最終話 ベルナデッタの口づけ

 俺は腹を抑え込み、座り込んだ。

だが次の瞬間、ベルがさらに撃ち込んできた。

制服のおかげで、致命傷にはならない。

俺はベルの方を向いた。

「……理由を聞かせてもらおうか。お前を通じてドクター・キミヅカに俺の計画がバレたのか?」

「いえ、私は知らせてなどいません。命令に従ったまでです」

ベルは銃を構えたまま、冷たい声でそう答えた。

「命令?なんだそりゃ」

「衛星の通信が途絶えた際、私は旧文明収束官を殺害するよう命令されていました」

「なんだって?通信が途絶えたときは北上セヨとの命令だっただろう」

「はい。旧文明収束官とゼロお姉さまにはそのように命令されていました」

「お前たちもそうじゃなかったのか?」

「出発の数日前、ゼロお姉さま以外の兄弟たちがハカセに集められました。そして、私たちにだけ密かに命令されたのです。もちろん、ゼロお姉さまには伝えないようにと強く言われました」

俺は痛みに耐えかね、地面に倒れ込んだ。そしてそのまま、天を仰いだ。


 このクソ暑い中、無理して東京まで南下したんだ。

そのうえ、こう何か所も銃で撃たれちゃ身体も限界だ。

コヤマさん。俺たちの計画、あっけなく終わっちまったよちくしょう。

俺は待機状態のミサイル発射機をちらりと見た。

あと一歩。ドクター・キミヅカに一泡吹かせられると思ったのによお。

タツヤからトロッコまで頂戴した挙句、このザマか。

やっぱり返しには行けなかったな。


 ベルは何もせず、ただ銃を構えて俺の横に立っていた。

「なんだ、ベル。殺さないのか?」

「……いえ、何でもありません」

そう言うと、ベルは俺の隣に座り込んだ。

そして、俺の頬を撫でた。

「何の真似だよ、ベル」

「あなたにしてもらったことを、お返ししています」

そう言うとベルは顔を寄せ、俺の頬にキスをした。

「ゆうべ、起きてたのか?」

「別に、そんなことはありません」

そう言うと、ベルはいつもの表情に戻った。

ふと、この間ベルが言っていたことを思い出した。

「口づけは特別なときにするんじゃなかったのか?」

「はい。今は特別なときですから」

表情を変えずに、ベルはそう言った。


 そのまま、少しずつ時が流れていく。

ベルは座り込んだまま、何もしない。俺の方はと言うと、動く気力がない。

ただ沈黙が流れ続ける。

「なあ、ベル」

「なんでしょうか」

「お前、命令に従いたくないんだろう」

そう言うと、ベルは少し顔を赤らめた。

「……いえ、そんなことはありませんが」

「じゃあ、なぜ殺さないんだ」

「それは……」

答えあぐねるベルは、なんだか愛おしく見えた。


 俺はベルに問いかけた。

「なあ、ベル。どうして俺なんだ」

「どうして……とは」

「お前みたいなお堅い奴が、なんで俺なんか」

ベルはくすりと笑った。

「一目惚れです。あなたがどんなにふざけているように見えても、少しも嫌ではありませんでしたよ」

「なんだあ、そりゃ」

俺はハハハと笑った。一目惚れねえ。

地下施設で初めて会ったあの日から、五年間も想っていてくれたのか。

すこぶる真面目で、少し可愛げがあって、綺麗な髪の美少女。

そんな奴に、今まさに殺されようとしているわけか。


 ベルは再び銃を構えた。そして、

「さようなら、マサト様――」

と言いかけたベルの腕を掴み、制止した。

「何をなさるんですか」

「なあ、ベル。お前、これでいいのか?」

「え?」

「他人の命令のままに、愛する人を殺す女は好きではないな」

そう言うとベルは、はっと目を見開いた。

「……では、どのようにすれば良いのですか」

「簡単だ。ベル、よく聞けよ」

俺はすうっと息を吸った。

「俺は旧文明収束官としての仕事を放棄する。したがって、ベルナデッタによる死を受け入れる」


 再び、沈黙が流れた。

しばらくして、俺の腕に水滴が落ちた。横を見ると、ベルがむせび泣いていた。

「……マサト様。どうしてそんなことを……」

ベルの声は少しずつ大きくなり、誰一人いない東京の街に響き渡った。

「これなら良いだろう。ベル、俺の命令だ。存分に殺せ」

「だからって、そんな……」

そしてそのまま、ベルは俺の身体に縋りついた。

ずっと冷静でい続けたベルが、初めて素の感情をあらわにしていた。

残る気力を振り絞って、わんわんと泣くベルの頭を撫でた。


 ずっと泣いていたベルだが、上体を起こして俺の方を向いた。

「どうした、ベル」

「お伝えしたいことがあります」

「言ってみろ」

ベルはまっすぐに俺の目を見て、口を開いた。

「ヨシカワマサト様。私はあなたを愛しています。この五年間、私にとっては幸せでした」

「……そうか」

俺はそう答えた。


 この人生、なんだったのかなあ。子どもの頃に気象予報士の資格を取って、神童だともてはやされた。

だがその後の動乱で、まともな人生を送る術はもう持ち合わせていなかった。

何の罪もない人たちを騙して、もはや価値があるのかも分からない現金を奪い取る。

神童も堕ちたもんだと、あの頃は自らを嘲笑っていたなあ。

だが、幸か不幸かこの仕事に就くことになった。

ドクター・キミヅカに騙され、新文明だか何だかを作らされる羽目になったわけだ。

旦那の方のドクター・キミヅカとレイコはどうするんだろうなあ。

ゼロちゃんは死なないだろうから、まあ勝手にうまくやっててくれや。悪いけど、しくじっちまったよ。


 自分の人生を振り返ると、やり残したことがたくさんあるな。

一番の後悔は、ミサイルを撃てなかったことだが。

文明崩壊が起きていなければ、今頃結婚でもして、子供でもいて。

典型的だが、幸せな人生だったかもしれんな。

それがこんなクソ暑い東京で、美少女に撃たれて死にかけとはね。

人生山あり谷ありというが、こんな人生とは流石に思わなかった。


 このまま何もせず、ただ死んでいくのも腹立たしい。

やり残したこと、一つくらいはやっておきたい。

そうだな。愛する人と結婚、とかかな。

俺はベルの方に顔を向けた。

そして、真っすぐこちらを見るベルの腕をとった。


「ベルナデッタ、君を愛している。結婚しよう」


それを聞いたベルの顔が、一気に赤くなった。


 やっぱり、コイツも年頃の女の子だな。

「どうしたベル、返事はどうなんだ?」

「そんな、いきなり言われても……」

ベルはどうしたら良いのか分からず、ただまごまごとしていた。

おいおい、こっちは死にかけだってのに待たせるなよ。

そう思っていると、ベルがはっと表情を変えた。

「どうした、ベル?」

「……マサト様。私にも破壊命令が出ました」

「何?」

「衛星から通信が来ました。三分後に薬剤合成部で化学反応が起きて、身体ごと爆破されます」

「誰の命令だ?」

「恐らく、ハカセです」

そうか、そういうことか。ベルたちは「出来損ない」だから、もう用無しってことなのかもしれんな。


 ベルはこちらを向き、はっきりと言った。

「あなたのプロポーズ、お受けします。結婚しましょう」

「たった三分の新婚生活だな」

俺とベルは顔を合わせ、ふふふと笑った。

「たった三分でも、私は嬉しいです」

「お前がそう言ってくれたら、もう十分だよ」

地獄みたいな東京で、甘い甘い時間が流れた。


 だが、爆発まで残り一分を切った。

もう、何もすることは出来ない。

「結婚式も新婚旅行もない、悲しい結婚だな」

「そんなことはありません。マサト様」

そう言って、ベルは静かに顔を寄せてきた。

「誓いのキッスってのがあったな、忘れてたよ」

俺はそう言うと、ベルと唇を重ねた。


 俺たちは舌を絡めた。すぐ間近に迫る死など、意に介さないように。

間もなく、ベルの腹部の方から稼働音が聞こえてきた。

名残惜しかったが、俺は唇を離した。

すると、ベルは俺に縋りついた。

「どうした?」

そう聞くと、ベルは満面の笑みでこう答えた。



「夫婦なら、最後まで一緒ですよ」



間もなく、ベルの腹部が光るのを見た。




絶滅の旅は――終わった。

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絶滅の旅 古野ジョン @johnfuruno

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