第4話 こわいよ! どうぶつの森

 熊と目が合い、このまま襲われるだろう恐怖に、オレは動けずにいる。

 昨日の狼と同様、目線は外せない。

 目を逸らしたくなる気持ちはどんどんと膨らむが、その瞬間に野生のゴングが鳴り響き、親熊が突撃してくると思われたからだ。

 ただ、腰は引けており、内心は思いっきりビビっているので、向こうの暴力に対して何も出来ないであろう事も直感していた。

 来るなよー、あっち行けよー、フリじゃねーよ。勘弁してくださいよ、狼だけでもう充分ですよ。

 相手は木の下。こっちは上だー! などと強気な感情を抱ける訳もなく、永遠とも思える時間の中、ただひたすらに己の無事を祈っていた。

 その想いが通じたのかどうかは分からないが、熊は不意に視線を外し、子熊を連れて再び小川へと向かった。

 しかし、現状に楽観視できるかと言えばそうではなく、自分は逃げ場のない樹上にあり、向こうの気まぐれで「やっぱ襲うわ」と踵を返して来たらデッドエンド。

 このまま待機しつつ熊の親子を観察、相手がどこかに行ってくれるように願う他なかった。

 元の世界で見ていたテレビで、動物番組を撮っていた人たちも、肉食動物と隣り合わせでこんな気分を味わっていたのかな? いや、撮影スタッフには機材や装備もあるか。決して全裸に蔦を撒いたスタイルで、カメラを回していたとは思えない。

 唯一の装備品、棒も落したままだ。

 それを拾いに行く勇気もなければ、それで助かる可能性も見出せなかった。せめて無限弾倉のライフル銃が欲しい。

 そして、いつになったら地上を歩けるのだろう。

 そんなオレの気持ちも知らず、熊連中はのんびりと歩いている。どうやら、昨日見た苔に残っていた爪痕は、こいつらの物のようだ。小川に辿り着いたら、水に口先を付けたり、器用に石を転がしてみたり。

 何をしているのかと見ていれば、何かを喰っている。

 視力の上がった我がエルフアイが捉えたのは、熊が口にする沢蟹や小さな巻貝だった。

 あんなのが川にいたのか。熊畜生め、オレは腹を空かせているというのに。火を熾せれば焼いて食えるか? 百円ライターの偉大さは、こうした状況で理解できるな。

 くそー。

 その後も熊は、草叢に顔を突っ込んだり、地面の匂いを嗅いだり、その度に何かを口にしながら動き回り、やがて森の奥に去って行った。

 それを見届けてから、オレはゆっくりと木から下りて真っ先に木の棒を手に持った。水場に行って手と顔を洗い、今しがた熊たちが歩いた後を探す。食べられる物がある事を期待して。

 蟹や貝は、火を使えるようになるまではパス。水中をよく見れば他にも小魚がいたが、これも寄生虫とかいるのではなかろうか。

 さらに熊のうろついていた辺りを探すと、キノコ、食べた跡のある山菜っぽいものや白い花、ドングリに似た木の実と黒い実のっている木などがあった。

 キノコも毒がありそうで止める。

 実家のじいちゃんやばぁちゃんが山から採ってきたような山菜っぽい物はいくつかあり、水で洗って食べてみたら、苦みがあるし美味くもないが、まぁ柔らかくはあった。本当は茹でるんだとは思う。

 森が若干開けて、少しは日光が当たる場所に咲いている白い花は、熊も食べていたがほんのりと甘みがある。

 ドングリみたいな実は、石で殻を割って白い中身を齧ってみたが、苦いわ渋いわ舌に味が残るわで散々だった。これはかなり煮ないと駄目なヤツかもしれない。

 木になっていた黒い実は、時折飛んでくる小鳥が啄んでいる。舐めてみると甘味と酸味があり、口にすればちょっと酸っぱいくらいで全然食べられる。カシスやブルーベリーに近いような気がする。

 だが、こんなトライ&エラーを繰り返すのか?

 これでは遅かれ早かれ、口にしてはいけないモノに当たるよな。どうしたって。

 かかった時間のわりに得られた食べ物は少量で、満腹には程遠いのだが、こんな森の中での食料事情を改善する為には、毒か、食えるかどうかにビクつきながら試すより、もっと必要な物を確保するべく、早急に動かなければならない。

 そう、求めているのは火だ。

 調理をするにも、工作をするにも、温まるにも、外敵を寄せ付けない為にも重要だ。でも、思いつくやり方なんて、アレ、木の棒高速回転で摩擦を起こしてって方法しか思い浮かばないぞ?

「ぼくの考えた原始人の生活」みたいなのをやるの?

 せめて実況配信でやりたかったよ、そんなのは。誰も見ていないような、こんな場所でなくてさ。

 今なら、なんかアバターそのままの姿みたいで、動画撮影でもいけそうだし。

 ま、スマホの一台もないんだけどさ。

 …ままならないもんだ。

 とりあえず、狼も熊も来ない内に、燃やせそうな物をかき集めるか。

 枯れ木、枯れ枝、枯葉、樹皮、なんか細長い松ぼっくりみたいなのもあった。これらを塒にした木の脇に集め、周りの草や低木を引っこ抜き、落ち葉も集めて地面を剥き出しにする。

 小川から焚き火を囲う用の大きさの丸石を数点と、ナイフの代わりになりそうな尖った石を運ぶ。椅子に使うデカい物は、転がすのがちょっと大変だった。

 周りを警戒しつつの作業だしな。致命的に大きな音を立てているとは思うが、興味を掻き立てられて近付いて来る動物もいないのかもしれない。

 もっとも、近くでの鳴き声や、草を掻き分けるような音がしたり、動く影がチラッと見えようものなら、即座に木の上に逃げていたが。多くは鳥で、ヤマアラシや鹿の群れも見た。

 鹿の方は巨体で、雄の角が凄く大きかった。ヘラジカって奴かな?

 襲ってはこなかったが、突進されたら死ぬんじゃないか?

 とりあえず必要量が揃った所で、木の周りに等間隔で長く太目の枝を円形になるように突き刺していき、大きな石をハンマー代わりに打ち付ける。それに数本の蔦を高低差をつけながら結び付けて、簡易な柵を作った。

 熊の突進で破壊されるだろうが、夢中で作業している間に背後に奴がいた…なんて事態は避けたかった。柵があれば、壊される前に音で気付けるだろう。

 次に、木から少し放した所に椅子となる石を置き、石組みの竈を作る。

 ここまでは、それっぽい物が出来上がった。このエルフ体、本当に器用になっていてありがたい。前はもっと不器用だった。

 外敵侵入防止の柵は出来た。

 石の竈も、まぁ完成した。

 今度は火熾しだ。

 学校行事のキャンプでこんな事はしなかったが、何とか原始生活みたいな動画は、話題になった時に何度か見た事はある。

 たしか、板に丸い窪みを作り、そこに燃えやすい物を置いて、先端の尖った細身の棒を手で回転させた摩擦で火種を作り、それを乾燥させた繊維の束に移し、息を吹きかけて焚き火にしていた…ような気がする。

 見るとやるとじゃ大違い、とは言うが、他に出来そうな物がない。虫眼鏡もガスコンロも、ライターもない。

 しかしながら、今は手先の器用になったこの身体がある。

 やれる筈だ。

 綺麗な板は望みようもないので、なるべく近い形状の物を台に、石のナイフで溝を掘る。乾いている落ち葉を手で磨り潰し、尖った木の棒を宛がう。

 両手で枝を回転させた。

 手は、棒を上から下へ押さえつけるように、抉り込むような回転を意識して、板の窪みへと擦り込んでいく。一度、二度、三度と繰り返す。

 日の光の感じからして、そろそろ日暮れも近い。

 色んな作業をしていたからな。今の時間に火を付けられなければ、今夜も昨日と同じようになるだろう。

 オレは今日一日の成果として、炎を手にする事で、文明の前進を実感したかった。

 故に、擦る。

 むしろ手の皮の方が、棒との摩擦で赤味を帯びようとも、発火の瞬間を求めて両手を動かし続けた。

 それは、自然に対峙した人間の、真摯な行為だったと思う。本心からの希求、魂の欲求であったろう。

 夜の闇に、光を。

「おおおおおおおおっ!」

 オレは、静かに吠えていた。

 森に響き渡る事はない、身の内にのみ轟く雄叫び。心の咆哮。火を熾せ、という願いをのせ、何度でも木の棒を擦り合わせる。

 10、20、30と、力を込め、回数を重ねる。

 その結果、種火も出来ませんでした。

 日の暮れる中でオレは全てを諦めると、小川で手足と顔を洗ってから水を飲み、割と食えた白い花と黒い実を口にすると、昨夜と同じように木に登り、身体と枝を蔦で縛り付け、寝た。

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