第3話 長靴

「私も、長靴はいたら、『春宵十話』みたいな本書けるようになるのかな?」

 遠い目をして、くにちゃん先輩が言う。教室の長机に隣合って座っている。

 ああ、確かにこの人、『ボクは算数しかできなかった』なんて謙遜と見せかけて、自信満々なタイトルの本を著していたっけ…。

「あなた、あの本を読んだことがあって? 戦時中には数学さえあれば良かったという表現のあとに、戦後は人が信じられなくなって宗教が必要になったというくだりがあるの。それを私…」

 ちらっと、邦ちゃん先輩の手元を見る。

「アメリカ楽しい、夢の国だとか、アインシュタインの英語はちょっとアレだったとか、ニューマスはけしからんなんて書いてあるのよ。恥ずかしい!!」

「ああ…」

 なんだか話に飽いてきたので、マイピストルのお手入れを始める。

「出た、ガウスさんのピストル!!」

「だって、私の時代は決闘ですよ?」

「めっ、ピストル、めっ!! あなた、決闘なんてしなかったら、もっと偉大な成果を残せたでしょうに…」

 つーん。面白くない。頬を膨らませて、そっぽを向く。

 きよちゃん先輩は、黒板の前でチョークをカツカツ言わせながら、数式を連ねている。足元は、雨の日もはけるリボンのついたパンプスである。あれが、革靴だと教壇もコツコツ言って、うるさいんだよなあ…。潔ちゃん先輩は、ナラジョで先生をしていたと聞いたので、足音対策かもしれない。ここで、悪戯心が湧き上がる。机の中から、わりばし鉄砲を取り出す。輪ゴムを発射する。

 そのうち、計算に夢中だった潔ちゃん先輩が気付いて、振り向く。

「ガウスさん? そんなにお暇なら、計算問題でも出しましょうか?」

 にっこり微笑んで、小首を傾げてみせる。

「ひっ…! ごめんなさい!!」

 小学校時代のトラウマである。

「ガウスさんたら、ヤンチャなんだから」

 やれやれといった表情をされる。


 お茶の時間。

「潔ちゃん先輩の長靴と言えば…。売ってますよね? 美術館用の音のしにくいパンプス」

「ええっ!? そんなものがあるのですか?それは、我々、数学を愛するレディのために、あつらえたようではありませんか!!」

 お菓子を食べてから、首を横に振る。

「いや、だから、美術館用ですってば」

「早速、指定の靴にしましょう」

 なんだか、嬉しそうだったので、よしとした。

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