第3話 3日目 水曜日

……やはりベッドの上だ。

火曜日を終えて一度睡眠を取ったのだから夜を越して今日は水曜日。

暫く考えてそれも不安になった。

まず部屋の中に正確な日時を確かめるものがない。

カレンダーもテレビも無い。

唯一あるのは箱型のラジオと電話機。

最初に目覚めた日を「月曜日」と定めたのはこのラジオから流れたテーマ曲とかすかなアナウンスを聴いたからだった。

チューニングが合ったのはその一度きり、あとはツマミをひねって周波数を変えても電波は捕まらず何の音も流れてこない。

窓の向こうは霧に霞んだ薄明かりがあるばかりなのだが、果たして太陽が動いていないかのように……まるで白夜のように……夜の闇が訪れない。

日没も日出もあらかじめ排除されているようなのだ。

自分が眠る時間がいつなのか、どれくらい眠ったのかが分からない以上、二十四時間が経過しているのかの確証はないわけだ。

ベッドから降りてライティングデスクの前に立ち脇に置かれている電話機の受話器を取ってみる。

電話機は白く平らなデザインでボタンキー式のものだ。

ホテルのフロントを呼び出そうとして諦めたのは初日だった。

試しにまた受話器を耳に当ててみたがやはり何の音もせずどこにも繋がらない。

そして肝心のボタンキーには数字が印されておらず白いボタンが並んでいる。

適当な番号を打ち込もうにも数字の位置が分からない。

「1」は上の段だったか下の段だったか、思い出せなくなっているのだ。

ノックの音がした。

受話器を戻し私はドアに向かった。

どうせ駆けつけて開けたところで既に相手は(いるのならば)姿を消しているはずだ。

ドアを開けるとそこにはやはりルームサービスの食事が到着していたが、昨日とは違いサービスワゴンで置かれていた。

部屋に引き入れ中央に停めてワゴンをテーブル代わりにして椅子に座りながら銀色のクロッシュを開けた。

皿の上には昨日よりかはきめ細やかに調理されたサンドイッチが乗っている。

挟まれているのはミートローフらしい。

ワゴンの下の段にはポットがあり、カップをおいて湯気を立てた熱いコーヒーを注ぐことが出来た。

昨日はどこか収監中の罪人か拉致された人質めいた気分だったが、それよりかは改善されていた……。

まるで昨日のこちらの気持ちを読んだかのような、と思い浮かんだ。

食事を終えて食器ばかりになったワゴンをドアの外に出して再び部屋の中、ベッドに腰掛けた。

私がすべきことは何だ。

一つは記憶を取り戻すこと。

自分自身の手がかりを探すことだ。

それからここを出てゆくこと。

どう考えてもここは自分の居場所ではない。

そうだ、それは分かる。

ただ、自分が何者でどうしてここにいるのかを先に明らかにしなければ、行先も無くここを出た途端にすぐに迷子だ……。

しばらくは宿泊客としてとどまった方が正解だろう。

無意識にサイドチェストの引き出しを開けた。

……そうだ空だったよな。

一度確かめてから引き出しを閉じた。

暫くして私は「聖書は置いてないのだろうか?」と頭に思い浮かべ、もう一度引き出しを開けてみた。

さっきは空だった筈の引き出しに、聖書が一冊入っていた。

注意深く両手で掴み取り出した。

重さも手触りもある。

引き出しをこれまでにも開けていたが、今まで見過ごしていたというのか?

私は向きを変えながら表から裏まで確かめてからページを開いた。

……細かい活字がびっしりと並んでいるが、私はそれを読むことができなかった。

間違いなく英文の聖書の筈なのだが、章句を読もうとしてもアルファベットの文字を認識できても意味を持った言葉として読み取ることが出来ない。

焦燥感にかられてページをめくるのだが、私は文章を読み取れなくなっていることを悟った。

同時に強烈な睡気が湧き起こり、手から聖書が離れて床に落ちた。

そうして私もベッドから滑り落ち床の上に崩れて意識を……


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