第三話 陰キャにとって友達の名前呼びはハードルが高い

「影島くん。今日はアタシが決めた勝負をしてもらおう!!」


「あ、はい」


「テンション低いぞ~」


 桜井さんは実に楽しそうな表情を浮かべながら右手で俺の肩を小突いてみせた。


 いつもと変わらない夕日差し込む金曜日の教室。ノスタルジーを携える放課後に居残る人物は二人だけ。俺と桜井さんである。


 二日前の水曜日と同じく、俺の自席から机を挟んだ前の席に桜井さんが座っている形だ。

 今日は約束通り、桜井さんのバイト時間までの暇つぶしに付き合っている。


 さて、暇つぶしとは言ったものの、何をするのだろうかと身構えていたら、彼女は開口一番”勝負”を持ちかけてきた。


 前回は俺がソシャゲガチャを使用した勝負を提案をしたわけだが、桜井さんが考えてきた内容は一体、どのような物なのだろうか。

 随分とテンションが高いので余程の自信があるのだろう。


「それで桜井さん。勝負の内容は?」


「フッフッフッ。聞いて驚け~。今回はアタシが飼っている愛犬の名前を当ててもらおう!!」


「……いぬ?」


「YES、dog。アタシのペット」


 ……犬? 

 あ、えっと。これ、リアクションすべきだよな?


「ワァ……ぁ」


「ブフッ。反応うっす!!」


 正直、どう驚いた反応をすればいいか正解が分からず、ささやきじみた声を漏らしてしまった。

 どうやら桜井さん的にはツボったらしく、壮大に吹き出す。


「影島くんって皆と違ったリアクションしてくれるから楽しいわ~」


「はぁ……どうも」


 陰キャ特有の小さめ反応は彼女にとって新鮮に映るらしい。俺は珍獣扱いか? 

いや、不快に思われるくらいなら笑われた方が幸せではあるのだけれど。

俺自身がキモいと思っていても、桜井さんにとっては全て面白いに繋がるのだから凄いと思う。


 彼女は笑いの熱を冷ました後、スマートフォンを操作して、とある動画を見せてくれる。

それはリードに繋がれた犬のお尻が見える映像。犬種は……柴犬っぽい見た目だけど雑種だろうか。こげ茶な毛並み、小さな体躯と短い手足が愛嬌を強化している。


 カメラの位置から散歩中に撮影したのかな。犬が短い手足を賢明に動かしながら、アスファルトの上をトテトテと歩行していた。


「かわ……」


 可愛いと言いかけて単語を飲み込む。どうにも自分は自身を気色悪いと評価しすぎて、人前で本音を言うのを抑えてしまう妙な悪癖がついてしまったらしい。しかし、俺の漏らしかけた言葉を桜井さんは見逃さない。


「かわ……? ん~? アタシのワンコに何かあるのかな~?」


 彼女は前のめりになりながら俺の顔を覗き込む。もはや言い訳はできないだろう。


「イヌ……カワイイデス」


「あはは!! なんでカタコトなんだし。素直に可愛いって言えばいいじゃん~。

 ほれ、もっと眺めな。アタシのペット、キュートっしょ」


 桜井さんは犬の写真や動画を次々と放出し始めた。

犬を抱きかかえる桜井さん。犬に顔を舐められる桜井さん。

公園の原っぱで水を得た魚の如く走り周る犬……と一緒に走る桜井さん。


 なんというか、犬と桜井さんの2ショット率が高いな。

 可愛いワンコに集中できないぞ、これ。


「影島くん、どーよ」


「とっても可愛いと……思います」


「でしょ~?」


 彼女は両腕を組んで満足気にウンウンと首を上下に動かしてみせる。

可愛い……と伝えたのは犬もそうだが、桜井さんも含まれているのはもちろん内緒だ。そう考えている自分が気色わるすぎる。


 邪な思考を奥底に沈ませ、本題へと戻る。


「ねえ、桜井さん。犬については十分に堪能したけどさ、今回の勝負、犬の名前を当てるんだよね。

 ヒントなさ過ぎ無い?」


「あ~、それな。ペットの可愛さを共有したかっただけだし」


「勝負は!?」


「あはは!! でも、影島くんも楽しんでたじゃん」


「それは……そう!!」


 あまりにも自由過ぎて思わず大きな声を張り上げてしまう。

そんな俺のリアクションを見ながら、桜井さんは天井を見上げながら笑ってみせた。

弄ばれている感が半端ない。翻弄されている自分も、この時点で敗けてるような気もするし。


 俺がツッコミで荒れた呼吸を整えると、桜井さんは「ごめん、ごめん」と軽く謝罪をし、次の写真を見せてくれた。


「ここからが勝負っしょ。この写真にペットの名前が連想できるヒントが隠されているよ」


 その写真はスマートフォンの待ち受け画面に設定されていた。

場所は外だろう。写真の中心に桜井さんが屈んで犬を持ち上げている。

ペットは飼い主に似るというのか、どちらも気持ちいいくらいの笑顔だ。

そして、バッグには一本の桜の木が映っている。

ピンク色の花びらが写真半分を埋め尽くしており、純粋に綺麗だと思えてしまう。


 この中にヒントがある……か。今まで見せてくれた写真や動画との差分を考えれば桜が関連しているのだろうな。

 あとは、いつの時期とかか?


「桜井さん。この写真って今年の3月に撮ったの?」


「そーだよ。いい感じのロケーションで激エモっしょ。

 ここって家の近所にある桜なんだよね。アタシが生まれる前からあって、毎年ここで写真を撮るのが恒例行事になってるかんじ。

 今年は高校入学って超節目の時期だったから、満開の桜が見れてよかった~」


「ふむ……」


 桜井さんは頬をかきながら少し顔を赤らめ返答をしてくれる。

待ち受け画面にするくらいなのだから、随分と思い入れがある場所なのだろう。

となると……犬の名前も桜に関連しているはず。


 俺はこめかみを指先でトントンと叩きながら考察する。

安直に考えるならばサクラって名前かな。いやいや、流石に簡単すぎるか。


あと考えられる候補……。別に桜は詳しくないが、写真に写っている品種はソメイヨシノだろう。

となると、これに関連した名前である可能性が高い。

桜井さんも極端なヒントは出してくれないあたり、勝負として持ちかけるなら妥当な線かも。

ヨシッ、決めた。


「犬の名前は”ヨシノ”?」


「ほう? それが影島くんの答えか~」


 彼女はアゴに手を乗せて余裕そうな表情をみせる。

顔つきから、当たりなのか間違いなのか判断はつかない。だが、即座に否定しない辺り、答えは近いのだろう。

なにせ桜井さんは”楽しい”を優先する人物ギャンブラー。俺があまりにも正解から遠い回答をするものなら「違うし~」っと笑ってみせるだろう。

それをしてこない。つまりは限りなく答えに近いはず。


 あとは、俺自身の予想を何処まで信じるかだ。


「そんで、影島くん。君の答えは”ヨシノ”でいいのかな~」


 彼女はニタニタと口角を上げて煽り始める。この反応から俺の想像通り正解か間違いの二択なのだろう。

仮に答えがヨシノでなければ、最初に思いついたサクラ辺りが正解なはず。

どうせ二分の一。回答はこのままでいこう。


 そう考えて、桜井さんに返答しようとした瞬間、脳裏に第三の選択肢が浮かび上がる。


「答えは”ソメイ”に変更で」


「ほぉ~、いきなりの変更だね。一体、どんな心境の変化っしょ」


「桜井さんが余裕そうな笑いを浮かべていたから……かな。

 それに、そっちの方が”楽しそう”だったから」


「んふふ~。いいね~」


 俺の返答に満足したのか、桜井さんは体を上下に小さく揺れ動かしている。

そして、小さな咳払いを1回して、正解発表の前フリを行った。


「そんじゃ、結果はっぴょ~。

 アタシが飼っている犬の名前は……」


「……」


 ゴクリと唾を飲み込むと、桜井さんは一瞬だけニヤリと右頬を上げて答えを伝えてくれる。


「正解は”ヨシノ”でした~」


「変えなければ当たってたのかよぉ……!!」


 思わず机に突っ伏して頭を抱えると、桜井さんが机をバンバンと叩く音が聞こえてくる。


「あはは!! 影島くん、面白すぎる。ホントに楽しいを優先するなんて思わなかったし」


「うう~」


 あ、やべぇ。答えを変えなければ正解だった事実が悔しすぎる。

 何が「そっちの方が”楽しそう”」だよぉ……。うがぁ~ハズい。勝負にも勝ててたのにぃ。


しかし、俺が悶えるほど桜井さんにとっては愉悦の燃料にしかならない。

教室内は彼女の楽しげな声に満たされていく。


「あ~、笑った、笑った。ふふ……。

 今日は影島くんに勝ちを譲ろうと思っていたのに、まさかすぎて……ブフッ」


「我慢して吹き出すなら大笑いしなよ」


「いやいや、それは申し訳ないし。あまり笑いすぎても嫌っしょ」


 そう言いつつ口元を右手で抑える桜井さん。どんな表情を浮かべているのかバレバレすぎる。

これは落ち着くのに時間がかかりそうだと思い、しばらく様子を伺う。


数秒後、彼女の感情も落ち着いてきたのか、口元に添えた手を降ろしてみせた。


「やっと落ち着いてきたし」


「あ、うん。それで今回の勝負は桜井さんの勝ちだけど、願い事は何にするの?」


「あ~、それね。今日は敗けるつもりだったから考えてなかったし」


 彼女は目線を左上に向けて勝者の権利を考え始める。

所作をみるに、今日は俺に勝ちを譲るつもりだったのは本当らしい。

申し訳ない桜井さん。基本的に陰キャは己を信じない逆張り体質なんだ。


 自身の性格の悪さを反省をしていると、桜井さんが願い事を思い付いたらしい。

開いた右手に左手の拳をぽんっと当ててみせる。漫画とかでよく見る何かを閃いた時にする動作だ。


「おっし、決めたし」


「財布だしたほうがいい?」


「笑っちゃうから止めろし。今回はすぐに実行できる願いっしょ」


「へ、へぇ……」


 背中が指でなぞられたみたいな悪寒が駆け巡る。

桜井さんは名案が浮かんだみたいな顔つきをしているが、逆に言えば俺みたいに奥手で恥ずかしい行為を避ける人物にとっては絞首刑ものの提案な可能性がある。


 俺は浅い呼吸をして身構えると、桜井さんは近所のコンビニに行くくらいの軽い感覚でハードルの高い要求を伝えてきた。



「お互いに名字じゃなくて名前呼びしよ~」


 ……は?


 おおん……!? 波打ち際に打ち上げられたオットセイみたいな声が思わず出そうになり、寸で噛み殺す。

 名前呼びって、おまっ!! それって、もっと仲良くなった間柄でやるやつじゃないの?


 ああ、でも……考えてみれば桜井さんはクラスメイト全員と仲良くなるのが目標だったな。

 村上さんのことも”ハルカっち”と名前で呼んでいたし、彼女的な距離の詰め方なのだろう。

 落ち着け~、俺。これは桜井さんの普通。そう、普通。


 何度か腹の底で問答を繰り返して理性を保つ。

だがしかし、彼女はそんな俺のイドの隙間に容赦なく光の剣をぶっ刺してくる。


「彰人♪」


「オッフ……」


 親族以外で初めてされた名前呼び。破壊力が半端ねぇ。

桜井さんも自覚はあるのか、机に頬杖をつきながらニヤニヤと笑みを浮かべ、慌てふためく俺の表情を観察している。

くそう……。完全に手のひらの上だよ、畜生。


「あの、桜井さん。ちょっとハードルが……」


「何いってんのさ彰人~。勝者の願い事を叶えないといけないルールっしょ。

 アタシの名前も呼んでよ、ほ~ら♡」


 すると桜井さんは自身の口元近くに両手でメガホンを作り、「アタシの名前、蒼乃だよ。あ・お・の」とメスガキみたいな煽りをしてくる。

さっきまで相手を笑い過ぎると申し訳ないとか言ってた気遣い上手の娘はどこに行ったんだよ、もう……。


 たぶん、桜井さんは俺の表情から不快に感じてないと読み取り、余裕で攻めてるのだと思うけど。その通り正解だよ。


 体中は熱いし、正直恥ずかしい。だが、これも逆張りして正解を外した俺の責任。覚悟を決めろ!!


「あ、えっと……アオノサン」


「ん~? 聞こえないなぁ~」


「蒼乃さん!!」


「よく言えたじゃん、彰人」


 心底嬉しそうな表情をみせながら、人差し指で俺の体を突いてくる桜井さん……もとい蒼乃さん。

しかし、彼女はこれで満足しなかったのか、更にもう1つ要求を重ねてきた。


「ん~でも、”蒼乃さん”って呼びは硬いかな~。

 蒼乃って呼び捨てでいいよ」


「アッ”……その、それ以上はキャパオーバーといいいますか」


「”い”が1つ多いし、ウケる。でも、そっか~。彰人はアタシを名前呼びしたくないほど嫌いなのか~」


「あ、蒼乃」


「えへへ、上出来」


 あ~、ああ~~!! もう、無理です。童貞には刺激が強すぎる。

 なんでこうも平然と心の間合いをぶっ壊してくるのかなぁ、桜井さんは!!


 俺の理性は限界突破し、椅子の背もたれに重心を預けて天井を見上げてしまう。

おそらく顔中真っ赤なのだろう。鏡とか見なくても分かるよ。だって全身が熱いんだもん。


 死にたくなるくらいの羞恥と嬉しさが交じる感情に溺れる俺の心。

そんな感情を散々弄んだ桜井さんは気にもとめず、壁掛け時計を眺めて慌てた声を上げる。


「あ、ヤバっ!! もう17時近くじゃん。バイト遅刻したら怒られるし~」


 桜井さんは慌てた様子でリュックを背負い、パタパタと足早に教室入り口扉まで走り出す。

すると、出る前に首だけ俺の方を向いて、いつもと変わらない笑みを向けてくれた。


「彰人。また月曜日の放課後にね。バイバイ~」


 手を降る彼女に俺も同じく手を左右に動かして無言で応える。そのまま桜井さんは教室を出ていった。

 今日は扉をしっかりと閉めていったので、戻っては来ないだろう。


「……」


 驚くほどに静かな教室。なのに、何処からともなく煩い雑音が聞こえてくる。

 ああ、そうか。これは俺の心音か。


 胸に手を当てると、ドクドクと今にも爆発しそうな速さで心臓が動いているのが肌越しに伝わってくる。


「あ……」


 マズイな、これ。

 俺はすぐさま立ち上がり、リュックを背負わず手に持ったまま早歩きで教室を後にする。

誰も居ない廊下を歩き、階段を下り、下駄箱までのルートを真っ直ぐに辿るが、脈が煩くて仕方がない。


「くそ……」


 考えるな、考えるな。

靴を履き替えて、校舎から校門まで一気に走り抜けたが”この”感情は消え去らない。

しばらく走れば雑念を振り払えるかと思ったが、運動不足なせいで、すぐに息が荒れてしまい立ち止まってしまう。


「ああ、なんで俺は免疫が無いんだよ」


 キモい、キモい、キモい。何度も反芻して自分を批判するが、心は熱を保ったまま。

桜井さんにとって俺は特別でもなんでもないのは知っているさ。

それでも、彼女と話している時が楽しくて、憂鬱なはずの月曜日が早く来ないかと心待ちにしている自分が存在していた。


 昔から人見知りの引っ込み思案。そんな俺が積極的な行動力を得るパターンが1つだけある。

 脳裏によぎるのは村上さんの顔。すぐさま拳を額に当てて思い描いた幻想を消去する。どうにも俺は惚れっぽい性格らしい。


「早く帰って寝よう。そうすれば忘れるはず」


 手に持ったリュックを背負い、帰宅を決意する。するとタイミングを見計らったみたいにスマートフォンがバイブ音を鳴らす。

おそらくLINEにメッセージが入ったのだろう。

相手は誰だって? いちいち確認するまでもないだろう。10割で家族からの連絡だ。


 重たい息を吐き出した後、スマートフォンの通知画面を確認すると、予想通り母からのLINEメッセージ。

 どうせ学校帰りついでに買い物をして欲しいという内容だろう。早速、アプリを起動して確認をすると……。


『学校、お疲れサマ(^O^) 帰りに卵とサラダ油買ってきて。お金は後で渡すから。よろしくネ(^_^)』


 何とも言えないおじさん構文なメッセージに頭がくらつく。

顔文字を使うのと文末をカタカナにするのを止めろと言っているのに、何故続けるのだろうか、母よ……。

おかげで先程までの煩悩的な考えは全部吹き飛んだけどさ。そこだけは感謝だな。


「了解っと。さて、スーパーに寄るか」


 ん……? 待てよ?

 ふと思い出したのは桜井さんが語っていた言葉。

 ”ここから徒歩10分くらいにスーパーあるっしょ? そこがアタシのバイト先~”


「あ!!」


 俺はそこで気づく。近くのスーパーは桜井さんのバイト先。

そして、彼女は現在バリバリに勤務中だという事実に。


 漫画的な煽り文を付け加えるとしたらこうなるだろう。

 『桜井さんのバイト先突入編』 

 そんなイベントが開始されようとしていた。

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