エピソード2
高木時計修理店は高校まで自転車で通学する途中にあるが、いつもやっているのか、やっていないのかわからないようなそんな暗い店だった。
そして、自転車で過ぎ去ってしまっていたために、2年間通っているのに気にも留めたことがなかった。
きっかけはSNSだった。
いつも通りSNSを見るともなく確認していると、中学時代の同級生が高木時計修理店に関する噂話を上げていた。
『写真を持っていくと思い出のエピソードを30分間だけ体験できるらしい』と。
ただ、もしそれが本当なら、もっと有名なテレビ局が取材に来たり、連日長蛇の列になっているだろうと思い、その時は全く信じなかった。
昼休みに同じ中学の出身のやつが少しだけ騒いでいたが、それもすぐに飽きられて下火になってしまった。
夏休みも何度か部活に向かうために高木時計修理店の前を通ったが、相変わらず中にお客さんの気配はなく、ただ静かに店主がカウンターの奥に座っているのが見えるばかりだった。
これでは営業しているのかどうかも分からない。
もちろんそのネットの噂はそこで終わっていて、再び話題に上がる様子はもうなかった。
夏休みも終わり、3年生が部活を引退し、いよいよ自分たちの時代が回ってきた。
暑さも幾分和らぎ、文化祭も終わるともうイベントも少なく張り合いがない。
強いて言えば、定期考査が待ち受けているくらいだ。
そんなある日、20代くらいの女性が写真と財布を手に高木時計修理店から出てくるのが見えた。
その女性はどうも急いでいるようで、声を掛けられる様子ではなかった。
ただ、その表情はとても明るく、幸福が満ち溢れているように見えた。
「なんだ、あれ?」
途端にネットの噂が気になり始めた。
慌てて家まで自転車を走らせる。
「思い出…か。」
部屋のクローゼットの奥にしまってあるアルバムを引き出す。
一枚一枚に思い出がたくさん詰まっている。
「でも…」と一枚の写真をアルバムから取り出す。
「思い出のと言われたらこれだよな。」
それは悔し涙をみんなが流している写真だった。
小学生のサッカーチーム、3年生から始めて、6年生で初めて決勝戦まで残った。
ただ、1点差で優勝を逃してしまった。
いい流れで回ってきたパスだったが、緊張してボールが足をくぐってしまった。
そしてそのままいい流れをつかめず1点も入れられないまま決勝戦が終わった。
監督は「今ままでで一番いい試合だった」とみんなを褒めたが、誰もが悔しさを滲ませた。
小学生のサッカーチームは6年生で卒業し、そこからは何となく中学も高校もサッカー部に入った。
なかなか思うように成績を残せず、高校では部活もさぼり気味だった。
小学生の時の一生懸命さはとうに失っていた。
「俺また輝けるかな。」
高木時計修理店から出てきた幸福そうな表情の女性を忘れられずにいた。
気が付くと写真と少ないお小遣いを手に自転車に跨っていた。
扉をそっと開けると、珍しそうに眼を細める店主が奥に座っていた。
相変わらず時計を分解している。
「修理ですか?」
「え、あ、いや…」
困惑して黙り込むが、店主のおじいさんは知ったような顔で何度か頷くとカウンターの前の椅子をすすめてきた。
恐る恐る椅子に座ると、温かいお茶を出してくれた。
「君が好きそうなジュースやおやつはないけれど…」
困ったような顔でおじいさんが見つめてきた。
「いや、そんな、大丈夫です。」
緊張しながらそう答え、そっと写真を差し出した。
「きっとまだ間に合いますよ。」
不思議に思いながら温かいお茶を飲んで目を閉じ、再び開くとそこは前半が終わりミーティング中の試合会場だった。
「いいか?いつも通りできればなにも怖くないからな」
「はい!」
みんな威勢のいい返事で監督の話を真剣に聞いている。
さぼろうなんて子供は一人もいない。
笛の音がする。
グラウンドに各々戻っていく。
この感覚が懐かしい。
後半開始15分、チームにいい流れが回ってくる。
パス回しで相手チームを抜いていく。
「達哉!決めろ!!!」
しかしここでもやっぱり緊張してしまい、ボールは足の間をすり抜けていく。
やっぱりだめかと思った時、隣から声がした。
「諦めんなよ!」
チームメイトの伸也が逃したボールを繋いでくれていた。
再びチャンスが回ってくる。
今度こそ得意なゴールの正面。
相手チームのキーパーは左側に少し寄っている。
右上にシュートすれば決まる。
冷静な分析で正確なシュートを放つ。
ピッピッピーーーーーーーー
終了の笛が鳴る。
達哉が蹴ったボールは、相手のゴールネットを揺らしている。
1-1だった得点が2-1に変わる。
そして、チームの優勝が決まる。
みんなで監督のもとに駆け寄り、抱き着いて嬉し涙を流す。
こんなに嬉しいのは初めてだった。
監督も涙目で「みんな最後によくやった。素晴らしいプレーだった」と褒めてくれた。
優勝旗とトロフィーを受け取り、みんなで嬉し泣きをしながら集合写真を撮るために再び集まる。
せーので「ありがとう」と言いながらフラッシュが焚かれる。
目を開けるとそこは高木時計修理店の椅子だった。
気が付くと一筋の涙が頬を伝っていた。
「間に合いそうですか?」
微笑みながら聞く店主に慌てて代金を聞くが、答えの代わりに「行くべきところに行った方がいいですよ」と言われる。
「ありがとうございました!!!」
元気よく挨拶をして店を飛び出す。
そう、今日は練習日だ。
自転車に跨り高校を目指す。
休みの日でも制服登校が指定されているがそんなこと忘れて一刻も早く練習に参加したかった。
「サッカーがこんなに楽しいの俺忘れてたわ。」
高校のチームメイトに「おせぇよ」とどつかれながら輪に混ざっていく。
こうしてまた、止まっていた時間は動き出した。
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