第17話 そのモブ、萌え故に面食らう。


 少女はフードのついた黒いローブに華奢な身体を包んでいた。

 その内側には黒と赤、そして白の調和が美しく映える制服が見え隠れしている。

 清潔感を仰ぐ白いシャツに、華やかな赤ネクタイ。

 黒のスカートには赤いラインが巧みに織り込まれており、細い太腿の美しさを際立たせている。

 微風に揺れるローブの裾からは、汚れ一つ見当たらない黒のソックスとブーツが覗いていた。


「ねえ、きいてる? 邪魔って言ったんだけど」

「え、あ、ごめん」


 しっかりと整えられた眉を一層歪める少女。

 その迫力に怯んで、僕は無意識のうちに道を開けていた。

 すると、彼女はそれ以上こちらに目を向けることもなく、僕の横をスタスタと通り過ぎて行ってしまった。


「……おい、おいおいお前ツイてんな!」


 少女の背中が見えなくなった途端、シェラドは僕の背中をバシバシと力任せに叩いてきた。


「ちょっ、痛っ、痛いってっ!」

「あー、わりぃわりぃ。でもお前、めっちゃツイてるからさあ」

「さっきからなんなんだよ、そのツイてるって」

「あのシオン様に話しかけられてんだぜ? ラッキーボーイが過ぎるだろ」

「はあ? いや、どういうことだよ」


 怪訝そうな顔をしている僕を見兼ねてなのか、それともただの話したがりなのか。

 シェラドは続けて言葉を付け足す。


「今のはシオン=ステラスティア。『氷上の姫君』の異名を持つガチのマジの有名人だぞ?」

「氷上の姫君……?」

「ああ、そうだ。彼女の得意魔法が氷属性であることと、男子たちの告白をその凍てつく視線と無慈悲な言葉でバッタバッタと斬り捨ててきたことから、俺が勝手に名付けた」

「勝手に名付けたのかよ……」


 彼女の見た目も声も、シオンというその名前も原作の通りだったが、氷上の姫君という通り名だけは記憶になかった。

 そのため困惑しかけていたのだが、なるほど、道理で聞き覚えがないわけだ。


「とにかく! とにかくよ、あのシオン様に話しかけられるだけで、そりゃもう幸運なことなんだぜ?」


 ちなみに、この「シオン様」という呼び方も耳慣れないのだが、それもこいつが勝手に呼んでいるだけなんだろうな……。


「……えっと、じゃあシェラドはあの子のことが好きなのか?」

「いやいやいや……」


 試しに訊いてみると、「わかってないなこいつ」とでも言いそうな表情でため息混じりに鼻で笑われた。

 馬鹿にされていることだけはすぐにわかる、なんともムカつく笑い方だ。


「好きとかそういう次元は、とうに超越してんのよ。これは謂わば──そう! 崇拝! 彼女は既に崇め奉られる対象なのよ。マジのガチの女神様、的な?」


 さすがはメインヒロインの一角とでも言うべきか、随分な持ち上げられようだ。

 確かにシオンは非の打ち所がない美貌を有しており、加えてあの誰をも寄り付かせない鋭いオーラだ。

 良くも悪くも注目を集めるのだろう。

 ただまあ、この男は持ち上げ過ぎな気もするけど……。


「おい、どした? ぼーっとして。そんなに見惚れちまったか?」

「あーいや──」

「わかるぜ? わかる」

「何がだよ」

「俺も初めて彼女の姿を目にした日はずーっと放心状態だったしなあ、あぁ懐かしいぜ……」

「いや、だから違──」

「けどな、やめといた方が身のためだぜ? 俺らみたいなパッとしねえメンズなんか、どうせ相手にされねえんだからよお……。あ、ちなみにソースは俺な?」


 ダメだこいつ、止まることを知らない。

 やはり聞く耳なんて最初から持ち合わせていないタイプだ。


「俺が初めて話しかけたときなんてなあ──」


 結局、それから学院長室に着くまでの約10分間、シュラドによるシオン様講義が終わることはなかった。



 校舎内には厳かな雰囲気が立ち込めていた。

 足元には美しい模様の入った大理石のタイルがびっしりと敷き詰められており、高い天井からは柔らかな光を纏った高そうなシャンデリアがいくつも吊るされている。

 滑らかな石材で築かれた壁には歴史を感じさせる彫刻や装飾が凝縮されており、指先に触れると心地のよい冷たさが広がった。

 ……まあ、シェラドのデカ声のせいで趣も何もあったもんじゃなかったが。


 学院長室は、その荘厳な校舎の中でも一際目立っていた。


「なんだこれ……」


 高さ3メートルくらいは有りそうなキラキラとした金属製の扉。

 表面には草花の幻想的な模様が描かれており、よく見ると孔雀のような鳥の姿もある。

 パッと見た感じかなり頑丈そうで、それなりに重さもありそうだった。


 一際異彩を放つ荘厳な扉。

 その異様な雰囲気に僕は少しだけたじろいでしまっていた。


「よし」

「え? ──あ」


 しかし、シェラドは扉に手を当てると、ゴゴゴゴッという音を立てながら勝手に押し開け始めた。

 制止しようにももう手遅れで、彼はそのままずんずんと中へ入っていく。

 心の準備は全く済んでいなかったのだが、どうやら観念するしかないらしい。

 結局僕も彼の後を追って室内へ足を踏み入れた。


「し、失礼しまーす……」


 びくびくしながら中へ入ると、ゴゴゴッという音を立てながら扉はひとりでに閉まった。

 室内へ目を向けると、見るからに高そうなインテリアで視界が埋め尽くされた。

 まず目に飛び込んで来たのは部屋の奥に配置された木細工入りの広いデスク。

 その上には古びた書物や重要そうな書類の束が山積みになっており、窓から差し込む陽光が温かな光を灯していた。

 壁際には扉付きの大きな木棚がいくつも並んでおり、古い革装丁の書物やキラキラとしたトロフィーなどが綺麗に陳列されていた。


 ……とまあ、そんな風に軽く室内を観察してみたのだが、肝心の学院長の姿はどこにも見当たらない。不在なのだろうか?


「ちわー、編入生連れてきましたー」

「……んん」


 だが、シェラドが声を上げると、どこからか眠たそうな高い声が聴こえた。

 しかし、声は聴こえても未だその姿は見えない。

 どこにいるのだろうか、と室内を見回していると、奥のデスクの陰から声の主は姿を現した。


 ……なんだこの萌えキャラ。


 第一印象は、これだった。

 背丈は150センチもあるかどうか。

 肩や脇を大胆にも露出させた白の薄いドレスを身に纏うその少女は、お人形さんみたいに愛らしかった。

 くりっとした大きな瞳に、つんとした鼻筋。

 ぷくりと膨らんだ薄桃色の頰や柔らかなその輪郭、きめ細かく瑞々しい肌に至るまで。

 その全てが無垢で幼げな可愛らしさを演出している。

 目つきは多少キツく、猫のように綺麗な吊り目ではあるが、それを打ち消して余りある萌えがそこには在った。


「ふぁ〜っ……あぁ、もうお昼なんだ。今日はあったかいね」


 軽く伸びをしながら近づいてくる少女の髪は薄桃色に輝いており、真っ直ぐに背中まで広がっている。

 眠たそうに目を擦るその仕草を見ているとなんだか頭を撫でたくなってくるな……。

 

「でも、ま、とりあえず……、ノックくらいはしてほしい、かな?」


 すぐ近くまで来て立ち止まったその少女は、シェラドの方を見るとにっこりと微笑んだ。


「あー、うっす」


 その愛らしい指摘を受けてもシェラドの態度は相変わらずで、生返事をしながら入り口に近づいた。

 いったい何をする気なんだ……?

 と訝しんでいると、彼は頑丈そうな扉を部屋の内側から控えめにコンコンっと叩いてみせた。


 ……いや、もうそれ意味ないだろ。


 そんな風に突っ込みたいだろうに。

 少女は小さくため息を溢すだけに留めて、早々に見切りを付けたようだった。

 それから、頭を切り替えるように視線をこちらへ移してきた。


「えっと、きみがアクタ=グランツェくんで合ってる?」

「は、はい」

「ふーん、そっかそっか、なるほどね〜?」


 どこか含みのある笑みに、興味津々な眼差し。

 彼女は新しい玩具を見つけたときの子どものようにイタズラな眼をしていた。


「え、えっと……?」

「あーごめんごめん。あのゾルドくんのご子息って聞いたから、ついつい気になっちゃって」


 僕が居心地悪そうにしていることに気づくとすぐに距離を取り、柔らかく目を細めながら詫びを入れてきた。

 それから何度か喉を鳴らすと短く息を吐き、今度は真剣な面持ちで視線を合わせてきた。


「改めまして、ようこそウラナト魔法師学院へ。わたしはメルティア=ゼウルブリッジ。一応この学院の院長をやってます。よろしくね」


 柔らかく微笑んでみせた少女。

 しかし、その愛らしさに見惚れる余裕もないくらいに、このときの僕の思考能力は著しく低下していた。


 学院の院長…………?

 

 不意に降ってきたその衝撃の事実を前に、理解が全く追いついていなかったんだ。


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