第五話 世はまさに大後悔時代
「本日、定休日……嘘だろ?」
最高気温29度を叩き出した6月初旬。梅雨入り(笑)と馬鹿にしたくなるくらいの快晴日。
着用した半袖Tシャツの首元が汗で色濃くなるくらいの日差しを浴びながら、俺は本屋の前で絶望していた。
見ての通り、よく利用している商店街の小さな本屋さんのシャッターが閉まっていたからだ。
シャッターにはA4サイズの張り紙に「本日、定休日」と覆らないお知らせが掲載されている。
雑に張ったせいかセロハンテープが外れかかっているのが腹立たしい。
「まいったな……。駅前の本屋は開いていてくれよ」
貴重な休みの日に外出して成果無しは笑えない。
ここまできて諦めるものかと、俺はハンカチで汗を拭ぐい、駅まで移動を開始する。
本日はONE PIECEを含めたジャンプコミックスの発売日。漫画を購入し帰宅して、冷房がガンガンに効いた部屋でくつろぎながら最新巻を堪能する。この快楽の為には、多少の辛さも我慢できるというものさ。
「(だけど、駅前の本屋は混むから嫌なんだよなぁ)」
わざわざ商店街にテナントを構える規模が大きくない本屋を選ぶ理由。それは利用者の多さがある。
一般人からしてみれば本屋の人混みなんて大して気にする要素でもないだろう。だが、俺にはあるのだ。
答えは俺の瞳に映っている。駅前本屋に辿り着き、入り口に目立つように設置された新刊コーナー。予想していた通り、中高生くらいのグループがたむろしていた。
困った……。これじゃあ目当ての漫画が取れないじゃないか。
大抵の人なら「すみません」っと一声かけるなりして新刊を手に取るだろう。そう、普通ならね。
あえて問おう。ここに立っているのは誰だ? 影島彰人という人見知りだ。相手に声をかける行為でさえ高いハードルなのである。
なにより新刊コーナーに居るグループは声も大きくTPOを弁えていない野郎ども。
変に恨みを買うのではないのかと過剰な妄想をしてしまう。声かけは要検討で……。
俺は新刊コーナーを通り抜けて、既刊コミックスコーナーへと足を進めた。早くアイツらがどいてくれないかなと祈りながらね。
既刊本棚へ到着し、気持ちを切り替え、立ち並ぶ作品群に胸を躍らせる。
さて、既刊とは言っても、これはこれで暇を潰せるもの。
駅前の本屋ともあり店内はそこそこ広く、取り扱い商品も必然的に多くなる。
SNSでバズった漫画とは違い、まだメディアミックスもされていない作品との出会いも本屋の醍醐味だ。
平積みにされた有名作品には目もくれず、顔を上げて本棚に陳列されたまだ見ぬ宝を探していく。
コミックスの表紙が見える棚差し配置や店員さん手書きのオススメポップ。“作品”を押したい気持ちが溢れている。
右から左へ視線を移動。どの棚も眺めているだけで眼福になり、自然と頬が緩んでしまう。
ああ、キモいなぁ……。だけど、この高鳴りを我慢するなんて勿体ない。
どうせ学校の知り合いなんて居るはずもないしね。存分に堪能しようじゃあないか。しかし、作品探しという宝探しはすぐさま中断される。
「あれ~彰人じゃん?」
耳に入ってくる陽気な声。前言撤回だ。この場に居たよ、俺の知り合い。
声の聞こえた方向に首を回すと、蒼乃が今日の日差しに引けを取らない明るい表情を作りながら手を振っていた。
「あ、蒼乃。ナンデ?」
驚きのあまり何処ぞの忍者に出会ったみたいなカタコト言葉を発すると、蒼乃は体をプルプルと震わせながら、笑いを必死にこらえていた。
どうやら俺のリアクションがツボったらしいが、流石に本屋で大笑いするのは迷惑だと思ったのだろう。
新刊コーナーで密集している団体さんも見習ってほしい。
一先ず、蒼乃が落ち着くまで様子見だな。下手に話しかけたら彼女の我慢が決壊しそうだし。
俺は暇つぶしがてら蒼乃の姿を上から下までマジマジと眺める。
今日は土曜日とのこともあり学校はお休み。そうなると彼女も制服ではなく私服に身を包んでいるわけで。
上は涼しさを連想させる水色のオフショルダートップス。丈はヘソが見える形で健康的なくびれが美しい。
ボトムスはアンクル丈のフィットデニムを着用しており、布越しからでも分かる脚の形が健康的である。……若干、ムッチリとしてるのは考えないでおこう。バレたら殺される。
しかし、まあ……なんというか、女子の私服というだけで特別感が段違いだ。
俺なんて紺色Tシャツにやや色落ちしたジーンズという出で立ち。明らかにコンビニへ行くレベルの格好だ。
実際に近所の本屋に来るのが目的だったし、間違いではないのだけれど。まさか蒼乃に出会えるとは想定外だ。
そんな俺の脳内私服談義など彼女は気にする素振りもみせず、笑いの熱が収まったのか口を開く。
「ふぅ……落ち着いた。相変わらず彰人のリアクションはおもろいし。そんで、本屋で何やってんの?」
「漫画の発売日だから来ていたんだ。蒼乃も何か買うのがあって本屋に?」
「そーだよ。お気に入りのモデルさんが載ってるファッション雑誌を買いにね」
蒼乃は手に持っていた雑誌を差し出してきた。綺麗なモデルのお姉さんがお洒落な服を着こなした表紙。
あまりにも俺とは無縁過ぎて目が焼かれそうだ。
「そんじゃ、アタシは答えたし、今度は彰人の番だよ。なんの漫画を買いにきたん?
はっ!? まさかエッチなやつとか?」
「実は……」
「マッ!?」
「冗談だよ。ONE PIECEの新巻を買いに来たんだ」
「あ~騙されたし。一瞬、恥ずかしくなったじゃん~」
冗談が通じて軽く笑う俺に対して、蒼乃は手をパタパタとうちわみたいに仰いでいた。
少しすると、冷静になったのか、彼女は違和感に気づいた。
「あれ? でも、ワンピの新巻を購入するのに、なんで新刊のコーナーに居ないの?」
「ああ、それね。見ての通りだよ」
俺は視線を新刊コーナーに向けると、彼女もそれに合わせて同じ方向を見る。
未だに中高生グループが雑談をしており、中々入りづらい空気を作り出していた。
「あ~、理解したっしょ。彰人は苦手そうだもんね~」
「返す言葉もございません……」
「あはは、正直かよ。ちょっと待ってて」
彼女は一言告げると、新刊コーナーに向かっていく。そして、中高生の集団に「すみません、本を取りたいのですけど」と伝えると、彼らも迷惑だと気づいたのか「すみませんでした」と蒼乃に軽く頭を下げて本屋を後にする。彼女は満足げに頷いた後、ONE PIECEの最新巻を手に取って戻ってきた。
「はい、彰人。これでしょ?」
「ありがとう。俺にできないことを平然とやってのける蒼乃に憧れるよ」
「どしたん、急に? いきなり褒めんじゃん」
蒼乃はそう言いつつも嬉しさを隠しきれていないのか、両頬がユルユルな顔つきになる。
そういう所だよ。誰に対しても裏表ない感情を向けて、こんな人見知りの俺でも分け隔てなく接してくれる。
そこに痺れる憧れるってやつだ。
4月に初めて出会ってから、今日に至るまで。俺も蒼乃に対して、名前呼びに抵抗が無くなり、冗談を言えるくらいに成長したのは君のおかげなんだから。
小っ恥ずかしい感謝を心の内だけで済ませ、俺は蒼乃からONE PIECEを受け取る。
「そういえば蒼乃ってONE PIECE読んだことあるの?」
「あるよ~。ってか好き!! 映画とかも行ったし~。フィルムレッドの歌もいいよね。ado好き~」
「お、おう」
予想外の食いつきに驚愕してしまい言葉を詰まらせてしまった。これが世界一売れた漫画のコンテンツ力か。
ファッション雑誌を片手に持つギャルでさえ語れる優れたブランドである。
「でもさ~、ワンピって漫画の数が多いよね。100巻以上ある感じ? 読みたくてもお金とか無いし」
「そうだよね。俺は親が集めていたから全巻読める環境だけど」
「マジ? え、じゃあ……家でワンピが読めんの?」
「読めます。最新巻までの全てが自宅の本棚に収納されてる」
「うわ~、超うらやまだし!! いいな~、いいな~。アタシ、最近の巻以外はあらすじでしか読んでないからさ〜」
想像していた以上に彼女が目を輝かせるものだから面食らう。
だが、冷静に考えてみれば羨ましがられるのも分からなくはない。
ONE PIECEって俺ら生まれる前から連載してたもんね。
学生だとコミックス集めるのにお金がかかるし、親が集めてない限り原作を読む機会なんて訪れないだろう。
眼前では蒼乃が両拳をブンブンと小さく上下に動かしながら、実に物欲しそうな感情を向けている。
「蒼乃、なんだったら……」
”コミックスを貸してあげようか?”という単語を口に出しかけて飲み込んだ。
まてよ? チャンスなのでは?
ふと、高峰さんの顔が脳裏に浮かんだ。彼が村上さんに積極的なアプローチをしていたのを目撃して以来、俺も蒼乃との関係を進めようと決意したはずだ。
高峰さんと違い、俺はイケメンではないので慎重になっていたが、今の状況ならイケるのではないか?
このまま消極的に蒼乃と過ごせば、結局は中学時代と同じ轍を踏むだけ。なら、リスクを恐れずに一歩を踏み出すべきかもしれない。
別に「好きです」なんて告白するわけじゃないんだ。失敗したら笑えばいいさ。
俺は唾を飲み込んで、やや震えた声で蒼乃に提案をしてみせるのであった。
「蒼乃、今から俺の家に……ONE PIECE読みに行く?」
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