エピソード4

「はい、みんな席ついてー。」

チャイムが鳴り、教室に入る。

学生たちを見ていると懐かしい気持ちになる。


「じゃあ前回の続きで、53ページ開いて…」

黒板を前にする。

学生たちも真剣に黒板を見ているのが分かる。

文字を書き始めると、ノートを開く音やシャーペンのカチカチという音が聞こえてくる。

中には寝ていたりスマホをいじる学生もいるが、大半の生徒は授業を受けている。


先生を志した時のことを思い出そうとすれば思い出せるが、想像以上に多忙な生活に思い出す余裕もなくなっていた。

明日の授業準備のほかに、部活動の顧問、学生からの相談、テストの準備、学年の先生たちとの繋がり、各教科の先生との繋がり、毎日目まぐるしく回る日々で、帰宅するのはいつも9時を回っていた。

そこから、家事をして、ご飯を食べて、お風呂に入ればもう寝る時間だ。

休みの日でも自分が顧問をしている部活の練習や練習試合を行うために学校に向かう。

学生時代より学校にいる。

こんなことがしたかったのかと悩んでいた。


昼休み、クラスの子に用事があり教室に入ると、何事かと教室が一瞬静かになる。

そして目的の学生を見つけると、皆安心したようにまた騒がしくなる。

そんな中で気になる話を聞いた。

『高木時計修理店に写真を持っていくと思い出のエピソードを30分間だけ体験できるらしい』という話しだ。

なんだろうと思いつつ、教室を後にする。

職員室の自分の席に戻り、パソコンで高木時計修理店を検索する。

いくつか記事を見ていくと、教室で聞こえた『写真を持っていくと思い出のエピソードを30分間だけ体験できるらしい』という記事が見つかった。

調べてみると、どうやら場所が学校の近くらしい。

カレンダーを確認する。

今週末は久々に大会も練習試合もなさそうだ。

「行ってみようかな」

ぼそっと職員室で呟く。


土曜日になり、目が覚めるとすでに13時を回っていた。

「午前中に最近起きれなくなったなー」

テレビをつけると急に部屋がにぎやかになる。

パジャマから洋服に着替え、目的の写真を準備する。

その写真は高校の卒業式のものだ。

一緒に写る着物姿の先生が、私が先生を志すきっかけをくれた先生だ。


出勤するときと同じように、電車に乗る。

休日の昼間でも電車内には人がいて、空席はわずかしか残っていない。

ドア付近に立っているグループもいる。

出勤以外で下車することのない駅だったので、急がなくていいんだという事が不思議な感覚だった。

ゆっくりと歩いていると、今まで気が付かなかった路地裏の喫茶店を見つけたりする。

「帰りに開いていたら寄ってみようかな…」

新鮮な気持ちで歩みを進めると、そこに目的の高木時計修理店が現れる。

中を覗くと、何やらカウンターで作業をしているおじいさんが見えた。

本当にここで思い出を体験できるのだろうかと不安に駆られた。


恐る恐るドアを開け、カウンターに近づく。

おじいさんのそばに来ると、おじいさんは驚いたように顔を上げる。

「あぁ、これは失礼致しました。こちらの席へどうぞ。」

カウンターの前の椅子にすすめられるまま座る。

「修理ですか?」

「いえ、こちらで思い出を再び体験できるという噂を聞いて…」

そんなファンタジーのような話を言っていて、恥ずかしくなる。

「あぁ、写真はお持ちですか?」

驚いて顔を上げる。

「これ…です。あの、本当なんですか?!」

さあねという顔をしながら奥に消えていく。

再び戻ってくると温かいお茶がお盆に載っていた。

「お茶しかないですけどね、ゆっくりしていってください。」

「あ、はい…ありがとうございます。」

「きっと思い出せますよ。」

どういう意味か分からなかったが、温かいお茶は心に沁みるようでとても美味しかった。

ふと目を閉じ、再び開けると自分は高校生になっていた。

夕暮れ時、教室には先生と2人。

「ねえ先生?彼氏に振られちゃった。しかもね、同じ大学に行こうねって一緒に頑張って勉強してたのに…勉強好きじゃないし彼がいない大学とか行かなくてもいい。」

「そんなこと言わないのよ、近藤さん。大学は行かなければならないわけじゃないけれど、そこで巡り合える出会いも素敵よ。近藤さんは将来なりたい夢とかないの?」

「うーん。今はあんまり。」

「まだ時間があるし、近藤さんこの前まですごく頑張っていたから受験やめるのは先生はもったいないと思うんだけど」

「そんなこと言ってもやる気出ないし」

「じゃあさ、何が好き?」

「え?うーん、ゲームとか読書とか…」

「読書好きなの?国語の先生としては嬉しい回答ね。じゃあゲームの会社とか司書さんとか目指すのはどう?好きなことを仕事に出来るって素敵なことよ」

「じゃあ先生は好きなことなの?」

「そうね…私は子供が好きだけれど、読書は嫌いだったの。でも、私の中学の時の先生がたまたま授業で薦めていた本が何故かとても興味が湧いてね。初めて学校の図書室に行ってその本を借りたの。内容はすごく面白いってわけでもなかったけれど、中学の図書室には人が少なくて、それぞれが好きな本を読んでいてその空間の一員になりたいなって思ったのよね。今考えるとおかしな理由だけどね。きっと他の人とは違うことをしたかったのね。で、そのためには本を読まなければならないでしょう?だからとりあえず国語の先生にお薦めをもう一度聞いてみたの。そうしたら先生がその気になって、一緒に本の感想を時々話すようになったの。それからは本が好きになった。そして、高校生の進路を決めるときに本に関する仕事がしたいと思ったの。でも調べたり、実際にオープンキャンパスに足を運んでみてもこれだ!と思うのはなかなかなくて、もう最後にしようかなと思って行った大学の教育学部を見た時にこれだ!と思ったの。本当は文学部を見に行くはずだったのにね。」

「えーなんか思っていたより不純じゃない?」

「でも人生なんてそんなものよ」

「そうなのかな?先生は今先生をしていて楽しい?」

「楽しいよ。まあもちろん楽しいことばかりじゃないけれど、それでも先生をしていたからできる経験が沢山あるし、良かったと思っているよ。」

「ふーん、そっかぁ。私も先生みたいにみんなに好かれる先生になれると思う?」

「近藤さんならみんなの気持ちに寄り添っていい先生になると思うし、どんな夢であれ近藤さんが決めた夢なら私は応援するよ。」

「わかった!大学、もう一回考えてみるよ。」

辺りは随分と暗くなっていた。

「帰り気を付けてね」

「はーい」

先生のことをこっそり隠し撮りする。

先生は後ろ向き、自分はピースをして。

「先生か、いいじゃん。」

携帯を胸に当て、目を瞑る。


再び目を開けると、そこは先ほどお茶をもらったカウンターだった。

「あれ?」

「また、頑張れそうですか?」

まるで悩みを知っていたかのようなコメントに驚く。

「お代はいりませんから、これからもご活躍期待してます。」

まだ、頭は混乱していたがやることはとても明確に分かっていた。


「もしもし、先生!あ、そうです近藤です。先生?やってますよ。先生の言う通りみんなから人気の先生です。調子に…?いいじゃないですか!今度先生のところ行っていいですか?今日でもいいんですけど!え、本当にいいんですか?じゃあ今から、はい、はい…」

今にもスキップしそうな勢いだった。

彼氏との別れに落ち込んでいた私に新たな道を開いてくれた担任の先生の言葉が忘れられなくて、そんな先生に自分もなろうと決めた道だった。

今、先生の様にはまだなれていないかもしれない。

でも、一番の目標に近づくために、時間が許す限り一人一人と向き合っていこうと思う近藤の胸には再び熱い思いが灯っていた。

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