13 《流星》


 そして、その日はやってきた。


 決闘裁判、当日。

 戦いの舞台は、ウィスプ捕獲の実習の際にも使われていた森林エリアだ。

 

 木々が深まる箇所の開けた場所には、観戦の生徒達が集まっている。


 放たれているウィスプ達には、ヴィングトール家が開発した魔道具とリンクした術式が施されており、ウィスプ達を通して、観客席に戦いの様子を中継できるようにしてある。

 広大な森林エリア全てが、戦いのステージというわけだ。



 片や、現在の人類で最強の使い手。七家序列1位であるルミリフィア・アウルゲルミル。


 片や、元序列1位であるファシルリルが擁立した謎の転校生、ナギサ・ハバキリ。


 

 格付けとしては、あまりにも明確に、ナギサが格下。

 観衆達も、これは『戦い』ではなく、『裁き』であると認識している。

 神噐使いでもなければ、ルミリフィアと対等な戦いのできるものなど存在しないと、誰もがそう思っている。


『バカだよなあ……、ルミリフィア様に逆らうなんて』

『まあ結局パフォーマンスだろ? メルンとかいうやつの時と同じで、ルミリフィア様にだって都合がいいんじゃね?』 


 この戦いそのものが、ルミリフィアにとっては、ただのショーであると、そう思っている生徒も大勢いる。

 



 神噐統一。

 今でこそ、目立った反逆者であるファシルに注目が集まっているが、大衆よりも高い視点を持つ者達は、残りの五つの家の動向を気にしている。



 

 ルミリフィアにつくのが賢いのか?


 どの程度、従順に従っておくのが得なのか?



 正面から逆らうのが愚かなことは、自明でありつつも、『次の時代』での立場をよくするのなら、ただルミリフィアに従うのもまた、愚かだろう。

 

 魔王が討たれるように、いつかルミリフィアも誰かに討たれる。


 より、狡猾に。

 本能のままに食らう魔物にはできない、人間の争いの時代が来る。


 様々な思惑が交錯する中で、次の時代の幕開けを告げる一戦が始まろうとしていた。



「……先日は失礼しました。今日は、あの時とは違うところをお見せします」


 腰に差した新たな刀の柄に触れつつ、ナギサは言った。


「以前の通りだ。本当の敗北を刻みつけ……二度と馬鹿な叛意を持てなくしてやろう」

 

 ルミリフィアの眼光がナギサを射抜く。

 そして、視線が移された先には、


「……久しぶりだね。ルミリフィア」


 実に、一年ぶりにファシルは、ルミリフィアと言葉を、視線を、交えることになった。

 逃げ続けるのは、もうやめた。


「お前にしてはつまらないセリフを吐くんだな、ファシルリル。……変わらない、いや……落ちぶれたか」


「そっちは偉そうになったね。みんなに女神と崇められるのは気分がいいかな?」





「……。ファシルリル。お前は、自分が支配できる程度の弱い女がそばにいないと不安になるのか?」



「……ッ……、」



 冷たい声が、ファシルの胸を締め付ける。





「過去の私そっくりの、弱く愚かで、お前を盲進できる程度の女を引き連れて……惨めだな、ファシルリル」


「……一つ、訂正だ」


「言ってみろ」


「……ナギサは、弱くない」


「それも確かめてやる……、では始めようか。お前達の罪を裁いてやる」


 睨み合うファシルとルミリフィア。

 ファシルは踵を返すと、ナギサの耳元へ顔を寄せて、


「……それじゃ、手筈通りに」

「はい。お願いします」


「…………」


 二人が言葉を交わすのを、じっと見つめるルミリフィア。


 静寂。

 ……やがて。


「では、始めようか」


「その前に、一つ」


 ナギサは、髪を後ろでくくりながら、言う。

 左目を隠してた髪もまとめて、赤い瞳を露出させ、まっすぐとルミリフィアを睨みながら、はっきりと。


「……ファシルさんは、自分のために、あなたを利用したりしませんよ」




「…………お前が、わかったような口を利くな」




 ガシャンッッ!! とそれ以上の言葉を遮るように、棺が開いて六本の剣が飛翔する。

 

「――――《幽冥の傀儡ナグルファル・ドラウプニル》」


 それだけでは、終わらない。





「《――――縛鎖の銀星グレイプニル・イルミール》」


 女神の名を持つ、その剣を。

 七つの頂点、その中でもこの時代における最強を、引き抜いた。





 六本の剣と、神噐の同時使用。

 メルサとの戦いでは見せなかった、ルミリフィアの今の本気だ。


「ファシルさんのくれた、私達の全力……《フツシミタマ・星凪》にて、参ります!」


 ナギサの新しい刀。

 形状そのものは以前と同じだが、刀身が青く染まっている。

 その色は、ファシルの魔力の色によく似ていた。



「《フェルゼン・ゲフェングニス》」


 ルミリフィアの初手。

 周囲一帯の大地をひっくり返すような勢いで、大地がめくれ上がって、土の塔が伸びていく。

 大地がめくれて出来た壁は、ナギサとルミリフィアをまとめて捕らえていた。

 

 氷の神噐使いであるファシルのことを考えれば、当然とも言えるスケールの技。

  

 岩石による牢獄は、ルミリフィアの手のひらの上のようなものだ。

 四方八方から岩石のトゲが驟雨の如く注がれる。

 さらに、足場が常に変動し続ける。


 その上で、さらに六本の剣とルミリフィア本人までが襲いかかる。


 まるで瓶詰めにされ、揺さぶられるような、次元の違う攻撃。

 大抵の相手は、これだけですりつぶされるだろう。



 しかしここで、学園の生徒達は、思い知ることになる。


 属性を、女神の加護を、持っていない。

 魔族まがいの、落ちこぼれだと、そう思っていた。


 ナギサ・ハバキリに、常識など通用しないということ、思い知る。


 飛来する岩石。当たらない。

 全て、対応可能。

 避ける、蹴り砕く、殴り砕く、斬る、受け流して別の岩石にぶつける。

 

 変動する足場。なんの問題もない。

 ナギサは、ウィスプ捕獲の実習の際も、入り組んだ森を疾走していた。

 

 どんな足場だろうと崩れることのないボディコントロール、一瞬で切り替わっていく足場だろうと、鋭利な岩棘ですら、ナギサにとっては、『安全地帯』だ。


 ナギサは岩棘の先端を握りつぶし、そこに右手をついて、片手で逆立ち。

 天地を逆転させた体勢のまま、右手に魔力を集約させ、炸裂させる。

 引き絞られた弓から放たれる矢の如く、ナギサの体が岩石弾の雨を突き抜けていく。


 魔力を出力時間を極限まで絞り、瞬間出力を最大限に引き出す魔力操作法。

 それによる移動法の名は、ノインディクサでは《ステラ・ルクス》と呼ぶが、そもそもその魔力操作法自体についている名前がある。




 それを、マガハラでは、《流星》と呼ぶ。




 なぜか?



 それは、その魔力操作を成功率が、星が流れる可能性のように極小であるからだ。


 人が生涯をかけて一度実現させられるかどうかという、秘奥の絶技。




 それを、ナギサは、呼吸のように、当たり前に行う。。 

 


 ナギサの体が、一直線に、ルミリフィアのもとへ。


 六本の死霊による自動操作の剣、その全てを置き去りにしても。

 ルミリフィアは、ナギサを見据えて、剣を振り抜いていた。




 しかし。


 ナギサの体が、突然なにもないはずの虚空を蹴り、方向転換。


 ルミリフィアの一閃を、かわした。


 


 眉をひそめるルミリフィア。


(魔力で足場を作った? いいや……、ナギサ・ハバキリは、魔装具などの補助があっても、自身の体から切り離した位置に魔力を干渉させることそのものができなかったはず……)


 ナギサの抱える欠落。

 それは、《ブランク》であることだけではない。

 

 属性がないだけでなく、『魔力を切り離せない』のだ。

 

 誰もが当たり前にできる、外界への魔力干渉ができない。

 それだけで使える技術の選択肢が大幅に減る。


 ギルナとの戦いでもまったく見せていない、詳細不明の技。


 だが。



(その動きも計算に入れて、斬ればだけのいいこと)



 キィン…………と、刃を重ねる音が空高く鳴り響く。


 観衆は、どよめいた。



『ルミリフィア様がここまで本気なの、初めてじゃない……!?』

『なにが起きた!? あのブランクはどうしてやられてない!? どうして無傷で、ルミリフィア様と切り結んでるんだ!!!?』



 どれだけ差別と無知でナギサを包もうとも、もはや目をそらせない現実があった。 


 ナギサの強さは、別格だ。


 ヴィングトール家の序列2位であるメルサ。

 アウルゲルミル家の序列2位であるギルナ。


 彼女たちにすら届かずに涙を飲んだ生徒達は、大勢いる。

 自身が積み上げた努力の結果で負けた相手の、その遙か上の存在。


 ナギサ・ハバキリが、そういう場所に立っていることを、認めないわけにはいかない。


 なぜならそれを認めないとしたら、ギルナやメルサに勝てなかった自分の価値すら、見えなくなってしまうのだから。

 大半の生徒達は、Aランクにすら届かずに生涯を終える。


 死ぬまで仰ぎ見る強者の山嶺、そこに今、彼女はいる。

 いつもおどおどとしていて、ギルナにこき使われているようにしか見えない、

 魔術を使えない、

 実習で単位を取ることにも苦労する《ブランク》が。


 あれよりはマシだ、と自尊心を保つために見下すことに利用されていた少女が。




「…………見えねえもんだ。人の一面だけ見たって、そいつのすごさなんて」


 観客席のギルナが、自身の頬を撫でながら、呟いた。

 


 ナギサにブン殴られた鮮烈な痛みは、今でもよく覚えている。




 自分には、どうにもならなかった。

 

 人間は、他人を、決めつける。

 

 この途轍もなく当たり前の事実は、どこまでも、人を苦しめる。

 

 世界というシステムにからめ取られた個人に、できることなどない。


 それが、ファシルリルと、ルミリフィアだ。


 世界という装置から与えられた『役』のようなものから、逃れることなんてできないのだ。


 それでも。

 この世界の仕組みに、あらがえるとすれば。



(…………頼むよ、ナギサ……)



 自分にはできなかった。


 自分がしたかった。




 本当に、一番大切な願いを、ギルナはナギサに託した。





 □




 ナギサが接近しても、それでナギサの有利には持ち込めなかった。


 ルミリフィアは剣技も卓越している上に、さらに六本の剣を、死霊によるオート操作と、自身によるマニュアル操作で細かく切り替えるという戦術を取ってきた。

 死霊の操作よりも、ルミリフィアの操作の方が、動きのキレが段違いだ。  


 一瞬の交錯で、七本の剣が同時の襲いかかる。


 竜が爪を振るったかのように、木々が刹那に伐採されていく。


 だが。





 一閃。

 それだけで。



 六本の剣、すべてが、粉々に砕け散った。





 そもそもの話、だ。


 ナギサは、未完成の刀で、神噐を使ったファシルを倒している。

 これは、どういうことか?


 ナギサは、その左目で魔力の流れを捉えることができる。

 だから、未完成の術式によって、魔力が乱れる箇所を見抜いて、そこを避けるように使っていた。


 さらに、これはルミリフィアが操る剣も同様で、剣を覆う魔力には、必ず魔力を操作する過程で、脆くなる点が生じる。


 これは指先ほどの極小の点であることもあるが、ナギサにはそれで十分。





 ナギサは、六本それぞれの剣の極小の弱点を、一筆になぞって、すべて砕いた。




 当然、同時に、《流星》の魔力操作を完璧に実現した状態で、だ。


 ギルナ相手に見せた、二点同時などとは比べものにならない絶技に絶技を重ねた、異形の技。

 



「……なるほど。これではファシルリルでは相手にならないな」


「いえ……! ファシルさんは強いです!」



 極限の集中力を永遠に要求される綱渡りのような、拷問。

 そういう状態にあるはずのナギサは、しかしファシルへの侮りを聞き逃さない。 

 

「…………。もう茶番はいい」


 ルミリフィアは、神噐を振り、周囲のウィスプを消し飛ばした。


「中継が途切れた。出てこい」




「……さすがに鋭いな」


 ナギサの横には、霊体となったファシルが。



「……え、出てきちゃって大丈夫ですか!?」

「平気さ。中継を切ったのも本当だよ」


 これもまた、《フツシミタマ・星凪》に宿した機能だ。


 刀とナギサのリンクをさせる術式の完成。

 そこへさらなる追加機能。

 

 刀の中に、霊体にしたファシルを宿らせる。


「……空中で軌道を変えたのは、ファシルリルが出した氷を足場にしたのだろう?」

「正解だ。卑怯とは言わないだろう? それだけ死霊を使っておいて。七対二だったってわけだよ」


「しかしそれが、勝ち誇れるような技でもないことは、理解しているのだろう?」


 ルミリフィアの指摘の通りだった。


 ルミリフィアの神器グレイプニルは、『銀』であり、それは吸血鬼に対し強い特効性能を持つ。


 ルミリフィアは、ファシルに対して絶対的に相性有利なのだ。


 だが、これでいい。

 ファシルはナギサを信頼している。

 戦闘において、ファシルの出る幕はない。


 では、ファシルがわざわざ戦場に出てきた理由はなにか。






「…………ルミリフィア……。キミはどうして、私が吸血鬼であることを、隠し通している?」





 ファシルの問い。





 これはファシル自身もおかしいと思いつつ、それを何か好意的に解釈するつもりはなかった。


 だが、ギルナがナギサに話した、ルミリフィアのおかしな点と合わせると、疑問が浮かび上がる。


 当初、ファシルの予想はこうだ。

 『ファシルを手駒にした上で、神噐を利用させることを目的としているから、吸血鬼であることを公表していない』。


 公表すれば、ファシルをアウルゲルミル寮に引き入れることそのものに反対意見がでる。

 だから、都合よく利用するためだと。


 だが、それならまず、『ファシルを利用する』という根本からおかしいのだ。


 『ファシルの実力をそのまま使う』というのは理解できるが、裏切りのリスクを抱えるほどのメリットには思えない。

 

 ルミリフィアの合理性に欠ける選択。

 

 ここに、彼女の本音を引き出す鍵があると、ファシルは予想した。



 けれど、



「…………つくづくおめでたい頭をしているな。まさか、私が今さら少しでもお前に情を残していると思ったか?」


 冷たい声で、冷めた瞳で、呆れたように言うルミリフィア。




 そこへナギサは、


「……でもっ、ルミリフィアさん、わたしには優しくしてくれたじゃないですか!」


 書店で出会った時のルミリフィアは、今とは別人のように振る舞っていた。




「…………ああ、もう、調子狂うなぁ……。……うん、そうだね。あの時、ナギサさんに出会っちゃったのは、失敗だったかもね……」

 

 ルミリフィアの声音と口調が、がらりと変わる。

 張り詰めたような響きは消えたが、それでも苛立ちが滲んでいた。




「……私は別に、すべてが憎いわけじゃないよ。嫌いなのは、うそつきの、裏切り者の、ファシルリルだけ。だから、ナギサさんにはアウルゲルミル寮に来て欲しいのは、本当なの。……ナギサさん、その女だけはやめたほうがいい」


 ルミリフィアの口調は、書店で出会った時の穏やかなものに近付いているのに、ファシルへの憎しみだけが、強く現れている。


「…………いやです!! ルミリフィアさん、ちゃんとファシルさんと、お話しましょう! きっと……なにか、誤解が……!」



「ないよ。……いや、誤解してるのはそっちかな。魔族ともわかりあえる、なんて……くだらない、絵本の中にしかないようなこと、本気で信じてるんでしょ? だったら教えてあげるよ。絵本しか信じられないバカな子供にもわかる、この世界の現実と真実を」


「……はいっ! 聞かせてくださいっ。しましょう、お話っ!」





「……なら、聞いてよ。そこの裏切り者が、どれだけ愚かなのかっていう、当たり前の事実を」


 そうして、ルミリフィアは語り始める。


 ファシルが理解していないという、現実と、真実を。





 





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