6月某日

 めげない――。

 そう、めげないのが私の取り柄じゃないか。

 アキラさんに恋人――そんなふうに呼ぶのもなんだかしゃくだ――がいたとして、それが何だ。

 片想いをするのは自由だろう。それに、仲良くなるのだって自由だ。その結果アキラさんが私を選んでくれたとしても、それはアキラさん自身の判断であって、私が悪いことをしたわけじゃない。

 そうだ、あんなちんちくりんで不潔な不細工、取るに足らない。私の敵じゃない。


 そう思って、積極的にアプローチした。あれ以来、毎回「いつもありがとうございます」と伝えている。

 今は注文が全部ラベル印刷になったので普段はやっていないのだが、こっそりカップにメッセージを書いたこともある。

 できれば雑談もしたくて、「いい天気ですね」なんて話しかけてみたりもするんだけど、アキラさんは忙しいみたいで、「そうですね」と笑ってすぐに背中を向けてしまう。それでも、その笑顔は最高に綺麗で、かっこよくて、可愛かった。


 自分磨きも頑張った。ダイエットして三キロ痩せたし、スキンケアもメイクも研究した。それに髪も染めて、ばっさり切った。金髪のショートカット。私は小柄だから黒髪で可愛い感じの方が似合うと思っていたけど、アキラさんに釣り合うためにクールな雰囲気を目指した。仕事着もスカートが多かったのを全部黒のパンツにした。チノパンとTシャツで決まっていたアキラさんの隣に立つなら、と想像しながらシンプルな服を買い込んだ。

 そうしたら、なんと、アキラさんが気付いてくれたのだ!

 コーヒーを渡す時、いつもなら「ありがとうございます」くらいしか言わないアキラさんが私を見て「あれ、なんか雰囲気変わりました?」と言ってくれた! その時私はなんと答えたんだろう? ああ、あまりのことに気が動転して、何も覚えていない。

 ただ「似合ってますね」と笑ってくれたことだけはしっかりと覚えている。

 大きな一歩だと、私は大いに浮かれた。


 ある日、どうしてもレジが回らず接客している間に、アキラさんからのオーダーが入ってしまった。対応したのは二週間前に入ったバイトの男の子だった。

 まだ列が途切れないレジの対応をしながらチラチラと横目で彼を見る。ああ、そんなに雑に注いで! カップの外にコーヒーがついてしまっている。アキラさんの手に汚れをつけるようなことがあったら私が許さない。

 そう思った時、扉が開いた。アキラさんが入ってきた。

「モバイルオーダーのアキラ様ー」

 バイトの間抜けな声が響く。アキラさんがカウンターに向かう。

「いつもこの時間来てくれますよね? ありがとうございます!」

 カップを取るアキラさんに、バイトは馴れ馴れしく声を掛けた。

 いつもって! お前はたった二週間しか働いてないくせに。それにアキラさんのドリンクはいつも私が作ってるんだ。お前はせいぜい二、三回目だろ。アキラさんに覚えられてるわけがない。

「ええ、こちらこそいつもありがとうございます」


 ――こちらこそいつもありがとうございます


 それは――私に、私だけに向けられたはずの言葉だった。

 それだけじゃない。

「最近入った方ですよね? もうお客さんの顔覚えてるんだ、すごい」

「お客さんこそ、僕のこと覚えてくれてたんですね。嬉しいなぁ」

 そんなふうにアキラさんと楽しそうに会話までしやがった!

 悔しい。悔しい悔しい悔しい憎い憎い憎い。

 だけど、めげない。もう私はめげないと決めたのだ。

 アキラさんは優しい。優しいから誰にでもああやって良い顔をする。でも私は、アキラさんの特別になりたい。ならなきゃいけない。なるべきなんだ。

 押してダメなら引いてみろと言う。だから、次は引くのだ――

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