第5話 影
深夜の頃合いに、ふと目が覚めた。
寒さと若干の空腹に身震いすると、少し離れた小川の上流に動く影がある。
それは、頭は魚、胴体はブナシメジのようで、色は黒く所々が淡い緑色に発光していた。足は木の根に見えて、それがカサカサと忙しなく動いていた。
およそ現実の生物とは思えず、妖、幽霊の類か、これは夢なのかと思いながら目で追っていると、やがて木々の向こうに消えて行った。
寝惚けているのかな、それにしてもベッドの上で起きたかったな、などとぼんやり考えている内に、再び眠りに落ちた。
あれは、なんだったのか?
朝の目覚めは、やはり寒気で始まった。
森の光景はやはり素晴らしいが、今日は曇り空のようだ。
ああ、そういえば雨の心配もしなければならないのか。屋根を作っておかないと、一晩中降られでもしたら風邪を引くか、寒さで低体温症になるとか、あり得るか?
現状、失敗続きで焚き火も出来ないが、それでも薪になる木を置いておく小屋も必要かもしれない。
やれる事は少ないのに、急務となる事だけは多過ぎる。
こうした極限生活というのは、体力のない人間から死ぬように出来ているのか…。
オレは、このエルフの身体になっていた事で、かなり助かっているのだと思う。夜目が効くし、動きも軽やかで、手先は器用となり、経験した事もないほどの粗食なのに思っていたよりもしんどくはない。
スタート時点で満腹って感じでもなかったし、元の世界では、あんな少量の花だの木の実だので、飢えを凌げるとは到底考えられない。食事量は以前の20分の1くらいなんじゃないか?
それでも今の所は平気である理由は、身体の変化のおかげだろう。
こんな生活環境はありがたくはないが。
周囲を見回してから木を下り、強張った体をほぐすべく、なんとなくラジオ体操を思い出しながら始めた。
柵と木の間にトイレ用の穴を掘って小便をし、小川で顔と手足と股間も洗い流してから水を飲む。食事は、甘い白花と黒い実で済ます。
実の方は小鳥が完熟に近い物を啄んでいるようで、色の薄い物だけが残ってしまい、ちょっと酸味が強かった。旨い方を見分けているのか、鳥頭の分際で。
く、悔しい。
いつか捕らえて焼き鳥にしてくれるわ!
勝手な復讐を誓いつつ、またも枝に蔦にと素材を集める。
今日は、雨に備えて屋根を作るか。
なるべく真っすぐで、太さと長さも近い枝を並べて蔦で縛ってみたが、隙間が空き過ぎてしまった。
蔦をそのまま使うのでは太いのだと思い、石のナイフで切れ目を入れて半分に割いていく。分割した物をさらに半分、もう半分と、一本の蔦を同じ長さの8本の紐になるよう分ける。
手間はかかるが、これなら一本一本が細くなり、細かい作業も可能になるように思う。集める蔦も減らせるだろう。
天才だ。
再び、枝を並べて結びつけていった所、ゴツい簾のような物になった。
あー、屋根の土台を組んでからじゃないと駄目だったか?
しばらく「どうすっぺ?」と悩んでから、寝床にしているY字の分かれた枝をAとB、別の枝CとDとし、AC、BDを蔦で結び、張られた二本の蔦に先ほどのゴツい簾を括り付けて、簡易の屋根とした。
そのゴツい簾の隙間を覆うように、大きめの葉っぱなどを、手の届く範囲で可能な限り載せていく。この木自体から伸びている葉の生い茂っている枝も、撓らせて結びつける。
オレが木を登ったり、強い風が吹いて枝がしなる度に、ユサユサと若干揺れるが、こうして少しづつ補強してやればいいだろう。
ツリーハウスが出来上がるのは、いつになるのか知れないが…。
嗚呼。
ホームセンターの、真直ぐで厚さも長さも綺麗に切り揃えられた木材が欲しいよ。
「全て廃材を使って作ろう!」なDIY企画みたいになってるよ。
物のついでに、落下防止にY字の両枝を繋いでいた蔦同士を結び付け、網目状にしてやる。
エルフ化で体重も軽くなっている事もあり、恐る恐る乗ってみてもなんとか落ちずに耐えていた。ずっと乗って飛び跳ねたりしたら、ブツッと切れて真っ逆さまだろうが、寝返りを打って落下する確率は減らせるだろう。
素人工作だから、過信は禁物だが。
それでも一応は屋根が付けられた。
水を飲んで休憩したら、また火熾しの練習をしよう。
思い出したが、変な弓みたいなのを作って、その弦を木の棒に巻いて、左右に動かすような方法もあった気がする。
アレを作ってみよう。
先ず、弓なりの枝。これは簡単にみつかった。
コレの両端に、蔦を割いた紐を結び、木の棒に巻いて動かしてみる。が、8分割にした紐でも太いのか、全然スムーズに動かない。
なので、小川から四角い石の大小を拾ってくる。大きい方は台として、半分を土に埋めて固定し、小さい方の石を手に持ち、蔦を叩いて潰していく。
そして、残った丈夫な繊維を縒り合わせた物を、弓なり枝に弦として結びつける。
今度は先ほどよりガタつかず、木の棒も抵抗なく動いた。
これはいけるのでは、と思ったら、棒を押えていた左手の皮が擦れている事に、痛みで気付いた。
「ぅわっち!」
くっそー…。
女エルフの肌はぷにぷにと柔らかいが、思ったよりも頑丈なのか、皮が破れて血が出てはいなかったが、摩擦熱の痛みは盲点だった。そりゃ、高速回転する木の棒を押えていれば痛いわな。
なので、窪みのある石を探してきた。これで上から棒を支えよう。後は、棒が回転の中心からブレないように、弦を引く速度もなるべく早く、一定に保つように。
また失敗してもめげないよう、無心になって同じ動作を繰り返す。
しかし、地味だな。
やろうとしたのは、超レアゲーを見つけて、それを配信で自慢し、なんやかんやと人気も出て成功のビッグウェーブに乗るとか、そんなサクセスストーリーだったはずだ。
それが、何故か姿も性別も変わって、こんな狼だ熊だのが徘徊する森の中にいて、火が点くか、点かないかに必死こいて挑戦しているのは、なんて仕打ちなんだ?
知らない世界に飛ばされて、突如はじまる第二の人生であるならば、もっと劇的でご都合主義なイベントが連続で起こって、突然に世界を救っちゃったりしてもいいのではなかろうか?
皆が望むのは、こんな小学生が考えたような原始生活ごっこではなく、例えるなら血沸き肉躍りつつも安全の確立された、ゲーム感覚救世主伝説の主人公としてオレが君臨する事ではないのか?
それが、伝説の武具の1つすらなく、装備しているのはそこら辺の蔦に太めの棒。王城からのスタートでもなければ、人の姿すら皆無だ。
オレの前にあるのは、絶望的に広大な森林と、白い煙を上げ始めた木屑だけ…。
ん?
これは、火が点きそうな感じなのか?
次にどうするんだっけ?
か細いながら煙を上げて燻っている様子の木屑を、竈の中に
燻っていた物が、やがてゆっくりと赤くなり、ハッキリとした火となって、吐く息と共に次第に大きくなっていった。それが消えてしまわないよう、小枝を折っては火の周りに積んでいき、徐々に大きな枝へと燃え移って行くようにする。
そして、何処に出しても恥ずかしくない焚き火にまで炎が育つ。
「…火だ」
昨日からの努力が実を結び、その成果であるゆらめく炎を目の前にして、オレは静かに感動した。
何というか、木が燃えるのはジッと見ていられるな。
根源的な喜びというか、この温かさに安心するのかもしれない。放火魔の心理とかではないぞ、多分。
火が弱まらないように燃料となる木材を投入し、減ってきたと思ったら、また近場で枝や木の葉を搔き集めてくる。
こうして落ちてる木を集めて燃やすのは、尖った枝なんかも片付いて通り道も綺麗になり、歩くのに危険な物も減って、一石二鳥の善行かもしれない。
そして何より、火が使えれば、食べ物を調理できるし、水も沸かせる!
あれ、そうすると土器も要り様になるのか? 葉っぱでも鍋になるんだっけ?
今度は器を造る為の粘土を探さなきゃいけないのか?
その前に、焼き沢蟹を試したくなって、小川に向かおうとするも、先客がいた。
一匹の狼だ。
顔と脚の特徴から、この森で初めて見たヤツで間違いないだろう。
オレは、棒を手にして、その場から様子を見る。狼は尻尾をこちらに向けていて、頭の方で何をしているのかは、ここからでは見えなかった。
…まさか、蟹を喰ってんのかな?
それからすぐに、走り
狼が去ったのを確認してから川の石の下などを探してみたが、沢蟹は見つからなかった。水で喉を潤してはみたものの、獲物が取れなかった現実に、空腹が追い打ちをかけてくる。
さらには、夜を前に雨が降り始め、苦労した焚き火も消えてしまった。
意気消沈しながらも、寝床である木に登る。今日出来たばかりの屋根は多くの雨を防いでくれたが、隙間から滴り落ちる雨粒は時間の経過と共にその数を増した。
押し寄せる惨めさは如何ともし難いが、かといって今すぐに直せる方法も知らず、オレは黙って不貞寝した。
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