第五話 付き纏う闇
「オリバー王子、怒てるみたいネ」
「だろうな。その怒りの矛先が約束を破った王にいくか、ユウキにいくかって考えれば──」
「後者なのネ。ヒロくん……多分、王様から命令くるヨ?」
主のいなくなったミオの部屋で、ヒロブミとメリアは窓の外を眺めていた。この暗い暗い闇の中で、愛し合う二人は逃げ続けている。いくらか手を貸したとしても、それは微力なものだ。二人が見つかったと知らせを聞いた時なんか、心臓が口から出そうだった。
ユウキの言う通り、ヒロブミは誤魔化す事が──人を騙すための演技が得意では無い。ユウキを見送った数時間後に城中に姫の誘拐を知らせたが、思い返せばかなり棒読みだった気もする。
その演技力には、メリアも呆れたものだ。
「まだ疑い、かかてるネ。裏切り違う決定的なことないと、許してくれない思うヨ」
「そうだな。今は作戦に参加させて貰えないが、それも時間の問題だ」
「そこでユウキくん捕まえないと、ヒロくんが罰受けるなるよネ……」
メリアは不安そうにヒロブミに寄りかかった。恋人の幼なじみを守りたい気持ちも当然あるが、それよりもヒロブミの身の安全がメリアにとっては一番だ。しかし、優しい彼はそれに心を痛めてしまう。彼女自身、無力な自分を情けなく思い、手助けできないことが心苦しかった。
彼らのために、何が出来るだろう。
自分がやれる事は全て出来ただろうか。
最近そればかりを考えているが、彼らにも自分達にも、自分の命より大切な人がいる。隣にいるその人を守ることが、最優先にすべき事なのだろう、が──。
「ヒロくんは自分の気持ち、正直に行動するのネ。メリアの事一番、それすると枷になるヨ」
「違う、枷なんて思ったこと一度たりとも無い! なんでそんなこと言うんだよ……」
「辛そうなヒロくん見る、メリアもいやネ。だからヒロくんのこと応援したい、それ間違ってる?」
それを言うならこっちもそうだ、その言葉飲み込んでヒロブミは雑に頭をかいた。どうすればいいかの、彼自身よく分かってない。それはメリアの言う通り、彼女が行動の枷になっているからなのか、それが否定しきれなくなってしまった。最低だと分かっていながらも、もう既に脳内でメリアとユウキを天秤に掛けていた時点で駄目だったのだ。最初から比べるべきじゃなかった、そもそもが間違っている。
「ユウキのことを助けるからって、メリアを見捨てたことにはならないんだよな……何してんだろ、俺……」
「馬鹿だネー、ヒロくん。メリア最初から気づいてたネ、裏切られた少しも思てないのに。ユウキくん見捨てる、それこそメリアは心痛い痛いするヨ」
ぽんぽんと軽く背を撫でられたヒロブミは、彼女の肩を抱いた。
どんな明日が来ようと、もう心は決まった。
あとは、行動を起こすのみだ。
────
まだ早朝の五時ぐらいだろうか、空がうっすらと明るくなってきている。僅かな光に目を開ければ、その光に反射した空気中の埃がキラキラと舞っているのが見えた。
こんな場所に一国の姫が滞在しているなんて、信じられないことだ。少し前の俺なら「うちの姫ちゃんナメてんのかワレェッ!」とブチ切れていたかもしれない。
さて、その肝心の姫ちゃんは俺の隣で寝ている。
昨晩はお楽しみして、そのまま疲れて寝てしまった彼女を眺めていたら、どうやら俺も眠ってしまったようだ。赤ちゃんの寝顔みてて癒される人の気持ちが、今ならよく分かる。
ミオはもう少し寝かせていてもいいだろう。小一時間程、昨日ほっぽり出した地図とまた睨めっこしてルートを考えなくてはいけない。
脳みそ使う前にもう一度ミオの顔を見て癒されようと、顔にかかった髪を優しく払った。そして、彼女に触れた瞬間の熱さに驚く。
「──ミオ?」
「…………ゆ、きさ……?」
呼びかけると、ミオは呼吸を僅かに荒らげながら俺を見てへにゃりと笑った。額に手のひらを当てると、明らかに発熱していると分かる。自分の平熱が低いせいでいまいち分かりずらいが、かなりの高熱だ。
急激な環境の変化や、無理な運動に体が耐えきれなかったのかもしれない。どれだけ平気だと言ってても、彼女の肉体は悲鳴を上げていたのだ。
「酷い熱だ。ちょっと待ってろ、すぐタオルを水で冷やすから」
「駄目、ですよ……早くここを出ないと、捕まっちゃいます……」
「こんな状態で更に無理重ねたら、最悪死ぬぞ。大人しく言うこと聞いてくれ」
不安そうな彼女の頭を撫でると、リュックに入っていたタオルを適度な大きさに切ってから水で濡らした。それを折り畳んで、ミオを仰向けにすると額に乗せる。昨日寝る前に服を着せておいてよかった。流石に裸じゃ寒いだろう。
「えっと、発熱時……どうすればいいんだ? ここ数年風邪引いてないから覚えてねぇな……」
「私、大人しく……寝てますから、ユウキさんはいつでも出るように、準備を……」
「……分かった、キツくなったらすぐに言えよ」
水を机に置いていつでも飲ませられるようにすると、地図を開いてルートを練った。帝国に行くまでに安全な道はひとつあるが、それは仕事で何度も通ったことがあるため国にはバレているだろう。そうなると先回りされる可能性がある。それを考えて、あえて一番難関のルートから行く必要がある、と思っていたのだが。
動けないミオを抱えて走ったとしたら、恐らく馬を調達するまでに捕まってしまう。ここに長い間潜伏するのも限界がある、少々行き詰まっていた。
「……足引っ張ってます、よね……ごめんなさい」
「謝んなよ、ミオが悪いわけじゃねぇだろ。それに昨日俺が無理させたせいかも知れないし」
「ぁう……昨日の……確かに、いっぱい、その……」
「あー、やっぱ無し。熱上がるからあんまり思い出さないで」
ボッと音を立てて煙でも出るんじゃないかと思うほど、彼女は顔を真っ赤にした。昨日のミオは受け止めるのでいっぱいいっぱいだったが、今はゆっくり回想する時間があるのだ。思い出してしまっているのか顔を両手で押さえながら、恥ずかしそうに小さく唸っている。
熱を吸って温かくなった水を、元々机に置いてあったお椀らしきものに絞って捨てる。再び水をかけてから、またミオの額に乗せた。
「どの、ルートを通るんですか……?」
「一番安全なのは森の整備された道を途中で外れて、一部の人間だけが知ってる道を一直線で抜けるルートだ」
「なら、そこから……」
「だが、俺らが普段仕事で使うから、絶対に先回りされる。それを避けるために、崖が多いがそのルートの真反対の道を進んで、大回りした方がいい」
流石にお姫様を連れてこんな危ない道を渡るなんて思わないだろう。普段俺が移動ルートの提案をする時は、石橋は叩いて渡るがモットーだ。あのセラがこんな馬鹿みたいな道通らないだろうと、その油断した隙を突く。こんな道に賭けて兵を回すほど、手が空いているとも思えない。この考えを見透かせるなんて恐らくヒロぐらいだ。
「……大丈夫かな、あいつ」
「ホシさんの、ことですか……?」
「うん。誤魔化せって言ったけど、そう上手くいかないだろうからな」
俺が悪人だと先に触れ回っておけば、ヒロを裏切って真っ先に疑いがかかるように仕向けたと思わせられたかもしれない。如何せん時間が無くて、下準備が何も出来ていなかった。誘拐を一番に知ったのがヒロであること、そして俺らが乗ってた馬がシルヴァーであること。それらから状況を察するのは簡単だ。
「あいつさー、嘘つくのめっちゃ下手なのよね。騙して申し訳ないって気持ちが前面に出てるんだよ」
「ふふ、昔に私が花瓶割った時、庇ってくれようとしましたよね……」
「『あー、やっちまったァ! 体でかいせいでぶつかってワッチャッター』……なんて、大根役者にも程があるぜ」
その時のことを思い出しているのか、ミオは可笑しそうにくすくす笑っている。もう彼に会うことは無いだろうけど、最後に礼を言えて良かった。昔話をして気持ちが落ち着いたのか、気がつくとミオが寝息を立てているのに気づく。それに安心して、また逃走ルートをさらに詳しく計画し始めた。しっかりシュミレーションして、不安要素を一個一個潰していく。
そして彼女が寝ているのを確認してから、一度この教会に仕掛けた罠を確認しに行く。どれも作動した形跡はなく、ここはバレていないようだった。トラバサミは踏めば鎧と接触して大きな音が鳴るため、これは見なくても分かったがとりあえず確認する。
「……うし、問題ないな。出る前には回収しねぇと……」
今は朝の九時ぐらいだろうか、遠くの街がある方から僅かに人の声が聞こえ始めた。今日の昼には出ようかと思っていたが、ミオの体調や夜が隠れやすいというのを考えると時間が過ぎるのを待った方がいいかもしれない。
見つかるかもしれないという恐怖と、戦う時間だ。
部屋に戻ると、ミオがベッドから抜け出していた。机に手をついて苦しそうに呼吸を荒らげている。水を飲もうと机に近づいたのかもしれない。さっきのお椀が、机が大きく揺れたのかひっくり返って床に落ちている。
「ミオ! 大丈夫か、水飲みたかったのか?」
彼女を支えてベッドに誘導させようとすれば、ミオは俺の顔を見て涙を堪えるように表情を歪めた。そのまま強く抱き締められると、震える彼女の体を抱き返す。
「ぉっ、おいて、いかれたのっ、かと……!」
「大丈夫だ、ここにいる。……声掛けていけばよかったな、ごめん」
「ひぐっ……ぅっ……」
泣いている彼女を横抱きにして抱えると、そのままベッドに寝かせる。椅子をベッドの傍に寄せて、しゃくり上げるミオの頭を優しく撫でた。発熱で精神的にも弱っているのだろう、涙脆くなっているようだ。寝ているから起こさないでおこうと声をかけなかったのは、失敗だった。
「寝ても大丈夫だ、そばに居るから」
ミオはそれを聞いて、俺の方へ手を伸ばした。その手を取るとベッドの乗せて、優しく両手で包む。安心してくれたのだろうか、徐々に泣き止んできた。手の甲を優しく親指で擦りながら、昔のことを思い出す。
「──暖かい、ベッドで、お眠りなさい……♪あなたを、脅かすものは、ここにはないから……♪ いつでも、見守っているから、愛しているから……♪」
「ん……ふふ、ユウキさん……音痴……」
「これ聞いていつもぐっすり寝てたの誰だよ」
音程が合ってなくても、歌詞が当たってればいいんだ。姫としての立場や責任が辛かったミオは、よく部屋で一人泣いていた。部屋の前を通って泣き声が聞こえた時は、たまにこうして子守唄を歌ったものだ。小さかった彼女も、今は一国の姫として立派に育った。あの泣き虫が、こんなに美しい女性になったのだ。
「不器用で、でも優しい貴方が、昔からずっと好きでした……」
「……」
「こうして、手を握って、下手な歌で寝かしつけてくれて……嬉しかった……」
柔らかく笑ったミオは、俺の手を握ったまま眠りについた。泣いて疲れたのだろう、熱が落ち着くまでゆっくり寝れるといいが。
「……手ぇ離せないから、タオルの水変えられねぇ」
ぎゅっと握られているが、一旦手を離させて変えてから、またセッティングすればいいだろうか。しかし、一度寂しい思いさせているから、また少しでも離れたことで悲しませるのは嫌だった。
いや、俺なら、片手で椅子に座りながら──いける、か。
しまった、絞るという行為は両手じゃないと無理だ。
「なんも出来ないな、これ」
一度浮かせたタオルを、また額に寝かせる。するとミオが何かを食べているかのようにと口をもごつかせたので、それが可笑しくて吹き出しそうになった。美味しいものを食べる夢でも見ているのだろうか、とても可愛い。
ある程度、ルートは固まってきた。あとは想定している場所で馬が調達できるかどうかだ。もし手に入らなかった時は、考えている倍以上の移動時間になってしまう。それに思った以上に休憩する時間を取らないといけないかもしれない。今後のためにも、ミオにこれ以上無理させる訳にはいかなかった。
──それから、彼女を見守って数時間程度が経過した。
そろそろ、ずっと同じ体勢でいるから腕が痙攣してきた。ぴくぴくと動く振動で起きたりしないだろうか、心配である。すると小さく声が聞こえて、ミオの瞼がゆっくりと開いた。目が覚めたらしい。
「ミオ、具合どうだ?」
「んー……お腹、空きました……」
「分かった、なんか用意するから待ってろ」
タオルを捲って額に手を当てると、朝よりかは下がったように感じる。それに、食欲があってよかった。食料の中から病人でも食べられそうなものを探し、林檎を取り出す。体を起こしたミオはベッドの縁に座り、ナイフを探している俺をじっと見ていた。
「ユウキさん、ナイフ持ってませんでした……?」
「いやぁ、ね、あれは仕事用だから」
「ああ……」
ミオはそれに納得したのか、こくりと頷いている。流石に人を斬ったナイフで林檎は切れない。俺が食べるんだったら別にいいが、ミオにそんなばっちいもの食べさせられるはずがないと切れそうなものを探す。
確認するとリュックに果物ナイフが入っていた。あいつはどこまで予想してるんだ。
「はいはい。お利口さんなミオちゃんには、うさぎさんの林檎あげましょうねー」
「出来るんですか……?」
「いや、正直やった事ない」
そもそもうさぎ型に切るのってどんなだっけ、と適当な大きさに切り分けてから綺麗な布の上に置いた。皿なんて無い。皮の部分にV字に切れ込みを入れて、その部分だけ剥くと捨てる場所もないから適当に食べておいた。そして余った皮を少し浮かせるようにゆっくり刃物を入れていく。耳のように見えるまで剥いて浮かせると、まあこれで出来たのだろうか。
「よし。はい、あーん」
「あー……」
ミオに林檎を差し出してやれば、大人しく口を開けている。うさぎはむしゃりと齧り付かれて、彼女は嬉しそうに咀嚼していた。うさぎが気に入ったのかもしれない。
そのまま餌付けしていると、お腹いっぱいになってきたのか噛むスピードが遅くなってきた。
「腹いっぱいになった?」
「はい……」
「じゃあまた横になって」
頷いたミオは言う通りに、もそもそとベッドに横になった。それを眺めながら余った林檎を齧る。今は下がっているが、夜にまた熱が上がるかもしれない。その時には食べられないかもしれないから、今のうちに胃になにか入れて正解だっただろう。
彼女の体調が回復したら、出来れば明日にはここを出たい。何処を探しても見つからないと分かると、また公国に範囲を絞ってより慎重に捜索を始めるだろう。公国が協力するなら、俺に懸賞金がかかるかもしれないし、そうなったら公国の国民全員を警戒しないといけなくなる。国の宝を盗んだ犯罪者にどのくらいの懸賞金が出るのか気になるところではあるが、そういう状況になって欲しくは無い。
ここにいるとまだ知られてないのは、殆ど奇跡のようなものだ。分かっていて見逃されている可能性もあるが、そうだった場合ここから出る瞬間が決め手となるだろう。罠の張り巡らされたこの建物内で俺と戦闘になった時、厄介なことになるのは目に見えている。だから建物から出て広い空間、相手のフィールドに入った瞬間に捕らえる。もし泳がされてるなら、そんな所だ。
「奇跡であってくれよ……」
そう願いながら、彼女を見守った。
────
──寒い。
目を開けて窓の外を確認すれば、まだ夜が明けてなかった。あれから支度をして、ミオの看病をしながら再び座って休憩をしていた。彼女の熱は下がったり上がったりで安定しなかったが、今確認すると呼吸音は落ち着いているようだった。手を伸ばして額に触れると、確かに熱は下がっていると感じる。
無理をさせるが、もう出た方がいいかもしれない。ずっと胸騒ぎがしていた。何か大きな事を見落としているような、ざわざわとする不快感。それが想像するどれに当てはまるかは分からないが、もしここが見つかるかもしれないと本能が忠告しているのなら従った方がいいだろう。
「……ミオ、起きて」
「ん……朝、ですか……?」
「まだ夜明け前……三、四時ぐらい。でも悪いがそろそろここを出た方がいい、しんどかったら抱えるから」
ミオはゆっくりと体を起こして、大丈夫だと首を横に振った。罠を回収してくると伝えて、彼女を残して部屋を出た。
暗いから自分が引っかかりそうだが、まあ位置は把握している。かなりの箇所に仕掛けたため、少し時間がかかったが無事全部のポイントの罠を回収した。これでまた別に拠点が見つかった時、再利用できるってわけだ。
部屋に戻ると彼女はもう身支度を整えて、リュックを背負って待っていた。
「本当に大丈夫か?」
「はい、大丈夫です」
「分かった、辛くなったら絶対言えよ?」
釘を刺しておくと、彼女は微笑んでからまた頷いた。荷物をまとめて出る準備をすると、更にメモを書き込んでいた地図を開いてミオに見せた。
「今はココ、公国のこの辺。で、ここからまっすぐ行って、記憶が正しければ宿がここにある。そこで馬を借りられたはずだ。そして、ちょっと……いや、かなり危ないがここをぐるっと大回りする」
「大回りしたら、ここからまっすぐ進んで帝国に……って事ですか?」
「そそ。この大回りするルートの反対側は待ち伏せされてるだろうから、道はここしかねぇ」
地図を指さしながら、ミオにしっかりと説明しておく。もしも、あっては欲しくないが、バラバラに行動しなくてはいけなくなった時に必要になる知識だ。
宿で足がつくが、それよりも走って逃げる方が捕まるリスクが高い。ここで馬を手に入れたらあとは時間の勝負だ。
「おし、しっかり覚えとけよ」
「は、はい!」
「じゃあ、行くぞ」
さっき罠を回収しながら周りを警戒していたが、誰かが潜んいでいる気配はなかった。遠くから監視できるような大きな建物もないし、一番近い建物から望遠鏡で見ても分からないだろう。信じられない程の倍率で見える望遠鏡が開発されたり、馬鹿みたいな視力持ってる人間がいない限り大丈夫だ。
緊張気味に教会から出たが、やはり何も無かった。拍子抜けだ。
「こっちだ、おいで」
「はい……!」
ミオの手を引くと、宿に向けて走り出した。
夜明け前の真っ暗闇の中で、人気ない場所選んで進み続けると暫くしてから公国から出る。そうやって走っているうちに、夜が明け始めた。息を荒らげる彼女を見て、スピードを落とすとゆっくりと歩く。
「キツくないか」
「大丈夫っ、です……!」
肩で息する様子に心配になるが、今は彼女の言葉を信じたい。だが、本当に限界まで来ないと、辛いと言えないのではないか。そう考えると、先に耐えられなくなったのはこっちだった。ミオの前に立つと、しゃがんで振り返る。
「乗れ」
「えっ、いいです! 大丈夫ですから!」
「ちょっと休め、少ししたらすぐ降ろすから」
すぐに降ろすと聞いて、それならといった様子でミオは恐る恐る俺の背に乗った。足を抱えて起き上がると、「きゃっ……!」と彼女の小さな悲鳴が聞こえた。疲れた彼女を部屋に連れていくなどで何度かおぶった事はあるが、それは昔の話だ。ミオが大きくなってからは初めてで、背負われる感覚に少し驚いたのだろう。
「揺れるから、しっかりしがみついとけよ」
「は、はい……その、重いですよね……」
「大丈夫大丈夫、羽根のように軽いから」
「羽根なんて、言い過ぎですよ……!」
恥ずかしそうにぎゅっとしがみついてきたミオは、頬を擦り寄せてきた。早歩きで進みながら、背から伝わる彼女の温もりを感じる。なんだかそれだけの接触で、俺も恥ずかしくなってしまった。体を重ねた日から、少し触れ合いに敏感になっているかもしれない。
その時、首にチクリと弱い痛みを感じた。驚いて体が跳ねると、ミオが可笑しそうに小さく笑っている。
「いたずらっ子は降ろしますよ」
「んふふ、ごめんなさい……なんか、仕返しがしたくて」
「それで俺の真似したわけ?」
一方的にキスマークをつけられた事が悔しかったのだろう。多分彼女の衣服の下には、まだ残っている筈だ。なんだか想像して変な気分になりそうだが、悪戯を咎めるように彼女の足を軽く叩いた。
「それで、上手くできた?」
「んー……薄く赤くなってます」
「今度教えてあげるよ」
次があることが嬉しかったのだろか、ミオはぎゅーっと腕の力を詰めた。このままだとここで襲いかねない、気持ちを切り替えるために歩くスピードを早める。どのくらいの距離を進めたか、周りを確認しても分からなかった。知らない土地だから、現在地はここだと確信できるようなものがない。
ミオを降ろして一緒に走ったり、背負って歩いたりしているうちにまた夜が来た。少しご飯休憩だとドライフルーツを食べながら歩いていると、遠くに明かりが見える。恐らく一旦の目的地である宿だ。
「あっ! ありましたよ!」
「シーッ……」
「ぁ……」
ぺこぺこ謝っている彼女の頭をぽんと軽く撫でると、ゆっくりと宿に近づいた。宿に近くなると、後ろにいるミオにしゃがんでと手で合図してから宿の壁に背をつける。中を確認すると、追っ手は居ないようだった。ミオが何か言いたそうに服を引っ張ったので、彼女の傍に屈んだ。
「どうした」
「あの、もう兵士さん達がここに一度来てて、怪しい人見たら言ってくださいって言われてたりしないんでしょうか……?」
「まあ、言われてるだろうな」
「えー……!」
俺達が遠くまで逃げるには馬が必要不可欠だ。シルヴァーを失った俺らが真っ先にするのは、馬の調達だと予想するだろう。そうなれば公国付近でそれを出来る場所は全て潰されているはずだ、ここも恐らく口利きがされている。だがそこを突破しないと始まらない。
「ここで隠れて待ってろ、俺が話してくるから」
「でも、捕まっちゃいますよ……!」
「もしやばかったら合図するから東に向かって走れ、あっちの方向だ」
東を指さすと、彼女は戸惑いながらも頷いた。信じてくれているのだろう。東の方向には森があって、もし見つかれば一度そこで身を隠すしかない。
ミオの肩を軽く叩いてから、立ち上がって受付の方まで来た。客が全然いない。ここの近くにもっと評判の宿があるらしいので、客が全部そこに吸われているのだろう。俺達にとっては好都合だ。だからこそ、ここに兵達が来たに違いない。それはほぼ確定だ。
「馬をお借りしたいのですが」
「はいは──ぁ、あ、ああ、あんた!! もしかして姫を攫った──」
「シーッ、静かに……話を聞いて」
懐からナイフを取り出してカウンターに突き刺せば、この宿の店主である男は青ざめたまま何度も首を縦に振った。やはりリネットの兵から事情を聞いているのだろう、俺の顔を見ただけですぐに誘拐犯だと面が割れる。
「俺の事見つけたら、金をやるとか言われたでしょ?」
「は、はい……」
「あんさ、兵士から聞いたかもしんないけど、俺もともと城で働いてんのよ。だからねぇ──懸賞金のシステム知ってんだよね」
「け、懸賞金のシステム……?」
「聞くけど、あんたの周りで懸賞金貰った人見たとこある?」
店主は思い返しているのが僅かに斜め上を見上げると、何故それを聞かれたのか分からないと言った様子で首を横に振った。それを聞いて頷くと、話を続ける。
「まあ当然よ。だって情報提供したり捕らえて突き出しても、金なんて貰えなんだから」
「そ、それはどういう……」
「そんな無駄な金、国が出すか? よく考えろ、例え出されなかったと周りに触れ回れば、誰を敵に回すと思う?」
それを聞いて、信じられない事実を知ってしまったと驚いてる店主に、更に追撃を仕掛ける。リュックから抜き取ったイネル通貨の入った袋をカウンターの上に置くと、口を広げて中を見せた。
「ほら、結構あるでしょ? 俺を突き出しても金貰えないけど、俺ならこれ渡していいよ。ただ馬が欲しんだよね、分かる?」
「でも、そんなことしたら……!」
「あんたは寝て起きたら馬が一頭盗まれてただけ、そうでしょ?」
袋に手を伸ばし中を見た男は、キラキラと目を輝かせている。ヒロから貰った通貨の全てだが、もう公国に用はないから有効活用すべきだ。緊急用故に大金とは言えないが、こんな人気の無い宿を経営してる店主にとっては贅沢するのに十分な額だろう。
袋の口を閉じるように掴んで引き離せば、店主は迷ったように口をもごつかせている。
「嘘ついたってバレたら、殺されるかも……」
「自分の状況見てみ? あんた脅されてるのよ、可哀想に……おじさん、被害者だよね。だからもしバレても、口止めされた、殺されそうだったって言えるんだよ。金のことは黙っときゃいい」
ナイフを引き抜くと、カウンターが抉れた跡を見せるように指で叩いた。俺の持つナイフは殺しに特化していて、テーブルに突き刺したとしても普通のナイフと跡が違う。
「これが証拠になる。……あー、まあ信用出来ないか! ごめんね、話の分かる人のとこ行くわ」
「ぁ……まっ、まままっ、待って!!」
袋を持って出入口の方へ向かうと、案の定店主は引き止めてきた。あともうちょっとだ、彼に興味を失ったような顔でカウンターの前に戻ると見せびらかすようにまた袋を店主の前に置く。
「なに?」
「う、馬はやるから! それを……くれ!」
「いいよ、賢明な判断だ」
袋を渡すと、店主は興奮した様子で再び中を確認している。そんな浮かれている店主の首を元にナイフを突きつけると、彼はゆっくりとこちらを向いた。
「でも、それ貰ったのに兵に情報流したら──分かるよね?」
「わっ、分かってます! 言いません、言いません!!」
「俺って結構優秀なアサシンなのよ。あと裏切り者が大っ嫌いでさぁ……自分の手で始末するのがモットーなわけ」
僅かに傾けてきらりとナイフに光を反射させると、店主は怯えて体を震わせた。これで釘もさせただろう、あまり恐怖心を与えると今度はそれに耐えきれなくなる。すぐにナイフをしまうと、最初に見えたのと同じ笑顔を顔に貼り付ける。
「じゃあ、表にいる馬一頭もらうね。ありがとう」
「はっ、はいぃ……っ」
これでここに来たと分かっても、少しは時間稼ぎが出来るだろう。店主が思ったより馬鹿でよかった。外に出てからミオと合流すると、彼女は俺の事をじっと見つめた。俺の嫌な一面を見せてしまったのかもしれない。あんな酷いことをと、怒られるだろうか。
「あー、ごめ──」
「なんか、いいですね……意地悪なユウキさん」
「……い、いじわる?」
あれを、意地悪と判断するのか。人を金で釣って刃物向けて脅してたが、そんな可愛いものだったのか。俺も知らなかった。
なんだかミオの瞳は好奇心に満ちている。俺の知らない表情を見れて、嬉しかったのかもしれない。
「なに、俺に意地悪されたいの?」
「いやっ、そういう訳じゃなくて……!」
「ふーん、嘘つきは……あとでお仕置だね」
耳元に口を近づけて囁けば、彼女がびくりと跳ねた。最後にリップ音を鳴らして離れると、顔を真っ赤にした彼女を見下ろす。恥ずかしがってて可愛い、こんな趣味があるならあんまり我慢しないでも良かったかもしれない。
まあ時間が無いからイチャつきはここまでにして、表の繋ぎ場に向かうと二頭の馬が休んでいた。体格の良い方を選ぶと、俺が馬に乗ってからミオを引き上げた。
「あれ、気にしてなかったけど……思ったより馬に乗るの上手だな」
「ちょっと習ったことあるんです。お前はこんなことしなくていいって、お父様に怒られましたけど……」
「今でも覚えてるんだ、流石が姫ちゃん」
少しぶりにあだ名で呼べば、彼女は照れたように笑っている。そんな彼女が愛らしいと軽く頭を撫でてから、足で合図して馬を走らせた。
そのまま二日程かけて、険しい道のルートに向かう。そこに着いてからが本番だ。道も整備されてないし崖も多いが、人がいないことは確実だろう。
歩いてるか馬に乗ってるかの違いだが、移動して休憩して、また移動しての繰り返しだ。ずっと集中して走らせるのは少し気力がいるが、休息を取りながらならギリギリいける。追われているという精神的な苦痛のせいもあって、俺もミオも、普通より体力の消耗が激しい。この状態で危険な場所に行くんだと思うと少し不安ではあった。
「ミオ、大丈夫?」
「はい、平気ですよ」
「今日はもうちょい進もうか」
宿から移動を始めて一日と半分程度は経過した。時間が無いため体力を考えながら無理ない程度に急いだが、思ったより早く着きそうだ。想定ではもう少しで目的の道まで辿り着ける。
「──見えた。ミオ、あそこから行くぞ」
「……通れるんですか、あれ……?」
馬から二人とも降りて、手網を引いた。足場が悪いが、周りを確認してから進み出しす。馬が何かで傷ついて足を止めないか心配だが、頑張ってもらうしかないだろう。ミオを見れば、しっかりと俺の後ろについて着いてきていた。まるで山道のような場所だ。ミオが転んで怪我をしないように、彼女を隣に誘導すると手を握った。
「帝国に着いたら、どうするんですか?」
「ユメサキ王……お前の父ちゃんと皇帝って実は仲良くないのよ。もし帝国に俺達がいたとしても、それを探して捕らえてもらったり、リネットの兵を入国させることも許さねぇはずだ。アルデリガとの関わりもない」
「という事は、公国より安全に隠れられるんですね」
それに頷くと、帝国がある方向を向いた。ミオにはあんまり言わない方がいいだろうが、ユメサキ王と皇帝は過去に同じ女性を好きだったらしい。どちらがその意中の相手と結婚出来たかは知らないが、皇帝は嫌いなユメサキ王の欲しがるものが自国にあると分かれば気分がいいだろう。だから探す素振りはするかもしれないが、俺達が見つかる可能性は低い。
「帝国に暫く滞在することになるだろうな。そして、ほとぼりが冷めてきたら……俺達のことを誰も知らない場所で、二人で静かに暮らしていこう」
「いつかその、家族も増えたら……いいです、ね……」
ミオは恥ずかしそうに俯いて、小さくそう言った。それに応えるように握る手の力を強めれば、親指で手の甲を摩る。
想像する未来は明るくて、そこで生きる俺達は幸せだった。どうかその未来が無事に迎えられますように。それを実現させるためには、諦めない心が必要だ。
そんな事を思いながら、横目で彼女を確認したその時──ミオの体がぐらりと揺れて握る手に力が込められた。
「ぇっ、わぁっ──!」
「──っ!?」
大きな石ころを踏んずけて転びそうになったミオの手を上に引っ張るが、体勢を立て直せなかったのか彼女がそのままこちらに倒れ込んでくる。咄嗟に手網を手放してミオを受け止めると、背中を地面にぶつけ強打した。
そして倒れた場所も悪かった。そのまま滑るように斜面を転がり落ちて、砂利などで皮膚が傷つき痛みが走る。
「──ガッ……!」
そのまま滑り落ちていると、どこか岩でも突き出ていたのか、何かに思い切り頭を打った。痛みに耐えながらミオを庇うようにしっかり包み込むと、暫くして滑っていた体が止まる。平坦な道に着いたらしい。全ての衝撃が収まったことに安心して、ミオを解放するように腕をどかした。俺の上に乗るようにしていた彼女は、体を起こすとこちらを覗き込む。
「ユ、ユウキさん! ごめんなさい、大丈夫ですか……!?」
「わ、かんね……頭、いてぇ……」
「──血が……!? ど、どうしたら……!」
後頭部が熱を持っていてめちゃくちゃ痛い。さっき何かに打った時に怪我をしたらしい。頭は不味い、最悪このまま死ぬかもしれない。雨粒が落ちたように頬が濡れた。ミオが泣いているんだ、だが視界もボヤけてしっかりと見えない。それを拭ってやる力も出ず、今は指一本動かすのも辛い。
「ちょっと、ねておきたら、治るから……周り、みててくんね……?」
「わ、分かりました……!」
寝て起きたら天国なんてこともあるかもしれないが、ここは賭けに出るしかない。まともな処置が行えるほどの環境にないから、俺の生命力に全てがかかっているだろう。ぐらぐらと意識が朦朧として、緩やかな闇に身を投じる。ただ、彼女が手を握ってくれたのが分かった。
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