お姉さんの傘

 また雨の日。


「こんにちは。うん? いつものビニール傘だね。まあこれが私のお気に入りだから」

「テントや和傘は特別なんだよ」


「キミだって、いつも同じ傘じゃない」

「あれ……そういえば結局、その傘、使ってるんだね」


 そこまで嫌いじゃなくなった、そう言うとお姉さんは穏やかに微笑んだ。


「そっか。キミもなんだか嬉しそうだし、良かった」


 いつも通りお姉さんの隣に座る。

 するとお姉さんが顔を覗き込んできて言った。


「何だか今日は眠たそうだね」

「疲れているときはちゃんと寝た方がいいよ」


「……今、ちょっと寝ていったら?」


 お姉さんの提案に驚いた。それはつまり……と思い尋ねてみる。


「膝枕……でもいいけど、難しいんじゃない?」


 それではどういうつもりだったかと問うと、お姉さんは当然のことのように答えた。


「え、私にもたれたらいいかなって思ったけど」

「階段をあなたが降りて、私に背中をあずけて」


 実際どうなるのかは分からなかったが、お姉さんに後ろから抱きしめられるような形になる気がして、慌てて提案を断る。


「遠慮しないで。お互い様だから」


 お姉さんは気を遣っているのだと解釈したようだった。

 下心があったとバレることも心苦しくなり、感謝を述べてお姉さんにあまえることにした。

 階段を下りる。自分の傘を閉じた。お姉さんの足の間に腰を下ろす。

 そこで硬直してしまうと、お姉さんの腕が後ろから伸びて、そっと僕の身体を倒した。

 そして耳元で囁くように喋る。


「目を閉じて。それだけで頭は休まるって言うから。眠れるなら眠ればいいし、眠れなくてもいいの」


 とても眠れるとは思えなかったが、心地よいことは間違いなかった。

 お姉さんがトントン優しいリズムで身体をたたいている。


 どのくらい時間が経っているのかもだんだん分からなくなっていった。


 お姉さんの囁く鼻歌が聞こえてくる。

 童謡の『かたつむり』。

 以前も聞いた『あめふり』。

 あめふりは意外と長い曲だった。

 もしかしたら繰り返していたのかもしれない。


 お姉さんが歌い終えてすぐだったか、ずっと後だったか分からない。

 

 木から垂れた雨粒が、ばらばらとお姉さんの傘で弾けた。

 近いのに遠いような。霞がかった頭に音は蜃気楼のように響いた。

 お姉さんが呟いた。



「あ……友達雨……友達……友達か……ふふ」



 雨の音がしていた。

 呼吸、鼓動があった。

 名前も知らない。

 お姉さんの傘が小さく揺れていた。

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