第2話
朝僕はよく仮眠をとる。
起床6:30分、登校7:40分(始まるのは8:30)の僕は、朝日に照らされる窓辺の席で、いつも寝ている。
キーンコーンカンコーンキンコンカンコンキン
予鈴のチャイムが鳴った。
僕は、ゆっくり体を起こして、大きくあくびをする。今日はよく、眠れなかった...
そう思って、斜め後ろのうるさい奴らを睨み付けた。
「ん?」
そのとき、陽ノ日と僕の目が、一瞬合った。
バッ 光の速さですぐ目をそらし、緑色の葉っぱを見る。
夏だなあ。青春だなあ...
...危ない危ない。このままでは、僕が感じの悪い陰キャになってしまうところだった。
僕は決して、陰キャなどではない。
朝早くきて、眠っているのも、部活に入っていなくて、かといって、教室にも話す友達などいないから、寝たふりをしているわけでは決してない。ただ、仮眠をしたいだけだ。そうだ、そうに決まってる。
僕は自分に言い聞かせた。
ガラガラガラガラ
この音は、うちの担任“溝ノ口三郎”恩師が、入ってくる音だ。彼は、御年67になる大ベテランで、なぜ未だに教師をやっているか分かる人は、この世にはいないと言われる。
「はい、おまえら席につけ~。ホームルーム始めるぞ~」
ん?女性の声?
窓から教壇へ目を移すと、そこには師匠がいた。師匠というのは、山之内桜、未だに独身の、うちの副担である。
「せんせ~い、さぶちゃんはどうしたんですか~」
新名が腹立つ声で師匠に訪ねた。
無礼者!恩師をさぶちゃんだと~?!クソイキリが!ほんとに声が腹立つ!
...めずらしく理不尽に怒った気がする。
「三郎先生は、足首を昨日やってしまって、辞表を提出した。なので、これから私が担任だ!うれしかろう!」
クラスに露骨な嫌な雰囲気が流れた。
うっそ~、まじあり得ないんですけど~。何でこんなおばさん先生がうちらの担任なの~。まじオワタ~。
「私は一応、29だが?」
え?わああああ!
気づいたら、師匠の顔が、僕の目の前にあった。
え?何?テレパシー?僕の心の声、聞こえてんの?
僕の怯えた顔に満足したライオンは、スタスタと教壇の方へ帰って行った。
こえーよ、まじで。ごめんなさい。
必死に僕はテレパシーを送って謝った。
ドン!檻に帰ったライオンが、自分の教壇をバンと叩く
「ではまず、今日の流れだが~
キーンコーンカンコーンキンコンカンコンキン
ホームルームの終わりのチャイムが鳴り、クラスは喧騒に包まれた。
「まじかよ、さくらちゃんが担任なの?」
剛堂が先陣を切る。
「なんか慣れねぇよな」
「それそれ、ほんとに」
村上、本井が続いていく。
「やっぱ、さぶちゃんがよかったっしょ!」
クソ新名が。喋んな。
しかし、いつもは聞き逃して馬鹿にしている、彼らの会話も、今日に限っては一理ある。
これから師匠が担任ということは、今までサボってきた、健康チェックシートや、自宅学習ノートも出さなきゃならない。
殺されるからだ。
「わあ!」
「わああ!」
「ハハっ、君、やっぱ面白いね!」
そうやって、小動物を虐めるような目で、僕を驚かして、見てきたのは、陽ノ日はられだった。
「君、まさか自学ノート終わってないの?」
陽ノ日は、僕の机に、おっぴらに広がられている、自宅学習ノートを見て、そう言った。確かに、まだ半分も埋まっていない。だから、あと10分間のタイムリミットを頑張っているんだろう?
「君は真面目だと思ってたんだけどなあ」
「自学ノート以外は、ちゃんとやってるし..」
「ほんとかなあ~」
そう言って陽ノ日は、僕の国語のワークをパラパラ開いた。
嘘ではない。定期テストのワークは、答えを綺麗に写すことで、有名なんだから。
ってかあれ?いつの間にか、陽ノ日は、僕の目の前の席に座っていた。これは、大変喜ばしいことではない。君は、席を奪われた人間の気持ちが分かるのかい?
『ごめん、座るからどいて』なんて、いえるはずもなく、そんなやつは、休み時間を、廊下の窓の淵で過ごす。
あっ、これは決して昔の自分ではない。僕は、廊下の窓が好きであそこにいたんだから。
「ねえ、紫苑くん」
ビクゥっ 体が条件反射をした。
「っ、プフッ、今日の放課後は、ちゃんと文化祭のこと決めようね」
そう言い残して、陽ノ日は、席を立った。
「じゃ、また放課後!ビクビク照れ屋君?」
陽ノ日は、抑えきれない笑動に、腰を曲げて帰って行った。
キーンコーンカンコーンキンコンカンコンキン
1時間目の始まりのチャイムが鳴った。
...あっ、自学遅れた...
その気持ちだけが、僕の中に残った。
「ねえねえ、下の名前呼ばれたとき、君、一瞬ドキってしたでしょ」
「してない。断じてしてない。」
「してたよ~。ビクウッってなってたもーん」
僕と陽ノ日の押し問答が始まってから、1時間がもうすぐ経とうとしている。きっと、今回も文化祭のことは決まりそうにない。
話は戻るが、僕は“ドキドキときめいと”なんてしていない。別に、家の中では、よく下の名前で呼ばれるし、中学校に上がるまでは、僕も『紫苑』とよく言われていたから、こういうのには慣れているわけで...
「僕はそんなんでドキドキするほど、ラブコメの主人公ではない。」
そう言って僕は、そっぽを向いた。
意地になっていたのかも知れない、この論討に面倒臭さを感じ始めたのかも知れない。
ただ、恥ずかしかっただけかもしれない。
「ふぅん、ドキドキしないんだあ」
陽ノ日は、何か企んでいるような、意地悪そうな声で応えた。
2年1組の教室が、珍しく静かになる。
陽ノ日の声が聞こえなくなった。
でも、僕はここで決して後ろを振り返ったりしない。たぶん、たぶんだが、あいつは僕のほっぺた右斜め後ろで、指をセッティングしていて、僕が後ろを振り返った瞬間に
『あ、引っかかった!ね、ドキドキした?』
とかいってくるんだろう。
だが、そんなのもう見飽きている。いつも僕の後ろの席のカップルが、授業中、まるで僕に見て欲しいみたいにしてくるからな。しょうがなく見てやったら、ドン引きされたけど。
まあ、僕はそんなやつとは違う恋愛を楽しみたいから、そんなことは一度もやったことない純粋無垢だ。そう、初めて。はじめて...
...しょうがないなあ、ここはあいつに一つ乗ってやるとするか。決してやってみたいとか、そんな思ってないよ?ほんとに。
ヌルッ 僕は恐る恐る後ろを振り返った。
く、く、っん?こない...
後ろを振り返ってみると、そこには陽ノ日の手も、陽ノ日自身もいなかった。
「お~い、陽ノ日ー、じゃなかった。
お~い、君~、どこにいるのー?」
「っ、プフッ」
陽ノ日のツボった声が聞こえた。
声がした方向を振り向くと、陽ノ日がカーテンの背広の後ろから、現れた。
「残念だったね、独り言君。」
またあだ名を変えられてしまった
「ねえねえ、焦った?ドキドキした?」
「ああ、ドキドキしたよ」
「え?」
あっ、しまった。
「へ~、そうなんだあ。フフ!」
陽ノ日は意地悪そうな顔を僕に向けた。
少し失言だった。でも、僕はドキドキの意味が違う。
「君というまばゆいまばゆい、ウットウシイ..光に、照らされずにすむと思うと。それはそれは、ドキドキしたよ」
「...君はほんとに卑屈だなあ。ってか、さっき鬱陶しいって言った?言ったよね?!」
キーンコーンカンコーンキンコンカンコンキン
その瞬間に、委員会の終わりを告げるチャイムが鳴った。
僕は、よっこらせと、机の横に掛かっているバックを肩に担いだ。もうすぐ、僕のもう一つの人格が、活動を開始する時間だ。
そうした厨二病っぽいことを思い浮かべながら、僕は引きドアに手をかけた。
「あっ、ちょっと待って!」
そのとき、陽ノ日が呼び止める声が聞こえた。
ドスドスドスドス 古びた木の板が、今にも割れそうな勢いで鳴り響く。
ダンッ そうして、陽ノ日は僕の横にたどり着いた。
「今日も、一緒に帰ろうか!」
そう言って君は、鬱陶しい笑顔を浮かべた。
「ねぇ、独り言くん!」
「ねぇ、厨二病くん!」
「ねぇ、月陰くん!」
5分、10分、15分。君は話すのを止めない。
さっきから僕は、生産性が見いだせない、この会話や問答に呆れて、相槌の『うん』までも言わなくなった。
「ねぇ、紫苑くん。」
ビクッ ...それでも君は、僕というものに話しかけてくる。陰に話をしても、答えが返ってくるはずがないのに。
君はまた、独り言を始めた。
「どうして太陽と星は輝き続けるのかな。
別に輝かなくたって、あの子たちは生きていけるよね。それでも、輝き続けるのはなぜ?苦痛じゃないの?大変じゃないの?ただ、誰かを照らすことだけが、太陽と星の光を生み出しているのかな?
...私って、変だね」
そう言って、陽ノ日は急に立ち止まった。
昨日も見た十字路と、飛び出し坊やの看板。
そうか、ここは、君と別れる場所なんだ。
「じゃあ、またね」
そう言って、陽ノ日は、いつもと変わらない笑顔で僕に手を振った。もちろん、僕も手を振りかえす。
陽ノ日は、僕の振り返した手に、またツボりながら、雲の奥底へと、消えていった。
...どうして、太陽と星は輝き続けるのか。その問いについて、僕は深く考える予定はない。
それはもちろん、陽ノ日という、なんにも考えていない、バカなやつからの口から出た、脳を通ってもいないような“思いつき”だろうからだ。そう、考えなくたっていい。
なんにも、なんにも...
“私って、変だね”
陽ノ日がそう言ったとき、声が少し低くなったのは、もしかしたら、もしかしたら、陽ノ日は何か...
...なんて、僕の単なる “思いつき” なんだから。
そんな思いつきを、信じなくたっていい。
信じなくたって、いい。
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