清水優太

「私は挫折を知っています。幼き頃の私はおとぎ話を信じていました。善は救われ、悪は罰せられると疑うことはありませんでした。。あの頃に戻れるなら教えて上げたい。あんなものは、理想論に過ぎないのだと。そうと分かっていればきっと今こんな状況にはなっていないのだと。馬鹿だった。後悔しても過去には戻れない。

私の不幸は寂しいと、悲しいと伝えることが出来ない事です。1度だけ彼女の前で泣いたことがあります。もう一度だけママに会いたいと。彼女の顔は眉にシワがより、目が飛び出でるほど見開き、一瞬で赤く染まりました。それは、とても傷ついたと10歳に満たない私でも分かるほどの顔でした。そして、叫ぶのです。「こんなに優しくしているのに!どうして!!私の何が悪いの!!」その声を聞いてパパはリビングに駆けつけて来ました。そして彼女をなだめ、そのまま寝室へ連れていきました。少ししてからパパが私の部屋にやってきて私を抱き上げ言いました。「彼女もママになろうと頑張っている。だから受け入れてあげて欲しい。お前は良い子だからできるだろ?」これは今の私を作り出し縛り付けた呪文でした。私が泣きそうになる度にパパはため息をつき、私の頭を撫で言うのです。「良い子だから、泣かないでおくれ」私が泣くことは許されないのだと理解しました。彼女は年々私への態度が冷たくなっていたのも理解していました。当たり前です。本当のママではないのですから。でも、そんな私に似ている話を読んだことがあります。正確には読んでもらったのです。ママは元々体が弱かったそうです。パパが言うには、ママは神様に試練を与えられているのだと言いました。ママは強いから私が良い子にしていれば必ず勝てるはずだと言いました。私はその言葉通り良い子にしました。朝起きると着替え、パジャマを綺麗に畳み、お気に入りの本を持ってママの部屋に行きます。そして、ママに挨拶をして枕元にお気に入りの本を置いて、ママの体を優しく濡れたタオルで拭いてあげます。ママが少し体調のいい時は本を読み聞かせてあげます。生き物を食べてしまうと神様がその代わりにママを連れていかれる気がして私は野菜を中心に食べ生き物は口にはしませんでした。そしてパパが休みの日には、神社に向かいママの健康を祈るのです。何度も何度も祈るのです。私は学校には行きたくはありませんでしたが、良い子にしなくてはなりませんから、ちゃんと通いました。でも、私が居ない間にママを連れていかれる気がして怖かったのです。ある日の授業中、先生が私を呼びに来ました。先生が私に落ち着いて聞いて欲しいと言うよりも先に私は知っていました。職員室に入るよりも先に私は気がついていました。先生が優しい顔をして私の頭を撫でるよりも前に私は理解していました。先生が教室に入って私の名前を呼ぶ前に察していました。ママがこの世からいなくなってしまったことを。どうしてでしょうか。こんなにママを思い行動して来たというのに、どこで私は良い子でいられなかったのか何度も考えましたが、分かったところでどうにもならないことも私は分かっていたのです。神様は意地悪です。親戚の人やクラスの皆、先生、近所に住む大人達は皆私の頭や肩を優しく擦り、大丈夫よ。私達も居るからね。と言ってくれました。パパはありがとうございます。と頭を下げながら目の赤さを誤魔化していました。最後に見たママはいつもよりも元気そうな顔で静かに目をつぶっているだけでした。青白い顔は少しピンク味を帯びた柔らかい色に変わり、青紫色の唇は綺麗な赤色をしていました。そして暖かく少しカサカサしているママの肌はいつも私が拭いていた肌とはまるで違っていました。冷たくて少し湿ったような不思議な感触でした。私は最後まで棺桶の前から動けず、綺麗なママの顔を黙って見つめるだけでした。パパに最後の挨拶をしてあげなさい。と言われ私はそっとママの頬にキスをしてみました。深い眠りから真実の愛のキスで目覚めたお姫様達みたいに起きてくれるかもしれません。なるべくロマンティックにゆっくりとキスをしました。しかしママは目を閉じたままでした。おとぎ話のように上手くは行きませんでした。ママの葬儀後、パパは忙しそうに朝から晩まで仕事をしていました。私はママがいなくなってもママがいた頃と変わらない行動をとりつづけました。理由は簡単です。いい子を辞めたらパパも神様に連れていかれてしまうと思ったからです。しかしパパを連れていったのは神様ではありませんでした。彼女が来てから私の生活は大きく変わりました。ご飯に掃除、洗濯とお家のことをこれまで以上にしなくては行けなくなったので学校にもなかなか行けなくなりました。彼女は私に言いました。パパには学校に行って楽しく過ごしていると伝えるのよ。と。私はパパに最近学校はどうだ?と聞かれる度に楽しいよ!とできる限りの笑顔で伝えました。神様は今度は私に試練を与えたのかもしれません。パパが1ヶ月の出張が決まったのです。彼女と2人の生活が1ヶ月続くと思うと少し怖いと思いました。パパが居る朝はご飯を普通に食べさせてもらえますが昼と夜はパパが居ませんから、彼女が残したものしか貰えません。朝もパパが居ないとなるとご飯を食べれるとは限らないのです。でも、これは神様からの試練ですから私は逃げる訳にはいかないのです。神様に心から祈ります。この試練に勝った時、パパには試練を与えないでください。きっとママが戦っていた時、パパも戦っていたはずです。誰よりも強く戦ってたはずなのです。だから、お願いです。パパと幸せになれますように。」


この手紙を娘は神様に書いたのか今となっては分からないが、麻実に1ヶ月娘を預けた事が大きな間違いだったと今気がついても遅いのだ。全て俺が悪いのだ。妻を亡くし傷心している時に優しくしてくれた麻実に気を許し好きという言葉を信じてしまった。

出張から帰ってきて、娘の姿が見えないため麻実に聞くと「知らない。寝てるんじゃない?」と言われた。その態度に腹が立ち問い詰めると、「数日前から起きてこない」と泣き出したのだ。俺は慌てて部屋に向かうと、本当に俺の娘なのか疑う程にやせ細った未来がいた。「未来!未来!」何度呼びかけても返事は無い。娘はぐったりと横になっているだけだった。何があったのか麻実に聞くと「私のご飯食べてくれなくて部屋に籠るようになったの。声をかけても出てきてくれなくて。お年頃だからそっとしておこうと思ったんだけど。こんなことになってると思わなくて」と何度も謝りながら泣く彼女に俺は何も言えない。直ぐに病院に連れていき娘はそっと息を引き取った。家に帰ると机に紙が置いてあった。「貴方の不幸を買い取ります。」こんな時になんのイタズラだと苛立つ。そんな悲しみと苛立ちを抱え娘の部屋に向かうと麻実が掃除をしていた。「何してんだ!」つい大きな声が出てしまう。「亡くなったなら荷物を早く処分した方がいいかなって思って。やっと2人になれたんだし。」そう微笑む彼女に気持ち悪ささえ感じた。「出てけ!直ぐにここから出ていけ!」そう叫び乱暴に彼女の肩を掴む。「なによ!もう!」そう怒る彼女の手元には何かがに決まられている。「それは」俺の視線で何を指しているのか伝わったのか「なんでもないわよ!」と怒り手を払われた。俺は何故かあの手紙を取り返さなければと思い彼女から奪いあげる。「返して!返してよ!!!」何度も俺に叫ぶ彼女。俺は手紙を開けて言葉を失った。娘の文字だ。「これをどうするつもりだったんだよ」そう問いかけても彼女は答えず、逃げるように家から出て行った。俺はさっき見たチラシを思い出した。急いでリビングに向かうとチラシは消えていた。彼女が持っていたのだろう。あれは何だったのか、分からないまま俺は全てを失った。妻も娘も。この手紙は娘の遺書だったのか、それとも気持ちの整理するために書いただけなのか。不幸を買い取りたいという謎の人物に全てを託したかったのか。ひとつ分かることは、麻実は証拠を隠蔽しようとした上に、娘の不幸を売ろうとしたのだ。俺は手紙を抱きしめ娘が天国で妻と会えますように。と祈る事しか出来なかった。

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