第4話 そのモブ、ため息に塗れる。
♢
木々の温もり漂う小さな孤児院。
緑豊かな中庭では、今も子どもたちが無邪気に駆け回っている。
その一角にはいくつかの花壇があり、色とりどりの花を咲かせている。
時折吹く穏やかな風がそれらの甘い香りを運び、季節の移り変わりを感じさせてくれていた。
その長閑な光景を眺めながら、僕は広場の端にある古びたベンチに座り、黙々と魔法の鍛錬に励んでいた。
エナとのマンツーマンレッスンが始まってから早数ヶ月。
以前は得体が知らなかった魔力も、最近はなんとか操れるようになっていた。
まあ、今もよくわかってはいないが……。
というのも、エナは魔法の原理などの小難しい話にはノータッチだったのだ。
独学で魔法を習得してきたため、詳細な説明はできないということらしい。
したがって、エナの指導に感覚的な表現が多くなるのは必至で、理解にはかなりの困難を要することになった。
だが、エナは僕の魔法が上達する度に自分のことのように喜び、うまくいかないときには根気よく励ましてくれた。
彼女のあたたかな支えのおかげで、鍛錬は思いのほか順調に進んでいたのだ。
しかしながら、彼女と同じ時を過ごしていると、どうしても未来を憂いてしまう。
これから彼女が辿ることになる死の運命から目を背けたくなってしまうのであった。
この世界の原作ゲーム──エフトのプロローグにおいて、エナは死ぬ。
それは、回避不可の確定イベントだった。
『魔物に襲われたソーマを庇い、エナは喰い殺されてしまう。
そのとき恐怖で何もできなかったソーマは自分を強く恨み、悔やみ続ける。
その後、もう2度と大切な存在を失わないように誰よりも強くなることを誓い、やがて彼は英雄となる』
というのが、エフトの簡単なあらすじだ。
つまるところ、エナの死はソーマが英雄を志すきっかけのようなものなのだ。
したがって、ストーリーには絶対に欠かせない重要な要素だったと言えるだろう。
「はあ……」
エナは今も中庭で小さな子どもたちの面倒をみている。
その柔らかな笑顔を眺めながら、失いたくないと心から願う。
ゲームをプレイしていたときは、こんなこと1ミリも思っていなかった。
彼女はほとんど出番もなかったため、思い入れも特になかったんだ。
だが、今回はわけが違う。
エナは、実際に生きている少女なのだ。
どこまでも真っ直ぐで、少し不器用で、そして誰よりも優しい、普通の女の子なのだ。
その彼女がゲームシナリオの都合で殺される?
そんな理不尽、許されていいわけがないだろ。
……だが、その想いとは裏腹に、僕は彼女を救おうとは思っていなかった。
いや、思えていなかった。
鍛錬を始めてすぐの頃は、それこそ魔法の力でエナの運命を変えられないかと考えたこともあった。
しかし、鍛錬を続ければ続ける程、自分が凡人であることを自覚させられた。
特別な能力も無ければ、非凡な才能の1つもない。
どこまでいっても平凡で、大したことなど何1つ成し遂げられない。
前の世界と同じ。
結局、僕は僕のまま。
取るに足らない存在だったんだ。
だから、なのだろう。
自分がエナを救うビジョンというものが全く想像できなかった。
心の中で必死に救いたいと叫んでいても、頭と身体がその願望を受け付けてくれなかったんだ。
「おいアクタ」
突如として思考の外側から降ってきたぶっきらぼうな声。
顔を向けると、美しく輝く碧い水晶に目を奪われる。
「ちょっと付き合え」
相変わらずの燃え盛るような真っ赤な髪を風に揺らし、不機嫌そうな表情を浮かべ佇んでいたのは、この世界の主人公──ソーマ=ブライトだった。
♢
「えーっと……どこまで行くの?」
「……」
数歩前を行くソーマはこちらに振り返る素振りも見せず、どんどん森の奥へ進んでいく。
(……気まずい)
沈黙が長過ぎてなんだか変な汗が出てきた。
考えてみれば、ソーマと2人きりになるのはこれが初めてだった。
意外と言えば意外な事実だが、まあそれもそうかと納得もできる。
なんというか、僕はソーマに嫌われているからな。
なぜかはわからないけど。
彼の機嫌を損ねるような真似をした覚えはない。
だが、僕がこの世界で目醒める前にやらかしている可能性もあるし、考えても埒があかない。
幸いソーマとの会話が少ないこと以外に大した支障もなかったため、とりあえず放置していたんだが……。
とうとう呼び出しを喰らってしまった。
これから何をされるんだろうか。
できれば痛いのはやめてほしいな。
お話とか、お茶会とか。
そういう平和なやつなら大歓迎なんだけど……。
まあ、それはないか。はあ……。
淡い希望を持つ余裕もなく、ただ絶望するくらいしかできることはなかった。
歩き始めて20分程が経過した頃だっただろうか。
僕たちは開けた場所に出た。
前方には立派な大木が一本だけ聳え立っており、その周りが更地になっているようだった。
足を踏み入れると、先程まで木々に遮られていた日差しが容赦なく降り注ぐ。
ジリジリと茹だるような蒸し暑さ。
空気も毛布のように熱を帯びていて、1分もすれば全身から汁が噴き出てきそうな勢いだ。
しかし、ソーマにはその暑さを気にする様子もない。
そのまま更地の只中まで進むと、ようやく足を止めてこちらに振り返った。
「使えるようになったんだってな、魔法」
「え? あー、まあ……少しだけど」
「んじゃやるか」
「えっと……何を?」
問いかけには応じず、ソーマは徐に踵を地面に引き摺り始めた。
ザー、ザーッと音を立てながら、後ろ向きで歩いている。
よく見ると、どうやら線を引いているようだった。
最初は何を書いているのかわからなかったが、10秒もしないうちにそれがコートであることに気がついた。
そして、そこでようやく理解する。
「あ、ドッジボールか」
「は? なんだそれ、アクアストライクな」
「え……あー、うん。それそれ」
なんだか如何にも小学生男子が考えましたって感じの単語が飛び出てきて、思わず真顔になってしまう。
……いやそんな名前なのか、あのドッジボール擬き。
もうちょっとなんかなかったのか?
まあ別にいいんだけどさ……。
線を引き終えると、ソーマは準備運動をしながらきいてきた。
「ルールはわかってるな?」
「いや、あんまり……」
「…………はあ……」
苦笑いを浮かべながら正直に無知を晒すと、文字通りのクソデカため息をかまされてしまう。
ソーマは憤りを通り越して呆れも通り越して、もはや虚しくなっているように見えた。
……いや、うん。ごめんね? なにも知らなくて。
「使用魔法は
投げやりにルールを述べたソーマ。
その眼は「これ以上訊くな」と言っているような気がした。
「っし、じゃ始めんぞー」
沈黙を是と見做したソーマは、ポキポキと指の関節を鳴らしながら臨戦態勢に入った。
どうやらやるしかないみたいだ。
小さくため息を吐き、僕も覚悟を決めることにした。
♢
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