第43話バレッタはアクセサリーには含ませない


 カグラの性別に衝撃を受けた店長は、げっそりとしている。


 今日は悪夢を見るに違いない顔色をしていたが、プロの心意気で採寸はしっかりとやってくれたらしい。


 店長に悲鳴を挙げさせたカグラはというと、けろりとしていた。申し訳なさそうな様子はない。


 ティアとユシャは、カフスや帽子を選び始めていた。帽子はともかく、カフスは紳士のセンスが問われる小物である。


 本来ならば本人の好みに合わせるのが一番なのだが、普段着が一重というカグラにはカフスの良い悪いなど分からない。


 故に、女性二人が嬉々として選び始めたのである。


「カグラ様の瞳の色に合わせてしまうと黒になって地味すぎるし……。桜妓楼にちなんで、桜の形のものはどうかしら。でも、このハトの形のも可愛いわ」


 数多くのカフスのなかから一つを選ぶのは大変な作業らしく、ティアは熟考に熟考を重ねていた。


「素材としては、やっぱり銀でしょうか。正装は色味が黒に近いですし……。カグラ様は若いですから、パールが付いたものだって許されそうですよね」


 ユシャも参加して、ああでもない、こうでもない、と楽しそうである。


 女性人を眺めながら、カグラとアリアは店の置物と化していた。女性の買い物は長いのだ。水を差すのは野暮である。


「ここでなんだけど、煙草の件は本当に良かったのか。子供のときに考えたもので金が入るなんて」


 アリアは小さな声で、カグラにささやく。


 カグラは頷いた。


 カグラの客のなかにアリアが子供のときに作った煙草のアイデアを買いたいという人間がいたのである。しかも、売上に応じてアリアに金まで払うという。


 商売の規模からいってアリアの懐に入る金は少額であろうが、それでも信じられない話だ。給料に不満は全くないが、それでも収入が増えることは喜ばしい。


 カグラは、アリアの袖を引っ張った。


 喋れないなりに何かを伝えたいようだが、ものには限度がある。


 アリアは疲れきっている店長を指差して聞こえていないし、声が聞こえても問題がないことを伝える。カグラの性別を身体の付属品で知った彼にとっては、見た目に反して声が低いなど些末な問題であろう。


「……子供の頃の僕が、煙草の販売を辞めさせたからな。これで、心中の約束はなしだ」


 カグラの言葉に、アリアは驚いた。


 そんなことをカグラが言い出すとは思わなかったし、彼の性格から申し訳なさを感じているとも思っていなかったからだ。


 アリアの好意など当たり前のものだとばかりに甘受し、こき使ってみせるのがカグラという人間だと思っていた。もしかしたら、そうであって欲しいとアリアが勝手に思っていただけなのかもしれない。


「律儀なんだよ。それに……今更だ」


 子供の頃に交わした約束を反故にする気などアリアにはなかった。けれども、あの頃のような純粋な思いもなければ勢いもない。


 この瞬間にカグラが死にたいと言えば、アリアは賛同せずに彼を止めるだろう。


 一人では行かせたくはないが、それでも死ぬなと訴えるはずだ。


 それでも死ぬと言うのならば、原因となっている男娼の仕事も桜妓楼との関りも切らせる。一人では行かせないが、心中の約束をした人間を無理やり引き止めるというおかしな行動をとることだろう。


 つまり、それぐらいにはカグラを生かしたい。


 アリアのなかで、カグラの存在はもはや人生そのものだ。


「互いに命の使い方は、自分で決めた方がいいだろう。子供の頃とは、色々と違うんだ。お前だって、自分の命は主人のために使いたいと考えている」


 自分を遠ざけようとするカグラが憎らしい。けれども、その苛立ちの大部分をアリアは隠す。


 隠しとおせなかった僅かな残滓は、降ろされた黒髪を軽い力で引っ張ることで解消した。


 髪を引っ張られても痛みは感じないが、アリアにも言い分があることはカグラに伝わったらしい。


 アリアは長い黒髪を引っ張るのを止めて、指に絡ませて遊ぶ。手入れの行き届いた黒髪の触り心地を知る人間は多いだろうが、触れている瞬間は全てを忘れさせてくれる。美しいことだけに心が支配されて、それを楽しんでしまう。


「たしかに子供の頃とは色々と違うし、俺の命は随分と前からサーリス様のものだ。これからは、そこにティア様も加わる」


 心中の約束は、すでに形を変えてしまっている。かつてはカグラの心を支えていた唯一のものだったろうが、今のカグラは様々なもので支えられていることだろう。


 桜妓楼の従業員や五人衆という立場。


 それらが、カグラから死の選択肢を奪っている。


「でも……お前とは、他人とは違う関係でいたいんだ。その言い訳に、心中の言葉を使っていいか」


 これは、アリアの我儘だ。


 カグラの中で、特別な存在であり続けたいという願いだ。


 アリアの言い訳は、命がけで生きている人間には失礼だろう。幼いころの自分たちも落胆し、失望するはずだ。それでも、アリアはカグラの特別でいる理由が欲しいのだ。


「心中という言葉は……お前が好きに使え。あと、あんまり髪をいじるな」


 髪が抜けるだろうがとアリアの手が叩かれる。


「じゃ、代わりに」


 カグラの頭の上で、かりちと音がした。なんだろうと思ってカグラが頭に触れれば、金属特有の冷たさを感じる。


「バレッタっていう髪飾らしい。ほら、お前は髪が長いし」


 アリアは笑っていたが、バレッタの使い方が間違っている。髪留めとしてはまともに機能していない止め方に、アリアはため息をついた。


「今回は世話になったし、臨時ボーナスも入ったからな。安物だから、あんまり気にするな」


 止め方が微妙に間違っているバレッタを外して、カグラはそれを掌で転がしてみる。


 猫がデザインされているバレッタは銀製のものだ。売り物にしては手入れが甘く、銀の酸化による黒ずみが目立った。


 目の肥えたカグラは、一目で安物だと看破できる。しかし、猫の瞳に使われている青い石だけは好みだった。


 客から貰う宝石と比べれば削りかすのような大きさだが、深みのある色合いが良いのだ。


「髪をまとめる時に使えると思ってな。ブローチにもなるから、一つで二通り使えてお得だろ」


 アリアは、なにを思ってこれを選んだのだろうか。


 他人にアクセサリーを贈るということには意味がある。それとも、髪飾りのバレッタならばアクセサリーに含まれないとアリアは考えたのか。


 意味のない贈り物であって欲しかった。金を介さない特別な関係の作り方など知らないし、継続させることだって出来ない。


 決定的な失敗して、唯一の無二の存在が離れていくのは御免だ。


 それでもバレッタの黒ずんだ銀の色合いや深みのある青に、アリアは自分を見出してくれたのだろうか。似合うと思ってくれたのだろうか。


 カグラはらしくもなく、色々なことを考えてしまう。


 カグラは、バレッタを使って髪を正しくまとめた。首筋が露わになれば、それだけでカグラの雰囲気が変わる。


 夜のあだ花と呼ばれそうな姿は、もう日中の街には相応しくはなかった。カグラの居場所は、間違いなくベリツナ歓楽街だ。


「似合いすぎた……」


 アリアの言葉に、カグラの胸がわずかに跳ねる。


 長い付き合いになるが、アリアから物をもらった上に褒められたことはない。似合うだなんて客から飽きるほど言われた言葉なのに、嬉しさを噛みしめるような経験などなかった。


「髪を上げただけで、お前の居場所は歓楽街だって思い知らされるよ」


 続く言葉で、そういうことかとカグラは納得してしまった。


 仕事中は簪で髪を上げて、異国の雰囲気をよりいっそう強くする。アリアは、その姿を想像したのだろう。


 感じる落胆は、気のせいだと誤魔化す。


 違う意味での似合ってはいるだと早とちりしたなんて、早く忘れてしまうべきだ。


「カグラ様、この帽子を被ってみて。このデザインは、カグラ様によく似合うと思うの。お洒落だから、きっとカグラ様を素敵な紳士に見せてくれるわ」


 紳士用の帽子を手に持ったティアが、カグラのバレッタに気がつく。彼の後ろに回り込んでまでベレッタを観察して、大輪の花のような笑顔を咲かせた。


「そういうアクセサリーをカグラ様はもっと持っていてもいいと思うわ。カグラ様がお客様からもらったものは全てが豪華で、自分たちの見栄でカグラ様を飾っているみたいだったから」


 ティアの指摘は的をえていると言える。客が娼婦に贈る物は、大抵の場合が見栄だ。特に金持ちになればなるほどに、高価な物で財産を示そうとする。


 それらの豪華な贈り物は、娼婦の財布に入る金にしかならないというのに。


「そういうさりげない物の方が、断然素敵。カグラ様に寄り添って魅力を引き立てようとしているというか。とにかく、愛の贈り物という感じがするわ」


 ティアの言葉に、アリアとカグラは顔を見合わせた。安いバレッタに、貴族のティアはロマンスを感じたらしい。


「……これ、黒ずんでいるからって一割引だったけど」


 アリアは、ぼそりと呟いた。


 バレッタの値段は、カグラが考えていた以上の安さのようだ。


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