第四話 あなたの全てを
暫くして、意識が浮上すると窓の外を確認した。
太陽の位置を考えると、八時間程度経過しただろうか、思ったよりぐっすり寝てしまったらしい。彼女の傍が心地よくて気を抜いてしまった。ミオ様を起こさないように起き上がると、窓から街並みを見渡す。
隠れられそうな大きな建物があればいいが、ここからはよく見えなかった。それに、なるべく人気のない場所がいい。街から離れた場所に白い建築物が見える気がするが、遠すぎて分からなかった。
──その時、外から金属音が聞こえた。
これは、鎧の音だ。
すぐにミオ様を起こすと、静かにとジェスチャーで合図する。扉を僅かに開けて隙間を覗けば、受付の方へ向かう兵士が数人見えた。鎧に刻まれた国章を確認すると、リネット王国の兵と分かる。
想定よりも四時間は早い。
公国にいると分かっていたとしてもここにたどり着くまでがあまりにも早すぎた。何故ここまで──いや、そもそも全ての計算が間違っているのだ。俺は、''人の感情''までは計算に入れていない。
俺達を発見した場所から他の部隊がいるであろう場所までの距離や、馬の体力を考えた時の移動時間、理論上でしか考えていなかった。
必ず見つけるという''強い執念''が、人をここまで動かしているのだ。根性論なんて大嫌いだし馬鹿らしいと思っていたが、その根性で四時間の短縮は流石に痛い。
すぐに荷物をまとめると、ミオ様を手招きして窓から飛び降りた。衝撃を逃がして着地すると、窓からこちらを見下ろしている彼女に向かって腕を広げる。
「む、無理です……高いですよ……」
「必ず受け止めるから、おいで」
こんな高さどころか、彼女は階段の二段目から飛ぶことすらしたことないだろう。いきなりここから降りるのは無理だっただろうかと思いつつも、このままでは確実に追い込まれて捕まる。
「大丈夫だ、信じろ」
「ぅ……えいっ」
意を決した彼女は、俺に向かって窓から飛んだ。それを受け止めると、ゆっくりと地面に下ろす。大丈夫か確認すると、どきどきしているのか、胸元を抑えながら深呼吸をしていた。褒めるようにぽんぽんと軽く頭を撫でると、裏からシルヴァーの無事を確認する。
しかし、繋ぎ場にシルヴァーの姿がない。周りを見回せば、兵の一人に連れていかれるのが見えた。
「シ、シルヴァーが……!」
「大丈夫。あの兵士……ヒロの部下だ。流石に上官の愛馬を傷つけることはしないだろうよ」
「ごめんね、シルヴァー……」
ここまで連れてきてくれて、本当に感謝している。あとはヒロに労ってもらってくれ。ここで捕まってしまえば、ヒロやシルヴァーの努力も水の泡になってしまう。早く離れないといけない。
「行こう、隠れながらここを抜ける」
「はい……!」
ミオ様の手を引くと、そのまま走り出した。さっきの部屋の窓から外を見れば、俺達の姿も確認できるだろう。まずはその範囲外に出て、身を隠すしかない。一気に走り抜けて距離を取れば、今度は物陰に隠れながら進んでいく。ここにいると気づいたのなら兵が集中するだろう。集まる前に抜けなければ、囲まれて終了だ。
「はぁっ、はぁ……!」
「頑張れ、もうちょい走るぞ」
彼女は息を切らしながら懸命に着いてきている。疲労から繋いだ手が僅かに震えているのを感じた。しかし、まだ進まなくては逃げられないだろう。やがて、離れた場所に廃墟があるのを見つけた。先程窓から見た白い建築物だ。そこに飛び込むと、目に入った部屋に入り背を壁に着けて息を押し殺した。
──外から、足音が聞こえる。
「おい、この辺りには」
「方向的にここだと思ったけどなぁ、もう一回探そう」
「お前はあっち見てくれ」
「了解」
二人の兵士がいたのだろう、一つの足音は遠のいていった。しかし、もう一人がこちらに近づいてくるのが分かる。ざり、ざり、と足音が徐々に廃墟に向かっている。兵士一人なら走って撒けるかもしれないが、ミオ様の体力がもう限界を迎えている。ここから外に出たとしても、留まったとしても、捕まるリスクが高すぎた。
廃墟に兵士が踏み込むと、緊張状態で声が出そうになったミオ様の口元を手で抑える。空いた手を彼女の首に当てれば、恐ろしく脈拍が早い。このままでは倒れてしまいそうだ。
隠れている部屋の前で、足音が止まった。
そして、がちゃりとドアノブを捻る音がする。
扉を開き──中を覗き込んでいるのが分かった。
「──チッ、居ないか」
きいっ、と扉が閉められる。
丁度開いた扉の裏にいたお陰で、見られなかったらしい。全く雑な捜索だが、今は本当に助かる。いくつか部屋を見て回ったのか、足音が遠のいたのを確認してミオ様の口を押えていた手を離した。やっと解放され、彼女は大きく深呼吸をする。
「し、死ぬかと思った……!」
「ごめん、強く押さえすぎたかも」
「ちょっとくらくらして……座っていいですか……?」
返事を待たずによろよろと座り込んだミオ様は、目を瞑り息を整えていた。あの状態で声を殺せという方が無理なのだろう、彼女にはキツいことをさせてしまった。
「暫くここに身を隠すか……結構大きい建物みたいだし、逃げるのに都合が良さそうだ」
「しっかり見てなかったから分からなかったんですけど、ここ教会なんですね」
「へぇー、ほんとだ」
入った部屋の本棚には、宗教に関係する本がずらりと並んでいた。よく見れば何かシンボルのようなものも飾られている。なんの神を崇めているかは、よく分からないが。
中央の部屋に行けば、大きな像が飾られていた。ここの人達が信仰する神なのだろうか、女性の像がこちらを向いて微笑んでいる。
「まず建物全体の把握をしないとな……脱出経路も考えないと」
「あの、私は何をすればいいですか?」
「えーっと、姫ちゃ……君は後ろを着いてきなさい」
自分で名前を呼ぶなと言っておきながら、危うくいつものあだ名を呼びかけた。彼女はそれが不満だったのか、少し不機嫌になる。名前を呼ばないというのは納得してくれたはずだが。
「なんですか、君って……他人みたいです」
「えー、嫌なの?」
「身近な女の人呼ぶ時、なんて呼ぶんですか?」
「そうだな……お前、かな」
それを聞くとにこーっと笑顔を浮かべている。お前と呼べと言っているのだろう。確かに、前に気持ちが高ぶってお前なんて呼んでしまったが、お姫様相手にそれはいかがなものだろうか。普通なら首が飛んでもおかしくない。飛ぶというのは物理的な話だ。
「えと、じゃあ……お前は後ろついてきて?」
「はいっ!」
お前呼ばわりされてそんなに嬉しそうにするのは、彼女くらいだろう。もしかして雑に扱われたい願望でもあるのだろうか。全く分からずに建物内を歩き出すと、後ろをちょこちょこ着いてきているのが分かる。小動物みたいで可愛らしい。
建物内を見回れば、何部屋か瓦礫が塞いでて使い物にならない部屋があった。窓の位置や隠れられそうな場所の把握、それらを済ませていくつか罠を仕掛けておく。
「手際がいいですね……普段こういうお仕事なんですか?」
「まあね、絶対殺すために逃がさないようにしないと」
「そう、ですか……」
「……俺の事、怖い?」
最後のトラバサミを仕掛け終われば、俯いた彼女の方へ振り返る。あの時は受け入れてくれたと思ったが、実際どんな事をしているか見たら気が変わるかもしれない。近づいて頬に触れると、彼女はこちらを見上げた。だが、その表情は別に怯えてなんかいなかった。
「私の知らないところで、沢山辛い思いをしてたんだなぁって……」
「ふふ、優しい考えだね。俺さ、殺しの仕事は天職だと思ってるし、色んなやつに才能あるって言われるよ?」
確かに、嫌だと思う時が無いわけじゃない。それを彼女は気にかけているのだろう。自分が汚れていると思っているから──まだ、手袋を外せないから。
「……私、助けてもらってばかりで……何か返したいんですけど、何が出来るでしょうか……」
「なに、そんな難しいこと考えてたの? 傍に居てくれるだけでいいんだよ。それだけで……俺は救われる」
彼女の手を取り、ぎゅっと握った。その言葉にミオ様は泣くのをこらえるように顔を顰めたあと、こくこくと何度も頷いた。何も返せていないと、ずっと考えていたのだろうか。俺は彼女さえいれば何も要らないのに。
「二階の奥の部屋が一番無事で綺麗だから、あっちで休もうか」
「そうですね、沢山走って少し疲れちゃいました」
部屋に移動する道中、腹がぐぅっと鳴った。ずっと気を張って逃げ隠れしていたせいで、隠れ場所が見つかり気が抜けたらしい。お腹も悲鳴を上げるチャンスだと思ったのだろう。俺に続いてミオ様の腹も鳴って、彼女は恥ずかしそうに俯いていた。
部屋に入ると、一度念の為に窓の外を確認してから荷物を広げる。食料は長期保存がきくような缶詰、ビーフジャーキーやドライフルーツだったり、他にはソーセージやクッキーまである。こういった食べ物は初めてたのだろうか、ミオ様は興味津々といったようにそれを覗き込んでいる。今まで適当に俺が渡していたが、最初から自分で選ばせてあげた方が良かったかもしれない。
「私、これ食べたいです」
「ああ、いいよ」
大きいソーセージを手に取ると、じっと観察して恐る恐るかぶりついている。このサイズなら普通切られて出るため、丸かじりしたことは無いのだろう。味わうように咀嚼すれば、知った味で美味しかったのか目を輝かせていた。
「美味しい?」
「美味しいです!」
「よかったよかった。まあ、長期保存がききそうなやつは後回しにして、早く腐りそうなもんから食おう」
何も塗ってないパンを適当にかじりながら、食事をする彼女を観察する。なんかこう、そういう形状のものをミオ様が口にしているのを見るのは──豊かな想像力が今は憎い。
「あ、あの……どうぞ?」
「──へ?」
「ずっとこっち見てたから、食べたいのかなぁって」
こちらに食べかけのソーセージを差し出す彼女は、少し困ったような表情をしている。食べたいのはソーセージじゃなくて姫ちゃんのほ──じゃないじゃない、首を横に振ると彼女はまた食事を再開した。
暫くして外を確認すると、もう少しで夜になるのが分かる。夕陽が落ちて、空も暗くなってきていた。夜は隠れるのに適している。見つかっても昼よりは逃げやすくなるだろう。
パンを食べ終わると、持ってきた地図を広げた。最初に考えたルートはもう駄目だ。指でバツ印を書くようになぞると、他に公国から向かえそうな場所を探す。
「デラルッタはどうですか? 」
「アルデリガの傍は駄目だな。花嫁が拉致されたと知ったら、オリバー王子だって動くだろうよ」
「花嫁って……あの人とは何も無いです!」
拗ねている彼女を宥めながら、また新たなルートを書き込んでいく。デラルッタは言った通りアルデリガに近い。リネット王国、アルデリガ王国と隣接せずに更に友好関係が薄く知り合いの居ない国がいい。
「やっぱり、帝国か……」
「ミナアド帝国ですか?」
「そうだが、んー……俺ここの奴ら嫌いなんだよね」
帝国の人間に何度か情報や獲物を横取りされたことがある。それに殺しのやり方もぐちゃぐちゃしててあまり好きじゃなかった。まあ、今そんな事言っている場合では無いので、すぐに公国から帝国に向かうルートを考える。今度はさっきの計算ミスをしないように、だ。
「まず途中で足を手に入れるとして……それがここだと仮定、そしてそこから中間地点の移動まで一日。だが休憩を挟むと考えると約二日か三日だな」
「私、休憩無くてもいいですよ!」
「だめだめ、体力回復と適度な睡眠で頭まともに働かせないと逃げきれない。ちゃんと休んでください」
「はーい……」
どう考えても負け戦だ。
だが、逃げ切らなくては彼女との未来は無い。それならば死ぬ気で立ち向かうしかないだろう。帝国に逃げられれば相手は手出しできない。逃げ先が分かったとしても、領土内に入ればこっちのもんだ。
如何に相手を欺き、最短ルートを辿れるか、それが問題だった。
「はぁ……一旦休憩……」
「明日に備えて、今日はもう休みましょう?」
「……そうするか」
彼女の言う通り少しだけ休憩を取ろう。そうすれば作業効率も上がる。ベッドにかかっていた埃をある程度落としてから、お腹が満たされ少し眠そうにしているミオ様を寝かせた。そして、ベッドを背もたれに床に座るとそのまま目を瞑る。
「おやすみ、しっかり休んどけよ」
「……え?」
「え?」
体を起こした気配がして、何かあったのかと振り返る。暗くてよく見えないが、彼女は困惑しているようだった。今まで自分が寝ていたふかふかベッドとの違いに、戸惑っているのかもしれない。しかし、今はこれしかないのだ。
「あの、寝るんじゃないんですか?」
「まあ、寝るけど……?」
「ゆ、床に座ってですか?」
「うん。追っ手が来た時にすぐ対処出来ないと困るでしょ」
それを聞くと彼女はベッドから降りた。するとこちらの手を掴んで立たせて、ベッドの方へぐいぐい押される。この程度の力で倒れることは無いが、彼女の話を聞くためにとりあえずベッドの縁に座った。
「どしたの?」
「私だけベッドで寝るの嫌ですよ」
「え、お前が床で寝るの多分無理だよ?」
「違いますよ! 一緒にベッドで寝ようって言っているんです!」
大きな声にしーっと人差し指を立てれば、彼女は慌てたようにそれに頷いた。落ち着かせるために一旦自分の横に座らせると、彼女の背を摩る。座っているだけでちゃんと休めているのか心配らしい。大丈夫だと言っても、ムキになっているようだった。
「待機時間長かったりでこういう寝かた慣れてるから、ちゃんと休めるよ?」
「……やです」
「んー、じゃあ一緒に寝ようか」
嬉しそうに頷いた彼女を寝かせて、俺もその横に寝転がる。このベッド、二人で寝て壊れたりしないだろうか。まあこのまま彼女を寝かしつけて、頃合いを見て抜け出せばいい。しかし、その意図がバレているのか、彼女は俺の服をしっかりと掴んだ。
どうしたものかと彼女の頬を撫でれば、ミオ様はこちらに擦り寄るように胸元に顔を埋めてくる。
「濡れたタオルで拭いたりしか出来てないから、汗臭かったりすると、思うんだけど……」
「別にいいです」
正直、恥ずかしい。
強く抱きついてくるものだから、耐えきれなくて彼女の肩を掴んで引き剥がした。すると、寂しそうな顔をした気がする。頼れるのは俺一人で、拒絶されれば傷つくのは当たり前だろう。やってしまった。
「……俺にも羞恥心があってね、うん」
「私の事……嫌なんですか?」
「違うよ。……あ、じゃあ姫ちゃんの匂いも嗅ぐけどいい?」
「え、やです! やだっ!」
彼女の胸元に顔を近づけると、今度はミオ様の方が俺を突っぱねた。彼女の両手を片手で拘束して頭の上に上げると、無理やり首に顔を近づける。彼女の体臭と薄く香水の匂い、汗の匂いがする。昼間の頭の悪い妄想のせいで、余計に興奮した。ゴクリと唾を飲み込むと、思わず彼女の首筋を舐め上げる。
「ぁっ、な、なんで舐めちゃうんですかぁ……!」
「ごめん、なんか興奮して……うん、しょっぱいね」
「もうっ、名前も呼んじゃダメって言ってたのに……!」
「ここは街から離れてるし、誰も聞いてないよ」
もう一回舐めてから、あぐあぐと首を甘噛みすれば彼女はふるりと体を震わせた。それは恐怖では無い、彼女も興奮しているのだ。その事実が堪らなくて、腰にクる。そのまま唇を奪えば、抵抗するように拘束している彼女の手に力が入った。なんだか無理やりしているみたいで、言ってしまうと勃起してしまった。
「はっ、ぁ……」
「んっ……はは、ごめん……」
流石に可哀想だと手を離してやると、彼女は俺の両頬を包んでキスを続けた。こんな感じかな、と彼女の考えがそのまま分かるような控えめな舌の動きに、堪らずにがっついてしまう。体を起こして彼女に覆い被されば、驚いて投げ出された手首を押さえつけて貪るように口付けた。
唇を離すと、銀糸がぷつりと切れる。僅かに呼吸を荒らげたミオ様は、俺の事をじっと見つめていた。続きを期待されている、それがすぐに分かった。
「……多分、あの日みたいに止める人は来ないよ?」
「はい……」
「一回始めたら、俺……抑えれないと思うし」
試すように膝で彼女の股を押せば、びくりと体を震わせた。経験無いだろうし、急に組み敷かれれば怖いだろう。あの時と違ってすぐに逃げ出せる訳でもない、大声を出したとしても誰も来ない。
だが、彼女の瞳は──確かに俺を求めている。
「わ、たしのこと……汚してくれるんですよね?」
「……ああ」
「じゃあ、ユウキさんの女にしてください。私の事……愛して欲しい、です」
そう言って、彼女は俺の体に足を擦り付けてきた。恥ずかしそうに、俺が欲しいと誘っている。こんなの我慢出来るはずない。この状況で理性を保ちNOと言う人間が紳士なら、俺はクソ野郎でもいい。
「そんな誘い文句、どこで覚えてくるわけ?」
「ぇ、覚えるとかじゃなくて──んっ……」
手首を掴んでいた手を離すと、そのまま胸元に下ろしていく。本人に許されるのなら、我慢する必要も無いだろう。シャツとスカートを脱がせると、ミオ様は恥ずかしがるように手で体を隠した。
「見せて?」
「ぅ……でも……」
「ああ、じゃあ俺も脱ぐよ」
「えっ、えぇ……!」
ベストのボタンに手を掛ければ、ミオ様は服の下を想像したのか顔を赤くする。慌てて手で自分の目を覆うようにした彼女は、スッと指の隙間からこちらを覗いていた。それが可愛くて小さく笑うと、ベストとシャツを脱いで適当に放る。
「これも……今は要らないね」
そう言って手袋も見せつけるようにゆっくりと外し、シャツの方へ投げ捨てる。素手で彼女に触れるのはあの時と合わせて二回目。ただ触れるだけなのに、凄く緊張する。優しく腕を撫でれば、手の隙間からこちらを見ている彼女が小さく声を上げた。
「ねぇ、俺の事ちゃんと見て……」
確かに俺は細身ではあるが、それは男の中ではという話だ。彼女からすれば、拘束されれば逃げられないような雄が自分に股がって、体を晒している。それだけで恥ずかしくて、興奮するのだろう。
「ふふっ、そんな手の隙間からじゃなくてしっかり見なよ」
「あっ、そのぉ……」
「恥ずかしいの? ほら、触ってもいいよ?」
目を覆っていた手を剥がすと、そのまま自分の胸元に触れさせた。彼女の手の温もりをしっかり感じる、手袋越しじゃ分からない、彼女の命がある証。その代わりに、俺の左胸から馬鹿みたいに早い鼓動が彼女に伝わっているだろう。
「あの、緊張してるんですか……?」
「うん、してるよ」
「てっきり……そういった経験が、豊富なの、かと……」
ごにょごにょと尻窄まりにそう言って、ミオ様はこちらを見つめた。まあ、間違ってはいない。流石に豊富と名乗れる程では無いが、全く無いわけじゃない。経験がない方が彼女はいいだろうか。しかし、嘘をついてもしょうがないだろう。
「まあ経験無いわけじゃないけど……本当に好きな人とするのは初めてというか」
「好きじゃない人とこういうこと出来るんですか……!?」
「……あー、過去の話ね?」
そこまで過去では無いが、ここで好感度が下がるのは避けたい。それに仕事では本番の前に仕留めるから、未遂という判定でいいだろう。何とか宥めて、彼女の耳元に口を近づける。
「ほら、集中して? 姫ちゃんは今から俺に抱かれるんだよ……」
「んっ……わ、私もう姫じゃないです……」
「そっか、じゃあなんて呼べばいい?」
彼女の顔を覗き込むと、ふいっと目を逸らされた。機嫌を損ねたのか、そう心配しながら返事待つとまた目が合う。そして、緊張した様子でゆっくりと口が開かれた。
「名前で……呼んで、欲しいです」
「──ミオ」
名前を呼ぶと、彼女は幸せそうに笑顔を浮かべる。俺も、多分同じような表情をしているだろう。ただ名前を呼んだだけなのに、とても心地よくて、愛を囁いているようで。
繰り返し呼んでやれば、彼女は──ミオは、こちらに腕を伸ばし俺の頬に触れた。その手を取り優しく口付ければ、頬を赤く染めている。
「ミオ、お前の全部俺のものにしていい?」
「はい……私にも、ユウキさんの全部をください」
「いいよ、交換しようか」
…………
「分かる? 俺の全部入ったよ」
「んっ……結構、苦しいですね……でも凄く、幸せな気分です……」
「俺もだよ……愛してる」
その言葉を聞いて、ミオは涙を流した。
首に腕を回され体を密着させると、彼女の溢れる雫が、愛が感じられる。
愛し合って、ひとつになるとどうしようもなく、言葉にできない感情が溢れ出して止まらなくなった。
好き、好きだ、愛している。
これだけ心が狂おしいほどに騒いでいるのが、彼女に伝わっているだろうか。
顔を覗き込めば、ミオがこちらに手を伸ばして、俺もゆっくりと近づけた。
手と手が触れ合って、互いの存在を確かめ合うように指を絡めれば、しっかりと握り合う。
なんて、幸せなんだろう。
目の前にいる彼女が、俺の世界の全てだ。
ぽたりと、彼女の頬に涙が零れる。
俺も──知らずのうちに涙していた。
「ははっ、なんか……止まんないや」
「泣かないで、下さい……私も、泣いちゃいますよ」
「好き、好きだよ……ミオ……」
どちらからともなく唇を合わせて、軽い口付けを交わす。
こんなに好きで、一緒にいたいのに、何故俺達はそれが許されないのだろう。
俺が今まで犯した罪の精算だと言うなら、どうか彼女を巻き込まないでくれ。
ただ、今だけは二人だけの世界で、幸せだけを感じさせて欲しい。
どうか、どうか──。
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