本編

俺のおふくろが俺を妊娠した時の選択

 特に成育歴には問題がなく、金も地位もそれなりに足りていたおふくろが、親父に嫁いできたのは、一目ぼれって奴だったという。

 時代はバブルが弾ける直前。金の動きに敏感な奴らでも、シャボン玉の石鹼の香りで、鼻が鈍っていた。おふくろは別に、遊び好きでもないのに、貯金が趣味だってもんだから、『絶対に倒産しない会社、即ち公務員!』と、公僕になった。親父は親父で、田舎から出てきたばかり、ブラウン管越しでしか見たことのないような、ギンギラギンのネーチャン達に、目を白黒させながらも、『仕事として市民の皆様に相対するときはかっこいい顔をする』とのことだった。都会のギャル上がりの公務員とか、イヤすぎるが、そういう時代だったと言えば時代だったのだろう。当時は『女がリードするデート』なんてありえなかったから、ぽっと出の田舎んぼ童貞だった親父なんぞ、本当に『逆アッシー』『逆メッシ―』『逆みつぐ』だったとか。

 おふくろは高校も公立に行けるほど優秀だったし、何なら『趣味の貯金をしたいから』なんて理由で進学しないというと、家庭環境を心配されるほどだったという。おふくろの実家は、特に何か困ったことがある家でもなんでもなく、普通の工場勤めの父親と、内職の母親、父方の祖母の四人暮らしだった。特別貧乏でもないし、特別エリートでもない。時代が時代だったから、むしろ低学歴だ。一緒に住んでいたというおふくろの祖母―――つまりは俺の曾祖母だが―――は、『朗読』や『ラジオ』を好んでいたというから、おふくろが何かをコツコツ積み重ねるのが好きだったのも、何故かやたらと人より敏感な神経を持っている両親と祖母がいる家庭だっていうのも、納得がいくんじゃなかっただろうか。

 意外なことに、親父は裕福だった。高度経済成長期に、父親が海外出張なんかに行くほどだったんだから、余程のことだったんだろう。一通りの『お坊ちゃん』がやるような習い事は全部やり、そして悲しいまでに、芽が出なかった。

 金持ちなんていったら、なんだか色々なややこしいあれそれがありそうだけど、そんなことはない。時代はベビーブームと未曽有の景気で、色々ぽこぽこ産まれたもんだ。肩掛け受話器だとか、家具家電だとか、子供は男子の方が喜ばれるし、子供を産めない嫁は単なる奴隷だ。もちろん産んでも奴隷なのだが、それについて何か文句を言う相手もいない。

 ―――そして、悪夢も産まれた。

 親父がアメリカで知り合い、日本で休暇を過ごさせようとした、あの家族が―――。

 やってきて、俺の家は、全て狂っていったんだ。誰一人、気づかないまま。それが『当たり前』だと思って、『幸せ』だと思って、父親をアメリカに取られた俺の親父たちは、静かに、静かに狂っていった。

 野心と諦観、競争と脱落、その二つがどんどんどんどん増えて行って、小さな消しカスになっていたものが、人口と仕事と金でごろごろごろごろ、イモ洗いになって、泡は鍋から溢れても止まらなかった。何がきっかけだったのか、吹きこぼれた鍋にびっくり水が差し込まれ、夢は、終わった。

 後には、泥と、消しカスの塊と、同じような形と色合いと大きさのイモだけ。

 親父とおふくろが結婚したのは、ちょうどその頃だったという。

 殿様気分の夢から覚めた奴らは、突然自分がただのイモであることを自覚し始め、公務員や行政に対する不信感が募り始めていった。親父は忙しくなって、転勤族になるのも嫌だったので、どうせ好きあってるのだし、と、俺からすると割と軽い気持ちで、プロポーズしたんだとか。そういうとこだぞ。

 とんとん拍子で縁談は進み、ふと、親父は言ったという。

「そういえばうちは、ぼくと父さん以外クリスチャンだから、結婚式来ないよ。」

「? そうなんだ。」

「ぼくの親戚は来るよ。」

「そうなんだ!」

 正味おふくろも、宗教だの何だのそんなものは特に意識して育っていなかったから、その時は何も思わなかったのだという。結婚式は、本当に、親父とその母親、親父の妹たちは来なかった。しかし、父親と、母親の親戚は来た。

 親父がどういう風に、親戚に理解されていたのかということは、正直分からないが、まあ、悲しい話、人が死ななければ理解できないというのは、日本の国民性なんだろう。俺自身が外国に出てから思ったことだが、日本人の平和ボケっていうのは、左翼だか右翼だかの専売特許ではなかったらしい。じゃあ、連中の言うことが正しいのかと言われたなら、じゃあ連中のフィールドでどうぞ、としか言えない。そこの論点に俺は興味持てないし、持とうと思わないし、対象じゃないしな。

 精神性や倫理よりも、生産性や計理が優先された時代だったんだろうな、俺は生まれていないけれど、親父たちや俺、それに嫁の時のことを考えると、どうもそうのような気がするのだ。


 結婚式には参列しなかったが、披露宴では、親父の弟妹も、母親も来た。遠いところから来たから遅れただけかしら? でもご自分の、それも長男で、しかも初めてお嫁さんが来るのに? そんな声が聞こえていたとして、親父はともかく、おふくろが意味を理解していたようには思えない。何でって、そりゃ単なるおふくろの息子としての経験則だ。

 かくして正式に嫁いだおふくろは、姑たちとの同居はしなかった。だから、いびられることもない。けれども。

「おはようございまーす。」

「おはようございますぅ。」

「はーい! お待ちしておりましたぁ!」

 宗教に限らず、大なり小なり、組織のネットワークというのは、結局のところ地球全体を包んでしまうものだ。嫁への教育のために、『姉妹』が、派遣された。

「前回やったのはどんなことだったか、覚えていますか?」

「神さまの名前の話ですね。」

「はい。名前をエホバと言います。」

「………。あの。」

「はい?」

「お義母さんもお二方も、クリスチャン、なんですよね?」

「ええ、神に是認された唯一の組織に所属しています。」

「クリスチャンですよ。」


キリスト教徒クリスチャンの『かみさま』って、イエス・キリストじゃないんですか?」


 おふくろは、一度はそう問いかけたという。すると二人は、慣れている、とばかりに微笑んで、


「その辺は、この後お勉強しましょうね。」


 そう、答えるのだ。彼らは、決して自分たちのペースを乱されるような質問や疑問の存在は許さない。後回し後回しにして、問題が戻ってきた時には、もう相手は別のことを考えさせられている。別にここが特別なわけじゃない。日本の教科書はそのように意図されないように、と、配置されているが、教師の考え方一つで、そんなものの配分は変わる。多くの日本人は、カルトの洗脳やマインドコントロールを非難するが、そもそも日本で教育を受ける権利を持っていて、それを侵害されていない人は、大いに洗脳もマインドコントロールもされた上でそんなことを言っているのだから、いやはや全く、無知とはこわやこわや。痛々しいに越したことはない。

「今日は、エホバが私達をどう思っているか、学んでいきましょうね。このトピックには、何と書いてありますか?」

「…『貴方も、神の友となれます』。」

「そう、エホバは、貴方とお友達になりたいと思っているんです。」

「だから、自分の名前を呼んでほしいんです。貴方はこれからお母さんになるけど、その過程でたくさんの兄弟姉妹にも出会うでしょうけれど、だれだれちゃんのママ、って呼ばれるより、お名前で呼ばれた方が、嬉しいでしょう? だから前の単元で名前を―――。」

「あ、あの、あの!」

「なあに?」

「私、高校倫理でやっただけですけど………。キリスト教の神って、『父』じゃないんですか?」

 ここも引っかかったという。その時の返事については、詳しくは語っていないが、俺はこの時も、こいつらはこう言ったと思う。

「その辺は、この後お勉強しましょうね。」


 俺は今となっては、行政だの法律だの、日本のシステマチックなものは、全て無能だと断言できるから、こんなことが言えるのだが、もし俺が日本にいた二〇一一年以降、俺が愛と平和を甘受することを拒否してから、もし変わっていたのなら、是非俺に教えてほしい。

 役所の人間というものは、結局人間は見ていない。見ているのは、『書類』だけだ。そして、聞かれたことに全て誠実に答える法的根拠はなく、その辺は忙しさや自分の手間暇、給料に見合った仕事だけしたいという、実に怠惰な方の共産主義的な考えと言えるだろう。効率的に、最大限の理を得たい、まして、バブルが弾けて、ようやく公務員の地位が上がったのだ。絶対に潰れない会社に勤めている、ただのバブル思考の亜種だ。

 だから、彼らもまた、人命だの倫理だの良心の呵責だの、そんなものよりも、共産的な最大利得を選ぶ。だが、それこそ『かみ』の皮肉だろうか、そんなインクと紙で作られた歯車の中にも、時々『ひと』に、興味を持つ者が現れる。そんな奴らは、数字という失くした眼鏡を探し回るスーツ姿のイモになることを拒否して、社会から一歩、引いたところに立とうとした。

 そういう人間が行く場所は、大体決まっていたのだろう。そして、学のあるキレ者達は、その問いの究極の答えに辿り着こうとした。辿りつける実力があったし、今まで彼らを『それ』が裏切ったことなどなかったのだ。

 そして、公僕というものは、倫理で動かない。だから、当事者の危機感や嫌悪感、違和感と言った、言語化しがたいものについてや、それらについての熱意や心の訴えというものに全く無関心だ。金にならないからである。あるいは、額を突き合わせて、今夜のワンナイトバッティングセンターを物色しているうちに、コトが過ぎ去ってくれまいか、そんな女々しく騒ぐなみっともない、という男根主義マチズモもあっただろう。とりあえず、公僕を動かしたかったら、ちんこを握るしかないと、俺は今でも思うよ。経験上の話だけどね。俺はね。


 おふくろは、二人の客人とのお茶会を兼ねた勉強を、止めることは出来なかった。情熱で突っ走ってくるばかりだったおふくろだが、元々貯金が趣味なような人だった。だから、こつこつ勉強することも別に苦ではなかった。遠地にいる義家族との交流の代わりに、地元の集会に通って、親父もそれに対して協力的だった。

 ただ、おふくろと親父の決定的な違いは、おふくろはこの『世界』について、あまりに純粋に過ぎた。おふくろだけが、この異様なテンションの中の、異様なコミュニティに、何かが引っかかっていた。それはもう、母親だけが持つカン、とでも言おうか。

 具合を悪くしていたおふくろには、その日はニュースを切った。一大事なのはわかっていたが、その時はそれ以上、見ていたくなかったのだという。

「姉妹、姉妹! 見た? 見た!? 素晴らしいわ、思ったより早く、その時が来たのね!」

「一九九九年じゃなかったんだわ。約束の時の計算はとても難しいんですもの!」

 テレビの中の阿鼻叫喚とは対照的に、彼女たちは喜び勇んでいた。


「日本でもテロが起きたわ! 暴力が溢れ、人々が苦しみ呻いているわ! 事物の終わりハルマゲドンが来た!!」


 一九九一年。地下鉄で何かの毒物によるテロが起きた。日本中の関心が向き、やがて今までの断片的な『違和感』が、星座が浮かび上がってくかのように全体図となっていき、その星座が形作った『オウム真理教』という犯罪星団の発見へと繋がっていく。ショッキングな多くの流血事件が繋がったりして、ただでさえ具合の悪いおふくろは、大層に揺れ動いたという。

「もう事物の終わりハルマゲドンは始まっているの、明らかよね? 今が辛抱時よ、最後の最後で、聖書やエホバに背くようにサタンが仕掛けてくるから、気を付けるのよ! ―――あんな事件に巻き込まれても、輸血の同意をしちゃだめだからね! まだあの子小さくて、意思表明とか出来ないんだから!」

 ―――そして、おふくろは、そのオバハンどもとの付き合いを避け、『本物』を探す旅に出た。

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