俺も呼びたくはありません。あなたのような男を、父などと」


 格之進の言葉を遮るようにそう言いつつ、すでに順三は間合いを超えている。


 五歩の距離を一瞬で詰め、諸手で中段に構えたステッキの先端を格之進の喉元へ突きつけ真っ向から見据える。


 この移動の速度に、格之進は目を見開いていた。


 次いで、憎々しげに順三をにらみ返す。


「……順三、貴様」


「けれど誰かが、当主であるあなたの悪行をいさめなくてはならない。あなたがモニカ殿を害するというのなら、俺はあなたを止めねばならない」


「私に刃向かうつもりか?」


「はい」


 凄む父へそう断じて、順三は。


 生まれてはじめて、須川格之進という男に逆らった。


「これが俺の『須川』としての最後の務めで、モニカ殿の婿としての最初の務めだ」

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