第3話 そのモブ、運命を憂う。


「痛たたた……はあ、油断したぁー」


 ソーマの魔法を喰らい、水浸しになりながら尻餅をつくエナ。

 彼女は少し悔しそうに空を仰いでいた。

 その姿も十分過ぎる程にかわいかったのだが、今はそれよりも重大な大事件が発生していた。



 ────そう、太腿である。



 倒れた拍子に純白のワンピースが少しはだけたのだろう。

 いつもはお目にかかれない彼女のすべすべもちもちつやつやな太腿が露わになっていた。


 言うまでもないツヤとハリ。

 触れずとも感じられる心地良い滑らかさ。

 万人を須く虜にする魅惑的な曲線美。

 発展途上が故に滲み出る儚さと尊さ。


 そこには、間違いなく神が宿っていた。

 腿神様が降臨なさっていたのだ。


 これは失礼があってはいけない。


 そう思った僕は、すかさず手を合わせ首を垂れ、心の中で繰り返しこう唱えていた。


(ありがたや、ありがたや、ありがたや)

 


「っしゃ、俺の勝ちー」

「なに言ってるのよ。これで6勝4敗。私の方が勝ち越してるんだからね?」

「はあ、相変わらず細けえなあ。じゃあもう一回やるかー?」

「やんないよ、もう疲れたし。毎日ソーマがしつこいから、こっちはもうくたくたなんですー」


 長い金髪から水を滴らせながら、エナはうんざりと言った感じでソーマにぶーぶー不満をぶつけている。


 やっぱかわええ……。


 思わず拍手を送りたくなるほどの愛おしさに痺れてしまっていたが、ソーマがこちらに話を振ってきたため、慌てて意識を引き戻す。


「はあ……じゃあアクタ、次お前な」

「え? いやでも……」


 突然の誘いに思わず逡巡してしまった。


 理由は実に単純明快。

 僕には魔法が使えないからだ。


 この世界で目醒めてからまだ数日。

 ついこの間まで魔法のない世界で生きていた僕に、魔法などという得体の知れないものが扱えるわけがなかった。

 もしかしたら努力次第ではなんとかなるのかもしれないが、少なくとも今すぐに扱えるようになるものではない。

 ぶっつけ本番で試すにも、そもそも勝手が全くわからないしな。


「やめなよ、ソーマ」


 うじうじしていると、代わりにエナが声を上げた。


「はあ? なんだよエナ、お前は関係ないだろ?」

「無理強いはよくないって言ってるの。人には得手不得手があるんだから」

「ははっ、そりゃあれか? こいつは何もできない役立たずだって、そう言ってんのか?」

「そうは言ってない!」

「はっ、どうだかな」


 いつもの軽口とは異なり、明らかに棘のある物言い。

 いきなり険悪ムードに突入した2人に年甲斐もなくハラハラしてしまう。

 ……まあ、今は僕も彼らと同じ12歳なんだけど。


 2人の間に入って仲裁をするのが最善だということは理解していた。

 しかし、2人の衝突の原因が自分にあったため、どうにも動きにくかったのだ。


「……はあ」


 数秒の沈黙の後、埒が開かないとでも言いたげなため息を溢したソーマは、それ以上何も言わずにすたすたと森の方へ歩いて行ってしまった。


「……アクタ、大丈夫?」

「え? あ、ああ、うん全然。僕が何にもできないのは事実だし」


 いつの間にか近くまで来ていたエナが僕のことを心配そうに見つめてくる。

 彼女の問いかけに作り笑いを浮かべながら応じてみるものの、自分が思ったより傷ついていることに僕は薄々気づいていた。


 夢にまで見た異世界転生。

 そこには漠然とした期待感があったんだ。

 僕は、前の世界で何者でもなかったから。

 だから、この世界でなら何者かになれるんじゃないかって。

 チートでなんでも無双して、ヒロインや世界をかっこよく救っちゃったりもして。

 そんな完全無欠の主人公になれるんじゃないかって、少なからず期待したんだ。


 だが、実際はどうだ?


 主人公どころか、存在していたかすら怪しいモブキャラになっていて。

 才能も特別な能力も何もなくて、容姿だってパッとしない。

 挙げ句の果てには、本当の主人公に役立たずと馬鹿にされる。


 ……まあ、別にいいんだけどさ。

 前と変わらないだけだし。


 でも、ショックだったのは事実なんだ。

 勝手に変われると期待して、勝手に裏切られた気になってる。

 ただそれだけのことなんだけど、それでもやっぱり悲しいものは悲しかった。


 だからへらへら笑って誤魔化そうとしていたんだが、エナは僕の顔をジッと見つめたまま一向に動く気配がなかった。


「えっと、エナさん……?」


 そんなに熱い視線を向けられると、さすがに居心地が悪くなる。

 というか恥ずかしくなってしまう。


 堪らず僕が声をかけると、ようやくエナはその小さな口を動かし始めた。


「…………ない……」

「へ?」

「アクタが魔法を使えなくても、それを馬鹿にしていいわけ、ない……」


 むすっとした口調で、俯きがちに彼女は言葉を吐き出す。

 その瞳には今にも零れ落ちそうな大粒の涙が溜まっていた。


「……ねえ、アクタ? あの馬鹿のこと、見返さない?」

「え……?」

「だから、その……私がアクタに教えてあげるって言ってるんだけど、魔法」

「え、いや、でも……」


 それはよく考えるまでもなくありがたい申し出だった。

 せっかく異世界に来たからには、いずれは魔法を扱ってみたいと考えていたからな。

 それにエナみたいな美少女に教えてもらえるなんて、単純に役得でもあるし。


 しかし同時に、エナにそこまでしてもらうのはさすがに申し訳が立たない、と遠慮してしまう自分もいた。

 だが……、


「私に教わるの、嫌……?」


 その刹那、全ての思考が吹き飛んだ。


 ……いやいやいやいや。

 いくらなんでも反則だって、その下目遣いはさ。

 どんな男もイチコロって、そんなレベルじゃないんですけど、それ。

 不安そうな表情で、目までうるうるさせちゃってさ?

 いやチート、普通に。

 無理、勝てないって、ほんとに。

 無敵のかわいさ、ここに極まれり、的な。

 破壊力エグすぎんだろ……いやマジで。


「ぃ、いや、じゃ、、ない、です……」


 その果てしないほどのかわいさに動揺しまくっていた僕は、気づけば陽キャに話しかけられて吃る陰キャに成り下がっていた。


「ふふっ、よかった」


 そんな僕の様子なんて気にすることもなく優しく目を細めるエナ。

 その笑顔も天使のように神々しくて、危うく昇天しそうになっていた。


「実はさ、前からしようと思ってたんだ、この話」

「そう、なのか?」

「うん。だって、アクタが魔法を使えるようになれば、アクタとも一緒にいろんな遊びができるでしょ? それに私、アクタが魔法使うところ、見てみたいしさ」

 

 そう言うと、彼女は少し恥ずかしそうに頬を赤らめながらはにかむ。

 その狂おしいほどの愛おしさに、僕は無言で白旗を上げていた。

 またしても、彼女のかわいさに完全敗北したのであった。


 ……だが、彼女を知れば知るほど、僕の心はギュッと締め付けられていた。


 優しくて、かわいくて、こんなにも良い子で。

 全人類から愛されて然るべきこの美少女を前に、僕の中の絶望は膨らみ続けていたんだ。



 それは────彼女の身に降りかかる悲劇を知っているから……。



 主人公の幼馴染であるにも関わらず、物語にはほとんど登場しない少女──エナ。


 彼女の唯一の出番は、ゲームのプロローグにあった。


 テキストにして、たったの1文。



 



 それが、彼女を待ち受ける最低で最悪な運命だった。


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