第7話

「ねえ、君さあ、何で逃げちゃったわけ?」

 「逃げてない。用事があったんだって」

 今度はしっかり陽ノ日に焦点を合わせて答える。

 陽ノ日は、僕を見つめ返して、むっーとして、

 「嘘だね。目が嘘だもん」

 と言い放ち、黒いコーヒーカップを手に取って啜った。

 目が嘘っぽい?僕はいつも死んだ目をしているから、変わんないだろ。そんなことを思いながら、僕もカフェオレをたしなむ。

 商店街じゃ話づらいし、逃げそうだとかいう理由で入った、コーヒーカフェ『マウンテン』。

 没案となった『シーサイドカフェ』と相対をなしているから、狸でも出てくんのか?とか思っていたが、それは杞憂だったようだ。

 「ねえ、何でそんな嘘までついて、私から逃げたかったの?」

 陽ノ日がしっかり僕の目を見ながら、訊ねた。さっきからこいつは、僕の方をものすごい剣幕で見てくる。

 これは嘘をついたら、分かってしまうな。

 しょうがなく、正直に話してやった。

 「.........

   婆ちゃんから、野菜買ってこいって言われてたんだよ...」

 ごめん、めっちゃ嘘ついた。

 「さっきから何?その嘘。それで嘘ついてるつもり?」

 陽ノ日の口調が、少し攻撃的になっていく。

 確かに嘘ですよ!確かに嘘ですけど、本当だったらどうするんですか!僕、よくおばあちゃんから好きって言われている、模範“孫”生なんですよ?!もしかしたら、あり得るかもしれないじゃないですか!

 「だったら普通言うよね。私たち3人が帰る前に」

 あっ、確かにそうですわ。

 陽ノ日が、またコーヒーをゴクゴクと飲んでいく。

 ドン!コーヒーを飲み終わった陽ノ日が、オブウッドの机に、大きな音でカップを置いた。

 店内のおしゃれなジャズ音が一瞬止まったように思え、店員が一度びっくりして飛び跳ねたように思え、僕が少しちびったように思えた。

 「...おかわり。

 おかわり頼んで...脱獄者くん。」

 陽ノ日が、少し間延びしたような声、そして何かトロンとしたような目で、僕をぱしらせた。

 なんだこいつ?お前の感覚では、コーヒーはお酒なの?

 「おいこらあ!はやく~、たのめえ!」

 体を机にだらんとさせて、コーヒーカップを上下にしなびやかせながら、陽ノ日が催促する。

 次、何されるか分かったもんじゃない俺は、スーツを着た男の店員さんに、コーヒーのおかわりを頼んだ。

 「は、はい。少々、お待ちください」

 店員さんは、陽ノ日をちらっと見て、メニュー表もちらっと見る。

 『あれ?ここ、お酒提供してなかったよね?』声に出さなくても、伝わる事例であった。

 店員さんが、逃げるように裏の方へ行き、また僕たちの周りは2人だけとなった。

 恐る恐る、陽ノ日の様子をちらっと見る。

 すぴーすぴー

 こいつは眠っていた。

 そういえば陽ノ日は、僕を見つけて声をかけたとき、膝に手をつき、はーはー息を切らしていた。

 『やっぱり、久々の運動はきついね』

 そう言って陽ノ日はにっこり笑ったが、彼女の肩には学校バックがぶら下がっており、塾かなんかのノートだろうか。手にはそれが入った袋を持っていた。

 この姿で走るなんて正気じゃない。僕だったら、100m進んだところで一回息を整え、また100m進んで息を整え、また50m進んで息を整え、最後には諦めるだろう。

 そんな若干の申し訳なさがあって、僕は机にお金だけ置いて、バックをとり、陽ノ日を起こさないようにしながら、ドアのベルを鳴らした。

 カラン

 ガラス越しに見える店内から、陽ノ日が起きてないことを確認し、家へと帰る道を辿っていく。

 確かに申し訳なさはパンパンだが、やっぱり僕は、陽ノ日にこんな僕を知ってもらいたくなかった。

 言ったら最後。後日には、いじられ、新しいあだ名が30個くらいでき、一生パシられ続けるだろう。

 そうなったら、僕と陽ノ日の関わりがもっと増えてしまい、もしかしたら毎日朝、僕を問いかけてきて、実行委員の仕事を誰かに押しつけることが出来ないようにするだろう。

 そんなことになったら、陽ノ日まで僕という存在に巻き込んでしまい、“陰キャとつるむ女の子”として、確執してしまい、彼女まで友達を失って行くかもしれない。

 いや、あいつがどうなろうと、ほんとうはどうでもいいのだが。

 問題なのは前園で、今、陽ノ日と前園は仲がよく、陽ノ日は僕と前園を、友達というものにしようとしている。もし、もしだぞ?僕と前園が万が一、友達はいかないだろうけど、知り合いぐらいになった場合、前園の“性根の陽キャ”というイメージが壊れ、実行委員に推薦されない可能性が出てくる。

 そうしたら、誰が代役に立てられる?いや、立てることができる?

 前園という絶対的存在が無くなったとしたら、剛堂という名前の金髪高校デビューイキリが、真っ先に『俺やる!俺やる!』と、猿のようにわき散らし、クラスの奴らは渋々、代役として剛堂を実行委員にするだろう。しかし、あの黄ザルが、陽ノ日(あのアホ)をコントロールできるとは思えない。陽ノ日と共同体である、前園にしか、あいつを抑えることができないと思う。ほら、よく言うだろ?”馬鹿をもって、馬鹿を制す”って。

 そんなことを思いながら、空をみると、夕日が西から東へ沈んでいき、星が東から西へ上っていくのが見えた。そろそろぽつんとした僕のような月が現れる時間帯だろう。無数の星に囲まれた、僕みたいなひとりぼっちの月が。

 ─えー、次のニュースです。なんと今年は、世にも珍しい、皆既月食と皆既日食が、同年におこる、数百年に1度のおめでたい年だということが分かりました。しかも、皆既月食は明後日ということで、ほんとに楽しみですよねー─

 家電量販店のガラス越しのテレビのざらざら音が、僕の脳に刺激をかける。

 そして、中学最後らへんに習った教科書の一文を、ふと思い出した。

 ___月食とは、月が地球の影に入り、月が欠けて見える現象のことです。

 ...いわゆる明後日は、月がいなくなる日というわけか。

 はは、何てちょうど良いタイミングなんだ。

 それはまるで、僕にいなくなれというみたいじゃないか。

 

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