最終話 物語の結末

アルデリガ王国王都付近まで来ると、馬を止める。朝に剣士の家から出てアルデリガに着くまでに、もう夜が更けてきていた。目の前には街並みが広がっていて、僅かに明かりが見える。


「さあ、ここから貴方一人で行動してもらうよ。私はここで撤退用の馬を待機させておくから」

「了解した」

「リミットは夜明けまで、今から約八時間程度だね。それまでに、貴方が証拠を掴んでここに戻ればゲームセット。私達の勝ちだよ」


剣士からもらったコートの内にセットした武器を確認する。ナイフやら神経毒の付着した針やら、役立ちそうな道具をいくつか渡された。どこにしまったか確認してから、もう一度地図でルートの把握をする。道中で確認するとタイムロスになるためなるべく暗記しないといけない。何よりそこに意識が向くし、暗いところでは確認できない。


「はい、じゃあこれも着けてね」

「なんだこの変な仮面」

「顔隠し用。ユウキ・セラが侵入したという証拠は、絶対に残さないようにね」


侵入者がいたとバレても問題ないが、それが俺だと気づかれると不味いということだろう。更に罪が重なり、全部が上手くいったとしてもそこで引っかかる可能性があるからだ。手渡された仮面を顔につけると位置調整をして、コートについているフードも被る。


「貴方が時間までに帰ってこなかったら、私は私の身の安全を最優先にするよ。それを覚えておいて欲しい」

「分かってる、あんたには帰るべき場所があるからな。別に恨んだりしねぇよ」

「ありがとう。じゃあ……気をつけて」


それに頷くと、馬から降りて走り出した。

闇に紛れる漆黒のコートが揺れる。アルデリガに来るのは、あの舞踏会以来だ。今回は不法侵入するが、バレなければなんの問題もない。


指示されたルートを実際に通れば、計算されつくされたものなのだとより理解出来た。こんなに怪しいヤツが走っているのに、誰にも注目されない。本当にここなのかと疑うような場所もあったが、通ってみると結構なショートカットになったりした。


それから二時間しただろうか、城に着くと指定された場所から城壁を登る。愛用している鉤縄は手元に無いため、それに似たものを貸してもらった。馴染んでいないが、案外使いこなすのは早かった。


「俺ってやっぱ才能あんのかね……」


暫く登っていると、鉤爪を引っ掛けた窓に着く。中を覗くと廊下のようで、押し開くと抵抗なく窓が開いた。鍵がかかってない、全く不用心極まりないことだ。こんなんだと泥棒が入ってしまうぜ。


人がいないか確認して中に入ると、壁を伝って進んでいく。角から右の通路を確認すると、ランタンの光が見えた。今度は左を確認して、燭台の明かりしかなないのが見える。このフロアは来客用の空き部屋しかない。別に用はないし、来賓の予定はないと聞いている。

右側の通路に行って、隣の塔に向かうための渡り廊下を渡らなければいけなかった。一度死角に隠れて警備兵が左奥に向かったのを見ると、そのまま右側に走り出す。

すると、早速アクシデントが起こった。来賓の予定は無いと聞いていたが、部屋の扉が空いたのだ。丁度、扉を開いた十歳程度の少年と目が合う。


「(──まずっ!)」


慌てて少年の口を手で塞ぐと、そのまま部屋に転がり込んだ。静かに、しかし素早く扉を閉めると、そこを背にして呼吸を落ち着ける。少年は、口を塞がれながら頭を上げてこちらを見ていた。純粋で綺麗な目が、俺に向けられている。

部屋を見ると、幸いにも少年しか部屋にいなかった。親はまだ起きていてどこかに居るのか、恐らく少年だけ眠くなって部屋に戻ったのだろう。


「……静かにすれば危害は加え……えっと、何もしない。手を離すけど絶対叫ぶなよ」


少年が頷いたのを確認して、それを信じるとゆっくりと手を離した。ここで少年が叫んでも危害を加え黙らせるのは外の兵の方だが、少し脅して静かにさせた方がいいだろう。少年は俺から離れると、じっと見つめてきた。


「俺がここに来たこと、黙っててくんない?」

「なんでー?」

「えー、知られたら困るから」


それを聞いて少年は疑うような視線を向けてきた。正直子供が好きでは無い、扱いが上手く分からなかった。兵に気づかれたとしても、確実にそれは今では無いのだ。どうにか誤魔化さなければいけない。


「実はさ……俺、世界平和を守るための組織の一員なんだ」

「世界平和……そしき……?」

「みんなに気づかれないようにお仕事するんだけど、優秀な君に見つかってしまった。ああ、上司にバレたら殺される……!」


顔を手で覆ってしくしくと泣き真似をすると、指の隙間から少年を見た。なんと言うか、疑っている感じはしないが、ぽかんとしていた。理由がアホ過ぎて信じて貰えなかったのかもしれない。どうすれば良かったんだ。


「お兄さん、しぬの?」

「まあ、君が内緒にしてたら死なないけど」

「じゃあ、僕もそしきに入れてよ。そしたら内緒にしててあげる」


思ったより信じているらしい、保おけているのかと思ったがこっちをキラキラした目で見ていた。確かにこの国の闇を暴いて、リネット王国を救うのだから、平和のために動いていると言えるだろう。何も嘘は言ってない。架空の組織に入れるのは全然いいが、彼の信用を確実にするため、より信じて貰えるようなことをしないといけないだろう。


「では君にこの、えー、コートのボタンをくれよう。これがあれば組織の一員だとすぐに分かる」

「僕もそのコート欲しい」

「えっと、これは一人前の組織員になれば貰えるんだ。これを着れる日が来るように頑張りたまえ。がはは」


これが証拠で後に俺だと気づかれることは無いだろうと、ナイフを取り出す。そしてコートのボタンをひとつ取ると、それを少年に差し出した。両手で受け取った少年は、嬉しそうにボタンをつまんで月光に照らしている。これで丸く納まっただろうか。少年はしっかり信じてくれているようなので、このままタイミングを測って渡り廊下へ向かおう。

扉に耳を当て、足音がドアの前を通過して左へ向かった。そろそろだろう。


「じゃあ、俺は行く。くれぐれも俺と組織の存在は誰にも言うなよ」

「うん」

「いい子だ。君が立派な青年になれるよう祈ってる、あばよ」


扉を開けて警備兵が左奥に行っているのを目視すると、素早く右側へ走った。そのまま壁につき当たれば、次の通路を右に曲がる。するとすぐに渡り廊下が見えてきた。隣の塔の入口のすぐ側に、兵が一人立っている。このまま廊下を渡れば気づかれる。故に、ここを通るためには黙らせるしかない。コートに仕込んだ道具を取り出せば、それを構えた。


兵はまだこちらに気づいていない。そして廊下に差し掛かると、相手が気づくギリギリまで接近する。寝ぼけているのか半分程度進んでも全然気づかない。本当にこの城の警備が心配になってきたところで、兵がこちらに顔を向けた。


「(今だ──!)」


強力な神経毒が塗られた針を、兵の首に向かって飛ばした。これを使うのは初めてだが、少し重みのある針のため、飛ばすのは難しくなった。狙い通り相手に刺さると、叫ぶことの出来ない兵に突っ込んで針を抜いて首を締め上げた。意識がなくなったのを確認すると、布で口を縛ってから縄で手足を拘束する。


「このまま突き落とした方が確実だが……他国の兵は流石に不味いよな」


そのまま蹴り転がすと適当な場所に放置した。どこかに閉じ込めた方がいいかもしれないが、そんな時間は無い。脳内で地図を広げながら、記憶しているルートを通っていく。廊下を渡った先のフロアには使用人達の部屋があった。


「(ここには守るもんねぇから、あんまり警戒はされてないと思うが……)」


用があるのはここの上の階だ。階段の場所を把握して走り出すと、周りを警戒しながら進んでいく。警備兵が一人いたが、死角を利用して上手く遭遇を回避した。想定通り、ここは簡単に抜けられそうだ。


と、思ったのもつかの間──階段に誰か座っている。なんでこんなところにいるんだ。頼むから部屋にいてくれ。例のアサシンの指示だとお前を半殺し、もしくは殺すことになるんだ。見れば一人の酔っ払ったメイドが、手すりに寄りかかるように寝ている。何があったんだ。


「(起きるなよ……!)」

「──んもぅっ! 私のどこがいけないっての?!」

「げっ……」


横を通り過ぎようとすれば、メイドが目を覚ました様でがしりと足を掴まれた。寝言かと思ったが、完全に俺の事を見ている。眠たそうに瞼が半分下がって、この酷いアルコールの匂いはだいぶ酒が入っているのだろう。

振り払って突破してしまおうか、そう思っているとメイドが泣き出してしまった。早く黙らせようと彼女の傍にしゃがむと、背を摩ってやる。


「シーッ、静かに。どうどう」

「私っ、私は本気で好きだったのにぃっ……!」

「うんうん、そうだな」


その様子から想像するに、失恋してやけ酒したのだろう。よく見たらワインのボトルを握っていて、思い出したようにそれをあおっていた。本気の恋愛だったのだろうか、しゃがんだ俺に縋り付くとまたでかい声でわんわん泣いている。巡回する兵に気づかれない内に、早く黙らせなければ。あと借り物のコートが濡れてしまうので、顔を押し付けるのをやめて欲しい。既にボタンを一個喪失しているが。


「一目見た時から、彼しかいないってっ、思ったの……! でもただのメイドなんて、興味無いわよね……わぁああんっ!」

「そんな事ねぇよ。あんた顔可愛いし……うん、胸も結構ある」

「でもっ、隣国のお姫様と結婚しちゃうんだって……私、どうしたらいいのかしら……」


隣国の姫と聞いて、驚き目を見開いた。

酒をあおっているメイドの肩を慌てて掴むと、彼女と目を合わせる。まさか、彼女の好きな相手とはオリバー王子のことなのだろうか。なら、もう結婚の話が人々に広まるほど進んでいるのかもしれない。


「オリバー王子の結婚はもう決まってるのか?!」

「今日のお昼にはリネットに向かったわ……。もう時間の問題よね……ううっ、私、こんなに好きなのにぃっ……!」

「──時間が、ない……」


彼女の幸せのためならと諦めた時もあったが、今はミオが誰かのものになるなんて耐えきれない。それもあのオリバー王子になんて、余計に無理だ。早く証拠を持って帰らなければ、ミオを取り戻す事が更に難しくなってしまう。


「俺が結婚をやめさせる、だから心配するな」

「貴方に何ができるのよぉ……! もうっ、飲むしかないわ!」

「必ず止める、だから今日はもう部屋に戻って寝ろ。大丈夫だ、信じてくれ」


メイドは酒を飲む手を止めると、じっと俺を見つめた。そしてこくりと頷くと、ワインボトルを階段に残してよろよろと立ち去っていく。どうにか信じて貰えたようだ。一安心してから、がっちり掴まれて乱れた衣服を直した。

ミオとオリバー王子の結婚は必ず阻止するが、その後彼女が王子と一緒になって幸せになれるかどうか、しっかり考えて欲しいと思う。しかし、あんなにふらふらで無事に部屋に戻れるのだろうか。


「早くしねぇと、マジで時間ねぇぞ……!」


そのまま階段を上がっていくと、次のフロアに付く。ここには王家の部屋や、娯楽室、そして例の資料保管室などがあった。流石に警備兵の数が多く、少し進んだだけで兵とぶち当たりそうになる。すぐに引き返したが、ここで巡回してるくせにさっきメイドに気づかなかったのだろうか。あんだけわんわん泣いてたのに、彼女は無視されていたのだろう。


「(まあ好都合だったが……よし、もっかい様子見るか)」


そしてまた階段を上った瞬間──警備兵と目が合った。

肝が冷えたが、すぐに喉に手刀を叩き込んで対応する。相手が苦しそうに喉を抑えた瞬間、腹に拳を叩き込んで更に怯ませた。そして背後に回り首を絞める。失神したのを確認して、音が鳴らないようにゆっくり床に寝かせた。


これ以上体力を使いたくないので、なるべく戦闘は避けたいところだ。縄と布でまた拘束して、右側の通路を進んでいく。道具にも限りがあるし、とっとと保管室を見つけなければ。

そんな事を思っていると、一つだけ鉄製の両開きの扉があった。こんな如何にもな場所なのだろうか、確かに記憶した地図ではその扉の場所が保管室らしい。


「(さて、これで開かなかったら窓から侵入の回り道になるんだが……)」


これまたなんでそんな物がという話だが、剣士から数本鍵を預かっていた。例のアサシンが作成したものらしいが、どれでも開かなかったら窓から入って欲しいと言われた。地図には『必ず開けろ』と書かれていたが、それはお前の技量と運の問題だろうがと思った。


形はちゃんと鍵の形をしているが、こんなので開くのだろうか。──カチャリ、音が聞こえて一本目で開いたのが分かる。そんな事あるのかよ。


保管室の中に入ると、棚がいくつか設置されていてた。そこに沢山の羊皮紙がまとめられ、管理されている。さて、この膨大な量の資料の中から証拠を探すのだが、全く目星がつけられていない。今までしっかりと道順を教えられ、細かく指示されてきたが、保管室の中までは流石に情報が無いようだった。


「片っ端から確認するしかないだろうな……」


重要な証拠ゆえに手前には置かないだろうと、奥の方から確認する。帝国やそれに関係する人物の名前、ワード、それらを意識しながら、探す、探す、探して──しかし、どこにもそれらしいものはなかった。金庫や隠し扉、床に何か空間がないか色々調べたが、もう探してから三十分は経過しただろう。

これ以上ここに留まって見つからなければ、引き返す時間を計算すると、剣士と約束した時間に間に合わない。しかし、今日は撤退して後日とはいかないのだ。チャンスは一度きりだからこそ、剣士達もここまで入念に準備を進め、俺に託したのだから。


「なら、賭けるしかねぇ……!」


すぐに保管室から出ると、とある部屋へ向かう。実は保管室で証拠が見つからなかった場合、もう一つ向かう場所があった。一度回って左側の通路に進むと、オリバー王子の部屋の前についた。本来なら彼を外に誘導するなどの面倒な作業があったが、今は不在だと分かっている。

預かった鍵を一本挿し込む、回らない。次を挿し込んで、しかし回らない。早くしなければと次を挿し込むが、今度は挿さりすらしない。さっき一発で開いた分、余計に焦る気持ちが出てくる。そして、やっと最後の鍵で開いた。


ビビらせんじゃねぇと一息つくと──ランタンの光が、こちらに向けられた。


「──おい、そこで何をしている!」

「(こっちに集中し過ぎたか……!)」


ドアノブに手を掛けた瞬間、警備兵の一人に見つかってしまった。こいつは確か半殺しコースの兵士だ。なら容赦する必要は無いと、神経毒の塗られた針を取り出した。


「侵入しゃ──」

「黙れ──ッ!」


すぐに距離を詰めて、相手の足を払う。腕を掴んで倒れる勢いを殺すと、針を首に刺しながら廊下に寝かせた。一瞬のことに何が起こったか分からず口をパクつかせながら目をキョロキョロとさせている兵に見せるように、人差し指を口元に当てる。そして口を塞ぐために、持っていた布を相手の口内に詰める。そのまま蓋をするように口元を手で抑えると、ナイフを取り出し逆手に構えた。


「お前、運が悪かったな」

「ん゛っ、んん゛ーーッ!!」

「シーッ……静かに」


急所を避けて、まずは相手の肩にナイフを勢いよく振り下ろした。ざくっと深く肉に突き刺さり、悶える兵に馬乗りになって押さえつける。毒が回り上手く抵抗できないのだろう、そのまま傷口を開くように、何度か手首を左右に捻った。痛みで力が出ないのか、ぐったりと力を抜いた兵士を確認して上から退く。


今度は太ももにナイフを突き立てると、同じように痛みを与え付けた。これで足止めできるだろう。兵士の顔を覗き込めば、酷い顔をしながら失神しているようだった。適当に転がすと巡回する兵に気づかれるし、近くの部屋へ隠そうにもどこも鍵がかかっていた。仕方なく一緒に王子の部屋に入ってもらう事にする。


「さぁて、どこにあるのやら」


部屋に入って失神した兵士を床に放置すると、すぐに棚という棚を漁り始めた。流石に時間が無くなってくる。もう予定より一時間程度はズレているだろう。早く早くと焦れば焦るほど、手が震えて上手くいかなくなる。一度深呼吸をすると、ふと寝室にあるサイドテーブルに目が止まった。近づくと引き出しが一つあるのが分かる。すぐに開けば、錠のついた木製の箱が出てきた。


「馬鹿め、錠がついててもこんな箱の金具ぐらい破壊できんだよ」


何度かナイフの柄で金具付近を力いっぱい叩いた。更に大きく振りあげれば、思い切り床に叩きつける。そしてかかと落としを連続でお見舞すれば、金具部分がバキッと音を立てた。箱から金具が外れたようだ。


すぐに中を確認すると、誓約書などが出てきた。その内容は簡単に言うと『アルデリガ王国とミアナド帝国は今日にて交友国となることを約束する。アルデリガ王国はリネット王国の情報を帝国に渡し、その代わりにミナアド帝国は資源を輸出する』というものだった。何故こんな重要なものか王の持ち物ではなく、王子の部屋にあるのかは不明だが、確かな証拠だと言えるだろう。


「──ん゛ーーっ!! んん゛っ!!」

「やば、目ェ覚ましたのか……!」


気絶していた兵士が、逞しくも目を覚まして叫びをあげていた。黙らせようと近づくと、扉の向こうから声が聞こえる。そして、ドアノブがガチャガチャと回された。鍵は閉めてあるので今は大丈夫だが、時間の問題だろう。証拠は見つかった、そして俺も見つかった。ならばやることは一つである。証拠の資料を仕舞うと、最初に使った鉤縄を取り出した。そして叫び続ける兵士の首に思い切り蹴りを入れ、再び気絶させる。


「っせんだよ……テメェのせいでバレただろうが」


すぐに窓を開けて、鉤爪を引っ掛けると外れないか確認する。どんっどんっ、と扉を破ろうとする音が聞こえて、素早く窓から外に出た。そのまま慎重に足場を確認しながら降りていくが、そろそろ地面に着くと分かってスピードを早めた。すると上の方で何かを叫んでいる声が聞こえて、王子の部屋の窓から兵が顔を出す。早く降りないと、そう思っていると案の定鉤爪を外された。


「──ぐぁっ……!」


もう少しで地面に着きそうだったからよかったものを、危うく落下死するところだった。しかし背中を強く打ったせいで、呼吸が止まりかける。すぐに落ち着けると、鉤縄を回収しながら空を見上げた。このまま逃走用のルートを全力で走っても、恐らく夜明けまでに間に合わない。証拠を掴んだはいいが、ここから逃げられない可能性が出てきた。


「おい! 居たぞ!」

「くそっ……!」


もう城中に伝達されているのか、追っ手がすぐそこに迫っていた。そいつを背にするように走れば、また目の前に別の兵士が姿を現す。挟み撃ちになったのなら、どっちかを沈めて突破するしかない。


「瀕死で収めんの、案外難しいんだよな」


そのまま走り続けて、ナイフを構えると目の前に居た兵士に飛びかかる。ドロップキックを叩き込んでから、倒れたところにのしかかり腹部にナイフを突き刺した。叫びを上げる兵の顔面に拳を何回か振るって、動きが鈍った所を走り抜ける。逃げ伸びて街まで駆け抜けたが、このままでは捕まってしまう。どうにかしてこの場を切り抜けなければと思っていると、俺と並走するように馬が近づいてきた。


「乗って!」

「──剣士!?」


最初のポイントで待っているはずの剣士が、何故か撤退用の馬を引き連れて街中を馬に乗り走っている。人々が驚いてそれを避ける中、俺もすぐに馬に乗った。もう予定の時間から二時間は経過しているはずなのに、彼女は危険を犯して来てくれたらしい。


「ここに来たら不味いんじゃなかったのか?!」

「顔隠してるし、ちょっとぐらい大丈夫でしょ」


適当にそう言ってから笑う彼女を見て、呆れて俺も笑った。そして走り続けると段々と人気がなくなっていき、そしてアルデリガの領土内から出ることが出来た。背後を見ても、追っ手は来ていない。どうやら撒くことができらしい。馬の走らせる速度を落とすと、剣士は俺の方を向く。


「それで、任務の方はどうなったのかな」

「おう、バッチリよ。ほれ、確認してくれ」


このまま持ち逃げされたらとんだ骨折り損のくたびれもうけだが、彼女は内容を確認して何度か頷くと、それを俺に渡した。剣士にも必要なものだろうが、俺に預けてくれるらしい。


「これを持って帰るといいよ。やることがあるから、私も一度戻るね」

「本当に、ありがとう……。必ず借りは返す」


ここに来るまで、色んな人に助けられた。心からの礼を述べて頭を下げれば、彼女はくすくすと笑っている。何がおかしいんだと眉をひそめれば、彼女は「ごめんごめん」と軽く謝っていた。


「それは私達にも必要なものだから、こちらこそありがとう。それに……またすぐに会えるから」

「じゃあその時、これを渡す。……もう既に王子がリネットに向かってるらしい、俺もすぐに行かねぇと」

「うん、行ってらっしゃい。ご武運を」


剣士に見送られながら、俺はリネット王国に向かって馬を走らせた。王子と俺のタイムラグは半日程度、この速度で行けばクソみてぇな結婚を阻止できるはずだ。


「ミオ、待っててくれ──俺はお前と生きたいんだ……!」




────




早く──早く──。


王城まで馬を走らせると、警備兵に見つからないように馬から飛び降りた。もう日付が変わって今は正午ぐらいだろうか、縁談が始まっててもおかしくない。俺が罪人だと、当然城の奴らも知っている。正面突破すれば、あっという間に捕まってしまうだろう。


「あれしかないよな」


応接室がある場所の窓を遠くから確認する。隠れながら登ったとしても、こんな真昼間だからすぐ見つかるかもしれない。でも正面から行くよりはマシだと、物陰に身を隠しながら窓の下まで向かう。しっかり回収しておいた鉤縄を構えると、窓際にそれを掛けた。引っ張って確認すると、そのまま勢いよく登り出す。


「あー、背中痛い……」


打った背中が痛むが、今は背中が痛みで外れたとしても登るべきだ。でないとミオは、あの男の手に渡ってしまう。あと少し、もうすぐそこに──。


窓の縁まで登ると、そこから顔を出して中を覗いた。そこにはユメサキ王とオリバー王子、ヒロと警備兵、そして──ミオがいる。彼女と目が合うと、じわりと胸に熱が広がった。ひらひらと手を振ると、ミオは目を丸くしている。そのまま縁に乗り上げると、城壁にある装飾の突起に手を掛けた。そこに掴まって一度下半身を後ろに投げ出すと、足を窓に向け振り子のようして破壊する。

ガシャンッと窓が壊れる大きな音がすると、そのまま応接室へ突入した。


「元気だったか、ミオ。お前を奪いに来たぜ。……どう? 惚れた?」

「ユウキ、さん……!?」


ミオは立ち上がると、涙を堪えるようにドレスを強く握っている。やっと脳が処理できたのか、驚きで動けないでいた王が兵に指示を出した。護衛の兵が、こちらに向かってくる。


「待って! 話を聞いてくれ!」

「──止まれッ!」


事情を知っていて、ヒロは俺が何か掴んだと確信したのだろう。剣を抜くと、俺を庇うようにして兵との間に入った。ここを抜けようとすれば、容赦なく切り伏せる。その覚悟が背から伝わった。

明らかな反逆行為だ。俺が失敗すれば、こいつも捕らえられてしまう。


「王よ、俺の話を少しだけでもいい……聞いて頂きたい」

「聞く必要はありません、ユメサキ王。こいつは大罪人です。そのよく回る口で上手く丸め込もうとしているに違いありません」


このクソ王子、その気になれば今すぐに永久に黙らせられるんだぞと苛立ちながら、俺は王に向かい合った。どうか、一度姫を連れ去った男だが信じてはくれないだろうか。緊張を堪えて唾を飲み込むと、王が口を開いた。


「……話を聞こう。しかし全て話し終わったら……大人しく牢に入ってくれ」

「──はっ、感謝致します」


その様子を見てから、大丈夫だと確認したヒロが剣を下ろすと斜め後ろに下がった。俺は小さく深呼吸をすると、不安そうなミオに僅かに微笑む。そして、また王と向き直った。


「俺がミオを攫ってから九日後、アルデリガの兵に捕まりました。王は俺をどこで捕らえたと報告されましたでしょうか」

「帝国付近の林の傍と聞いている。実際君に拘束されただろう我が軍の兵士二人が、その近くに転がっていた」

「その報告には──嘘があります。俺が捕らえられたのは、帝国領土内でした」


そう言って王子の方へ視線を向けると、彼は涼しい顔で俺を見ていた。流石にこの程度は罪人の戯言だと判断されるだろう、何もこれだけでここに突入したわけじゃない。


「俺が帝国を逃亡先に選んだ理由、それはリネット王国、そして捜索に協力するであろうアルデリガ王国共に手出しが出来ないからです」

「……確かに、私が帝国と手を組む日は来ないだろう。それにアルデリガ王国も帝国とは関わり合いが無いと記憶している」

「だからこそ俺は、領土内に入った時逃げられたと確信しました。しかし……突然の発砲音と共に、俺は地面に倒れました。そして、オリバー王子が俺を見下ろしていたんです」


その言葉に王が王子に視線を向けると、彼は何を言ってるか分からないと言った様子で首を横に振った。護衛兵が、僅かに構えたのが分かる。王がもういいと判断して指示を出せば、俺はすぐに取り押さえられる。だが、話はこれからだ。


「聞く価値がないと、俺が罪から逃れたいだけの妄言に過ぎないと思われるでしょう。しかし、もう少し俺に時間を下さい」

「……あと五分、君に猶予を与えよう」

「ありがとうございます」


もう長々と説明している時間は無い。オリバー王子に僅かに疑惑を向けさせたところで、続きを話し出した。


「俺はアルデリガ王国とミナアド帝国が深い関係にあると確信しました。なので、処刑台から逃亡したあと、証拠を掴むために動きました」

「そんな事実あるはずないのに、証拠が見つかるはずないでしょう?」

「──あります。俺は確たる証拠を掴みました」

「なっ……!」


懐から羊皮紙をひとつ取り出す、王子の部屋で見つけた誓約書だ。それをヒロに渡すと、彼は頷いてから広げて王に手渡した。王はその内容をじっくりと確認している。オリバー王子の余裕な態度が少し崩れたのが分かった。本当は「何故それがここに!?」なんて叫びたいのだろう。


「これは……本当なのかね。オリバー王子よ、君の署名があるようだが」

「こんなもの、見たこともありません。この男の偽装に過ぎませんよ」

「ユウキくん、これが君の言う確たる証拠なのか?」


誓約書だけでは足りなかったようだ。ミオが再び立ち上がろうとするのを見て、俺は大丈夫だと手で示す。そして、更に複数枚の紙を取り出して、それをヒロに渡した。

俺はあの箱から、誓約書だけじゃなく他にも見つけていた。第二の証拠としてそれを差し出す。


「これは王子が叔父とやり取りしている手紙です。一部抜粋すると……『王子の言う通り、リネットの人間は平和ボケしたマヌケしかいない。このままいけば、我が国の養分として吸い尽くせるだろう』と、書かれていました」

「……なるほど」

「更にこの手紙には王族や身分の高い人間しか分からない情報が記されており、俺が偽装するのは不可能です」

「確かに……内政の動きまで書かれているな」


想定通り、事が進んでいる。王が王子に向ける目は、完全に疑いを持っていた。受け取った資料をテーブルに置くと、王は俺を見て質問を投げかける。


「それで……君はこれをどこで手に入れたんだ」


ごもっともな質問だ。これが本当だとしても、アルデリガから盗んだとしたならそれはそれで問題だ、そう言いたいのだろう。ここで信頼出来る相手から預かったと言えば、疑いは残るが免れるかもしれない。しかし、それをした場合、助けてくれた剣士達を売ることになるだろう。

戸惑いが生まれ、言葉を詰まらせると──がちゃりと応接室の扉が開かれた。


「──ふむ、やっているようだな。間に合ってよかったよ」


こんな緊迫した状況の中、優雅な振る舞いで入ってきたのは一人の女性だった。白を基調とし水色で飾られた綺麗なドレスを身にまとい、鎧ではなく高価そうな装飾が施された衣服着た護衛兵を数名引き連れている。その女性は、ミオによく似た瞳で俺を見ると軽く微笑んだ。

その姿は確かに──俺が知っている剣士と、全く同じだった。


「──あんた、なんでここに……?」

「口を慎め。こちらにあらせられる御方は、ディスティム王国国王、ユウ・ホシノ女王殿下であるぞ」

「……はぁ? 女王だって?」


彼女の紹介をしたタレ目が印象的な護衛兵は、俺の失礼な態度に苛立っているようだった。周りの様子を見れば、彼女を止めるものが誰も居ない。王も王子も兵を動かさないのを見るに、どうやら本物のようだった。


「まずは、許可なき入国並びに、勝手に城にお邪魔してしまったことを詫びよう。申し訳ない」

「それは、構わないんだが……何故貴女がここに?」

「ユメサキ王よ、とりあえずどこまで話が進んだのか聞かせて頂きたい。我が国にも関係あることでな、今日はただ顔を見せに来た訳じゃないんだ」


それを聞いて、王は少し迷ったような表情をした。しかし頷くと、俺が応接室に突入してきて、そして今の証拠を差し出された所まで全てを丁寧に説明する。剣士はそれに頷いて、時折質問を挟むなどすると全て聞き終えた。


「なるほど。では我からの情報を出すと、その書類はみな我がユウキ・セラに渡したものだ」

「何故貴女は、こんなものを持っていたんだ」

「そうだなぁ……ああ、確か道で拾ったんだ。あれは散歩中であったかな。こやつが欲しそうにしてたから、くれてやったんだ」

「──は?」


こんな重要書類が道に落ちてるはずねぇだろ。誤魔化すのが下手すぎないかと焦っていると、耐えきれなくなったのか王子がテーブルを勢いよく叩いて立ち上がった。


「馬鹿にするのも大概にして頂きたい……! この薄汚い罪人が、わざわざ部屋から盗み出したに決まっているだろう!!」

「……おや、君はそれが盗まれたものだと思っているらしい。何故だ? 盗まれたということは、当然君がこれを所有していたと認めることになるが……いいんだな?」

「──そんな書類があれば、という話だ。こいつの捏造に決まっている……!」

「しかし『わざわざ部屋から』などと言うぐらいだ、保管場所まで詳しく想像したのだろうなぁ。まるで、本当にソレを持ってたかのようだ。……ああ、しかし我の聞き間違いかもしれない、皆は王子がなんと言ったように聞こえたかな?」


失言に気づいたのか、王子は咄嗟に自分の口元を手で押えた。それが何よりの証拠で、彼は焦ったようにみなの表情を伺っている。


「それに、ユウキ・セラが盗んだと言うならその証拠はどこだ? 私がこれを道で拾った云々より、そちらの真偽が重要だと思わないか? さあ、彼の痕跡を這いずり回って探すといい」

「お、まえ──!!」


王子が我慢ならないと言ったように立ち上がると、剣士の護衛兵が彼女を守るように前に出た。オリバー王子の護衛兵は二人、対して彼女の連れる兵も二人だが何故か圧倒的な戦力差を感じる。剣士は手で指示をして兵を後ろに下げると、先程までの悠々とした様子と打って変わって鋭い視線を王子へ向けた。


「本音を隠すのはもうやめようか……オリバー王子よ。──貴様、我が国の宝であるドロップクリスタルを帝国との交渉に使うため、盗み出したな? その誓約書に書かれている貴様からの土産の品、価値のある宝石とは雫の形をしているのだろう?」

「どこに……どこにそんな証拠があるんだァッ! どいつもこいつもォッ……!!」

「ふむ、証拠があるならば認めるということでいいな? では後日、我が国から君が望むものを持ってアルデリガ王国へお邪魔させて頂こう。その時は、そこにある誓約書も持っていこうか。君の父上がどんな反応をするか、楽しみだよ」

「──ッ!」


それを聞くと、王子は崩れ落ちるようにソファーに座って、そのまま床の一点を見つめたまま動かなくなった。

剣士の二刀流での剣術を思い出した。相手が剣を振るう前に、その素早い連撃でねじ伏せる。まさに目の前で行われているそれである。どうやら剣士が勝利したらしい。


「さあ、我が次に話があるのはユメサキ王、貴殿にである」


剣士がそう言うと、彼女の席を確保するように護衛兵が王子を横に押しのけた。そこに座り真正面から王と向き合った剣士は、テーブルに置かれた俺の持ってきた資料とは別の羊皮紙に目線を落とす。


「これは婚姻のための誓約書だな? ふむ、ミオ姫とオリバー王子のサインがあるが……まさかこんな男と大切な愛娘を結婚させる気か?」

「まさか、こんなことになるとは……」

「気持ちは分かる。なら、この忌まわしい紙は捨ててしまおう」


剣士は誓約書を手に取って、後ろに控えている護衛兵にそれを渡した。紙を受け取った兵が隣の兵にそれを傾けると、その兵が傍にあった燭台から蝋燭を取って態々燃やしている。あまりにも真顔で淡々とやるもんだから、ちょっと怖い。


「では次に、ユウキ・セラの処分についてだが……我が国で身柄を引き取ろうと思う。彼は貴殿らの手に余るだろう?」

「……承知、した……。よろしく頼む……」


王がそう言ったのを聞いて、ミオは辛そうに表情を歪めた。生き残れることは嬉しい、しかしやはり離れ離れにならないといけないのだろう。彼女もそれを理解したのか、本当の気持ちを堪えるように強く拳を握っている。


「何か忘れているような……ああ、そうだ。確か彼はミオ姫の所有物でもあったな、彼女にも許可を取ろうか。ミオ・ユメサキ姫よ、ユウキ・セラを連れて行っても問題ないか?」

「わ、たしは……!」


ミオと剣士はしっかりと目を合わせた。剣士は、ミオが本音を話すのを待っているようだ。しかし、一度王子と結婚することを選択した事を考えると、ミオも俺達二人がどうしたら幸せになれるか沢山考えたのだろう。彼女は何を選択すればいいの、分からなくなっているように見える。


「では君の過去の言葉を借りようか。『未来が明るいと信じれば、必ず進める。そのためにした努力は、決して無駄にならない』。……未来は明るい、君が進もうとすればそうなると思わないか?」


何かを思い出したように、ミオは目を見開いた。すると剣士が僅かに笑ったのが聞こえる。ミオは決断したのか、胸を手で押えて必死に想いを紡ぎ、言葉を口に出した。


「私は、ユウキさんと一緒にいたいです……! ただ愛する人と、幸せになりたい……! お願いです、彼を連れていかないで!」

「よく言えたな、君はとても偉いよ。これ程心から愛し合う二人を引き裂こうとした我が愚かだったのだ、許して欲しい。……なあ、そうは思わないか、ユメサキ王よ」


剣士に視線を向けられると、王はバツが悪そうにしている。そして、しんと部屋が静まり返った。王がどう判断を下すのか、緊張から手が汗ばむ。そして次に音が鳴ったのは、王がソファーから立ち上がった時だった。俺の前まで来ると、あろう事か王は──こちらに向かって頭を下げた。


「──か、顔をお上げください!」

「すまない、本当にすまない……! 君の過去や身分、仕事のことを考えると、ミオには相応しくないとずっと思い込んでいた……。ミオは帰ってきても、ずっと悲しみを押し殺すように微笑んでいた。それを見て、今までの考えが過ちだったのではないかと思い始めたのだ」

「……実際俺は平民出身ですし、理由をつけて沢山の人を殺してきた汚い奴です。でも、ミオが……全て許してくれた。それに攫って逃げたことも、また事実です」


王はその言葉に何度も首を横に振った。父親が娘と俺みたいな男を一緒にしたくない気持ちは分かる。だから責めることは出来なかった。恨むこともあったが、王には雇ってくれた恩があるし、色々自由にさせてもらって感謝している。


「ミオの幸せを考えるのなら、君に手を差し伸べるべきだった。私は、君らの関係を──許したいと思う。我儘を言うが、これからもミオの傍にいてやって欲しい」

「本当、ですか……?」

「ああ、勿論だ」


望みが──叶ったのだろうか。

あれだけ望んだ幸せが、今、手に入ったのだろうか。

実感が湧かず、ただミオと見つめあった。

ミオ、俺達は一緒に生きることが許されたみたいだ。

もう逃げも隠れもしなくていい。


「さて、貴方の願いは叶ったよ。好きなだけイチャついて、恋人だと堂々の胸を張り……うん、好きなことが出来る。もう貴方達は自由なのだから」


剣士がそう言ったのを聞いて、脳が思うより先に体が動き出す。ミオもそうだったのか、ソファーから立ち上がると俺に駆け寄った。腕を伸ばして、飛び込んできた彼女をしっかりと受け止める。触れられなかった時間を埋めるように、強く、強く抱き締めあった。


「ごめんなさい……私……他の人のところに……!」

「いいんだ、もう全部終わったんだから。今は俺だけのことを考えてくれ」

「ユウキさん……好き、愛してます……」


彼女の瞳を覗き込んで両手で頬を包めば、愛を囁きながら彼女が笑っている。もう誰にも邪魔されない、俺達は結ばれたんだ。その笑顔が眩しくて、幸せで、涙が出て。それに釣られて彼女が涙を流せば、慰めるように口付けを贈った。


「んっ……ユウキさん、もう離れないでくださいね……」

「当たり前だ、二度と離すかよ……!」


再び彼女を抱き締めたその時──嫌な気配を感じた。

気配の方へ視線を向ければ、王子がナイフを懐から取り出したのが見える。


「──ク、ソがァッ!!」


ミオを背から狙った王子を見て、彼女を庇うように位置を反転させる。王子は標的を俺に変更したが、ナイフを持つ手首を掴んだ。眼前まで迫る切っ先に舌打ちをすると、驚愕に目を見開く王子に握った拳を見せる。


「確か……『次会った時に君が死体じゃなかったら、喜んで受ける』、だったよなァ!」

「や、やめ──ブベェァッ!」


全力の左ストレートを、王子の頬に叩き込んだ。間抜けな叫び声をあげた王子はナイフを床に落とし、それを人のいない方向へ蹴り飛ばす。もうダウンしてしまった王子を無理やり立たせてさらに追撃を食らわせたいが、今回は我慢しておくことにした。王子の護衛兵へ彼を投げ捨てると、苛立って舌打ちをする。


「たっく、邪魔やがってボケが……怖かったよな、大丈夫か?」

「いえ、一瞬の事だったので……」

「なんもなくて良かった」


驚いて固まっているミオの頭を撫でてから、強く抱き締めた。すると彼女は恥ずかしそうに抱き返してくれる。邪魔されたのでまた続きをとキスをすると、「ごほんっ」と咳払いが聞こえた。

恐る恐る王の方を向けば、複雑な気持ちなのか眉間に皺を寄せながら明後日の方向を向いていた。もう早く俺の溢れる愛情をミオにぶちかましてやりたいところだが、今は一旦冷静になることにする。すると王は、ミオの頭をぽんと撫でた。


「あー、なんだ……ミオ、もう部屋にもどって休みなさい。色々あって疲れただろう」

「いいんですか……?」

「良いとも。私はこれからまだ話し合いを続けたい。ホシノ女王よ、そうであろう?」


それに頷いた剣士は、俺達に向かって手を振った。ミオと頷き合うと、手を繋いで小走りで彼女の自室に向かう。俺の隣で、ミオが笑ってる。なんだか夢みたいだ、まだ信じられない。


「へへ、なんだか夢みたいですね」

「俺も思ってた。でも……現実なんだな」


彼女の自室に着くと、見慣れた部屋が広がっている。なんだか凄く安心して、そしてお互い目を合わせると今度は緊張してしまった。手を握りあって、何となくベッドの縁に座ると寄り添い合う。彼女の暖かい体温に微笑めば、ミオは手を握る力を強めた。


「これからは、ずっと一緒なんですね」

「なんか、ほんとに実感湧かねぇ」

「ふふっ、ですね」


微笑んだ彼女を引き寄せて、優しく抱きしめる。相手に何度も触れて、二人でお互いを確かめ合った。思い返せば色々あって、死ぬほど辛い思いもした。しかしそれらも、今を掴むための努力のひとつだったのだ。この瞬間のために俺達は走り続けたんだと、胸が熱くなる。


それから、俺が処刑台から逃げたあとにお互い何があったかを話し合った。俺達は相手を想い、幸せを願いながら過ごして、知らないうちに少しすれ違ったりもした。だけどこうやって一緒になれたのは、やはり運命なのだろう。フェイティアの伝承は、本当だったのかもしれない。


「……あの、ユウキさんから見て、ホシノ女王ってどんな人でした……?」

「え、普通にいいお姉さんって感じだったけど。女王だなんて知らなかったけど、確かに思い返せばずっと余裕あったし。作ってくれた飯も美味かった」


それを聞いたミオは、少し拗ねたように俯いてしまった。何で機嫌を損ねたのだろうと思ったが、恐らく彼女は嫉妬しているのだと理解する。俺の口からメリアちゃん以外の女の名前が出て褒めるのが珍しいからだ。


「武力もあって、策士だし、美人で……お胸も大きくて。……素敵な人ですよね」

「なぁに、不安になっちゃったの?」

「そ、そのぉ……ユウキさん、大きいお胸好きだから……」

「姫ちゃんが一番に決まってんじゃん。ふふっ、可愛いねぇ……」


そう言って頬に口付けてやれば、彼女は顔を赤くした。まあミオも俺が他の女に興味が無いと分かっているだろうが、こうして反応を見たかったのだろう。全く可愛いヤツめ。

愛おしくて何度もキスをしていると、彼女は俺の首に腕を回して更に口付けを強請ってきた。堪らないと顎を掬いあげて、舌を絡めてより深く交じり合う。


「んっ、んぅっ……」

「ぁあ……気持ちいな……」

「はい……」


ベッドに押し倒せば、彼女は期待するような目でこちらを見ていた。それがあまりにも可愛くて、胸がきゅっと締め付けられる。このままだとミオが可愛すぎて死ぬんじゃないかとすら思う。わざと唇以外にキスしながら頭を撫でていると、ミオは俺の服を掴んだ。


「どうした?」

「あの……」

「俺に何かして欲しいんじゃないの?」


額に口付けそう笑えば、彼女はまたむくれてしまう。いつか言ったお仕置のつもりだったが、本格的に拗ねる前にご機嫌取りをした方が良さそうだ。今度は唇にキスをしてから、ゆっくりとドレスに手をかけた。


もう俺たちを脅かすものはないから、この温かく優しい世界で彼女を愛することが出来る。心の底から望んだ、幸せへの一歩が踏み出せたのだ。目の前では、希望が──ミオが微笑んでいる。


「じゃあ、愛し合おうか……」

「はい、また……沢山交換しましょう」


そう言ってミオは、恥ずかしそうに、しかしそれ以上に幸せそうな笑顔を浮かべた。

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