中編
学校へと向かうべく玄関ポーチから階段を降り始めたローズマリーが、つまずいた。
見送りに出ていたセレストが「あっ」と思う間もなく、ローズマリーの少し前にいたエリスが、素早くローズマリーの腰へと腕を差し入れる。
お陰でローズマリーが転ぶこともなく、また、彼女にとっても愛する恋人に抱き寄せられるように助けられるという僥倖があった。
「ご、ごめん。ありがとう、エリス」
「……怪我されたら面倒なことになるからな。それだけだ」
ローズマリーの礼の言葉に、エリスは明らかに照れていた。しかし、勢い余って憎まれ口を叩くのはよろしくない。
セレストはエリスに物申したい――というか、諭してやりたい気持ちに駆られたが、いらぬ老婆心だろうかと口をつぐむ。
憎まれ口を叩かれた当のローズマリーはと言えば、うっとりと恋する乙女の顔をしてエリスを見ている。
レスターは「エリスのほうがマリーにぞっこんだ」と言ったものの、セレストには逆に見えたし、エリスの叔母などにもそう見えているのはたしかだった。
愛の形は様々だ、とセレストは思う。当人たちが現状で満足しているのであれば、関係のない外野である第三者があれこれと口を出すべきではないのだろう。
それでもセレストは「もう少しエリスの態度はなんとかならないものか」と思ってしまう。
セレストは、エリスの優しさを知っている。今だって転びそうになったローズマリーをとっさに支えたのだから、態度はともかく根は悪くはないのだ。
セレストが身に覚えのない中傷を受けたときだって、エリスは静かに怒っていた。
エリスはだれかのために怒ったり、助けたりといったことができる子なのだとセレストは知っている。
知っているからこそ、余計に今のローズマリーに対するエリスの態度にひとこと言いたくなってしまうのだ。
エリスとローズマリー。ほかでもないふたりには、幸せになって欲しいと思っているからこそ。
エリスもローズマリーも、その幼少期は幸せだけだったとは言い難い。
結婚を反対され、駆け落ちをした両親から生まれたエリスは、その親が事故で一度に亡くなって身寄りを失った。
エリスの母親の妹――叔母が、姉の訃報を知ってエリスを探し当てたとき、彼は貧民街の片隅で死にかけていた。
両の親を喪い、行き場を失くしての貧民街での暮らしはエリスにとって辛いものだったに違いなく、そのころの彼はひどく猜疑心が強く、いつだってにらみつけるような目をしている子供だった。
セレストがそんなエリスを弟子にとったのは、セレストが名の知れた魔女であったからだ。
両親の死後、保護者もなく育ったエリスは精神不安などを由来とする、「魔法暴走」と呼ばれる状態に陥り、死にかけ、叔母に発見されるに至った。
貧民街のいくつかの建築物を破壊するほどの「魔法暴走」を起こしたエリスは、彼の叔母の手には明らかに余った。彼の叔母は非魔法使いだったからだ。
よって叔母は伝手をたどって、魔女としては多少名の知れていたセレストにエリスを預けるに至ったのだ。
そしてエリスはそこでセレストの義理の娘であるローズマリーと出会った。
ローズマリーはローズマリーで、セレストに引き取られるまでに辛酸を嘗めていた。
拉致され、監禁された経験が幼いローズマリーの心を傷つけたことはたしかだ。
もっと不幸だったのは、ローズマリーが行方不明になっていたあいだに、彼女の両親が相次いで亡くなってしまったことである。
始めに、体の弱かったローズマリーの母親が、恐らく心労を理由に亡くなると、後を追うようにローズマリーの父親も心臓発作で世を去った。
恐ろしい目に遭い、しかし助かったローズマリーを待っていたのは、そんな残酷な現実だった。
セレストはローズマリーの父親のかつての教え子だった。
ローズマリーが魔法の才を持っていたために周囲が持て余していたことを知ったセレストは、その恩師の遺児を養子として引き取るに至った。
セレストがエリスをふたつ返事で預かったのは、両親を喪った境遇のローズマリーという存在がすでにいたからというのも理由のひとつだった。
もちろん、まったくなにも考えずにというわけではなかったものの、セレストの決断は、ともすればローズマリーへの配慮に欠いていた可能性もある。
しかし結果から言えば、この出会いはエリスとローズマリー、ふたりに良い効能をもたらした。
当初は――当たり前だが――余所余所しく、目も合わせられないような仲であったものの、まず初めに歩み寄ったのはローズマリーだった。
意に反し、体中を魔力が駆け巡り魔法を暴発させる「魔法暴走」――。セレストに引き取られてからもう何度目かもわからないそれを起こして、苦しげに横たわるエリスをローズマリーが気遣うようになったのが発端だった。
猜疑心に満ち満ちていたエリスは、そんなローズマリーを邪険にした。けれどもローズマリーはなぜかあきらめなかった。
セレストはエリスから心無い言葉を向けられるローズマリーを心配したが、彼女はセレストが思っていたよりずっと気丈だった。
「わたしのほうがお姉さんだから」
そう言ってローズマリーはエリスにかかわることをやめようとはしなかった。
無理をしていないことはセレストにはわかった。
魔法は、「想い」の力で使う。
ローズマリーが「魔法暴走」を起こすこともないどころか、めきめきと魔法の腕を上達させていくのを目の当たりにしたセレストは、彼女が真にエリスを想い、魔法を使っていることを察した。
ローズマリーのその「想い」は、もしかしたら憐憫が発端かもしれない。けれどもたとえ憐みからでも、姉ぶりたいという欲求からでも、エリスを心から想っての言動であることはたしかで――。
そのローズマリーの真摯な「想い」は、エリスの猜疑心を氷解させた。
それから徐々にエリスも「魔法暴走」を起こすことはなくなって行き、今では魔法使いの卵として元気に学校へと通えている。
エリスが「魔法暴走」を起こすことがなくなったのは、魔法を制御する「想い」の力が強くなったからだ、ということは明らかだ。
そしてその「想い」の源がローズマリーであることも。
エリスとローズマリーが仲を深めるにつれ、両者ともに精神も魔法も安定して行く姿をセレストはそばで見守っていた。
だから、セレストはエリスとローズマリーが互いを「想い」やる気持ちを、よくよく知っているつもりだ。
だから、ふたりには大人からすればつまらない問題――思春期的態度――で破局して欲しくはないという気持ちを、セレストは持っている。
しかしそれはふたりの保護者であるセレストがしゃしゃり出ていい問題でもなくて――。
セレストは仲良く――彼女にはそう見えている――並んで登校するローズマリーとエリスの背を見送り、自然とため息をついていた。
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