秋山妃乃
「ねね!妃乃知ってる?」クラスメイトの美沙が興奮しながら話しかけてきた。「なにを?」主語のない会話は女子高生の常套句だ。「不幸を買ってくれる人がいるって都市伝説!」オカルトじみているというか、よく分からない話が最近私たちの住んでいる街で流行っている。「あー。なんか最近よく聞くよね。」半分聞き流しながら答える。「なんか、お手紙に不幸の内容とメールアドレス書いて送れば、数日後メールが届いて不幸話の買取価格教えて貰えるらしいの!で、指定口座打ち込めば振り込まれるって話!」胡散臭い作り話みたいな都市伝説に魅力があると思えない私は、興味無い割に付き合い上、話を合わせる。「でも、それ詐欺とかだったら怖くない?なんか、個人情報抜き取られてるみたいな」私は否定しすぎない程度に拒否反応を示してみる。「私もそう思ってたんだけど、隣のクラスの、ほら、最近やっと登校し始めた子!白井さん?だっけ!あの子が不幸な出来事書いて送ったら25万円貰えたって!それで、なんか前を向けて学校に来れた!って聞いたの!」そういえば、この半年隣のクラスの白井加奈子はずっと学校に来ていなかった。にも関わらず、最近何事も無かったように登校してきたのだ。「つまり、お金貰えて幸せになったってこと?有り得なくは無いけど、人生変えるには25万って安すぎない?」我ながら可愛くない反応だなーと言って少し後悔する。「んー、よく分からないけど、まぁ少しでもお金があると選択肢増えるし余裕がもてた?みたいな感じなのかな。」ノリの悪い私に少し肩を落とした美沙。「なんの話ししてんの?」その声に少しだけ緊張感が走る。クラスメイトの林田由香。私は由香が苦手だ。クラスのリーダー格に誇りを持っているような高飛車な態度がとにかく癇に障る。でも、彼女には誰も言い返せない。「不幸を買い取ってくれる噂ほんとかなーって話してたの」と私がオドオドしながら言うと、「あんなの、ひきこもりの痛い妄想でしょ。久々に来たから注目されるような作り話してるだけよ。」と少し不機嫌そうな由香。「やっぱりそーだよね。」と彼女に合わせるしかない私たちはとても弱者だと感じて虚しくなる。私たちの同調の言葉に満足したのか由香は立ち去って行った。お互い気持ちは分かっているはずなのに、次々に浮かぶ不満を頭の中で押し殺す。そんな由香もチャイムを合図に動き、社会の規則にそれとなく従う。少しの反抗はすれど、大きくは逸れない。そう思うと彼女もやはり社会のちっぽけな1人に過ぎないと安心する。人の不幸は密の味だというが、人の幸せはどんな味がするのだろう。本当に不幸を買ってくれる人がいるのだろうか。もしいるなら、、、「秋山!授業中だぞ!」気がついたら授業が始まっていたらしく、68の目が私に向いている事に気がつく。今の状況を理解すると毛穴が全て開き体温が上昇し、顔が赤くなっていくのが分かる。さっきまでどうやって呼吸をしていたのか分からなくなるほどに呼吸が上手く出来なくなる。私は机を見つめ苦しい状況を逃れようと必死だった。それと同時にこの状況を作った大山先生が憎くて仕方なかった。この男に起こるかもしれない不幸をノートの端に箇条書きで書き気分を晴らす。書いてる途中で思った。私の不幸は何があるか。お小遣いが少ない。もっと大きな目に小さな顔、華奢な体がよかった。私の不幸なんてこんなものだ。取るに足らない物で、面白味もない。きっと誰の心にも残らなければ誰かを喜ばせられる程の味も無いだろう。
家に帰り、自分の部屋に入るや否や乱雑にカバンを起き、ベッドにうつ伏せになる。夕暮れのオレンジの日差しがカーテンの隙間から照らし、ほのかに暖かい無音の部屋。この瞬間、私は私だけの世界を噛み締める。この瞬間だけは誰とも共有したくないと独占欲が込み上がるのだ。そして、今日起こった嫌なことを思い出し悲劇のヒロインぶって悲観した世界を余すことなく取り込む。私を晒し者のように注意した大山先生。そして、その密にいとも簡単に引き寄せられる68個の目。当てつけのように山先生がニヤつきながら質問してきた授業。由香の鼻につく高い声。脳中で何度も再生されるそれは、私を主人公にするには少し物足りない。でも、本当に悲劇が起こるのは少し怖い。気がついたら寝ていたのか、お母さんのノック音で7時を過ぎていることを理解した。リビングに行き、お母さんとご飯を食べる。お母さんの隣には何日も使われていないお父さんの食器。こうして毎日用意されては使われることなく片付けされていく。最後にお父さんを見たのはいつだろう。それでも、私はお父さんの事をお母さんに聞いたりはしない。子供でも分かる暗黙の了解なようなもの。まだ治りきっていないカサブタのように安易に触れるとまた血が溢れてしまいそうで怖くなる。そしてお母さんにも誰かに語れるような不幸がある事を少し羨ましく思った。部屋に戻り私は今日聞いた不幸を買い取っている人の話を調べて見ようとパソコンを開いた。公式サイトのようなものはなく、噂話程度のものばかり。書くこともないのに、何故か少しガッカリしてしまう。
翌日クラスに入るといつも空気が違う気がした。「美沙おはよ。何かあったの?」美沙は私にその声で気づいたようで「あ、おはよ。妃乃。由香がなんかヤバいの」と一瞬私に目を向けてすぐ人だかりの方に目線を戻された。そこには由香が泣きながら何か必死に弁明しているようだった。何人かの男子生徒と女子生徒に囲まれている。「お前どういうつもり?」「最低じゃん。」「不潔すぎ」そんな言葉を浴び続ける彼女の顔は恐怖や悲しみよりも憎しみが滲み出てるほど歪んでいた。彼女は彼氏が居ながら他のクラスの男子とも出来ていたらしく、その日から由香は独りになり噂の悪女と名前が知れ渡った。「なんか、可哀想だけど、ざまぁみろとも思っちゃう」と美沙が小声で言う。これを密の味だと言うのだろうか。私は席を立ち由香の元に足を動かした。クラスの空気が張り詰めた糸のように静まり返っている気がする。今この1秒を刻む秒針が目で十分に追えるくらいスローモーションに進んでいる気がした。由香の席の前で立ち止まったのは良いが言葉がなにも出てこない。ここで優しい声を掛けたら私は英雄になれるのだろうか。悲劇のヒロインの座を交代してもらえるのだろうか。無計画に動いた事を後悔すると同時に、もう逃げられないという緊張感が襲う。「由香、体操服持ってる?」「え?」予想とは違ったのかさっきまで睨みつけていた彼女の目には戸惑いが混ざった。「由香いつも体育サボってるでしょ?私今日体操服忘れたから、体格も似てるし貸してほしいんだけど。」呼吸ってどうやるっけ?と思うくらい息苦しい。こんなこと言うつもり無かった。これ大丈夫かな?私皆から無視されるのかな?不幸の手紙になんて書こう。次々と脈絡も無い事柄が浮かびは消え思考がまとまらない。「え。あ、あるけど。」彼女から体操服を受け取り「ありがとう。洗って返すから。」そう言ってさっきとはうってかわり足早に席に戻る。皆の顔を見れない。「びっくりしたよ。妃乃どうなっても知らないよ?」美沙の引いた顔は見なくても想像がつく。でも、今の私は恐怖と期待で胸が張り裂けそうなほど脈打っている。
しかし、翌日も翌々日も私と由香の立ち位置は代わることもなければ、私の行動なんて、幻だったと言わんばかりに穏やかだった。そこで身に染みて感じた。平凡を型どった私は強者に立つことはもちろん、本当の弱者にもなれないのだと。どう足掻いても、良くも悪くも周りを掻き乱すほどの力はないのだ。それでも、私はきっとこれからも悲劇のヒロインになれる瞬間を探し続けてしまうのだろう。いつか、買ってもらえる程の高値がつくような「不幸」を手に入れれるその時まで。
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