第18話 そのモブ、不安を拭う。


「ん? どうかした?」

「え、あ、いや……」


 この子、いや、この人が学院長……? この見た目で?

 いやいや、どういうことだってばよ。

 てか何歳だよ、年下にしか見えないんだけど……。


 ぶっちゃけ意識はフリーズしかけていた。

 その情報量の多さに、僕の思考回路は既に焼き切れる一歩手前だった。


「わかる、わかるぜ?」


 何が楽しくて野郎の囁き声なんかを聴かにゃならんのか。

 シェラドは突然僕の肩に手を置き、こそこそと耳打ちしてきた。

 恐らくこのときの僕の顔は歪みに歪みきっていたことだろう。

 だが一応、うんざり気味に「なにがだよ」と尋ねてみた。


「俺の学院長がこんなに可愛いわけがない! ってそうなってんだろ? わかる、俺もそうだった。てか今もそう思ってる」


 しかし、今回は本当にわかっているらしかった。

 いやまあでも、誰でも同じ感想を抱かそうなもんだけどね……。

 それくらいに、僕らの密談に怪訝な目を向けてきているその少女──メルティア=ゼウルブリッジは萌えだったのだ。


「おーい。なに、どしたの? わたしの顔になにか付いてる?」

「あ、いえ、なんでも」


 小首を傾げて問うてくるその訝しみの表情にすら内心唆られつつも、「あまりに萌えだったもので、ついまじまじと見てしまいました」とはさすがに言えなかった。


「そ? ならいいんだけど。あ、それよりずっと立ってるのもなんだし、ちょっとそこに掛けててよ。お茶でも淹れるからさー?」

「あ、はい」

「うぃーっす」


 メルティアの言葉に甘えて、部屋の手前に配置されたふかふかそうなソファに腰掛ける。

 続いてシェラドも当たり前のように座ろうとしたようだったが、すかさずメルティアが声を上げた。


「あー、きみはもう帰っていーよ?」

「え? いやいや学院長、そんなこと言わずに」

「帰っていーよ」

「えっと──」

「帰って?」

「……アッハイ」


 満面の笑みで拒絶の文言を繰り返すメルティア。

 その言葉はどこか有無を言わせぬ覇気のようなものを宿しており、シェラドも従うしかないようだった。



 学院長室の手前では、脚の短いガラス製のテーブルが柔らかな革で覆われた2つのソファに挟まれている。

 テーブルの上には小さな花瓶が添えられており、新鮮な草花の香りが辺りに漂う。

 それはソファに腰掛ける僕を包み、安らぎを与えてくれていた。

 だがしかし、僕はその安らぎを完全に打ち消すほどの緊張を覚えていた。


 ……いやだって、2人っきりだぞ?

 あの萌え少女と、しかも密室で。

 ちょっと僕にはハードルが高過ぎやしないか……?

 やばい、なんか気持ち悪くなってきたかも……。


「甘いモノ、大丈夫だった?」

「え?」


 勝手に吐きそうになっていると、部屋の隅の方から声がした。

 目をやれば、壁側の戸棚に向かって何やら手を動かすメルティアの小さな後ろ姿が映った。


「あ、はい」

「そ、じゃあこれ、どーぞー」


 何も考えずにとりあえず首肯すると、メルティアはこちらにスタスタと歩いてきた。

 彼女の両手には、光沢のある白色のティーカップが優雅に収まっている。

 取っ手やソーサーに描かれた金色のおしゃれな装飾を見るに、かなり上等な代物であることが窺えた。


「ありがとうございます……」


 恐る恐るカップを手に取ると、ほんのりと温かな熱が指先から伝わる。

 中を覗けば、深い琥珀色の紅茶のような液体が静かに揺れていた。

 微かに立ち上る蒸気は次第な空気に溶け込み、芳醇な香りが部屋全体に広がっていく。

 その甘い香りを楽しみつつ、僕は思い切って口に運んだ。

 その瞬間、柔らかな甘さと茶葉の深い風味がじんわりと口の中に広がる。

 甘美な芳香は容赦なく鼻腔を貫き、ガチガチに凝り固まっていた僕の心を穏やかに包み込んだ。


「……おいしい」

「ふふ、それはよかった」


 感嘆の声を洩らすと、メルティアは得意気に口角を上げた。

 そのドヤった顔も当然の如く可愛らしく、油断するとすぐに表情が溶けそうになる。


 メルティアは自分の分のカップを僕の向かい側に置くと、ソファには座らずに部屋の奥へ向かった。


「んーと、あれ、どこだったかな……。あ、あったあった。んぁーあとこれと……あ、これもか」


 彼女はデスクに乱雑に積まれた無数の書類の中から何かをガサゴソと探しているようだった。

 だが、目当てのものはすぐに見つけられたらしく、こちらへ振り向いたメルティアの両手には数枚の紙が握られていた。

 それらを僕の眼前に広げると、彼女はようやく向かい側のソファに腰を下ろした。

 それからカップに口を付けると、「さっそくなんだけど」と話し始めた。


「編入にあたってやってほしいことがあるって話、なにか聞いてる?」

「あ、はい。なにか検査するって」

「そそ、検査。正確には基礎測定ね。まあ名前なんてどうでもいいんだけどさ」


 基礎測定、確か学生の基礎魔法力を計るための検査だったはずだ。

 この検査は原作のエフトでも行われていたが、正直内容は朧げにしか覚えていない。

 そのことが気がかりだったのだが、どうやらそれ無用な心配だったらしい。


「ここにあるのがその詳細。見ての通り沢山あってね。だからいま目を通すなら軽くで、あとは実際にやりながら説明って感じでいーかな?」

「わかりました」


 彼女の提案に首肯しつつ、目の前に広げられた資料に目を向ける。

 そこには基礎測定についての説明が詳しく記されているようだった。


 例えば、魔力測定。

 ここで言う魔力とは、魔法を使用する際に必要となる魔素の絶対量のことを指している。

 魔力測定は触れた者の魔素量に応じて色を変える魔晶石という結晶を用いて行われるらしい。

 あくまで魔晶石に触れるだけであるため、測定時に魔素は消費されないとのことだ。


 他には、属性適正度の評価というものもあった。

 この世界の魔法には様々な属性が存在し、中でも火、水、土、風の四つは基本属性と呼ばれていることは元々知っていた。

 属性適正度とは、その基本四属性に対してどれほどの適正があるかを示す指標のことらしい。

 具体的には、基本属性のそれぞれについて初等魔法を一度使用し、その前後での魔素量の変化を確認することで属性毎の燃費を測り、これによって適正度を評価するのだそうだ。


 それ以外にも、魔法の発現速度や発現位置の自在さ、発現回数の上限の確認。

 発現させた魔法の持続時間、速度変化や変形、指向性などの制御能力測定などなど。

 基礎測定では、魔法に関する基礎能力をあらゆる面からチェックすることになるようだ。

 前の世界で例えるなら、学校などで毎年行われていた運動能力測定が一番近いかもしれないな。


 だが、僕にとってこの基礎測定は、ただの能力測定以上の意味を持っていた。

 原作のエフトでは、主人公のソーマがここで学年一位という好成績を残したことが、ヒロイン──シオンと関わるきっかけとなっていたからだ。

 そのため、ここはなんとしてでも良い成績を収めたかった。


「……もしかして、緊張してる?」

「あ、いや……」

「あはは、そんなに身構えないでよ。別に取って食っちゃうぞーって話でもないんだしさ」


 メルティアに幼げな仕草で茶化されて初めて自分の表情が強張っていることに気づいた。

 僕は反射的に謝りつつ、誤魔化すようにカップに口を付けたのだが、仄かな残り香が鼻をつつくだけで口の中には何も広がらない。

 どうやらいつの間にか飲み干していたようだ。

 視線を上げると、メルティアもちょうどカップを空にしたところだったらしく、不意に目が合ってしまった。


「よし、じゃあ行こっか」


 それを合図と取ったのか、彼女はすっと立ち上がると扉の方へすたすたと歩き出してしまう。

 心の準備は未だ完了していなかったのだが、まあ仕方ない。

 僕はふかふかのソファから思い切って腰を上げた。


 どうせ避けて通る道はないんだ。

 たとえソーマのような結果にならなくとも、僕は全力でやるだけ。

 3年前のあの日、そう誓ったはずだろ?

 それに、なにも今日までぼけーっと時間を浪費していたわけでもないんだ。

 前とは違う。確実に力は付いている。

 だから今は自分のできる最大限を発揮すればいい、そうだろう?


 そんな風に自分で自分を鼓舞し、僕はメルティアの背中を追って部屋を後にした。


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