第六話 暑すぎると思考を放棄して逆に積極的になる話

「いや~、楽しみっしょ~」


 熱い熱い太陽を浴びながら、隣を歩く蒼乃はワクワク顔。対して俺の心臓は鼓動を素早くきざむバクバク音。

 人生で初めての経験に喉から臓物が飛び出てしまいそうな緊張感に包まれていた。


 理由はもちろん、数分前の発言が原因だ。

 ”蒼乃、今から俺の家に……ONE PIECE読みに行く?”

 俺のレベルからしてみれば随分と攻めたお誘いだったと思うよ。そんな提案に蒼乃は「OK~行く行く」と両指をサムズアップして、あっさりと承諾をしてくれた。

こうして、駅前本屋から自宅までの道のりを蒼乃と進む現在に至る。


 隣に歩く蒼乃の話している内容は耳に届かず、脳内でひたすら、キモくなかったよな、調子にノリすぎてないよね、っと何度も否定を繰り返ていた。おかげで脳の整理が追いつかない。


 勇気の一歩目を踏み出したのはいいけれど、その先の計画まで考えていなかった過去の自分を恨んでしまう。行動力にライブ感がありすぎるだろ。


「彰人~、顔が青いよ。熱中症?」


「あ、ごめん。大丈夫……」


「アタシの話、聞いてた?」


 聞いていたよ……っと答えたい所であったが、スルーをしていたのは事実。俺は無言で首を横に振る。


「正直でよろしい。本屋へ出てから上の空だったけど、気分悪いなら別の日でも平気だよ、アタシ」


 そう告げて彼女は珍しく苦笑をしてみせた。たった数ヶ月の関わりだけど、蒼乃は相手の顔から感情を読み取る察しのいい娘だと思う。


 ここで誤魔化しても、かえって心配をかけてしまうだけだし、正直に吐き出したほうが誠実だろう。

 俺は冷やせをかいた額の汗を拭い、彼女に向けてぎこちない笑みを返した。


「悪い、蒼乃。体調が悪いんじゃなくて、俺の性格の悪さについて考えてた」


「性格? アタシ、彰人は良いやつだって思うよ」


「あはは……ありがとう。でもさ、俺って客観的にみるとかなり自己中なんだよ。

 人と会話をする時にさ、普通なら”相手がどう感じるか”を考えるでしょ。

 俺の場合、いつも自分がキモくなかったとか、相手を不快にさせてないよな、なんて自分基準の考えでしか思考が回らないんだよ。

 それが嫌で気持ち悪くて。なのに自制が効かなくなって、突拍子もない行動をして後悔する。それの繰り返しだ」


 それこそ初恋の相手にフラグもなしに告白したり、今日みたいに異性を自宅へお招きする身の丈に合わない行動をしたりする。

だからって簡単に性格は変えられない。自己中だと考えて嫌悪をしてしまう。

自己肯定感が低い故に誕生したモンスターだ。


「あ……ごめん。なんか急に自分語りしてキモいよな。

 つまり何が言いたいかというと、蒼乃を自宅に誘ったのが不快じゃなかったかなと考えて、ボーっとしたというか……」


 いくら腹の底を語るとはいえ、躊躇をしなさすぎた。これ、聞いている側は不愉快なだけだ。


 自己嫌悪に陥り、俺は蒼乃から目線を外す。すると突然、背中に強い衝撃が走った。


「あ、蒼乃?」


 どうやら蒼乃に背中を叩かれたらしい。

 ひりつく背を擦りながら再び彼女に目線を戻すと、大きな声が周囲に響いた。


「めっっちゃ普通じゃね!?」


「え……?」


「彰人の自己中だって考え。当たり前の気持ちだってこと。

 ゆーてアタシだって自分のことしか考えてないし。

 それにウチらの関係だって、最初はアタシのバイトまでの暇つぶしからだったしょ。彰人の事情なんてお構いなしな理由」


「それは……そうだけど」


「そんなもんよ、人間関係って。

 アタシがクラスメイト全員と仲良くなりたいってエゴ。

 バイトがある日は時間まで彰人と勝負やダベったりして暇つぶしをする一方的な提案。 

 今日だって、本屋で彰人を見かけた時、相手の用事なんて考えずに話しかけたりしたわけだし。

 ぜーんぶ、アタシの気持ちが最優先。自己中でしょ……ね?」


 彼女はそう伝えて肩を上下に揺らしながらニヤリと口角を上げる。

 この優しさにどれだけ救ってもらったことやら。やっぱり、蒼乃には敵わないな。


「ごめん、蒼乃。なんかネガティブになってた。ありがとう」


「気にすんなし。誰だって気分が落ち込むことはあるっしょ」


「そうだね。もし、蒼乃が落ち込んでいたら、今度は俺が励ますよ」


「あはは!! そうなったらよろしくね。テン下げな日が来るか分かんねーけどさ」


「フフ……確かに想像できないな」


 心の奥底に侵食されていた暗い気持ちなんて容易く焼かれてしまう。

 あまりにも呆気なさすぎて、気づけば笑っている。


 ああ、凄く心地が良い。

 この関係がずっと続けばいいのに。

 そんな一方的な我儘な感情が溢れ出していく。


 だったら、このまま俺のエゴを通そう。

その為の一歩を進む前に、4月にあった出来事は大丈夫だと伝えないと。


”影島くんは失恋について気にしてないって言ってたけど、アタシ自身が失恋した人を笑ったのを許せないんだ”


 俺の失恋から始まった奇妙な出会い。

 今なら本当の気持ちが伝えられるはず。


 俺は独り言を呟くみたいにポツリと言葉を漏らした。



「蒼乃。俺はもう気にしてないよ」



 その言葉は彼女に届いたのだろう。蒼乃は俺の数歩ほど前を行き、くるりと回転をして正面に立ってみせる。



「そっか。なら良かった」



 もう何度も、飽きるくらいに瞳に映してきた表情。

 彼女は笑顔を照らし、俺の奥底に漂っていた未練を綺麗さっぱり消失させてくれた。


 これ以上の言葉はいらない。口の中では不思議な甘さが広がっていく。

どうやら想い出の味が分泌されているらしい。それはチュッパチャップスのチェリー味。

俺の心は甘酸っぱい感情に侵食されていくのであった。


………

……


「彰人の自宅にとうちゃーく!!」


「わ~」


 閑静な住宅街。立ち並ぶ家々の1つ。とある築30年くらいの一軒家の玄関前。まあ、俺の実家なのだけれど。


 蒼乃は両手を上げながらバンザイポーズをし、俺はそれに合わせて平坦なリアクションと拍手を送る。

ついにやってきましたメインイベント。彰人の自宅訪問。心臓が最高潮に高まっております。

……この茶番は誰に需要があるのだろうか? 直射日光を浴び続けていたせいで頭がおかしくなってるな。


 つい先程まで”俺の失恋の傷は癒えた”的ないい雰囲気にのまれていたので、空気的に忘れかけていた。

 俺の童貞、蒼乃に奪われちゃったよ。女子を自宅にあげるっていう実績のね。


 そんな俺の高ぶりなんて気にもせず、蒼乃は自身の上着を掴んでパタパタと空気を入れながら一筋の汗を流した。


「彰人~。流石に熱いのガマンすんのキツくなってきたし~」


「あ、悪い」


 時刻は午後12時半くらい。太陽が真上に登り、頭部をジリジリと焦がしていく。

熱中症により自宅前でぶっ倒れるなんて笑えねぇ。なにより友だちを病院送り……なんて字面だけでゾッとする。


 俺は素早く鍵を取り出し玄関の扉を開ける。室内も日光によってむされていたのか熱の壁が同時押し寄せてきた。これは熱い。

 ああ、でも、自室はエアコンをかけっぱなしにしていたな。グッジョブ、俺。


 玄関に上がり、俺は蒼乃に向けて指示をする。


「俺は飲み物とかの準備をするから、蒼乃は先に2階へ上がって俺の部屋に入っていいよ。エアコンつけっぱだから涼んでて。

 部屋扉のプレートに”あきひと”って書いてあるから分かるはず」


 脱いだ靴を整えつつ、彼女に伝える。……が、蒼乃は何故か玄関扉の前で立ったまま、家へ上がる気配が無かった。

 もしかして、気分が……?


 背筋が凍る気配を感じながら、俺は感情を抑えないまま彼女に問いかけた。


「蒼乃……?」


「あ、ごめん!! その……彰人の家族は?」


「え? あ~今日は全員居ないかな。父さんは仕事だし、母さんもパートで19時までは帰ってこないかも。姉さんもバイトだし」


「そっかぁ……」


 蒼乃は頬を掻きながら言語化しづらい微妙な表情をみせる。なんかマズイ事情でもあったのだろうか? 

 そもそも俺の家庭事情を聞く理由が分からないぞ。


 頭に疑問符が沢山浮かぶも、あまりの暑さに思考が回らない。もしかして、蒼乃も疲れていて意図しない質問をしたのかも。

 あれだ、きっと。他所の家へ遊びに来たのに、菓子折り1つも持たずに訪問してマナー違反だとかそんな感じの。

 うん、多分そうだろう。あっついしな!!


 俺も我慢が限界に達したのか、早く涼みたいという理由で考えを放棄。適当な理由を脳内ででっちあげて納得させる。


「蒼乃。ここで立ち話していると暑さにやられるよ。倒れられたら介抱できる自信がない」


「あ、ごめんっしょ。何を考えてんだよ、アタシ。お邪魔しまーす」


 乾いた笑いを響かせながら、蒼乃はあっさりと玄関へと脚を踏み入れた。

なんで躊躇していたのか理由は分からないけど、とりあえずヨシッ!!


 あとはキンキンに冷えた自室へ入ればミッションコンプリート。

 蒼乃も体調が悪そうだし、早く案内してあげないと。


「さっきも伝えたけど、俺は飲み物を取ってくるから、蒼乃は先に部屋へ行って。

 麦茶で大丈夫?」


「あんがと~。麦茶でおっけ~」


 彼女は親指と人差し指を丸くつなげてOKサインを作り、2階への階段を登っていく。

 首筋には汗をかいており、蒼乃の長い髪がうなじにくっついていたのが何とも言えない叡智な感情を湧き起こしてしまう。


 おっと、いかんいかん。それだけ暑さが凄いって証拠だろうが。早く飲み物を持ってきてあげないと。


 首を左右に動かし邪念を振り払い、リビングへの扉を開けた。

カーテンは全開放されており、見るだけで暑さを連想させる日差しがさんさんと降り注いでいた。家が蒸し暑くなっていた原因はこれか……。


 左手で汗を拭って台所へと急ぐ。グラス2つをオボンに乗せ、冷蔵庫から作り置きした麦茶のガラスポットを取り出した。

 すまぬ、蒼乃。もう我慢ができそうにない。

 俺はグラスに麦茶をそそぎ、それを一気に喉へと通した。ああ~生き返るんじゃぁ~。


「ぷはぁ……五臓六腑に染み渡るぜぇ。蒼乃にも、この快楽を共有しないとな、ゲヘヘ」


 まるでエロ漫画で媚薬を運ぶ竿役みたいなロールプレイ。暑さのせいでかなりアホになっているらしい。

ふざけている場合でもないので、俺はオボンを手に持ち、足早に自室へと向かう。

2階への階段をギシギシと軋ませながら登りきり、廊下を少し歩いた先にある”あきひと”と書かれたネームプレートが掲げられた扉の前で足を止める。


「蒼乃。入るよ~」


 そうすると「おけまる~」という俺の不安を一蹴する能天気な返事が返ってきた。この安心感よ。


 扉を開けると、突き刺すような冷気が押し寄せてきて、体の熱を冷ましてくれる。外との温度差もあったせいか寒いくらいだ。

そんな室内では蒼乃がベッドを背もたれにしながら足を伸ばし「最高だしぃ……」と口を半開きにして超がつくほどくつろいでいた。

おおよそ人にみせてはいけない顔をしている。お行儀が悪いので口を閉じなさい、口を。


 リラックス状態の彼女を脳内で叱りつつ、部屋の真ん中に設置されたローテーブルに麦茶を置いた。


「お嬢様、麦茶をお持ち致しました」


「うむ、くるしゅうない。下がってよいぞ」


「ここ俺の自室なんだけど?」


「あはは!! ごめん、ごめん。クーラーが快適すぎて、のんびりしすぎてたし」


 蒼乃は背もたれにしていたベッドから体を離して、両足の間にお尻を落とした座り方……つまりペタン座りに姿勢を変えた。

見慣れた自室に異性が居る非日常感。うむ、実にいい。

先程までは友人を招き入れるのにめちゃくちゃ緊張していたのに、今では余裕さえ生まれているのは彼女の明るさがなせる技だろう。


 ……っと、このまま憧れのシチュを堪能している場合じゃない。蒼乃の喉はカラカラだろう。

 ボトルを傾けグラスに麦茶を注ぎ、蒼乃の前に差し出した。


「はい、麦茶。喉乾いていたでしょ」


「さんきゅ~」


 蒼乃は一言お礼を告げて、すぐさま麦茶を体内へと流し込んでいく。

彼女の揺れる喉。首筋に浮かぶ汗と水分を吸収した髪。む……これはいかんな。自室ともあり卑らしい欲望に支配されそうだ。


 俺は一歩間違える前に立ち上がり、本棚の前へと移動する。本来の目的に思考を戻さねば。

 1巻から巻順に綺麗に並べられたONE PIECEを眺めながら、彼女に質問をする。


「蒼乃。ONE PIECEは何処から読みたい?」


「グランドラインに入るまでは読んだから、そこら辺からかな~」


 そうなると12巻辺りからだな。蒼乃の読むペースは分からないけど、とりあえずアラバスタ編に入る辺りまででいいだろう。

俺は本棚から該当する巻数を手にとって、ローテーブルの前にコミックスをドンッと置いてみせた。

彼女は現物のコミックスを目の当たりにして目を輝かせる。


「おお~!! マジで本物だし~」


「ONE PIECEに偽物ってあるのか……?」


「だってさ~、アプリで時々、無料で読めるだけだもん。画面とか小さいし、迫力とかコミックスのがダンチだし」


「あ~なるほど」


 電子パッドならまだしも、スマートフォンでONE PIECEを堪能するには確かに面白さは半減だろうな。

見開きとか多い漫画だしね。ページ分割されて中途半端に表示されるシーンを想像すると何とも味気ない。


「彰人、さっそく読んでいい?」


 俺は言葉にせず”どうぞ”っといった形で右掌を出しながら勧めると、彼女は「あんがと~」と、お礼を告げて、漫画を手に取り読み始める。これから始まる大冒険に胸踊らせる少年みたいだ。


 その瞳は真っ直ぐに漫画の世界に向けられており、俺の視線なんて気にせず没頭しているのが分かる。

普段こそ騒がしいのに、こうして口を閉じられてしまうと、なんだか慣れなくてむず痒い。


 そんな蒼乃の横顔を眺めると、改めて美人側の人間だと実感してしまう。

捻くれた俺でも可愛いなと素直に思ってしまうくらいだ。言葉にはしないけどね。絶対に変な空気になる。


 さて……このまま蒼乃の様子をずっと眺めていたいけれど、彼女も見られていると集中出来ないだろう。

そろそろ俺も冒険の世界に飛び込もう。ONE PIECEの最新巻から数巻前を本棚から数冊ほど取り出し、蒼乃の斜め前に胡座をかいて座り読み始める。


 あれほど緊張していたのに意識はあっさりと作品へと遷移。人間、案外単純なものだ。


 おかげで数時間は何も語らず読むのに集中し、静かな時間だけが流れていく。

 漫画のページを捲る音。

 エアコンの空調が漏れる音。

 時折、外から聞こえてくる車が通る音。


 いつもなら蒼乃と居れば笑いばかりの騒がしい空間ができあがるのに、今日は初めて静寂が創造されていく。

 煩いのは苦手だ。落ち着いた雰囲気が大好きだ。だけど、蒼乃が居るのに喧騒とは程遠い今の空気は寂しさを覚えてしまう。


 騒がしさを求めるなんて、俺も随分と変わったな。それが可笑しくて、思わず「フフッ」と小さく頬を緩ませてしまった。

 いつもなら微弱でかき消える声。今の静寂ではハッキリと聞こえてしまう。


 彼女はその音を聞き逃さない。蒼乃の視線が漫画のページから俺の瞳へと移動した。


「なんか面白いシーンでもあったん?」


「あ、いや。いつも蒼乃と居ると静かさとは程遠いから、そのギャップがおかしくて」


「それな~。アタシ、漫画読んでる時とか勉強をしていると、なんか黙っちゃうタイプでさ。

 ダチと居る時、毎回笑われんの。ウケるっしょ」


 彼女は静けさを呆気なく突破る笑い声を上げてみせた。狭い室内もあり、声がよく通る。この実家のような安心感よ。

 いや、ここは俺の実家なんだけどさ。


 どうやら蒼乃も黙っているのは性に合わなかったらしい。手にした漫画をパタンっと閉じて雑談モードへと移行する。


「そういえばさ、彰人ってワンピで一番好きなキャラって誰?」


「う〜ん。やっぱり主人公のルフィかな。蒼乃は?」


「ん〜、簡単に教えるのもあれだし、当ててみせてよ。アタシがワンピでどのキャラが好きなのか当てる勝負」


 蒼乃が提案してきた勝負。それはもちろん、俺達が日常的に行っている敗けた相手が勝った相手の言う事を聞く勝負だ。

 ちなみに勝率は蒼乃が圧倒的に高い。悔しいぜ。


「その勝負乗った。ちなみに好きなキャラは麦わら海賊団? 数が多すぎて絞らないと勝負にならん」


「うん。好きなキャラはルフィ仲間の誰かだし」


「ふむ……」


 そうとなれば答えは絞られる。王道をいくルフィだろうか? 

 いや、単純にマスコット的な可愛さからチョッパーかもしれない。

 よし、決めた!!


「答えはチョッパーで!!」


「ハズレ〜。答えはナミでした〜」


「予想がカスリもしなかった……」


 蒼乃と勝負をするたびに俺が敗けるので、もはや回答も即答が多くなくなってきた。お約束というやつである。


「あ、でもチョッパーも好きだよ。どちらかといえばドラム王国のエピソードも含めて好きだな~。ラストのシーンはガチで泣いたし」


「あれ良いよね。分かる」


「でしょ~」


 よもや蒼乃とオタク特有の「あれいいよね?」「いい」というツーカーの会話をする日が来るとは思わなんだ。

エピソードとキャラの好みは別々のあたり、お主語れるのぉ……と唸ってしまう。

しかし、好きなキャラはナミときたか。理由が気になる。


「それで、なんでナミが好きなの?」


「そりゃあ、めっちゃスタイルいいじゃん。アタシって、ほら。太めだし……言わせんなよ~」


「いや、蒼乃だって……健康的だと思うよ」


 細いよと告げようとしたが、俺の目線が彼女の太腿に移ってしまう。うん……女子にしてはムッチリタイプだと思う。

 世の男性諸君なら程よいが、女性にしてみれば気になる部分だろう。価値観の相違というやつだ。


「黙るなし~。ちょっと傷ついたぞ~」


 目線を泳がす俺に対して、彼女は白い歯をみせながら軽く叩いてくる。

 すまん……。だけど、俺は太めでも一向に構わんけどな。


「そんで彰人。実際のところ、アタシの肉体についてはどーなのよ?」


「どう……っと申されましても……」


「勝負の権限を使いまーす。正直に言いなさい」


「細めより太めの方が好きです!!」


「へぇ~。そっか、そっか。ちなみに彰人的にはアタシの肉付きってどうなのよ?」


「凄く……好みです。ストライクゾーンです……」


 もはや豚みたいな声を出しながら正直に性癖を吐き出すと、蒼乃は「ふ~ん」っと漏らしながら手の甲で口元を隠していた。

 んん? もしやこれはデレというやつでは?

 俺は顔を上げて蒼乃の様子を確認しようとすると、彼女にデコピンをされて撃退された。無念……。


「あ~もう。変な空気になったし。話題変えよ」


 やはり蒼乃も恥ずかしかったのか、無理やり話題を変更してきたので、俺も空気を合わせるようにした。

このまま無理やりにでも話題を押し通すのも出来たが、ガチで嫌われたら立ち直れそうにない。

いくら吹っ切れたからといって、相手が嫌がる行為は回避すべきだろう。一度の失敗を取り戻すのは難しいのだ。


 こうして、俺は蒼乃と雑談を開始する。放課後の教室で語り合う話題と変わりない内容だ。


 蒼乃のペットであるヨシノの可愛さについて語られ、その犬の写真を観たい欲望から、俺はInstagramをインストールしてフォローしたと告げたら「そのためにインスタいれたんか、ウケる」っと笑われた。


 彼女のバイト先での無人レジ。そこでレジ慣れしていなかったおばあちゃんが、今では補助なしで操作出来るようになったらしい。

 時折、お話をする友だちになったとか。誰とでも仲良くなれる彼女らしいエピソードだ。


 蒼乃がある程度話し終えると、満足したのか長い息を吐き出した後、俺に向けて人差し指を立ててみせる。


「今度は彰人が語る番だぞ~」


「え、俺? その、何を話せば?」


 いきなり話を振られたものだから目がキョロキョロと忙しなく動いてしまう。その様子を眺める蒼乃は「こんなんノリでいいっしょ」とケタケタと体を小さく揺らしてみせた。


「ノリ……っていわれてもなぁ。出不精のせいで話せる内容なんて漫画とアニメくらいしか」


「それでいいじゃん。あ~、アタシに遠慮してる感じ? なら、ワンピとの出会いとか、それについて話してよ」


「それなら、まあ。

 えっと、何処から話せばいいのやら。まず大前提からかな。

 俺の両親はオタクです」


「いきなりぶっ込んでくんじゃん」


「おかげでNARUTOやONE PIECEとか平成の名作が家に当たり前みたいに沢山あってさ。

 まあ、こんな環境だから俺も影響されてオタクまっしぐらというか……」


「うんうん。親の影響って大きいよね~。アタシもママが化粧品業界の人でさ~。メイク術も影響受けた感じ~」


 待って? 蒼乃ママの話も気になるのですけど。きっと似たようなギャルなのだろう。想像するかぎり、おそらく美魔女だ。この手のママキャラは若いと相場が決まっている。漫画だけのお約束だけど。


 おっと、いかんな、話が脱線する。俺は気になる気持ちを脇に置いて、続きを話す。


「小学生に上がって、文字も読めるようになった時にさ。人生で初めて読んだのがONE PIECEだったんだ。

 とくに主人公のルフィは憧れの対象だったな」


「へぇ~。どんな所に憧れたん?」


「そうだね。しいて上げるなら、アーロンパーク編でナミが涙を流して助けを求めるシーンがあるじゃない。

 その時にルフィが大事な麦わら帽子をナミに被せて、たった一言”当たり前だ!!”って叫ぶシーン。

 子どもだった俺の心を射抜くのに十分すぎたんだ。息を吸うみたいに仲間の為になら戦える姿が凄くカッコいいなって思ったら、体が熱くなった」


「へぇ……それが彰人の原点か」


 そんな大した話でもないのに、蒼乃はニコニコと笑顔を向けながら聞いてくれたのが嬉しかった。

自分のことを知られる恥ずかしさがあったはずなのに、心を許した相手の前だと、正直になれる気がする。

そんな赤く染まった頬を誤魔化してくれるように、窓からの日差しが俺を照らしてくれた。


 そっか、もう夕方か。話し込んでたいせいか、気づけば日は斜めに傾き、空は茜色へと変貌する時間帯。

楽しかった時間もお終いだ。そろそろ母がパートから帰ってくる。

蒼乃も長居をすると迷惑だと思ったのか、大きく背伸びをした。


「んん~、楽しかったぁ~。そんじゃ、アタシはそろそろ帰るとしますか」


「送っていくよ」


「サンキュ、彰人」


 後は立ち上がって、家を出て、彼女を駅前まで見送れば終わり。そう思っていた。


 だけど、そんな穏やかな日常は呆気なく崩壊する。


 先程までずっとあぐらをかいた姿勢だった為か、脚が痺れていたらしい。

 俺は無理して立ち上がろうとしたせいでバランスを崩し、そのまま彼女の方向へと体が傾き……


 俺は蒼乃を押し倒してしまった。



 部屋全体に響く鈍い音。仰向けに倒れる友人。その上に向かい合う形で両手を床について彼女の瞳を見つめる俺。いわゆる床ドンという体制が出来上がっていた。


 すぐさま体を動かして離れようとしたが、脚が痺れて下手に動くと倒れてしまいそうだった。


 目と鼻の先には、驚愕混じる蒼乃の表情。


 今まで忘れかけていた感情が心音と共に沸き起こる。

脈が加速して血が下腹部へと一気に集約していく感覚。

息が荒れる。体が動かない。


 理性が徐々に削られていく。ずっと友人として接していたのに、その境界を跨いでしまえと悪魔が囁く。


 早くどけ、早くどけ、早くどけ!! 何度も言葉を反芻するも、体の自由は効かないまま。脚の自由は未だに訪れない。


 何かが音がする。それは俺が生唾を飲み込んだ音だった。

 あ……これは駄目かもしれない。


 微かに蒼乃から臭う柑橘系の香水の匂い。妖艶な表情。


 俺のイドが崩れ去った。


「……蒼乃」



「止めて……!!」



 俺が彼女の名前を呼んだ瞬間、上半身が揺れ動き、視界が天井へと移り変わる。彼女が俺を両手で突き飛ばしたのだ。

 勢いは消えず、俺は床へと飛んで背中に強い衝撃が走る。顔をあげると、蒼乃が瞳に雫を溜めながら見下していた。


「ぁ……」


「ごめん、帰るね……」


 彼女は手の甲で涙を拭うと、部屋から飛び出していく。俺は脚の痺れが残ったまま、追いかける行為でさえできなかった。

 階段を下る足音。その数秒後、玄関扉が静かに閉まる音。脳裏に焼き付いた潤んだ瞳の表情。


「……何してんだよ、俺」


 腕で顔を覆い、自身を呪うように言葉を吐き出した。

答えてくれる者は誰も居ない。エアコンの空調音だけが気持ち悪いくらいにハッキリと耳に残る。



 その日以来。蒼乃は放課後の教室に姿をみせなくなった。

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