ビニール傘 (2)

「ところでキミ、家は遠いの?」


「ああ、近いんだね。それは良かった」


「だってキミ、遠かったらどうやって帰るつもり? それで電車とかバスに乗ったら迷惑だよ」


「うん? 私の家? んー……秘密」

「キミ、なかなか大胆だね。初対面の女性の家をそんな風に聞くなんて」


「……ふふふっ。やっぱり可愛い反応するね。癖になっちゃいそう」


 僕はすっかり恥ずかしくなって俯き黙り込んでしまった。

 お姉さんはそれ以上何も言わなかった。


 話しかけてくるわけではない。

 しかし拒んでいるわけでもない。

 不思議な空気感だった。

 誰とも話したくないはずだったのに、なぜかまたお姉さんに話しかけてしまう。


「うん? キミのこと? どうして傘を持ってないのーとか?」


「うん、変ね。こんな天気にひとりで。でも別に、わざわざ聞かないわ」


「うーん……だって、雨の音を聞いている方が楽しいもの」


「うん、楽しい。ほら耳澄ましてみてよ」


 言われて、聞いた。


 ビニール傘に弾ける雨の音。地面に溶け込んでいく雨の音。



 普通の雨の音。



「あ、今の音。なんかケンカしている感じしなかった?」


「分かんない?」


「あ。今のは猫が甘えてるみたいだったでしょ」


「ふふ。分かんないか」


 馬鹿にされているとは思わなかった。

 自分の好きなものを教えたくてたまらないといった感じ。


「いいのよ。別に分かんなくて。それが楽しいんだから」


 なんだか悲しくて僕は口をつぐんだ。

 対照的にお姉さんは楽しそうにしている。


「あ。今の。また甘えネコ雨」

「名前? ……そうね。よく聞くやつにはなんとなくついているかしら」


「変? みんなはやってないって意味? そうね。だったら変なんじゃないかな」


 嫉妬じみた僕の発言にもお姉さんはけろっとした様子で答える。


「不思議よね。みんな星座は好きなんだから、雨だって似たようなものなのにね」


「んー? みんなと違っても? 嫌じゃないよ」

「キミは嫌なの?」


「そうなんだ」


 愛想よく返事をくれると、お姉さんはそれで黙ってしまった。

 僕はそこでようやくあまりに自分が子どもっぽいことを言っていると気付いた。


「え、なになに。どうして急にあやまったの?」

「ああ、変って言ったこと? ふふ。そんなこと。いいよ、別に」


「うん? なんで気にならないのかって?」


「……」


「……そうだなあ」


「キミは、本は好き? ゲームでも漫画でもいいけど」

「お、漫画が好きなんだ。いいね。じゃあどんなお話の漫画が好き?」

「戦う系かー。じゃあ戦わないお話が好きな人のこと、どう思う? 嫌い?」


「ほら、別に嫌じゃない。ね?」


「えー。一緒だよー」

「好きなものが違うなんて当たり前だもの」

「私は意味なんて何もないものから自分の好きなものを見つけることが好きなの」

「星を勝手に結んで絵にしたり、雲を何かの生き物にしたり、雨音から物語を作ったり。そんなことが、好き」

「逆にいえば、嫌いなものがあるのも当たり前」

「私だったら、人が出てきて、それぞれに意味があるみたいなのは苦手。だって、私が好き勝手に考えたら嘘だもの」

「だからキミが私のこと、変だな、分かんないなって思うのも、別に普通だと思う」


 お姉さんの話は分かるようで分からなかった。


「ふふふ。いいんだよ。それで。分かんないよね。私もキミのこと分かんない」


 お姉さんの言葉は同じだよ、と言っているようだった。

 しかし自分とはまるで違う次元で分からないという言葉を使っていると思った。


 僕がいたたまれない様子であったせいか、お姉さんが不意に口を開いた。


「ねえ、雨の音は嫌い?」


「嫌いじゃない……うん、そういうのが一番いいと思う」

「ふふ。つまりね、私たちは友達なのよ」

「何も知らなくても。何も聞かなくても」


「もちろん、キミがなにか聞いてほしいことがあるなら、いつでも聞くわ。だって友達だから」


 そのとき近くの木から垂れたのか、バラバラと雨粒がビニール傘に降りかかった。

 お姉さんは「おー」と感嘆の声をあげ、それから言った。


「ねえ、今の。なんか『仲間にいれてー』って感じじゃなかった?」


 なんとなく頷くと、嬉しそうにお姉さんがはしゃぐ。


「ね! ね! そうでしょ!」


 そしてとっておきの作戦を打ち明けるみたいに言った。


「ねえ……名前、つけてみない? 今の雨に」


 すぐには答えられなかった。

 そんなことはしたことがなかったから。


 お姉さんが絵本を待つ子どもみたいにしていた。

 あるいは家事の手を止めて学校の話を聞いてくれるお母さんみたいな。


 ぼそりと言った名前を、お姉さんはもちろん馬鹿にしなかった。


「ふふ。『友達雨』か。うん。私もそれがいいと思う」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る