5 作刀
――最初は、鍛冶師なんてただの『雑用』だと思っていた。
偉いのは、剣を振るう人間。
戦場で傷つき、その手で敵を斬る《勇者》こそが素晴らしい。
現代の鍛冶師は、《神器》に匹敵する武器を創り出すことができない。
つまり、全てが無駄なのだ。
神器以外の武器が、世界を変えることはない。
神器の存在する戦場では、神器が全てだ。
幼い頃の私は――ファシルリル・ヴァナルガンドは、そういう傲慢さを抱えていた。
剣の天才、などと持て囃され、幼くして継承権の争いもなく、次代の《神器》を使う《勇者》となることが決まっていたのも、私を増長させた。
でも――。
「なら、私は剣なしで、『鍛冶師』の技だけで、ファシルを倒してみせようか?」
母は、傲慢な私の思い上がりを正そうと勝負を持ちかけて。
そして――。
「…………うそだ。母さん、何かズルしてるでしょ? 神器隠し持ってる?」
私は、完膚なきまでに、母に負けた。
「あははっ、そんなわけあるか! 次は全裸でやる?」
「脱ぐなバカっ」
私は剣も魔術も全部使っても、母が魔術のみでの力に、まるで及ばない。
私の周囲には、大量の『氷の剣』が突き立っている。
氷の造形――その精度やスピードを高めるためには、『武器に対すがる理解』が必要になる。
武器を想いながら、槌を振るい、祈るように鉄を打つ。
そんなことを繰り返している、鍛冶師である母に、私が敵うわけがなかった。
私の母――ウルズヴィア・ヴァナルガンド。
先代の神器継承者にして、鍛冶師。
神器を創った《神代鍛冶師》に最も近づいたと言われる、私の憧れだ。
□
「…………過去の夢、ばっかりだな……」
朝起きると、涙が滲んでいることが増えた。
本当は、楽しい未来の夢が見たい。
ナギサと、どこかに出かけるとか……、そういうのだ。
母と、過去、昔の仲間と、……、あいつの夢ばかりだ。
――「……うそつき」
「……うるさいよ、わからずや」
何度も何度も、彼女の声が、頭に響く。同じことばかり、思い出す。
そんなことを思いながら、ベッドから体を起こして、洗面台の前まで来ていた。
こびりついた思考を洗い流すように、冷たい水を顔にかぶる。
□
ナギサが寮に来てからというもの、朝食はみんなでということになった。
ファシルはナギサに、『……え!? ファシル先輩、朝ごはん食べないんですか? 朝は……フルーツだけ!? し、死にますよ!』と言われてしまう。
死にはしないのだが、メイドのレミアも、ファシルも、生活習慣を合わせる気がないので、ナギサがひとりぼっちになってしまう。それは避けたかった。
そんなわけで、朝から山盛りのウィンナーとベーコン、目玉焼きをたいらげるナギサを、ファシルは楽しそうに眺めている。
本当は『ごはん』『納豆』『焼き魚』とやらが良いそうだが、マガハラの食事の安定供給にはもう少し時間がかかりそうだ。
こうして少しずつ、ナギサのために何かを積み上げるというのが、心地よかった。
他人のために、自分の何かを変えることなんて、大嫌いだったはずなのに。
「……?? 先輩? わたしの顔が……、何か……不快でしたか……!?」
「突然ネガティブすぎる」
『わたしの顔に何かついてますか?』くらいの調子でその3ランクは下方の自己評価だ。
「……先輩は……、なにか、つらそうじゃないですか? やっぱり、ミーちゃんの呪いが……」
「……。……そうだね……、これは隠しても仕方がない。『呪い』の解析は、少し手間取っているよ」
「やっぱり……、ご、ごめんなさい……」
「いいや。謝るのは私の方だ。私は《鍛冶師》。剣士に刀を渡すのが、私の役目だよ」
ナギサが謝ることなど、どこにもない。
ナギサの表情を無駄に曇らせることが、不甲斐ない。
「でも……、大丈夫。もう少しで、どうにかなりそうなところさ」
――大丈夫。
大丈夫な、はずだ。
自身でも、区別はついていない。
強がり、だろうか?
――――嘘、だろうか?
□
《ミタマ》の呪いは、思っていたよりもずっと厄介だった。
《魔装具》には、《魔紋(クレスト)》というものが刻まれている。
《魔紋(クレスト)》は、魔術をどんな形で実行するのか、という命令のようなものだ。
これは人体にも刻まれており、《魔力神経》や、《加護》とも近い。
厳密な言葉の定義は様々ではあるが、シンプルな例をあげよう。
ファシルの人体に刻まれてる《氷》は、《魔紋(クレスト)》であり、《加護》だ。
ファシル個人としては、《加護》という言い回しは好まない。
それはつまり、《教団》が崇める『神』が、人に力を与えているという解釈だ。
実際のところはさておき、その解釈では、ナギサがあまりにも救われない。
《クレスト》の有無などで、人の価値は決まらないと、そう信じたい。
次に、神器にも《クレスト》が刻まれている。
人体と神器では、その形が異なるため、《クレスト》も異なるが、どちらも『魔術』に形を与えるためのもの、という点では同じだ。
マガハラでは呼び方は異なるのだろうが、《ミタマ》に刻まれる呪いも、原理は同じ。
その、『呪い』を動作させている《クレスト》。
まずは、これを読み取らないといけない。
(……厄介だが、この『呪い』は、読み取ろうとした対象の精神状態を汚染する)
細かい発動条件を調べるのも追々ではあるが、ナギサもこの『汚染』は経験しているはずだ。
(…………私は……、こういう『汚染』に慣れている。でも、ナギサは……)
まだ、彼女のことを知らない。
けれど……、彼女はどんな気持ちで、いつも笑ってるのだろう。
学校が、楽しいと。
誰かと、繋がりたいと。
この『呪い』に晒されながら……、こんなものがなければ、自分の大好きな剣を振るえない境遇で、どうして笑えていたのだろう。
(……嘆くのは、あとだ。今は少しでも早く、彼女を『呪い』から解放する……)
《ミタマ》を、鞘から引き抜く。
妖しく、美しい、刀身の輝き。
彼女を苦しめ、しかし彼女と共に戦い、彼女を救ってきた刀。
その『刃紋』に触れ、『魔紋』を読み取り、同時に『呪い』を読み取っていく。
『汚染』の発動。
イメージが、流れ込んでくる。
血、 感触……、 赤。 人を斬る、ぬるりとした、 ぶよぶよとした、 肉の、
どう刃が入るか。
骨に当たるか。筋肉のすじに、どうはいるのか。
殺人の、命の、感触は、千差万別。
一つ一つの死に、 豊かな個性がある。
どう、殺すか。
どんな、 悲鳴か……。
痛い、 いたい、 やめて、 こわい 殺さないで、
お母さん どうして、 ひどい
ゆるさない 呪ってやる 人殺し 、
――――この刀は、恐ろしい程に膨大な血を吸っている。
「…………はぁ、……はぁ……っ……こんな、ものを……」
(――この程度、あの時に比べれば……)
『殺人の感触』を追体験させるという、『汚染』。
ナギサも、これを知っているのだろうか。
いいや、『魔紋』を読み取ったわけではないから、同じ『汚染』ではないかもしれない。
そう、あって欲しい。
ナギサは、こんなこと一生知って欲しくない。
(苦しむのも、手を汚すのも、私だけのものだ)
《クレスト》を読み取ることはできた。
あとは、その《クレスト》を書き換える。
現在の、『相手を斬り、その魔力を奪う』という制限を改変すればいい。
(……この刀そのものの《クレスト》は変えられなくとも、新しい刀に、改変した《クレスト》を書き込めばいい)
ここからが、《鍛冶師》の本領。
《クレスト》を読み取るだけなら、魔術師にもできる。
だが、刀を打つのはそうはいかない。
□
――炉には、真紅の炎が燃え盛っている。
火の色、温度、内包した魔力……一つ一つの要素が、刀の仕上がりを左右する。
準備は既に、できている。
ナギサと出会った日に案内した、ヴァナルガンド寮の『工房』。
あの時、ギルナに荒らされた、武器を展示する部屋のさらに奥。
供えられた炉。
ただそこに立つだけで、炎の熱と、緊張で、じっとりと汗が滲む。
七家が一つ。《火》の神器を持つ《ラヴァテイン家》製の、火の《クレスト》。
七家が一つ。《水》の神器を持つ《コールガバーラ家》が管理する大河からくみ上げた水。
そして、材料となる鋼は、『土』の《アウルゲルミル家》ではなく、マガハラ産のものを取り寄せた。
設備、材料、共に妥協はない。
あとは、鍛冶師の腕次第だ。
鋼の選別。火の調整。鋼を打つ前に必要な工程は終えている。
握る槌に、魔力を込める。
カァン……ッ! カァ――――ン……! と、暗い工房に、鉄の音が響く。
火花が咲いては散る。
剣戟にも似た、音と、光。
ナギサは、刃を重ねることを、誰かと繋がることと言った。
確かに、剣戟は相手がいなければ生じない。
相手の重ねた、剣の理を想うことではあるのだろう。
しかし、作刀は、孤独だ。
工程の中で、複数人で作業することはあっても、この鉄を打つ段階で、『他者』という存在は不純物となる。
魔力が濁る。
理念が歪む。
もう、誰にも頼れない。
けれど、この孤独の中で、誰かを思うことはできる。
思う相手は――――。
□
――ねえ、ナギサ……。キミは誰かと関わることが怖いと言うけれど。
……誰かと関われと、私はキミに言ったけれど。
本当は、私は、ずっと……怖いんだ。
言葉が、ずっと頭の中に響いている。
――――「……うそつき」
あの日にルミフィリアの絶望が、軽蔑が、憎悪が。あの目が、あの声が……、消えてくれない。
ずっと、怖いのだ。
あの日から、彼女に、ずっと心臓を握られているような気がする。
気まぐれに、次の瞬間に、すべて無駄になるという妄想が消えてくれない。
理由はあった。
事情はあった。
それでも、確かに、嘘は、ついていた。
『嘘』は、怖い。
でも、『秘密』を明かすことも、怖い。
人と関わる上で、嘘も秘密もないなんて、無理だろう。
だから、人と関わることは、怖い。
今も、同じ過ちを、繰り返してる。
間違い続けている。
ナギサにも、秘密にしている、過去がある。
それでも……。
ナギサと出会った日。
ギルナをぶん殴ってくれて、嬉しかった。
壊された剣のこと、怒ってくれて、本当は嬉しかった。
ナギサの前では、なんでもないような態度だけど。
……余裕があるように、見せてはいるんだけれど……。
本当は、ずっと……、きっと、キミよりもずっと、すべてが怖い。
『神器信仰』という支配を打ち破る……その夢を信じきれない、臆病な自分がイヤだ。
誰かと繋がっても、すぐ裏切られるという妄想に取りつかれている自分がイヤだ。
……ナギサの期待に、応えられないんじゃないかという不安が消えない、自分がイヤだ。
でも、私の弱さは、キミには関係がない。
キミは、まっすぐに理想に走っていけるから。
だから……。
嘘のない、まっすぐなナギサの瞳が好きだ。
まっすぐな、憧れが好きだ。
ねえ、ナギサ。
キミの瞳に映る、キミの中の私は嘘だよ。
私は、憧れられるような人間じゃないんだ。
嘘だらけで、恐れてばかりのクズなんだ……。
でも。
それでもさ……。
今だけは、まだ、キミの『憧れ』でいたいよ……。
だから……。
キミの夢を、私に守らせてくれ。
私の願いが結実するように……、新しい刀は、出来上がった。
□
作刀開始から、数日後。
――ナギサとの約束を果たす。
「気に入ってもらえたかな?」
「……はい! しっかり手に馴染んでます!」
「では……、改めて」
呼吸を一つ。
そして。
「…………《神装七家》が一つ、ヴァナルガンド家の当代神器継承者――ファシルリル・ヴァナルガンドだ。《神器・フィンヴルヴェトル》にてお相手しよう」
鞘から引き抜かれた、蒼銀の剣がその剣身を露にする。
ファシルは今、完全な状態ではない。
それでもなお、圧倒的な魔力が放たれ、周囲の草木が一瞬で凍てつく。
「……《羽々斬流・極伝》、ナギサ・ハバキリ。……あなたに頂いた《フツミタマ》にて、参りますッ!」
ナギサもまた、抜刀する。
この戦いには、魔王もなく、勇者もなく、栄光もない。
落ちぶれた勇者と、名もない剣士。
この一戦の勝敗は、世界の運命に一切関与しない。
しかし、ナギサとファシル――二人の運命、その開幕に必要な一戦が始まる。
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