第8話 護衛の寝床
モニカの顔付きを見る限り、どうやら今後格之進や須川家が手出しをしてくることはなさそうだった。
ひとつ、安心した順三。
だからこそ、モニカの前で一礼すると、彼女にあらためて告げる。
「格之進があのようなことを言って脅しをかけ、申し訳ありません。もはや身内とも思いたくありませんが、かつては縁のあった者として謝罪します」
顔をうつむかせたままでひざまずき、腰のステッキに手を当てつつ彼女に宣誓する。
「そして、これからも守らせてください。俺は、俺を認めてくれたあなたに、磨いてきた剣で以て報いたいと思っています」
どうか、と願えば。
モニカはわずかな間を置いて、ふっと前に踏み出してきた。
衣擦れの音がして、彼女もどこからか
その中ほどを、順三の左肩に載せた。
──魔法は杖先からしか出ない。杖の中ほどを身に載せて無防備な間合いの内に招くのは、魔法士にとっては特別な意味を持つ。
「頼りに、しております。順三様」
一言ではあったが、肩の杖の重みがぐっと増すような言葉だった。
契約魔法により自身で戦うことかなわず、また護衛も全滅させられている彼女。
本国との事情により暗殺者すら向けられており、身を守る術を欲している彼女。
そんな彼女に、杖の間合いに招かれて頼りにされた。これに応えなければ順三は自身を男だとは言えなくなるだろう。
「はい」
うつむき彼女の足元を見つめたまま、順三は返した。
それからややあって、モニカが杖を引いたのを感じてから向き直り立ち上がる。
「では、夜も更けてきましたので。お預かりした部屋に俺は戻りますね」
「そろそろお夕食の時間ですので、のちほど共に食堂へ参りましょう。その際は妾が案内いたします」
「助かります。では、そのときはよろしくお願いします」
「はい。任されまして」
モニカの返事をもらった順三はまた軽く会釈すると歩き出す。廊下に雪駄のサスリサスリという足音を響かせながら、先の広い部屋のことを考えた。
そう、あてがわれた部屋は広い。これまで、順三に須川の家で与えられていた私的な空間に比べると何倍、どころか十数倍かもしれない。
けれど、この同じ屋根の下にはモニカが住んでいる。
そう思うだけで、自分と年齢の近い女人と接した経験が皆無の順三は胸に圧迫感があるような心持ちになり、あんなに広い部屋だというのに逃げ場がないような、不思議な感覚に陥るのだ。
(嫌というわけではないんだけど)
ただ緊張はする。護衛として、なにかあったときに駆け付けなくてはならないという使命感のせいだけではなく、女人がいるという事実への耐性の無さで。
そう思いながら自分の部屋につき、大きな扉をぎいと開ける。
ベッドに腰かけてステッキを置く。
あーと伸びをしてベッドに倒れ込む。さすがに、先ほどまでは気を張っていたが格之進との戦いで疲れた。これくらいは許してほしい。
そう思いながらごろりと横を向く。
ふぁーと小さく伸びをするモニカがベッドに腰かけていた。
「……っ⁈ モニカ殿!?」
ばっと飛び上がる。
モニカは順三を見て、ああと思い出した風に。
楚々とした様子ではあるが視線は少し伏せて隠しており、口許を手で隠した格好で言う。
「順三様。ベッドですが、眠る場所は半々にお分けするとの取り決めでよろしいでしょうか」
「……半々!?」
「左様です。こちらのベッドで、半々にと」
目を伏せ口許を隠し表情を読まれないようにしているが、けれど長く伸びる笹穂耳が赤くなっている。
モニカは恥じらいながら、これを述べている様子だった。
「……何故⁈!?」
「なぜと仰られましても……須川様はああして抑えが効きましたが、今後もまだ妾の寝込みを襲う輩を送り込まれる可能性は否定できません」
「は、はぁ」
「であれば、順三様に妾をお守りいただけるよう、常にお傍に居ていただきたいと考えるのはおかしなことでしょうか?」
最後の声音には、わずかばかり怯えが宿っていた。
言われて、あらためて部屋を見渡す。
てっきり、来客用だから広いのだと思っていたが……よくよく見れば入口の外套掛けにはモニカのものだろう女性向けのマントが掛かっていたり、執務机には外務省との打ち合わせらしき書類が載っていたり、生活の気配が認められた。
ここは、モニカの部屋だったのだ。
「それは、まあ、守るために同室は、道理かもしれませんが……」
「ではお願いいたします」
「いやでも。俺も男なんです。いくらなんでも婚姻前の女性と寝所を共にするわけには……ああでも俺と婚姻をしているのか……じゃなくて。あくまで、護衛なんですから。ど、
「とは仰いますが、妾としても順三様にはお願いさせていただいている身です。床に眠ってくださいなどとはとても申し上げることかないません」
「大丈夫です。
「……ますますベッドで寝ていただきたくなりました」
「なぜ……!?」
「睡眠の質を高めていただくのも必要かと考えたためです。しっかりと休まる方が、順三様もお仕事に励むことができましょう?」
ここは恥じらいよりも、順三への心配が勝った様子の顔で。ぐっと身を乗り出してくる。
いやまあ。
たしかにベッドの、寝心地はよかった。先ほどの一瞬転がっただけでもわかる。ふかふかとしていて綿雲に包まれているような心地だった。
だが実際的に、そのふかふかさが問題なのも──事実なのだ。
「モニカ殿。ベッドはたしかに素晴らしかったです。もてなしの心、深くありがたく受け取らせていただきます」
「でしたら」
「ですがあまりに柔すぎます。いざという時に跳ね起きて闘争に向かうには、手足が沈み込んでしまう」
「……ふむ?」
「その点床ならしっかりと硬いので、すぐさま手足を打ち付けて立ち向かえます。実用、実戦的な面として、はい。やはり床が良いと俺は思うんです」
あれやこれやと理由をつけた。
いや、実際に半分くらいは事実なのだが。もう半分は、こうも可憐なモニカが隣に居ては気が休まらないどころか、変な気を起こさない自信がなかったためだ。
あらためて見ても──金糸の髪とつややかな肌。煌めく青の瞳と均整の取れた肢体。着用する碧の小紋も多少着崩れているとはいえ彼女に似合っており、やはり今日再会してすぐに抱いた『花の精』との印象は抜けきらない。これまでの生涯で見たなかで、もっとも美しい女人だと断言できる。
(そんな人と同じ屋根の下どころか、同じ部屋に暮らすだなんて。これ以上近くに居てもらっては、困る)
どうか引き下がっておくれと冷や汗を流しながら順三は願った。
すると願いが通じたか、モニカはひとつうなずいて「仕方がありませんね……」としぶしぶな顔で乗り出していた身を戻す。ほっと、順三は息をついた。
同時にちょっと、がっかりもした。矛盾しているが、どうしても彼も男だった。
そしてモニカは、床寝についてひとつだけ条件を出す。
「では、ベッドの代わりというわけではありませんが、せめて。床ではなく畳にて、ご就寝くださいませんか? 直に床というのは、この屋敷も土足ということがありますので御召し物を汚してしまうと考えられますし。どうしても、しのびないのです」
「畳は……もらえるのなら、ありがたいですが。こちらのような異世界風の屋敷にあるんですか? 畳」
「離れは趣味の間として、妾の着物や日ノ本の暮らしの品を納めております。茶の湯を学ぶためこしらえた茶室がありますので、そこからのちほど運ばせて参ります」
「趣味の間」
「あっ……え、ええ。……じつは趣味なのです。こちらの國の物品を、蒐集することが……」
ほんのりと頬を赤らめ恥ずかしそうに彼女は言った。
最初に迎賓館で見たときも本日も、シャツやジャケツ、ドレスではなく和装を旨としているので「こちらの風土に合わせてくれているのかな」と思っていたが、どうやら単に趣味だったらしい。
「なんだか急に、モニカ殿が近しく感じられますね……」
「お恥ずかしい……ところで、順三様。その呼び方は、よろしければ変えていただけませんか?」
「え。『モニカ殿』、ではいけませんか」
「いけないと申し上げるつもりはないのですが……『殿』との呼び方は敬称だとうかがっております。婿としてお越しくださったのですから、もう少しくだけていただいても」
「そう、ですかね」
「齢も妾の方が下なのですし」
「そう、なのですか……え? 齢が下?」
「今年で十四です。順三様は、元服なさっているのでしたよね?」
まじまじと見つめられる。
順三も見つめ返してしまう。
このいかにも心身ともに成熟した、あの格之進をさえ言葉と策略で翻弄せしめた彼女が。
実際には大人びて見えるだけで、自分より年下の少女?
「…………もしや、年下の妻では不服でしたか」
硬直していたのを別の意図に取られたのか、不安そうにモニカは眉を八の字にしていた。
「いや、いやいや。固まってたのはべつにそういうわけでは」
「しかし、日ノ本ではたしか『年上の女房は金の草鞋を履いてでも探せ』と」
「古い言葉知ってますね……ちがいますよ、不服とかじゃなく少し驚いただけです。そも、
「そうなのですか……不勉強でした。申し訳ありません、順三様を驚かせてしまい」
「いやいや。それで、
「決まっておりません」
「え」
この國も武将たちによる群雄割拠の頃は十を満たすかという齢で嫁いだ話などいくらでもあるが、そういうことだろうか……と想像めぐらす順三の前で、彼女は予想を超えたことを口にした。
「生まれたときに、生涯の婚姻相手は王族が定めるのです」
「……そんなことが、あるんですか」
「申し上げた通り、
「では、俺を婿にするというのは……?」
「婚姻相手は『王族が』定めます。つまり妾が妾に、自身で定めたということになりますね。とはいえ、本来であれば許されるはずもなき抜け穴の中の抜け穴です。次はないでしょうね……ただ、ここを乗り越えられねば元より、明日もないのですから」
悲し気につぶやくモニカは、けれど次の瞬間に、瞳に火を灯す。
夜闇を照らす、篝火のような目だった。
「だからこそ、そのような國を変えたいのです。二年にわたって渡航と交渉、日ノ本の制度について学ぶことを繰り返してきた結果、妾はあと少しで故郷の制度改革に着手できるところまで参りました」
「生まれですべてが決まる社会……を、変えられるってことですか?」
「ええ。しかし、既存の制度にあぐらをかいた数多の貴族や親戚筋から、これを押しとどめようとの動きが多数出ております。ですが表向きには、やはり、妾は姫という立場もあり彼らは手出しすることまかりませんので……」
「だから、暗殺」
「……お察しの通りです」
目を伏せる彼女は、しんどそうに見えた。周りを信頼できず、あまつさえ暗殺の手の者を差し向けられている。それは途方もない苦痛だろう。
同時にもうひとつ、順三は察する。
彼女の立場に対して直接の手出しができない者ども。その、モニカに反発する貴族や親戚筋というのは、おそらくだが表面的には敬意を持ったふりをしているのではないだろうか。
だから彼女を『モニカ殿』と近い意味合いの、形ばかりの敬称で呼んでいるのではないだろうか。ゆえに、堅苦しい敬称で呼ばれたくないのではなかろうか。
「……わかりました」
順三は言って、顔を上げる。
「そうした方々からも、俺が、
呼び方を変えた。
これに気づいたモニカも顔を上げ、あっけに取られた顔を見せた後で微笑んだ。
おそらく、順三の読みは間違っていなかったのだろう。彼女は、あまり味方を持つことさえなくここまで政治に動いてきたようだ。
ならば今後は自分が守ろう。
認めてくれた彼女に、尽くしてみせる。
それがいまの順三にとって、もっともこうあるべきと感じる、おのれの道だった。
「それでは……お守りするためにも、やっぱり寝る場所は畳をもらってくるのが良さそうですね。そうだ、食堂の案内ついでに見せてもらえませんか? 趣味の部屋の場所」
「ええ。もちろん。喜んで」
照れくさくなってごまかすように言った順三に、モニカはそう返してくれた。
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