高木時計修理店
紫栞
エピソード1
今日もここ、高木時計修理店は相変わらず閑古鳥が鳴いている。
時計修理店にはいつも眼鏡を下にずらし、誰のものなのか分からないがずっと時計を分解しては直しているおじいさんが一人カウンターの奥に座っている。
この店を尋ねる人を見たことがない。
ただ、ある時偶然ネットサーフィンをしていると、『写真を持っていくと思い出のエピソードを30分間だけ体験できる店がある』という記事を見つけた。
その店は間違いなく高木時計修理店であった。
おじいさんも、店の内装もそのものだった。
だからかこの店には興味が湧いた。
この店は通勤の途中にあった。
営業時間も分からなければ、外には料金表もなく値段も分からない。
ただ、もし記事の通りの内容が本当だとすればもっと流行っていてもいいはずだと思い、あまり信じてはいなかった。
気になりつつも忙しい日々に忙殺され、気づけば季節は2つ変わり半年が過ぎていた。
ついこの間まで新緑を芽吹かせていた木々も今は紅葉し、下に葉を落としている。
コートを着なければ寒さを感じる陽気に季節の移ろいを感じていた。
そんなある日、高木時計修理店の中にはおじいさんと同じくらいの歳の見た目をしたおじいさんが楽しそうに話している姿が見えた。
その光景を見て、忘れていたネットの記事を思い出した。
家に帰り、机の引き出しにしまってある写真を引き出す。
高校時代、楽しそうに笑う部活中の写真だった。
もう10年が経っていて少し色が褪せて来ていたけれど、大切な写真だった。
この写真を撮ったあと、数か月後に写真に写っている優華と喧嘩別れをしてしまった。
喧嘩のきっかけは進路の希望調査だった。
優華は前からなりたがっていたお芝居の仕事に就くため、演劇の出来る学校を志望していた。
でも、その時私は優華より私の方がお芝居が上手いと信じて疑わなかった。
毎回文化祭で主役を演じていたのも私、どこかでイベントを開催するときも主役は私だった。
そしてその気持ちが溢れてしまった。
「優華はお芝居向いてないよ。」
本心ではなかった。
毎回主役を取られるのではないかと心配だったはずなのに、心無い言葉をかけてしまった。
「一緒に戦ってると思ってたのに。」
静かにそれだけ言うと優華は去ってしまった。
それから、優華と話すことはなかった。
今でも文化祭終わりに2人でピースをしているこの写真を見ると後悔の念がこみあげてくる。
風の噂で優華は今でも小さなホールで定期的に公演をしていると聞いた。
ただ、その公演に足を運んだことはまだない。
あのネットの記事が本当なら…。
次の休みの日の午後3時、写真と財布を持って、落ち着いた服装に着替え、気が付くと高木時計修理店に向かっていた。
あの記事が嘘でもいい、なにかきっかけが欲しかった。
扉を開けると、珍しそうに眼を細める店主が奥に座っていた。
相変わらず時計を分解している。
「修理ですか?」
その言葉に時計を持っていない私は一瞬戸惑ったが、写真を見せると知った顔でおじいさんは頷いてくれた。
「その顔は関係の修理ですか。」
それ以上は聞かず、静かにカウンターの前の椅子をすすめてくる。
椅子に座ると温かいお茶を出してくれた。
「何もないですけどね。」
言葉数は少ないが、安心感を与えてくれる声だった。
そっとカウンターに写真を置くと、おじいさんはそれを細い目で数秒見つめ、返してきた。
「きっと思いは通じますよ。」
そう言われ、目を閉じ、再び開くと辺りは高校の校舎内になっていた。
自分を見ると制服に身を包んでいる。
もう30を前にして恥ずかしいなという気持ちがあったが、どう見ても高校生でありその気持ちは優華を前にすると消えていた。
「優華…」
「どうしたの?なんか真剣な顔してさ!っていうか春華は進路希望のやつ書いた?」
「い、いや、まだだけど」
「なーんだ。私はさ、やっぱりお芝居の道に進みたいなと思ってるんだよね。どう思う?」
「いいと思う…すごく!」
「えーそう?いつも春華に主役取られてばっかだけど」
「でも優華がいい演技してくれるから私が主役として自信をもって演技が出来てるんだよ!」
「そうかな?じゃあやってみようかな!」
今回は優華の夢をバカにせずにちゃんと思いを伝えることが出来た。
2人ともいい笑顔だった。
夕日はどんどん傾いていく。
「そろそろ帰らないと怒られちゃう!」
優華に促されて校門に急ぐ。
でも何かを忘れている気がした。
ふと振り返る。
そこにはすごくきれいな夕焼けが広がっていた。
「ねえ、写真撮らない?」
「なにそれ!でもほんと綺麗な夕焼けだね。」
カシャっとフラッシュがたかれる。
眩しいと目をつぶり、目を開けると、カウンターの前にはおじいさんが座っていた。
「思いは通じましたか?」
「はい!あの、えっと、お代は…?」
「さあ?それより、お客さんには行くところがあるのではないですか?」
目を細め笑うおじいさんにお辞儀をして、店を飛び出す。
小さな劇場は家から遠くはなかった。
チケットを買い、中に入る。
規模は大きくないが、そこにはのびのびと演技をしている優華がいた。
ドレスを着て、長いセリフをスラスラと話している。
その表情は自信に満ちていた。
久しぶりに見た友達に涙が溢れた。
終演後、ドアの外に並ぶ演者の中から優華を見つける。
緊張しながら近づく。
「優華…」
「え?!春華?」
「そう、だよ」
「うわー久しぶり!全然変わらないね!」
「優華は…すごくいい演技だった!」
「そうかな?ありがとう!高校時代は全然春華に勝てなかったけどね。」
笑いながら話す優華を見ながら嬉しい気持ちでいっぱいになった。
「この後片付けしたら時間あるから久しぶりに飲みに行こうよ!」
「そうだね!」
そうしてまた2人の時間は動き出した。
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