第9話

 また、夢を見た。

 あの夢だ。

 主人公が登場して、友達ができ、クラスが離れ、裏切られる夢。

 いつも同じオチでつまらないが、起きると喘息になる。

 今日は本当は学校に行きたくなかった。目覚まし時計は、もう10時の針を回っているし、なんか体もだるい。でも、こんなことで、僕の皆勤賞を手放すことなんて出来なかった。あれ?月影くんって、意外に皆勤賞?まじ?!あのギャルの一言から、僕は皆勤賞を取ることに快感を覚えていた。こんな僕が、誰かに驚かれ、認識されることが...。

 

 『ずっと、一人で生きればいい!!!!』

 

 陽ノ日は...

 いや、やめとこう。あの馬鹿のことを考えても、自分が嫌いになるだけだ。

 今日は黙って、学校に行くことにした。

 

 古びたドアの取っ手を開く。

 ん?今日はやけに教室が静かだ...。誰もいない...?教室をそっと覗くと、本当に誰もいなかった。どうやら、3時間目は体育らしい。

 どうしよう。とりあえず、黒板に怪人二十面相の予告文とか書いておくか...?

 ガラガラ その時、閉めたはずのドアが開き、師匠...山之内桜先生が、教室に入ってきた。

 咄嗟に顔を背ける。一番見たくない顔だった。この人はダメだ。ほら、こうやって無言になる。気まずくなった。そらそうだ。どちらも、悪いとは思ってないし、間違いだとは思っていないから。

 僕は後ろのドアから、逃げるように立ち去ろうとした。図書室でも、食堂でも、中庭でも行こう。屋上はもう、無理だか...

 「すまなかった!」

 山之内桜の声が、静なる空間に大きく轟いた。だが僕は、ドアに手を掛けた状態から、後ろを振り返ることが出来なかった。

 「私は、本当に無理矢理だったんだ。紫苑のことを考えず、いきなり押しつけてしまって..」

 気の強い師匠とは思えない、震えた声だった。

 「でも、私はあの子がとても大切なんだ。陽ノ日はられが、とても。あの子に傷ついて欲しくなくて、だから少し強く当たってしまって...」

 「じゃあ、なんで僕を大切な子につけたんですか。僕じゃなくても、よかったじゃないですか。」

 「そ、それは...」

 その時、師匠が僕の前に無理やり入ってきて、僕の目をのぞき込むようにしていった。

 「陽ノ日はられは、君しか救えないんだよ。月影紫苑くん。だから、君が、陽ノ日はられのそばにあげてくれ...。お願いだ、お願い..しま..す...」そうして師匠は、泣き始めてしまった。

 教師にしてはみっともない、胸にしがみつくような泣き方だった。

 僕はそこで何もできず、ただ今の言葉を、ぼうっと考えるしかなかった...

 

 すーっすーっすーっすーっ

 あまりに泣く師匠を、保健室に連れて行くと、そのまま師匠は眠ってしまった。案外寝ると、顔は可愛い。起きるとライオンなんだが、さすが猫科ってことだ。

 「もう、自分を責めないでくださいね」

 師匠のさっきからの言動から察するに、きっと陽ノ日のことで何かあって、その件で自分が陽ノ日は変えることができないと思ったんだろう。どうやら僕は、師匠を恨んでいた気持ちが、すっかりと無くなったみたいだった。僕はぽっかり忘れていた。僕が師匠を恨むことなんて、ありえないってこと。僕は、師匠に救われたんだ..

 

 あの頃の僕は、軽く人間不信みたいなやつだった。近くの公立には一応入ったが、あの頃のトラウマから抜け出せず、周りの目がいつも以上に気になり、周りの笑い声が僕に向けられてるものなんじゃないかとか気になり、そのうちいじめが僕の元へやってくると思っていた。だから僕は、空気を演じようとして、軽く学校を休みがちになった。

 ピーンポーン

 ...また、あいつかよ。嫌々ドアを開けると、やっぱりいたのは、僕の副担任の、山之内先生だった。

 「よっ!月影。いや、“紫苑”の方がいいか?」

 「月影くんがいいです...。じゃ、なくて。毎度毎度、何なんですか?」

 「まっ、とりあえず私を入れたまえ。今日も勉強会するぞ~。」

 「はあ。人の話聞いてないですね...」

 ずかずか人の土俵に入ってくるこの先生は、まるでライオンのようだ。いつも押しかけてくるくせに、やれお茶だとか、やれ暑いだとか、やれこたつ点けろだとか、この人は一年中僕の元へ来る。

 「寒い!暖房点けてくれ!」

 今日は、寒い寒い雪の日だった。

 「いやー、紫苑のところの設備は良いねえ~。私の家とかきてみろ~?こたつもヒーターも床暖もねえぞ?まじ寒いから。」

 「先生は体温だけで大丈夫でしょう?暑苦しいところが唯一の取り柄なんだし。そんなんだから、いつまでたっても独身...」

 「あ?お前、何だって?」

 「痛い痛い痛い!ごめんなさい、独身は言い過ぎました!“未亡人”!“未亡人”にします!」

 「殺す」

 「きぃやああああ」

 先生が僕の首を絞め、僕は天を仰いだ。

 先生が僕の家に来て、話すことはいつも同じで、学校の“生活”のことだった。生徒の恋バナや、学校行事、最近あった学校での面白いことなど。学校に触れることが、どうやら勉強会の意義らしい。僕はそんな軽い会話が、楽しかった。

 「じゃあ、私は帰るが。お前も少しは学校来いよ?」

 僕は何も答えずに、先生を玄関から追い出した。

 学校なんて、楽しくない。勉強なんて、家でもできる。人間関係に触れるなんて、ただの意味ない疲労なだけだ。

 これからも、学校には行くことない。僕はその時まで、そう思っていた...

 

 プルプルプル プルプルプル

 「もしもし?こちら、NASA。宇宙管理情報局ですが?」

 「.........」

 何だ?ただのイタズラ電話か?一応、夜の2時だよ、今。暇かよ。

 「...タスケテ、くれ...」

 「え?」

 「先生だ。山之内だ。月影くん。学校に来て、私を助けてくれ...」

 「え...」

 「今、すぐだ...おね...がい...」

 その時、電話は切れた。

 電話が切れた直後、僕は反射的にコートを着て、いつぶりが分からない自転車にぎこちなく乗って、学校への下り坂を走っていた。

 

 「はあ、はあ、はあ、はあ」

 クッソ。運動くらいしときゃ良かった。これじゃまた、持久走ビリだな。

 ガラッ

 僕は勢いよく、屋上のドアを開けた。電話越しに聞こえる風の音で、何となくここじゃないかって思ったんだ。

 「先生!」

 予想通り、山之内先生はそこにいた。屋上の柵の奥に立って、今にも飛び降りそうにしている。

 「ダメだ!先生!早まっちゃダメだ!」

 声が聞こえてないように、後ろを振り向かない。

 「先生!聞こえてる?!僕が来た!学校に来たんだ!あれほどいやだった学校に自分の足で、ここに来たんだ!もう、学校を休むのはやめる!皆勤賞も狙う!だから、飛び降りるのはやめて!」

 風の音が強くなる。大きな突風が吹いた。

 「先生!」

 その風に乗せられるように、山之内先生は、僕の前から飛び降りた。

 先生がいた、柵の目の前にやっと追いついて、白くて冷たくて、非情なフェンスを無理やり揺らす。

 「壊れてしまえ。こんな、こんなやつ!」

 泣きながら僕は、何度も、何度も柵を揺らした。

 「嬉しかったんだ。僕なんかに毎日構って、家に来てくれる先生が。一人ぼっちにしてくれなかった先生が、僕は嬉しかった。嬉しかったんだ...」

 感情が溢れてきて、涙で白が見えなくなってきた。上を向いて、涙を乾燥させよう。そうすれば、この気持ちは...

 「よっ!」

 「え?う、うわあああ!ゆうれいだあああ!」

 初めて見た。初めて見た。初めて見た。初めて見た。初めて見た。初めて見たああああ。

 あんなくっきりとした、人間みたいな幽霊。ん?人間、みたいな...?

 「よっ!」

 「え?どぅわああああ!って、先生?!山之内先生!?どうして...さっき飛び降りたのは?!」

 「ああ、あれは私に扮したただの人形だ。どうだ?お前の本音を聞くには、最適だっただろ?」

 「......」僕は何も言えずに、下を向いた。屋上のアスファルトの先で、僕は山之内先生が無事だったことをとても嬉しく思った。

 「お前の泣き目を見るのは、初めてだな。月影紫苑。」

 山之内先生が、僕の体勢を無理矢理起こして、笑いながらそう言った。

 「え...。こ、これは、あくびが今日酷くて...」僕が弱い言い訳を答えたそのとき、先生が、僕を抱きしめた。

 「紫苑。お前、学校に来い。とりあえず、何でもいいから学校に来い。理由はいらないから、学校に来い。理由なんて、勝手に生まれるもんなんだからよ...」

 そう言って、強く抱きしめる先生の腕の中は、温かかった。

 あの頃から忘れていた温かさを僕は今日、思い出したのかもしれない...。

 「...まっ、お前には拒否権なんてないんだけどな。」

 ピッ 『もう、学校を休むのはやめる!皆勤賞も狙う!だから、飛び降りるのはやめて!』

 先生が取り出したのは、僕の声の、一部始終だった。

 「言質。撮ってるから♪」

 そう言って笑う先生は、笑顔が狂っていた。

 「師匠...。人間界の醜悪の、頂点に達する師匠だ...」

 「あ?師匠?やめてくれ、その呼び名は!一生、彼氏ができなさそうな呼び名は...ってか、誰が人間界の醜悪の頂点だ?!」

 「師匠...」

 「おい!」

 そうして僕と先生は、2人で笑い合った。

 あの頃からだ。僕はあの頃から、師匠とした約束を破ってはいない。でも、もう...

 「限界かもしれないよ...。先生...」

 その瞬間、僕の体は、師匠の女体に、覆い被さっていた。被さられたといった方が、正解だったかもしれない。

 僕の背中には、あのときとおなじような、温かい温もりが伝わってくる。

 「紫苑...。お前は、もう理由を見つけてるよ...。お前がここ最近楽しかったのは何故だ?私と話すとき、笑顔が増えたのは何故だ?お前はもう、理由を見つけてる...」

 「僕はもう、理由を...?」

 そのときの走馬灯で、僕が笑っていた、楽しかった景色にいつも写ってきたのは...

 陽ノ日はられだった。

 君が、僕の学校に来る理由...?

 「...僕は、理由を、もう一度回復させるために、何をすれば、いいんでしょうか...」

 前みたいに、迷ってはいられなかった。

 「ハハ。それは、君自身で考え、解決するもんだよ?陰厨くん?」

 「え?そのあだ名、どこで...ムッ、むぐぐ~?」

 いきなり、背中に伸びている手の、抱きつく力が、強くなった。顔がずれて、たわわな産物が実る方へ向かっていく。

 「ん、んん~♡」

 フニュフニュとした、柔らかい感触だった。結構この人は胸がある。顔も可愛くて、胸もあるのに、何でこの人はモテないんだ...?

 「その性格、直した方がいいですよ。」

 優しく囁いたつもりだが、縛る力は強くなった。

 「ぎ~、ギギ~」目をつぶったまま、力は強くなっていく。起きてるのか、無意識なのか、もうよく分からなかった...

 「ん、んん~♡」

 

 

 

 はっーはっーはっーはっー。

 あれから、5分間くらい、プロレス技をかけられた。ツームストーン・パイルドライバーとか、絶対そっち系じゃないと知らない技だろ...

 息切れ消耗しながら、僕は教室へ戻った。自分の席を探し、そこに腰掛ける。今の学校は椅子の後ろに番号が書かれてあるので、自分の席を見つけるのは容易だった。

 結構後ろの方だった。4号車の、後ろから2番目窓側。偶然にも陰キャプレイには最適だったが、僕は変わらないといけない。僕の理由を取り戻すために...

 

 ___「ねえねえ~、最近遅刻してくる、あいつ。月山だったっけ?何であいつ早退したの~。」

 新名の気持ち悪い産声で、僕ははっと目覚めた。やばい。僕は何分寝てしまったのだろう。

 咄嗟に起き上がろうとする僕を、誰かが外から抑えた。エ?どうやら、何かがおかしい。僕に毛布が掛けられてある。

 「うわ~、山吹ちゃん。また成長してない?最近、誰かにもまれてんの~?」

 「ちょっと、やめてよお~」

 「わっ!静のブラ可愛いね!大人って感じ!」

 「いやいや、幹美のパンツも大人じゃ~ん」

 え?え、え、えええええええ

 ブラ?パンツ?揉む?どこを?!

 もしかして、僕は最悪な時に起きたかもしれない...。きっと今は、女子が体育終わりの着替え中だ。

 「ねえねえ、何で早退したの~。詩音ちゃん!」

 「し、知らないわよ。はられが、なんか知ってんじゃないの?いっつも、あいつと仲良くしてるみたいだしさ...」

 「え?!そうなの~?はられちゃん!遅刻くんと仲良しなんだあ。なんか意外だ~。」

 「い、いや、仲良しってわけじゃ...」

 ぎゅっと、押し込んでくる力が強くなった。

 「仲良しでしょ!はられ!今さら、隠して何になんの?自分でも言ってたじゃん。“友達”だって。」

 「え?何で隠してんの~?はられちゃん!」

 「い、いや、別に今は...」

 新名の甘ったるい声が、無性に腹立つ。いつも男と話してるときとは違って、こいつは、女の前で“ぶる”やつだ。

 今すぐ立ち上がって応戦したかったが、状況的に、僕が捕まってしまう流れだった。

 「ふーん。なんだ~。陽ノ日、あいつと昨日喧嘩したんだね?だから、元気がなかったんだねえ。ふーん。...だから私は言ったのに。あいつは絶対クズだよ!陰気で弱虫で性格が悪いやつなんだって。私さ、言ったじゃん!」

 「ちょ、ちょっと、待ってよ...」

 「え?」

 「私が悪いんだ。私が感情に任せて、月陰くんに、いやなこと言っちゃったから...。」

 「私が、悪いんだ...」

 ぎゅうっと、僕を抑える力がもっと強くなった。

 「...悪くないよ。はられは、私のヒーローなんだから...」

 最後に宮藤がそう呟いて、僕は会話を聞くのを止めた。

 感じてしまうのは、外側からくる押しつぶす力と、内側からくる罪悪感だけだった...

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


 

 

 

 

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