俺にいつのまにか彼女がいた時の選択

 ま、そういうわけでさ。俺は自然と、義務教育をサボるようになってったワケ。でも自己洗脳済んじゃってるから、生きにくさとか、そういうの、もう言語化出来ないんだよね。ただズレてる、ただ生きてる倫理が違う。


 俺は、日本人で、日本語しか話せなくて、日本から出たことないけど、日本人の倫理規範も社会常識も持つことが出来なかった。


 もうこの頃になると、エホバの証人がどうのこうの、ってのは、もうきっかけに過ぎなくて、その後おふくろが、エホバの証人の教えから俺を守ろうとして、宗教を渡り歩いたのも、幼さを理由にそれに引っ付いていったのも、個人の意思であって、それってもう、他人がどうこう言うことじゃないんだよね。あえて言うなら、そうだなあ………。


 それこそ、「世間が悪い」だろうな。


 エホバの証人やキリスト教の教会を全部監視しろ、なんて、そんなことは言わねえさ。ただ、ただただ、バブルが弾けて、氷河期が始まって、永遠に何十年もう失われていくうちにな。個人主義になって、小さな子どもにまとわりつく『コ』問題ってのは、取り沙汰されてきたたんだよ。当然ながら、『今』小さい子どもの話になる。かつて、別の環境で、似たような問題に悩んでいた、大人になっちまった子どもの話はしない。しても意味がねえからな。んで、俺が体験してきたようなことを、俺が大人になってから、国が意識しだした。それでもまだ、俺の自己洗脳は、『応用が効いてきた』だけであって、完全にとれた訳じゃなかったんだ。とる機会なかったし、何より、それが当たり前すぎて、疑う暇がなかったんだ。もうみんな子供じゃねえしな、付き合う奴は自分で選べたから、尚の事。

 あん? 進学したのかって? したよ。俺、薬学部行ったの。なんだったかな、『神さまにお祈りして治してもらいます』っていう模範的な考え方はしてたんだけど、やっぱりほら、子供なりにさ、『おばーちゃんの病気は、ぼくが大人になって、お薬作ってあげるね』みたいなさ、そういうの。俺にもあったんだよ。

 俺に従弟が産まれるとしたら、父方の方なんだよ。おふくろ、一人娘だったしな。だから俺の…親父の家系っていうのかな。遺伝病って言うわけじゃないんだろうし、何だったら貰ってきた嫁さん同士なんて尚の事血のつながりがないのに、皆難産だったんだよな。子どもなりの抵抗だったんかねえ。

 で、難産だったり悪阻が酷かったりってんで、婆さんは民間療法というか、東洋医学? に、かぶれたんだ。なんでかって? うーん、組織全体がそういう訳じゃないと思うけど、でもやっぱり『自分らだけが正しくて救われる』なんて言ってる団体は星の数ほどあるけど、ってことはそういう団体の構成員って、実はすごい少数派なんだよね。その他っていうマイノリティなんだけど、マジョリティなんだ。だからじゃないのかな。


「サタンが開いた西洋医学では救われない。市販の薬を飲むとサタンによって体が錆びるから、内側から自然の力で治さなきゃ!」


 て奴。あー、自然派ママ、って、皮肉って言うんだっけ? まあ、そんなんがさ、あるわけ。そこにカルト思考が絡みついてみろ、地獄以外の何物でもない。

 まあ、それについては特に思うところがあった訳じゃなくて。俺は日本漢方の研究してたんだよ。この辺りはまあ、長くなるから、それこそ『アスタラビスタ・ベイビー』なんだけどな。

 んで、同じ局内に、やっぱり日本漢方の研究をしてた女の子がいてさ。まあ………。………。仮に、『ダブリューさん』とでも言っておくか。

 ダブリューさんは、やっぱり女だからなのかな、冷えの漢方について研究してた。つっても、ほらお前も聞いたことあるだろ? 冷えは万病の基って奴。なんで、ここに西洋薬学の知識と、東洋薬学の知識を持ってきてな。ダブリューさんの専門は、主に妊娠中の冷えについてだった。悪阻で冷えがあるなんて聞いたことないけどな。まあ、『そんな症状が出た時に、この薬は効かない』っていう研究も、大いに価値があるんだよ、医学の世界ではな。

 ダブリューさんは天涯孤独って言ってたかな。別に施設で育ったとかじゃなくて、両親を病気で亡くして、その後お婆さんに育てられて、彼女が大学入った時にそのお婆さんも死んじゃって、ていう。彼女を育てた婆さんの母親の世代がまあ、頑張ったらしくて。ちまちま兄弟の遺産なんかも受け継いで、ドーンとな。それを可愛い一人孫の養育費に充ててたってわけ。なんでそんなに子供が少ないのかって、どうやらダブリューさんの一族も、難産の家系だったらしい。こっちは完全に女腹の繋がりだったんだけどナ。その難産の原因が、冷えやすい体質にあるから、ただでさえ妊婦は食事制限があるから、母体に影響のない漢方を作りたいってってな。

 研究職なんて、一生日の目を見ない。ただただ粛々と、来てほしくはないが、必ず来る何かのパンデミックに備えて、ひたすらひたすら、ピペットやら何やらをつまんで、研究すんのよ。俺ら見ないな研究が役立つ時なんて、本当にない方が人類のためなんだけど。ま、備えあれば患いなしって奴で。

 んで、この子がまあ、婆ちゃん子だから、どっか世間ずれしてんだよね。まあ、研究職に来るような奴なんて、皆どっかしらおかしいっちゃおかしいから、その研究に没頭するんだけどさ。んで、まあ、俺としては、なんか良いなって思ってたんだよね。フィーリングとか、そういうのが合わないっていう悩みが合うんだ。

 は? 惚気に聞こえないって? ハハ、そりゃそうかもな。実際、青春してるような、そんな関係じゃなかったんだよ。院生になって漸く、『ズレてる』人を見つけられたんだからさ。そりゃ意気投合するっての。トルコに行ったことはあるか? あそこは確かに『色黒の白人』ていうのが人種学だかなんだかの分類らしいんだが、まあ、日本人とか骨格も肌の色も違うよな。そんな中で、日本人の骨格見つけてみろ。日焼けしていようがもやしだろうが、思わず目に留めちまう。…ああ、トルコでこれやるなよ、危ないから。日本と同じレベルで、眼で会話するな。

 ああ、で、ダブリューさんなんだけど。俺の難産の漢方と、彼女の冷えの漢方とで、まあまあそれなりに、それなりに。同じ研究論文を調べたり探したりってんで、目的地が一緒だったりすると、送ったり何だりって増えててな……。

 まあ、『ズレてる』を共有できる、初めての『同じ世界』の人間だったから、そりゃ好きだったし、大事だったよ。


 ただ、それが恋愛かっていうと、ちょっと疑問なんだよな。

 

 いや、別に、信者同士じゃないと云々じゃないんだよ。っていうか俺、今でこそアンチ・モラリストだけどさ。別に今も昔も、エホバの証人はもちろん、どこの組織でも入信の儀式してないんだ。

 恐ろしいだろ? ここまで考えが染まってるのに、信者になってないんだ。教会コミュニティも、実家出たら尚の事勉強に忙しくて、頼らなくなったしな。

 まあ、相変わらずエホバの証人の姉妹だ兄弟だっていうのがね、結構干渉はしてきたから、よくも悪くも生活は規則正しかったんじゃないかな。何日も帰ってない時は、タイミング良く信者の誰かが差し入れしてくれたりな。猛暑だ寒波だってなったら、何かと様子見に来るし。何だったら、俺の家の近くに奉仕に来た奴ら、俺の家泊まってくしな。

 あん? …いやいやいや、奉仕って、ソッチの奉仕じゃねえから。開拓奉仕とか、そういう奴だ。お前も知ってんだろ? エホバの証人つったらアレだよ。ピンポーンの、アレ。アレとかを奉仕って言うんだよ。奉仕って言うわりに、迷惑極まりないって言われたらそれまでだ! アハハ!


 まあ、さすがに、家族連れとかで女が泊まることはあったんだけどさ。別に俺、お気に入りの移動式ソファがあるから、最悪部屋丸ごと貸して、廊下にソファ持ってきてもいいし。んなもんだから、女物とかそれなりに貯えがあったりしたんだ。

 んで、いつだったかな。即位ウン十周年ってのが、数年前にあってさ。その時に、天皇が地上の権威でどうたらこうたら、っていうそういうので沸いてて、まあいつもの事なんだけど、その直後だったから、たくわえが結構あったんだよ。

 だから研究室帰るのだるくてさ。もうその日は化学式とにらめっこの上に、外国の漢方の資料読んだりしてたから、もうキツくてキツくて。

「俺んち、この前まで大所帯が泊まってて、そのあまりあるし、うちで寝て、ゆっくり研究室行こう。」

 って、言ったんだよな。もうこの頃には、男女とかそんなんで見てなくて、同じ方向を向いてる研究者っていうか、自分が分からない専門を、うまく解決策を見せてくれて、そんで時々一緒に化石を掘り起こしに行って、みたいな。そういう相棒キャラだったんだよな。

 だから、正直に言って深い意味はなかったんだよ。単純に彼女も疲れてるだろうし、まだ終電間に合うけど、ホームでめっちゃ待つし、この辺タクシー通らねえし。

 本当に利便性だけだったんだぞ、本当だぜ?

 で、まあ、彼女なんてもう目の焦点が合ってないからさ、手を引っ張って、アパートの中に入れて、そいで俺は閉まったばかりの女性用の布団を出してな。あん? やっぱり女として見てたのかって?

 ったく、若いっていいねえ。………。いいねえ、そうやって、価値観を共有しあえるのが当たり前な世界で生きられるって。そうしたら、俺も同じアンチ・モラリストでも、別の表現方法があったのかもしれねえなあ………。ワカコもカズキも死ぬことなかったのかもなぁ…。

 ああ、悪い。お前さんには当たり前の世界だよな。悪い、悪い。

 話を戻すけど、まあ、その日から、割と何にもしないのに、あいつが宿屋代わりに、俺の部屋で寝たり食ったりってことが増えてさ。俺も信頼してたから、合いかぎ渡したんだよ。そしたら、和………ダブリューさんはまあ、喜んじゃって喜んじゃって。


「これでも、私達って本当の恋人同士みたいに見えない?」


 だって! あははは! まいっちゃうね! 東洋薬学なんて専攻する教授がまずいないからさ。彼女ってば、俺の事一目ぼれしたたんだってさ! 全く気付かなかったよ!

 というわけで、やっと俺にも彼女が出来たわけよ。で、まあ、研究の事もあったし、割とじっくりじっくり、って感じでさ。俺も教会に囲まれてたからって言っても、結婚するまで本番はしたくないって言ったら、彼女さ。


「それだけ私のこと、気遣ってくれてるんだよね? なら、早く博論書き終わらないとね!」


 何て言ってな。今時珍しい、清らかなお付き合いって奴の状態のまま、結婚しようとしたんだよ。


 ―――天涯孤独な女を嫁に迎えることがどういう意味か、対して考えもせず、な。

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