第八話 罪を斬り裂く剣

第八話 罪を斬り裂く剣


目を覚ますと、見慣れた天井が広がっていた。

あれからリネット王国に着くと、湯浴みをして、着替えて、緊張の糸が切れたのか意識を失ったらしい。懐かしいふかふかのベッドが、今は憎かった。帰ってきてしまったのだと、嫌でも実感する。

目の前で撃たれて倒れ込むユウキさんの姿が、瞼の裏に焼き付いていた。やっと私達は結ばれる、そう思ったのに。何が起こったのか今でもよく分かっていないが、ただ今は彼が心配で仕方がなかった。

体を起こすと、ベッドに誰かが近づいてくるのが分かる。知った気配に、警戒をせずにそちらを向いた。


「──ミオ様、お目覚めになられましたか」

「……メリアさん」


天蓋から下がる布が捌けられて、メリアさんが心配そうにこちらを見ていた。縋るように彼女に手を伸ばせば、優しく手を包まれる。


「ユウキさんは、ユウキさんはどこにいるんですか……!?」

「彼は……牢の中です」


突きつけられた現実に、言葉が出ない。

一人捕らえられた彼を思うと涙が零れた。どうにかして助けないと、そう思うとメリアさんが手を強く握った。見抜かれてしまったのだろう、彼女は首を横に振っている。


「この、ままじゃ……ユウキさんは……」

「三日後に……公開処刑が決定しました。力及ばず申し訳ございません、わたし、には……助けられない……!」

「──ぁ、ぁああ……」


何度も謝るメリアさんと抱き合いながら、ただただ泣き続けた。一緒に居たいだけなのに、なぜ叶わないのだろう。何故彼は命まで奪われるのか、何故私はその世界で生きなければいけないのか。ユウキさんがいないなら、いっそ、私も──。


それから暫くして朝の身支度を整えると、謁見の間へ呼ばれた。お父様とお母様が待っているらしい。どうにかそこで、ユウキさんが生き残れるように交渉できないか。

両開きの扉がゆっくりと開かれると、玉座に座るお父様とお母様が立ち上がった。私が入室すると、駆け寄ってきたお母様が抱きしめてくれる。


「ミオ、ミオ──よかった……」

「よく無事で帰ってきてくれたな……!」


お父様は優しく頭を撫でると、私を抱きしめるお母様ごと包むように腕を回す。なんて温かいのだろう。しかし、私の心は酷く凍りついていた。私の存在を確かめるように触れ、お母様は涙していた。

お父様は体を離すと、私の頬に手を添える。目と目が合うと、優しく、しかし探るような表情で私に問うた。


「念の為に聞くが……彼に、無理やり連れていかれたんだよな……?」


どくりと、心臓が強く脈打つ。

違う、私は自分で望んで彼とここから逃げたのに。私がユウキさんと生きたいと望んだ。そう叫んでやりたい。

だけど、ユウキさんは言っていた。多分私が言うべきことはそれじゃないから、ちゃんと、ちゃんと言わなきゃ。

何度も脳内で繰り返すと、口に出す準備をする。やっとの思いで声を発すると、言葉を紡ぎ出した。


「誘拐、されました……。脅されて、怖かったっ、です。助けてくれて、ありがとうっ……ございます……!」

「──っ」


ぼろぼろと、涙が止まらない。

ユウキさん、私ちゃんと言う通りに出来ました。攫われた可哀想なお姫様に見えるかな。いい子だって、褒めてください。貴方が私に生きて欲しいのなら、私はもう少し頑張ってみます。だけど、やっぱり──死んでしまいそうな程、苦しいです。


お父様は酷く辛そうに表情を歪めたあと、私に微笑みかけた。信じて貰えただろうか、分からないけど私はこれを突き通さなきゃいけないのだろう。彼はそれ望んだからこそ、あの時私にああ言ったのだから。



―――



城内地下、ここに罪人を捕えるための地下牢がある。今捕らえられているのはユウキ一人だけだが、罪が罪なだけあって警備兵がしっかりと配置されていた。

さて、これらをどうやって抜けるかが問題だ。流石に殺す訳にはいけないし、蹴りで一人一人落としていくしかないだろう。


「──ホシ隊長」

「あ、こんばんはー」

「貴方、怪我人でしょう? こんなところで何やってんですか……」


ユウキに腹を刺されて、確かに容態はいいとは言えない。しかもあいつ思いっきり刺しやがった。確かに浅すぎれば自作自演だとバレかねないが、危うく本当に死ぬところだったりしたのだ。それはひとまず置いておいて、見張りの兵に近づいた。


「アイタタ、ほら可哀想でしょ? 同情の余地ないかなー……? 通して欲しいなぁー……みたいな?」

「無理です、大人しくお帰りください」


兵は鋭い目付きで俺をまっすぐ見つめた。流石に通しては貰えないだろう。そう思っていると、兵はからかったようにに表情をパッと笑顔になって道を開けてくれた。


「なんて、嘘ですよ。王から、隊長が来たら少しの時間会わせてあげろと命令が下っています。ここで通さないと言えば、私達を蹴りで沈めて強行突破するつもりなのでしょう?」

「はぁ、焦った。通さなかったらどうなるか知ってるなら、あんまり意地悪しないでくれよ……」


見張りの兵に見送られ地下牢に向かうと、薄暗い明かりの中一人の男が牢屋に入れられていた。じめじめした空気に同調するように、彼は虚空を見つめながら死んだような目をして座っている。いや、死んだような目は元々だったかもしれない。


「ユウキ」

「──……ぇ、ヒロ?」


俺が呼びかけると、彼はこちらを向いて目を見開いた。希望でも見えたと言わんばかりに牢の鉄柱を掴むと、がちゃっと音が鳴り響く。牢の傍に寄ると、そのまま屈んで目線を合わせた。


「ヒロ、聞いてくれ! オリバー王子とミオを結婚させちゃいけねぇ! あいつ裏で帝国と繋がってやがったんだ!」

「あの王子様が?」

「俺らどうやって捕まったことになるってる?!」


確か俺が聞いた限りでは、帝国に向かおうとした道中に足を失い、捜索に協力していたアルデリガ王国の兵に馬で追いつかれてそのまま捕らえられたと聞いていた。それをユウキに伝えると、彼は苛立ったように頭を掻きむしってから舌打ちをした。


「俺らが捕まったのは帝国内だ。どの国も介入できないと踏んで入国したところをやられた。多分ミオは先に見つかってて、あいつを囮にして俺も……」

「お前の言うことが本当なら、オリバー王子とミオ姫様が一緒になれば、リネット王国は敵を引き入れたことになる、か」

「つーかあんないけすかねぇやつに、ミオをやれるかってんだボケがァ! あの腐れエセ紳士め、くたばりやがれ! 一時でも良い奴と思った己が憎いね!」


散々な言いようを見るに、嫌なことを言われたのかもしれない。俺は王子との接触がないためなんとも言えないが、少なくとも過去にユウキは好印象を持っていたようだ。今はくたばれとまで言っているから、好感度は地に落ちているようだが。


「俺はもう死んでもいい。三日後にマジで死ぬからな、それはもういいよ。でもミオが不幸になるのは駄目だ、だから──ヒロ、頼むよ……」

「俺一人に出来ることなんで、本当に僅かだ。でも、やれることは当然やるよ」

「ありがとう、ほんとに、何から何まで……」


ユウキが頭を下げるの見て、俺はすぐにそれを止めた。どれだけやろうと、結局俺は二人を逃がすことも出来ず、ここからユウキを救うことも出来ない。所詮は王に仕える一人の兵士ゆえ、無力だった。


「てかお前、腹から血出てるけど大丈夫なわけ?」

「え? あー、ホントだ。実はメリアにベッドから出るなって言われてたんだよね」

「……ごめんな、痛てぇよな」

「俺の疑いを晴らすためには、ああするしかなかったんだ。俺もお前に食らわせたし……って、お前の手当なんか雑過ぎないか? 」


俺が腹部に負わせた傷の他に、頭に包帯を巻いていたのも前に確認した。更に今は肩と足あたりに包帯が巻かれているが、よれよれになっている。どうせ死刑だからと、適当にやられたのかもしれない。それまで死ななければ別になんでもいいと思われたのだろう。


「それ痛くないの?」

「痛てぇに決まってんだろボケ!! 頭は崖から滑り落ちた時に岩で打って、腹もお前に斬られて更に追い打ちで蹴りまで入れやがった! そしたら帝国の兵にはバンバン撃たれるし!! こんな雑な治療──」


「そうですのネ、適当やった、言ってたの聞いたですのヨ」

「「──ぎゃーーッ!!」」


そう言って暗闇から姿を現したのは、メリアだった。思わず二人で叫べば、彼女はほほ笑みを浮かべる。その手には救急箱が抱えられ、ユウキの隣に座るとそれを広げ始めた。

メリアもユウキと付き合いが長い。俺と同じく王から会うことを許されたのだろう。


「文句言っててあれなんだけど、俺これから死ぬから別に良くね?」

「ダメダメですのネー。メリアがイヤイヤするし、他にも用事あるですヨ」


鉄柱越しに手当を始めたメリアに、ユウキは更に鉄柱に近づくと彼女の指示通りに頭を近付けたり腕を上げたりしている。メリアの手によって、テキパキと手当が行われた。


「……ミオ様は、心痛い痛いしてるけど、体は元気ですネ」

「そう、か……よかった……」

「ユウキくんに誘拐された言ってるから、お咎めないらしい聞いたですヨ。……ユウキくんが、そう言って言いましたですネ?」

「……まあな」


ユウキは姫のことを思い出しているのか、寂しそうに俯いた。逃げきれなかった時のために、姫が安全に過ごせるよう先手を打っていたらしい。何も言わなければ彼女は確実に、自分の意思でついて行ったと言って反発するのは簡単に想像出来ることだ。


「ユウキくんのこと想って……ずっと泣いてるですのヨ。だから言葉あれば、メリア伝えることできるですネ」

「……」


ユウキはそれを聞いて、迷っているように感じた。言葉を告げて、それで姫を今後縛り付けないか心配なのかもしれない。それならこのまま、何も言わずに消えた方がいいのだろうか、と。

しかし、そんな思いを振り払うように彼は首を横に振った。


「──この、世界中の誰よりも……愛していた……。お前の幸せだけを、願っている……と、伝えて欲しい」

「……畏まりですネ」

「……くそ、なんで……! ミオっ、ごめん、ごめんなぁ……!」


そう言ってやるせない思いを押しつぶすように拳を強く握りしめると、ユウキは涙を流した。彼が泣いているのを、初めて見たかもしれない。それ程悔しくて、辛くて、そして心から姫を愛していたのだろう。その様子に零れそうになる雫を堪えながら、泣き続ける彼をただ見守っていた。



────



──死刑執行の日。


この三日間暴れてたり脱走しようとしたりと、警備兵達を散々に困らせてやったが、逃げることは不可能だった。面会が許されたのはあの一回だけだったのか、ヒロやメリアちゃんが来ることも無く、ミオの様子を聞くことも出来ない。そしてそのまま、今日を迎えしまった。


「セラ。檻から出ろ」

「……ういーっす」


腕を後ろできつく縛られると、牢屋の鍵開けて外に出された。そのまま縄をリードのように掴まれながら、地下牢から出る。喜んでいいのか悲しんでいいのか、気持ちとは裏腹に今日は晴天だ。まあ頭部が転がってしまって水溜まりに落ちたら嫌だから、晴れてた方がいいか。


捕まってから死刑までの期間が短かったはずだが、見物人が結構居た。まあお姫様を一週間以上も攫って逃げた男だ、どんなやつか興味があるのだろう。


「登れ」

「へーい」


断頭台に着くと、軋む階段をゆっくり登っていく。ギッ、ギッと音を鳴らす足場がまるで時計の秒針のようだと思った。そんな死のカウントダウンを聞き終えると、断頭台に立った。色んなやつが俺の事見てる。なんだか変な感覚だ、これから死ぬのにあんまり怖くない。


「跪け」

「はぁー……あ、綺麗に落とせよ? 痛いのやだから」

「口を開くな!」

「うい」


足を蹴られれば、舌打ちして大人しく跪いた。スタンバッてた知らねぇおっさんが俺の名前と罪状を見物人達に告げている。これから俺って死ぬんだな。ぼーっと前を向いていると、ふと視線を向けたローブを来た人物と目が合う。顔はよく見えないが、ミオと似た綺麗な瞳が、こちらを見ていた。


そう思うと、ミオとの思い出が一気に脳内に駆け巡る。これがもしかしたら走馬灯ってやつなのかもしれない。彼女の笑った顔が、怒った顔が、泣いた顔が、全て愛おしくて、何よりも宝物だった。

彼女がいるだけで、クソだと思ってた世界が大切になって、幸せだと思えた。本当に感謝している。


本当ならもっと一緒に居て、愛してやりたかった。

今だってリネット王国に暗闇が迫って、彼女が危険な目にあうかもしれないのに。俺は何も出来ない、仲間に託すしかない。無力な俺を、もう──忘れて欲しい。


「──くっそーーっ!! テメェらは俺を殺したこと覚えとけよォっ! 本当の罪人が誰か知ったら、絶対後悔するからなぁっ!!」

「黙れッ!!」

「ぐえっ」


頭を押さえつけられて下に向けると、もういよいよ始まるのだと分かった。人々の視線をより感じる。狙いを定めるように、一度首に刃が近づけられた。あとはもう死刑執行人の手にかかっている。どうか一発で殺せるような、優秀なやつであってくれ。


──ミオ、本当にありがとうな


心の中で、沢山の愛を抱えている。

目を瞑っていれば、幸せな気持ちのまま終われるのだ。


斧が、振り下ろされる。

ぞわりと身の毛がよだち


そして──死が、お、れを──



「──走ってッ!!」



一瞬で──恐怖の重々しい空気が無くなっていた。

顔を上げると驚いた顔の見物人。声のした方向を向けば、誰かが執行人の鳩尾に、剣の柄を叩き込んでいた。そのまま蹴り飛ばすと、執行人が罪状読み上げおじさんと衝突しているのが見える。

いつの間に断頭台に登ったのか、その剣士はさっき目が合ったローブの人物だった。何が起こったか理解出来ず唖然としていると、剣士は俺の手を縛っていた縄を斬り上げて、解放してくれた。


「早く! 後ろに続いて!」

「ぇ、あ、おう!」


よく分からないけど助けてくれるらしい。断頭台から飛び降りて走り出した剣士の後ろに続くと、そのまま走り続けた。しかし、当然兵達が止めようと道を塞ぐ。すると剣士は腰から下げていたもう一本の剣を抜くと、二刀流で兵を素早く薙ぎ倒した。こいつ、恐ろしく強い。


ばったばったと兵を倒していく剣士に続いていると、暫くして馬が一頭待機していた。剣士はそれに素早く乗って、俺に手を伸ばしている。


「さあ、行こう」

「あー、えっと……どこに?」

「ここで死ねないでしょ? 貴方にはやるべき事がある……違うかな?」


どこに行くとは言ってくれないが、状況を知っているらしい。選択の余地はない、すぐに剣士の手を取ると共に馬に乗る。追っ手から逃れるように、剣士は馬を走らせた。


走り続けている間に何度か質問をぶつけると、剣士は誤魔化したり後で話すと言ったりとにかく殆ど答えてくれなかった。名前すら教えて貰えず、適当に呼んでいいと言われ『ダブルソードマン』とあだ名をつけると、それは却下される。好きに呼んでいいって言ったくせに。


「ダブルソードマンはちょっとなぁ……じゃあ、剣士とかでいいよ」

「チッ、かっこいいのに」

「ふふ、そうかなぁ。……見て、あそこだよ」


剣士が指さす場所に、小屋があった。人が住むのには十分な環境で、作りもしっかりしているように見える。そこへ馬を走らせると、少しして到着した。剣士が馬から降りるのに続いて俺も降りると、彼、彼女、どちらか判別がつかないが、剣士は厩舎で馬を休めていた。


「お疲れ様、ゆっくり休んで……」

「ここお前ん家なの?」

「ん? ああ、まあね」


剣士はなんだかふわふわとした返事をして、早くと俺を家の中へ入れた。室内は想像より物が少ない。本当にここに住んでいるのか怪しい程の生活用品の無さに、疑いが出始めた。まあそんなことはどうでもいい、椅子に座るように促されると、飲み物でもと用意する剣士をじっと観察する。


「あんた……よく見たら女か」

「あれ、分かるの?」

「ん、声もわざと低く出してたな?」


性別が割れた瞬間、剣士の声が少し高くなった。最初は男か女か分からないような中性的な声をしていたが、今の素の状態であれば女性だと判別できる。そこまで素性を隠さなければいけない理由と言えば、もしかして俺と同じ罪人なのだろうか。


「結構誤魔化せると思ったけど、どこで分かったの? 仕草とかかな」

「おっぱいに決まってんだろ。隠そうと潰してる状態でこれなら……ははーん、元はかなりあるな」

「……そっか」


指で四角を作ってその中に胸部を収めるように覗いていると、剣士は多分冷めた目でこちらを見ている。俺好みの大きさだろうが、これ以上想像するとミオに殴られそうなので押しとどめておいた。


「もしかして顔も見せてくんない感じ?」

「顔かぁ。うーん、見せたら私のこと信用して欲しい」

「交換条件か。別にいいけど」


それを聞いて、剣士はローブとスカーフで隠していた顔を出した。

さらりと、水色や桃色が薄くかかった不思議な白い髪が揺れる。三つ編みに結んでいた髪をローブから出して流すと、ミオと似た黄金色の瞳がこちらを見た。顔は思ったよりも可愛い。


「どんな強そうな顔の女が出てくるかと思えば……」

「ということは、私の剣術を見て強いって思ってくれたってことかな」

「まあな。英雄譚の一つや二つあるんだろ? 聞かせてくれよ」


それに対して「そんなのないよ」と小さく笑った剣士は、俺の前にココアの入ったカップを置いた。それを持ち上げると、カップ越しに伝わるほのかな温かさにほっとする。口をつければ、丁度いい温度のココアが口の中に広がった。めっちゃうめぇ。


「あー、うま」

「うん、よかった。じゃあ早速本題に入るけど、貴方にはアルデリガに向かって欲しいんだよね」

「ブッ──……あのさ、俺の天敵がそこにいるのよ」


聞いているのか聞いていないのか、剣士はアルデリガの地図をテーブルに広げた。アルデリガで何かをして欲しい、それが俺を助けた理由なのだろう。


「王城にある資料保管室、そこに帝国との繋がりが分かるようなものがあるはずなんだよ。それを取ってきて欲しいなぁって」

「──知ってんのか、アルデリガ王国とミナアド帝国が組んでるの!?」

「うん。それがちょっと我々にとっても面白くないことだから、早めに対処したいんだよね」


次に王城内の地図を出して広げると、その資料保管室らしい場所を指で叩いている。何故そんな地図まで用意できているのか全く謎だが、明らかに相手が只者では無いというのは分かった。


「はぁ……命助けた礼にそれをやって欲しいと?」

「そう言うこと。……オリバー王子は貴方を自らの手でユメサキ王に引き渡した。すると愛するお姫様を罪人から救った勇敢なる王子だと印象付けられる」

「チッ、まあな……そして、結婚の話がより確実になる」


最初からオリバー王子はミオに接近するのが早かった。それは早くリネット王国を取り込もうとしていたからでは無いだろうか。今回ユメサキ王の信頼を勝ち取った王子は、より踏み込んでくるに違いない。


「そう、だから貴方には時間が無い。国を、彼女を救うために、私と協力するしかないと思わない?」

「……ひとつ聞くが、これだけの情報と武力を持ってるのに、何故あんたらがやらねぇんだ」


王城内の地図まで手に入れられて、更に彼女自身が兵の一部隊以上の戦闘力がある。それに加えて彼女は''我々にとっても面白くないこと''と言っていた。恐らく仲間がいるのだろう。


「あんたら……? ああ、そうか。そうだね、気づかれたから言うけど私には仲間がいる。それも飛びっきり優秀な」

「じゃあ尚更だろうが」

「でも私達は理由があって大きく動けないんだよね。危険に身を投じた場合のリスクが大き過ぎる。言っちゃ悪いけど……うん、貴方には失うものないでしょ?」

「ははっ、正直に言いやがって」


確かにさっきまで命すら無くしかけた人間だ、今更失うものは無い。大きく動けないということは、もしかしたら過去に同じことをしようとして顔が割れたのかもしれない。そして俺が失敗したとしても、彼女は自分たちは何も関係ないと言って切り捨てられる。

それに剣士は何も無理やり俺に協力させようとしているのではなく、『ミオを助けるためには時間が無い。自分達が手助けするからアルデリガの本性を暴いて欲しい』と提案しているに過ぎない。


「……俺にとっては願ってもない事だ。オリバー王子の企みを暴ければ、ミオは別の人間と一緒になるだろう。例えそれが俺じゃなくても、彼女が幸せに暮らせるならそれでいい」

「貴方は……聞いてた通りの人じゃないなあ。もっと欲深いってイメージあったんだけど」


剣士はそう言って首を傾げた。誰からどんな話を聞いたか知らんが、まあ今の俺の状態はいつも通りじゃないらしい。それは、自分でも分かる。俺だって諦めたくないさ、彼女と歩む未来を。


「もっと欲深くなっていいんじゃないかな。だってそれを叶える力が、今、貴方の目の前にあるんだから」

「なに、ミオと一緒にいたいって言えばあんたが叶えてくれるの?」

「いいよ、叶えよう」


頷いて微笑んだ彼女に何言ってんだこいつと思いながら、大きくため息を吐いた。そんな神頼みだか剣士頼みだかで一緒にいられるなら、こんなに死ぬような思いしないだろう。だが、彼女はしっかりとこちらを見て二つ返事で叶えるなんて言ってしまった。それが苛立たしいはずなのに、どこか頼もしいとも感じている自分がいた。


「なんでも言っていいよ、言うだけタダなんだから。ああ、まあ私に出来ることに限るけどね」

「じゃあミオとイチャつきたい」

「うん、いいよ」

「隣に立って堂々と恋人だと胸を張りたい」

「叶えよう」

「トロトロになるまでキスしてやりたい」

「う、うん……叶えるよ」

「柔らかいのベッドで思う存分セッ──」

「はいはい! 叶えますよ!」


思い返せばろくに風呂も入れない状態で、それもあんな廃墟の埃っぽいベッドが最初なんてミオが可哀想だ。あん時のミオ可愛かったなぁ、なんて回想していると剣士が俺の顔の前で指を鳴らした。どうやら全然話を聞いてなかったらしい。


「よし、そろそろ自分を取り戻してくれたかな。あんまり悲観的にならないで、状況が変わったんだから前を向こうよ」

「まあ……引き受けるよ、俺にはこれしか選択肢がないしな」

「ありがとう。じゃあ……今日は説明会と親睦会かな。明日にはもう出るよ」


彼女らにとっても時間が無いのだろうか、随分と焦っているようだ。ココアを飲み切ると、剣士は次に食事の用意をしている。ベーコンのいい匂いを嗅いでいると、腹がでかい音でなった。まともな飯の匂いに、腹に飼っている獣が暴れだし様だ。


「嫌いなものとかないかな?」

「めっちゃ偏食だけど大丈夫、食おうとも思えば岩も食えるよ」

「人のご飯を岩とか言わないで欲しいんだけど……よいしょっ。はい、どうぞ」


皿に乗せられたトーストに、ベーコンと目玉焼きが乗っている。それにウインナーが添えられていて、サラダの入った皿も追加で置かれた。何だこのめっちゃ美味そうな朝食。ゴクリと唾飲んで彼女に視線を向ければ、「食べていいよ」と笑顔を浮かべている。


「んむっ……ん、うめぇ……!」

「よかった、足りなかったら言ってね」

「あー、うま! 体に染み渡る……!」


これが人の作った温かいご飯か。人間って無くなってやっとその大切さが分かるもんだ。がつがつ食べていると途中で足りないと分かったので、追加で用意してもらった。彼女は剣の腕だけじゃなく、料理も上手いらしい。


「なぁ、あんたは恋人とかいるの?」

「なんで?」

「だっていい女だし」

「そう? まあ……いるよ、凄く素敵な人が」


彼女はそう言って微笑むと、相手を想像したのか僅かに頬を染めた。いい恋愛をしているらしい、とても幸せそうな表情をしている。こんな強い恋人を持つと、相手も苦労するのだろうか。逞しい彼女の隣に立つような男性を、なんだかあんまり想像出来なかった。


「言うとね、身分違いの恋なんだ」

「俺達と一緒だな」

「愛し合ってるのに、隠して、離れて……辛いよね」

「……ああ」


どっかの貴族か、もしくは王族の男に恋をしたのだろうか。自分達は一緒にいることが叶わないから、俺達に思いを託しているのかもしれない。同じ状況の仲間がいるなんて思ってもなかったから、なんだか親近感が湧いた。


「そうだ、同じ立場同士だし友達にならない? 私と繋がっておくと、多分いい事あるよ」

「自分で言うか? まあなんでも叶えてくれる神様が友達だと心強いな。名前も知らねぇけど」


剣士はそれを聞いて笑うと、俺が飯を食べ終わるのを確認して片付けを始めた。立ち上がって手伝おうとすれば止められたので、仕方なくさっき彼女が広げていた地図を確認する。どうせ後で見せてもらえるだろうし、勝手に見てもいいだろう。


まずは国全体の地図。

そこには王城に着くためのルートが何通りか線で書き込まれていた。更にアクシデントがあった場合の逃げ先、そこからどうやって元のルートへ復帰するか。あらゆる事態が想定され、文字が書き込まれていた。それもごちゃつかないように簡潔に、分かりやすくだ。


「おーい、これあんたが書いたの?」

「ん? ああ、それは仲間が書いたよ。何人かで考えてたから結構揉めてたけどね」

「この潜入の指導書みたいなのかけるやつが、この世にいるんだな……」


これなら簡単に城まで着けそうだ。俺の外見の特徴がアルデリガ中に広まって気づかれやすくなる前に、突破した方がいいだろう。

次に城内の地図だ。これは本当にどっから手に入れたんだという話だが、あった方が断然いい。街中の地図とは違う筆跡でメモが書かれていて、それを読みながら道順を指でなぞった。


「ああ、なるほど……で……は? えぇ……?」

「どうかした?」

「いや、さ……ここに『長時間黙らせておくため半殺し』って書いてあるんだけど」

「あらぁ。まあ、書いてあるとおりにお願い」


全体を確認すると、いくつか半殺しコースがあるのが分かった。殆どが逃げ場がない、強行突破が必要など理由が分かるが『ここにも警備兵がいた場合、殺したかったら殺しても良い』なんて書かれているもんだから目を丸くした。物騒にも程がある。何より自分がやることじゃないから、いくら俺が罪を重ねてもいいようにちょっとナメているのが文字から伝わった。


「あのさ、これ書いてるやつ性格悪いでしょ?」

「いや、彼は……ちょっと意地悪なだけで……うん」

「でもルートの的確さから見るに、同業だなこりゃ」


性格悪いだなんだと言っているが、同じ穴の狢だろう。暗殺者になるともしかしたら性格が悪くなるのかもしれない、同族嫌悪か少し腹立ってきた。だが彼が優秀なのだと、ルート選びや対処法などで分かる。じゃあテメェがやれや!とキレそうになるような無茶振りも書かれているが、仕方がないだろう。


「しっかし、めっちゃ頭いいヤツいるな」

「うん、そうだよ」

「──もしかして、剣士達ってやべぇ怪盗のチームなんじゃ……!」


気づいてしまったと向かいに座った彼女を見れば、剣士はふっ、と怪しく笑った。最善の方法で国の機密情報を盗むルートを割り出すことができ、そして表立って動けないのなら、その可能性があるのではないか。ならばついでに宝石盗んでこいとか言われるかもしれない。俺の分け前はどのくらいになるのか、話はそれからだ。


「私達は──怪盗ではないです」

「違ぇのかよ」

「だけど面白い考えだね。今度盗っ人だと思われたって言っておくよ。あと意地悪なのバレてるよって」

「なら次のターゲットを俺にしないでねって付け加えといてくれ」


悪口言ったせいで半殺しにされたら堪ったもんじゃない。こんな凄腕アサシンに怯えて生きるのはごめんだ。ある程度読み込んで、ルートを頭に叩き込んでおく。明日までには全て把握しておかなければいけない。


それから風呂入ったり剣士と話をしたり地図の確認をしたり、明日の準備をしているうちに夜になった。ちゃんとベッドが二つあったのでそれぞれ寝転がると、明日のために休息を取る。


「なー、剣士の恋人ってどんな感じ?」

「え、いやぁ……なんて言うんだろう、優しい人だよ」

「抽象的だな」


それに小さく笑った彼女は「そうだなぁ」と呟いてからぽつりぽつりと恋人の特徴を話し始めた。

無口で、頑固。そのせいで意見がぶつかったりする。優しい印象のタレ目だが、凛々しい眉のせいで冷たく見られがち。威圧的な態度のせいで勘違いされるが、本当は仲間思いのいい人。反りが合わないのか、よく例のアサシンと揉めている。

そう話す彼女はとても嬉しそうで、心から幸せそうで、恋をしていた。そんな剣士とミオが重なって、笑顔が浮かんだ。


「……早く、貴方を彼女の元へ返してあげないとね」


剣士はそう言って少しすると寝息を立てた。

彼女の素性はよく分からないが、信用できると思った。人を思いやったり、仲間を大切にしたり、ただの優しい人間だ。機密情報を盗んだとして、彼女達はそれをどうやって使うのだろう。ミナアド帝国とアルデリガ王国の関わり合いが面白くないと言っていたが、具体的にどうするのかは聞いていない。だが、彼女らがどうするのかはもはやどうでもいい。剣士の言う通り、俺は欲深く彼女の隣へ帰ることだけを考えればいいだろう。



―――



城の中がざわざわとどよめいている。

もうそろそろユウキさんが──そんなことを思いながら、ベッドでうつ伏せになって泣いた。処刑を見に行くことは出来なかった。お父様に止められたし、何より目の前で彼の首が落とされれば、自分の心が耐え切れると思えない。


「ユウキさん……」


ずっと泣いているせいで目が痛い。枕がぐちゃぐちゃに濡れるのも気にせずに、ただただ泣き声を上げた。メリアさんが、声をかけようとして手を伸ばしたのが分かる。だけど私の様子に、上手く言葉が出ないようだった。


その時、どんどんっと乱暴に扉が叩かれた。 普通なら私の部屋にこんな雑なノックをする人などいない。なにか緊急事態のようだ。扉の方を向くと、メリアさんが警戒した様子で扉を開けるのが見えた。


「あら、ヒロくん? ドンドンしたら駄目──」

「ミオ様はいらっしゃるか!? ユウキが、ユウキが逃げられたみたいなんだ!」

「ユウキくんが!? あ……シーッ! 喜んでる聞かれたらダメね……!」


──ユウキさんが、逃げられた?


二人の会話を聞いて、私は勢いよく体を起こした。すぐにベッドから飛び降りると扉の方へ走る。メリアさんはホシさんを部屋に入れると、外に人が居ないか確認してから扉を閉めた。


「ユウキさんは無事なんですか?!」

「実際に見ていたのですが、首が落とされる直前に正体不明の剣士が断頭台に飛び乗ったんです。そいつは死刑執行人を蹴り飛ばしてユウキを解放すると、兵達を薙ぎ倒してユウキの退路を確保してました」

「剣士……? でも助かったのなら、良かったぁ……」


安心して力が抜けると、ふらついて倒れそうになった。すると直ぐにメリアさんが支えてくれる。

もう永遠の別れなのかと、希望なんてないと思った。でも、彼が生きているのなら──もう、それ以上は望まない。


「本当に、本当に良かった……」

「姫、私達は必ずユウキくんを探し出します。ですので──」

「いいんです、もう」


メリアさんの言葉を遮ると、私は首を横に振って微笑んだ。私が、私が悪かったんだ。欲しいと望んでしまった、隣にいて欲しいと願ってしまった。それを叶えるために、ユウキさんも、ホシさんもメリアさんも、私の大切な人たちが辛い思いをした。

あの九日間、逃げ続ける日々だったけど私は幸せだった。ユウキさんが隣で笑って、私の名前を呼んでくれた。もう、それ以上は贅沢なのだろう。私が望まなければ、誰も苦しまないで済む。


「私、オリバー王子と結婚しようと思います。お父様とアルデリガの国王様がその話を進めているのも知ってますし、私はもう……それを承諾しました」

「ば、かなことを……ユウキは生きているんです、貴女が諦めてどうするんですか!? それに、オリバー王子は──」

「ヒロくん! やめて!」


私が男なら、ホシさんは掴みかかって怒鳴っていただろう。それを我慢しているのか、彼は拳を強く握ると壁に叩きつけた。メリアさんが、必死に宥めようと声をかけるが、聞く耳を持たない。


「今からでも間に合います。謁見の約束を取り付けますので、俺と一緒に王を説得しましょう」

「いいえ、行きません。私はもう決めたのですから」

「何故──!! ……このままじゃっ、あいつが……報われねぇよ……!」


ホシさんは弱々しくそう言って、目元を抑えた。また、辛い思いをさせてしまっている。でも、私がオリバー王子と一緒になれば、それも全て終わはずだから。


「ユウキさんもそれを望んでいるはずです。だから私に、捕まった場合は誘拐されたと言えって言ったんだと思います」

「……ミオ様は、それでいいんですか……?!」

「彼が、愛していたと、そう言ってくれただけで……もう十分なんです。私はそれを胸に……別の男性と、結婚します」


堪えた気持ちが、瞳から溢れ出す。

お互い別々の道を進んだとしても、彼が生きて幸せになれるなら、それが正解なんだ。何度も何度も心の中で繰り返すと、私は悲しみで歪んでしまう笑みを無理やり保った。

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