第45話偽りの夫は元王子の初物を食べる



 予定していた通りの時間に、カグラは妓楼の座敷に向かった。


 カグラは黄色の衣装に袖を通して、緑色の石が散りばめられたアクセサリーで自分を飾り立てる。髪飾りにまで使われている透明度の高い緑色の石は、遠い国からやってきた輸入品である。


 衣装に使っている黄色い布も異国から取り寄せられたもので、王都であっても出回っている数が少ないものばかりだった。


「お帰りなさいませ。お酒の用意をしており、出迎えの挨拶が遅れました」


 カグラは部屋で待っていた客に頭を下げる。桜妓楼にやって来たときは、帰宅した時のように扱ってくれというのが本日の客の要望である。


 いつもならば座敷の一つを家に見立てて、三つ指をついて客を迎え入れる。酒についても客の好みのものを準備しておき、場合によっては食事までそろえておく。


 だが、今日は違った。


「それはいいよ。こっちも楽しませてもらったからね」


 座敷にいるのは、客とレイハード。


 レイハードは仕込みをやりたいと言い出した客を相手にした時よりは、疲弊していないようだ。それでも初めて客との本番を経験したせいもあって、痛みで動けなくなっている。


 いいや、痛みよりも相手にした客の男の方に衝撃を受けているのかもしれない。


「珍しいものが好きな王子が昔いてね。彼が異国の動物だのフルーツなどを欲しいと言って、こっちは大変だったんだよ。しかも、パーティーで見せびらかしたいという理由で命令するんだ。布とか宝石なら腐らないけど動物にフルーツだよ。しかも、三ヶ月以上かかる旅路なのに」


 昔の苦労話をしている客は、貿易関係に関わっている国の大臣だ。他国の情報や輸入品を真っ先に手に入れられる立場にある人間で、カグラに贈るのは国にもたらされたばかりの珍しいものである。


 衣装の布も緑の宝石だって、カグラに贈られた頃は市場に一つも出回っていなかった。融通量は今も少ないので、珍しいものが好きな貴族から見たら今のカグラの格好は垂涎ものだろう。


「フルーツは、たしか苗木ごと運ばせたんだ。現地の人間に育つ気候なんかを詳しく聞いて、移動する季節を選んでの大移動だ。王族より大事に扱ったさ」


 大臣の職についている客は、レイハードの王子時代の無茶な命令を愚痴にする。いつものことだったので、カグラは慣れたタイミングで男に酌をした。


 外国の品物に携わる仕事をしているが、男が好んでいるのは自国で作られたワインとビールだ。自国の味を熟知しているからこそ、自信をもって輸出の交渉が出来ると客は言っている。


 仕事に関して真摯に向き合う男は、カグラにとっては好ましい客だった。


 話の内容こそ愚痴ばかりになることが多いが、客は態度さえもいつだって紳士だ。娼婦相手には粗暴な態度をとる男も少なくないが、彼は桜妓楼の従業員の全てに気さくに振る舞う。


 指名するのはいつだってカグラだが、働いている子たちを喜ばせてあげなさいといって東洋の菓子を山程もらったこともある。そのときは、故郷の味に従業員一同で涙したものだ。


 そんな客だからこそ、カグラは信頼していた。無理を承知でレイハードの初めての客になってもらったのは、その信頼故にだ。彼ならば、過去に遺恨があっても必要以上はレイハードを粗雑には扱わないだろう。


 客は渋った顔をしていたが、カグラは何度も頼み込んで了承してもらった。


 カグラの客は、高給取りが多い。故に、王族と関りがある人間も多かった。レイハードと過去に関りがあったのかの判別が難しかったのだ。


 カグラは出来ることならば、王族とは関わりあいのない客にレイハードの初めての客になってもらいたかった。客に身体を任せる最初の仕事は、言いようのない恐怖と戸惑いが伴う。


 カグラは、それをよく知っている。


 だからこそ、娼婦であろうと男娼であろうと処女を売る客は信頼できる者を優先していた。最初の客に乱暴などされたら、その後の仕事に支障をきたすほどの一生の傷になる。


 レイハードは王族としてふんぞり返っていたので、かつての知り合いには怨みをかっていた。故に、無関係なものを選抜したかったのだ。


 けれども、それが難しかったので信頼が出来る客に頼んだ。カグラが見込んだ通り、客はレイハードに乱暴など働かなかったようである。


 レイハードは息も絶え絶えだが、殴られた痕もなければ出血した様子もない。部屋に用意された潤滑油も使われており、慎重に事は行われたようだ。



「カグラ、この子は駄目だ」


 まるで、カグラの考えを読んだかのように客が口を開く。


 いつもは穏やかな客の表情だというのに、今は眉間に皺が寄っている。無理なことを頼んでしまったからだろうかとカグラは罪悪感に襲われた。


「自分が、どういう立場にいるのかを理解してない。這い上がれると勘違いしている。こんな子は、売り物にはできないよ。君にとっても僕にとってもゴミみたいなものだ。ちゃんと捨ててくるんだよ」



 暗い顔をするカグラ気が付いたらしく、いつの間にか客の声色は幼子に接するかのように優しくなっていた。


「君は、優しすぎる。こんな馬鹿でも一番最初は恐ろしいだろうと考えに考え抜いて、僕に頼み込んできたのは分かっているよ。だからこそ、おかしな仏心を出してしまわないかと心配になるんだ」


 レイハードは客に対して媚びることも甘えて見せることもなかったらしい。恐怖で泣いてすがるようなこともなく、客に対して怒声を浴びせ続けたという。


 客に反抗しないように手足は縛っていたので被害は出なかったが、自由にしていたら蹴ったり殴ったりとしていたことだろう。


 今の状態でレイハードを一番まともに扱ってくれるのは彼ぐらいなのに、レイハードは堕ちた者らしく媚びることもしなかった。


 それは、自分の立場が分かっていないのと同じだ。客が言った通り、売り物には出来ない。


 売り物に出来ないならば、それは桜妓楼にとってはゴミだ。


「お手間をかけて申し訳ありません。旦那様ならと思ったのですが、浅はかな考えでした」


 普通なら、客を「旦那様」とは呼ばない。


 だが、この客はカグラに夫扱いされたがる。束の間で良いから、カグラと夫婦になりたいというのが客の要望なのだ。


 政略結婚した本物の妻との関係は結婚当初から冷え切っており、カグラに代わりを求めているらしい。


 桜妓楼の従業員に菓子を配ったのは、妻と子供たちに優しい父を演じたかったからなのかもしれない。


「ねぇ、君は夫の浮気現場を見たんだよ。嫉妬してくれ。……放っておかれるとさみしいんだよ」


 客は、子供のようにカグラの胸元にすり寄る。外では決して見せることはないだろう姿は、妻であるカグラに気を許している証拠だ。


 何年も通っている馴染みの客が求めていることなど手に取るようにカグラには分かる。


 カグラは、客の耳たぶを少しばかり強い力で引っ張った。そして、痛みを訴える客に向かって拗ねた顔を見せる。


「今回のことは、僕から言い出したことです。でも、本心から言えば……断って欲しかった。こんなことを頼むなんてと叱って欲しかったのに」


 カグラは心にもない言葉で、夫になりきる客に理不尽なことを言う。五十がらみの男からみたら、二十歳そこそこのカグラなど幼妻だ。


 世間知らずで嫉妬深い。そして、ときより自分を振り回すような妻を客は求めている。そんなふうに言われたことはないが、客の要望を察して叶えるのがカグラの仕事だ。


 我儘に振舞うカグラが可愛く見えているらしい客は、耳を引っ張られたことなど忘れたような顔をしていた。立場ある男だとは思えないようなにやけ顔で、カグラに嫉妬される喜びを甘受している。


「今日は、僕以外を見たら罰を与えます。今度は、頬を抓りますよ」


 客の乾燥した掌が、カグラの頬をなでる。


 小鳥を可愛がるように繊細な動きを見せる指先がこそばゆくて、カグラは思わず笑ってしまう。楽しげな顔を見せるカグラを抱き寄せた客は、自分で贈った髪飾りを丁寧に外した。


「困ったな。それでは、この部屋から出れないよ」


 朝までいればいいでしょう、とカグラは客に言った。


「旦那様は、僕との時間を大切にしてくれています。それに、仕事も」


 客の眼が、見開かれる。


 仕事を大切にしているというカグラの言葉が意外だったのだろう。


「いくら遅くなってもいいように、僕の所に帰ってくるのは明日が休みの日だけ。仕事に遅刻をしてしまう事を心配してしまうようなご主人様が、僕は好きですよ」


 この客が、仕事を大切にしていることは話の端々から伝わってくる。レイハードへの愚痴が多いのは、自分の仕事に我儘を持ち込むからだ。


「帰ってくる日の翌日が休みだなんて、よく気が付いたね」


 客は、カグラの慧眼に感心していた。


「旦那様は酒に強くはないのに、帰ってくると飲むでしょう。僕も強くはないから、翌日に残ってしまう気持ちはよく分かります」


 一介の男娼時代は、カグラは自身の酒の弱さに苦労した。進められない限りは飲まないようにしたが、飲まなければならない場合も多い。飲みすぎれば翌日は決まって頭痛に襲われて、酷い目にあったものだ。


 ちびちびとしか酒を飲まない客の姿は自分と重なるものがあったし、いくら特産品の味見といっても翌日の仕事に支障が出るようなことはしないであろう。


「なるほどね。そういえば、君も飲まないものね。しかし、仕事を大切にしているか。そう言ってもらえると遣り甲斐もでてくるな。僕は、小さな頃から外国に憧れていてね。海外に携われる仕事がしたかったんだ。年寄りになってからだけど、若い頃の夢を叶えられて気分が良いんだよ」


 客は、上機嫌で若い頃に見聞きした外国の話を始めた。位の高い身分に産まれた客でさえ、海外には気軽にいけるものではなかった。だから、冒険家などを家に招いて話を聞くことが楽しみだったらしい。


「こんな話を出来る相手なんて、もういなくてね。夜通し話しを聞かせてあげようかな。ああ、そうだ」


 客は、カグラの唇に触れた。


「今日は、君も僕以外を見たら駄目だよ」


 カグラの服に、客の手がかけられる。ざらりとした折り目の荒い布が、肩から滑り落ちた。


 異国の布は、触り心地が少しばかり荒い。暑い国のものだから風通しがよく作られているのだろう。


 躊躇いもなく肌を露わにしていくカグラを見ていたのは、客だけではなかった。


 レイハードが、侮蔑の目でカグラを見ている。


 もっと酷いところに、自分が堕ちていることも理解せずに。 


 明日の夜が限度だろうかとカグラは密やかに考えた。


 明日になれば、レイハードを手酷く抱きたいと言う客がやってくる。今日までにレイハードがものになっていれば庇う手段もあったが、もう時間切れだ。


 客が買った人間を手酷く扱う時には、当然のごとく暴力だって振るわれる。買った相手が人間だとは思っていないからこそ行われる拷問のような時間は、娼婦だったら誰しもが恐怖するものだ。


 怒りと性の衝動は紙一重で、どちらも抑制が効かなくなる。人間に暴力を振るうような人間は、その傾向が特に強い。


 客の暴行によって骨を折ったり、視力を失ったり、客を二度と取れなくなるような言葉にするにも恐ろしい外傷を負った人間だっていた。それは性交の痕というよりは、怒りによる一方的な暴力の痕だ。


 健康なものでさえも耐え切れない暴行だ。疲弊しているレイハードは、なおさら耐え切れないだろう。


 ただでさえ、仕込みのために食事の制限をされていた身体は弱っているのだ。そんなところで無体を働かれたら、回復さえも見込めないと店の人間に判断される。


 そうなれば、レイハードは王都の外に捨てられるはずだ。


 引退した娼婦のように現役時代に貯めた金がないレイハードには行くあてなどないし、そもそも体は動くだろうか。


「僕以外のことを考えているのかい。僕を見ていないと駄目だめだと言ったのに」


 客の言葉に、カグラは微笑みを返す。


「旦那様が話してくれる遠い国の事を考えていたんです。そこは暖かくて豊かで、天国みたいな国なのかなと。そうだったら……そこを目指せば幸せになれるのにって」



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